第3話 カクテル越しの独白、そして招かれざる再会
わたしの誕生日を迎えてから、時間が穏やかに過ぎていく。
心配していた、アステリアからの招かれざる賓客も来ないし、わたしと吉田くんの間も変わらず。
……うん。変わらない。
「俺と、付き合ってくれる?」
そうわたしに聞いてくれた吉田くんは、会社の人たちへの牽制としてのその言葉を言ってくれてからも、その前からも。
わたしのことだけを考え、わたしを大切にしてくれている。
付き合うって、どういうことなのかな?
いつも一緒にいたいって思うことが、好きなんだってことだと思う。
わたしは、吉田くんと一緒にいたい。
彼の隣は、心地いい。
わたしを撫でてくれるその手のひらも、わたしを目を細めて見つめてくれる、今は漆黒の瞳も。
そして、会社でも家でも、わたし達はいつも一緒。
だから、付き合って欲しいと言われる前も後も、何も変わらなかった。
これで、いいのかな?
吉田くんは、物足りなくないのかな。
わたし自身が、何か変わらなくてはいけないことがあるんじゃないのかな。
少しだけ、悩み始めたある日のこと。
この間、お父さんのために取った、吉田拓郎のライブのチケットが届いたそうだ。
お父さんは朝からご機嫌で、今朝は新聞すら読まない。
「拓哉くん、今日だぞ、覚えているだろうな?」
「ええ、もちろんです。楽しみですね」
お父さんの前にコーヒーを差し出した吉田くんは、わたしにもマグカップを差し出してくれた。
「彩花も、お母さんと買い物に行くんだろ?」
そう、今日は吉田くんはお父さんに付き合って、ライブに同行する。
そしてわたしはお母さんとその間、買い物をすることになっていた。
帰りはどこかで待ち合わせして、夜に外食することになった。
皆で外食なんて、久しぶりで嬉しい。
「お母さんとね、洋服を見に行くの」
「そう。気に入ったのが見つかるといいね」
わたしを見つめて微笑む吉田くんの眼差しは、きゅんとなるほど穏やかであったかい。
この眼差しを、独り占め出来ている今、わたしは幸せで仕方が無いことに気付いた。
幸せ……うん、本当に幸せ。
お父さんとお母さん、それから小さい頃から、ずっと一緒のポワン。
それに、会社や学生からの友人達。
そして今は、何より吉田くんが傍にいてくれる。
こういう生活を、きっと望んでいたんだね。レーリア。
わたしは自分自身だという、あの夢で見たレーリアに向き合えるようになってきたのかな。
まだ、アステリアの祝福の女神が、自分のことなんて実感できない。
だけど、今の自分を大切にして生きていくことを、レーリアが望んでいるような気がする。
久しぶりの生拓郎に大興奮のお父さんと、それを見て楽しげな吉田くんと合流して。
中華料理のお店で、おいしい食事を済ませたあと、お父さんとお母さんは先に帰っていった。
時間は、まだ夜の8時。
もう帰るの……? もう少し、吉田くんと話したいな。
そう思ったわたしの気持ちを読み取ったかのように、吉田くんはわたしの腕をふと取って、時計を眺めた。
「まだ、いいかな? 彩花、飲みに行こうか」
「え……、いいの?」
どうしてそこで、こんな言葉を言ってしまったのか。
素直に、嬉しいと言えればいいのに。
吉田くんは、上がり気味の切れ長の目を細めて頷き、腕を差し出した。
え、何?
とまどうわたしに、首を傾げるようにして覗き込む吉田くんの目を見て、気付いた。
恥ずかしい。でも、けど……。
わたしの手が、そっと細身なのにちゃんと筋肉がついている吉田くんの腕に絡んだ。
こんな風に、男の人と腕を組むなんて初めて。
恥ずかしい。顔が、真っ赤になっている。でも……嬉しい。
薄暗いバーの片隅で、わたしと吉田くんはソファに並んで座ってグラスを傾けた。
周りの女性達が、吉田くんを見ているのが分かる。
こんなに暗くても、目立ってしまうのね。
背が高くて、優しい微笑を浮かべている吉田くんは、わたしから見ても、惚れ惚れするほどカッコいい。
吉田くんが選んだのは、スクリュードライバー。そのカクテルグラスを持つ、綺麗な指先に目を奪われてしまう。
どきどきが、止まらない。
「……彩花?」
ぼーっとしてしまっていたようで、吉田くんの声に、はっと我に返った。
「え、えっと、あの……あ、そうだ。ありがとうね、お父さんに付き合ってくれて」
あんなに大喜びのお父さん、久しぶりに見る。わたしが一緒に付き合ってライブに行くよりも、吉田くんが付き合ってくれた方がきっと、何倍も楽しいはず。
お父さんは、吉田くんのことを気に入っているから。
吉田くんは、くすりと笑って、ソファに身を沈めて。
腕を、わたしの後ろの背もたれに伸ばした。
少しだけ、身体が近づく。
吉田くんから香ってくる香りが、わたしにも届いた。
ああ、だめだ。頭が段々、くらくらしてきた。
刺激が、強すぎるよ。
「俺も、楽しかった。俺には、両親がいないから。彩花のご両親が、俺の親のような気がしてね」
吉田くんのご両親、いないのか……。
そういえば、わたしのアステリアでのお母さんにも、まだ会って無い。
もう亡くなってしまっているのかな。
どっちも、聞きづらい。
だけど、吉田くんはわたしの後ろに回した手で、わたしの髪の先を弄りながら教えてくれた。
「俺がまだ7歳の頃だった。アステリアで一時流行してしまった病で、両親がいっぺんに亡くなってしまった。兄弟もいないし、一人きりになってしまった遠縁の俺を、皇帝陛下が引き取ってくださったんだ」
「そう……だったの……」
7歳かぁ。まだまだお父さんやお母さんの愛情、欲しい年なのに。
辛かっただろうな……。
「皇帝陛下は、イスランやシェニムと同様に、俺を育ててくれた。剣術も魔術も、勉強する環境も全て実子と同じように与えてくれた。本当に、感謝してもしきれない。それにね、俺も兄弟が出来たようで、嬉しかった。まあ……イスランはあんなだし、シェニムも小さい頃から口が達者だったから、俺も色々と泣かされてきたけど。でも、一番嬉しかったのは、可愛い妹が出来たからだよ」
妹、か。
レーリアのことだよね。
分かる。小さい頃から、大切に思ってきてくれたんだね。
でも、少しだけ心が痛いよ。どうしてなの……?
