第4話 誇り高き偽りの王、碧き瞳の真実
三階へ続く階段の途中で。
ソルトとサーシャは、先を争うように、もう階上まで上り詰めようとしていた。
「あっ……!」
小さな悲鳴のような声が聞こえる。
アヤカっち!?
ソルトが、咄嗟に階下を見下ろすと、階段から転げ落ちそうな彩花の姿があった。
手を伸ばそうにも、届かない。
それは隣のサーシャも同じだったようで、息を飲む声が聞こえた。
まるで、スローモーションのように。
彩花が、落ちていく。
だが。
身体を斜めに傾けたまま、彩花の身体が止まっていた。
彩花は、何が起きたのか分からないらしい。
しかし、ゆっくりとラディ、ソルト、そしてサーシャに目線を向けてきた。
その表情が、強張っていくのが分かった。
階上のソルトとサーシャからは、はっきりと見えた。
彩花の背中を支えるものを。
腐りきって、異臭を放ちそうなその異形のものを。
「彩花様!!」
彩花の使い魔、ポワンの声に、彩花が振り返り、そしてティリシアの下級使い魔の姿を認め。
凄まじい絶叫を上げた次の瞬間、空間が歪み、黒髪に赤い瞳の男が現れた。
まるで、闇を切り取ったかのような、不気味なその姿に、訓練とはいえ戦いになれたミネリアの王子も、『蒼の疾風』の副隊長も、背筋が凍るような思いを覚えた。
赤い瞳で見つめられると、身体が動かなくなったような錯覚。
だが、それを振り切り、サーシャが一足早く動き出した。
階段を一気に駆け下り、その男の前に対峙した。
……副隊長さんが、動いたか。ならば、俺はどうする……?
ソルトの頭の中で、様々な思いが交差する。
今、しなくてはならないのは、彩花をティリシアの王女の下まで辿り着かせること。
ソルトが無表情で辺りを見渡していると、ふと壁に違和感を感じた。
彼の国、ミネリアにも、似たようなカラクリがある。
それは、玉座近くにあったものだ。
もしかして…………いや。きっと、同じものだ。
ソルトは彩花達が階上を登りきったことを確認し、サーシャの小柄で可愛らしい姿にそぐわぬ、凛とした声を耳にした。
「『蒼の疾風』副隊長、サーシャ。お前の名は」
「……ベレス。副隊長か。まあいいだろう。すぐに斃し、隊長とその小娘を葬ってやろう」
おいおい、自己紹介からスタートかよ。
まあいいさ。だけどな。
「そうはさせるか。アヤカっちに指一本触れてみろ。全身の骨を砕いて、生きていることを後悔させてやるよ」
アヤカっちを、小娘扱いしやがったんだ。
こいつはすでに、万死に値する。
ソルトの足が、カラクリ目掛けて蹴りを放った。
やっぱり。
ゆっくりと、壁が扉となり、ソルトと彩花達を塞いでいく。
これで、時間が稼げる。
ソルトは、不安に揺れる彩花に、なるべく安心させるように笑いかけた。
一瞬、瞼に手を当てて。
赤茶の瞳から、本来の碧の瞳の色へ変えて。
「ヨシダくーん、アヤカっちを頼むよー」
今、アヤカっちの傍にいなくちゃならないのは、誰でもない、ヨシダくんだから。
それが分かってるからこそ。
ミネリアの、名に懸けて。
閉じきった扉を見つめ、そしてソルトは振り返った。
「我が名は、ソヴァーディガルド・レンタス・ミリフォード・ガーディッド・ミネリア。相手に不足か? ティリシアのおぼっちゃん」
サーシャは、ソルトがミネリアの王子だということを知らなかった。
だからこそ、「お前」呼ばわり出来たのだ。
ソルトとしても、最後まで素性を明かすつもりはなかった。
あまり外交に興味がなかったのを幸いとし、ただ彩花の友人、「ソルト」として、この突入に参加したつもりだった。
だが、この男を相手に迎え、つい名乗りを上げてしまった。
サーシャに釣られたかな?
そう内心で苦笑していると、ベレスとサーシャは異なる驚きを表情に浮かべていた。
「……ミネリアの、王子? マジかよ、やべえ。俺、首飛ぶかな…………」
「ほう、ミネリア。アステリア国とミネリア国は、いつからこんな国交が密になったのかね?」
ソルトはサーシャの言葉は無視し、ベレスに瞳を据えた。
「さあな。国交なんて興味ねえし。俺は、アヤカっちの望みを叶えさせてやりたいだけだよ!」
ソルトはそう言い放つと、足をぐっと折り曲げて、僅かに目を見開くベレスの頭上目掛けて飛び掛かった。
「うりゃあー!!!」
ソルトの足が、ベレスのこめかみを叩く寸前、透明の壁がソルトを阻み、彼は弾かれて身体を飛ばされた。
だが、背後のティリシアの下級使い魔に激突する瞬間、その皮膚の溶けた頭部に手を突き、一回転して着地する。
「うげえ、気持ちわりい。ヌルヌルしてるしー!」
「……ほう。ミネリア王族は、体術を心得ていると聞いた」
「試してみるか? 今ならお試し価格で相手してやるよ」
「くっく……ふざけた王子様だ。だが、私もユリシーダ様に信頼された身。そうやすやすとはやられんぞ。ユリシーダ様のように、進化した下級使い魔と、上級使い魔は同時に生み出すことは出来んが……」
にやりと笑ったベレスの瞳が、赤く怪しく揺らめく。
手が、垂直に下がった。
その先に空間が歪み続け、床から、ずずずず、と音を立てて這い上がってくるのは。
数体の、腐った下級使い魔だった。
「おいおい、王子様。これはどんな悪夢なんだよ」
そう言いながら、サーシャの剣が、絶え間なくベレスに襲い掛かる。
長剣でそれを交わしながら、ベレスは目を僅かに細めた。
「なるほど。『蒼の疾風』とは、この程度か」
「本領発揮は、これからだ!!」
サーシャは剣を強く前に繰り出すと、ふいに壁際に走り出した。
ソルトは、下級使い魔を片っ端から蹴り、突き、そちらに翻弄されてしまっている。
だが、下級使い魔を攻撃しつつ、ベレスの隙を狙っているような様子だった。
サーシャの足が、壁を軽々と数歩駆け上がり、そして身体を反転させて剣を振り投げた。
「何!?」
咄嗟に自らの前に、障壁を作って飛び掛る剣を防いだベレスに……
「背後ががら空きだぜ、色男!!」
ソルトの膝蹴りが、ベレスの膝の裏を直撃した。
堪らず腰が砕けるベレスの前に、両手で短剣を握り締めたサーシャが降りかかった。
「うりゃあぁぁーーーー!!」
勢いよく振り落とした剣が、ベレスの腹部に突き刺さる。
「ぎゃーーーーー!!」
耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げ、ベレスがもんどりうった。
サーシャは無表情で、剣を更に深く突き立てた。
ベレスは血走らせた目を見開き、身体を痙攣させて、口元から血を大量に吐いた。
ソルトは立ち上がり、ビクビクと痙攣し続けるベレスを見下ろした。
「これで、終わりか……?」
「……こんな、あっけなくていいのか?」
サーシャが不審気に眉を寄せながら、剣を抜き立ち上がった。
彼らの眼下には、元ベレスだったものが横たわっている。
これで、彼の生み出した使い魔も消えるはずだ。
だが。
「マジかよー! 何だよ、どういうこと!?」
液を滴らせて、襲い来る下級使い魔。
サーシャが取り囲まれ、一体に首を掴まれた。
そのまま、上へと上げられる。
サーシャの細い首が、腐りかけた手に、締め上げられている。
「ぐっ……!!」
身体を揺らし、剣を振り回しても、下級使い魔達へのダメージにはならない。
ソルトも後ろから、使い魔への攻撃を続けているが、腕をもいでも、頭をもいでも、それでも動き続ける使い魔達。
「何で……どうしてだ……」
待て、よく見ろ。
主無くした今、使い魔が動けるはずがない。
ということは、本当のベレスは別にいるはずだ。
ソルトは素早く下級使い魔達を見渡した。
その一体。
明らかに、他の下級使い魔と動きが違う。
彩花が言う、ゾンビもどき達は、ゆらゆらと揺れ、両手を上げて。
死人のような動きでソルト達に襲い掛かってくるというのに、その一体は、他の使い魔の動きを真似してはいるが、時折手を下に向けたり、指先を小刻みに動かしたりしていた。
ソルトは大きく舌打ちをし、その異質な下級使い魔目掛けて走り出した。
サーシャの顔色が、段々土気色になってきている。
時間がない。
走りながら、手の平に全ての力を込めて、気を充填しきったところで、今まさに、人差し指をくいと上に上げた、下級使い魔に体当たりをした。
ソルトの身体が、ぬるりとした身体の上に圧し掛かる。
目を見開く下級使い魔。
無感情に動く下級使い魔が、そんな表情を浮かべるはずがない。
「お試し期間は終わりだよ」
そう呟き、ソルトの手が、目を見開き、口を全開に開けたその胸に向けられた。
「どうして……魔力のないミネリアに、幻惑の魔法が……!!」
恐怖に震える悲鳴を上げた下級使い魔。
ソルトは唇の端を上げ、にやりと笑った。
「だからだよ。余計なもんがねえからさ。真実が見えるんだって」
白く強い気が、ソルトの手から放たれて、下級使い魔の心臓を貫く。
激しく身体を跳ねさせたが、下級使い魔の姿はやがて、人型となり、髪は黒く、見開く瞳は赤く……
先ほど対峙した、ベレスと同じ姿のまま、彼は息絶えた。
その身体に振り返ることなく、ソルトは真っ直ぐに座り込んだサーシャの元へと歩いた。
「おいおい、大丈夫か? 副隊長さん」
「……その呼び方、よせ」
下級使い魔の手から放たれたサーシャは、首に手を当てて小さく呟いた。
「え? 何だって?」
「だーかーらー!! ミネリアの王子様に、副隊長さんなんて呼ばれるほど、俺は偉くないんだよ!」
勢い良く立ち上がったサーシャに、ソルトは腰に手を当てて考える素振りをした。
「ふーん?」
「何だよ、その顔」
「じゃさ、こうしようぜ。あんたさ、俺のこと、王子様って言うのナシな? そしたら、俺もサーシャって呼んでやるよ」
サーシャは怪訝そうに眉を潜めた。
ミネリアの王族だからといって、忠誠を誓うわけではない。
だが、他国の嫡男だと知れば、本来ならば敬う態度を施さなくてはならない。
なのに、サーシャは口調を崩さぬままだ。
それを咎められても、仕方が無いというのに。
何を言い出すんだ、この王子様は……。
ソルトは、サーシャの肩を、ぽんと叩き、階下へ向かって歩き出した。
「お、おい、隊長達を追うんじゃ……」
「あー……」
ソルトはふいに三階と二階を塞ぐ扉を見上げた。
彼が塞いだ、彩花達との境界だ。
ふと笑みを漏らし、軽く肩を竦めた。
「あそこは、あんたの隊長さんに任せるわ」
「はぁー!? 何を……」
「ヨシダくんも、いいところをしっかりとアヤカっちに見せないと。まー、下の連中片付けたら、手伝いに行こうぜ。それとも、何? 心配? ヨシダくん、そんなに弱っちい?」
「……隊長だったら、そんじょそこらの奴にはやられはしないけど。ってか、ヨシダくんて……」
まだ不満気なサーシャの瞳を、ソルトが見つめた。
澄んだ、美しいエメラルドグリーン。
好戦的なその瞳は……サーシャに不快感を与えなかった。
「行こうぜ、早く下を片付けないとな、サーシャ!」
サーシャは軽く目を見開き、女の子と間違えられるような、可愛らしい顔に苦笑を浮かべた。
「分かったって。あっ、だから、どうしてお前が先に行くんだよ、ソルト!!」
ソルトとサーシャが、階下に駆け下りた頃。
ラディは、二人ものティリシアの王族と睨み合っていた。
ラディの傍では、彩花の使い魔、ポワンとキューが控えている。
そして。
彩花の前に立つのは、煌びやかなドレスに身を纏い、優雅に微笑みを浮かべる…………
「由利……ちゃん……」
震える声に、更に深い笑みで応えるその女性は、彩花の尊敬し、信頼する地球の、日本の先輩で。
ティリシア国第三王女、ユリシーダだった。