胸に芽生えた、ちくんとした痛みが、消えてなくならない。
吉田くんの手は、しばらくわたしの髪を弄っていたけれど。
だけど、ふいにその手がわたしの肩を掴み、ぐっと引き寄せた。
え! あ、あの、吉田くん!?
わたしの顔が、吉田くんの胸元に押し付けられる状態で。
彼の右手が、わたしの肩を掴んで。
左手が、わたしの髪を梳くように撫でている。
「じきに、すぐに気付くことになるんだけど。レーリアに対する気持ちが、家族を思う気持ちじゃないってこと。だけど、それはレーリアが地球に行ってしまった後だったんだ。当時、あまりに俺は幼すぎた。ただ、レーリアが俺の前からいなくなってしまう、そのことだけが悲しかった。でもね、きみは俺に言ってくれた」
『あなたに、護ってもらいたいの……』
そう夢の中で、レーリアは言っていた。
5歳のくせに、いやに大人びた口調で。
だけど、本心からの言葉だったんだろう。今では分かる。レーリアの気持ち。
あの時、レーリアはすでに、ラディのことが好きだったのね。
「きみがいなくなってしまってから、失意にいた俺は気付いたんだ。俺にとって、レーリアがどれほど大きな存在なのか。それからは俺がきみに贈った手鏡を通して、きみの成長を見守り続けた。気が遠くなるような、長い年月だったけれど、俺にとってはきみを見れる毎日が幸せで、そしてきみに会えるのが楽しみで。だから、頑張ってこれたんだ」
手鏡を通してなんて。
一方的に見ているだけで、会話も出来ないのに。
触れることすら出来ないのに。
だけど、それだけで幸せだなんて……
胸の苦しみからなのか、分からないけど。
ふいに、涙が零れてしまった。
吉田くんの胸に顔を埋めて、涙を見せないようにした。
「来年、きみは成人の儀を迎える。俺の成人の儀のときにはね、皇帝陛下の前で俺は誓ったんだ。レーリアのためだけに、俺は生きていくと。レーリアを護り、支えて生きていくとね」
せっかく、堪えていたのに。
あまりにも、吉田くんの愛情が深くて、切なくて。
わたしは吉田くんのシャツを握り締めて、声を漏らしてしまった。
ごめんね、わたし、吉田くんがそんなに思ってくれているなんて知らなかったまま、今に至ってしまった。
迎えに来てもらいたかったくせに、わたし、ラディのこと全然覚えていない。
ひどいよ。こんな記憶の封印なんて魔法、ひどいよ、レーリア。
「……ご……ふぇ、ごめんね、よ……しだくん……」
肩を震わせて泣きじゃくるわたしの髪を撫でる手が止まった。
突然泣き出したわたしに、驚いてしまったのだろうか。
吉田くんは、わたしを僅かに離して、端正な顔をわたしに近づけた。
「泣かないで、彩花。俺は今、本当に幸せだから。きみの傍にいられる。それだけでもこんなに暖かい気持ちになれるのに、きみは俺が触れるのを怖がらないでいてくれる。それがどんなに嬉しいのか、きっと分からないだろうな」
吉田くんは、本当に優しい。
この思いに、どう応えればいいのか、わたしには到底見当もつかないよ。
「吉田くん……」
「彩花、最近、俺に対して悩んでいただろう?」
バレてた。
うん……悩んでた。
だってお付き合いってしたことない。だから、どうすればいいのか分からない。
ましてや、こんなに深い想いを抱いてくれている人に、わたしはどうしてあげればいいのか、全然分からない。
だけど吉田くんは、涙でグチャグチャになったわたしの瞼に唇を寄せた。
うう……汚い顔なのに。
泣いてブサイクなわたしの顔中。瞼から頬に唇を寄せて、間近で吉田くんは囁いた。
「彩花は、そのままでいいんだ。俺のことも、アステリアのことも、今はまだいい。彩花が進みたい道を見極めていって。そのために、俺は今、きみの傍にいるんだから」
「でも……」
「いいんだよ。俺の告白を受けてくれた。それだけで、俺は充分なんだ」
吉田くんはそう微笑んで、あの綺麗な指先で、でわたしの目元を拭ってくれた。
うう……恥ずかしい。
「彩花、お代わりしようか。カシスオレンジって美味しそうだな」
「また、オレンジ系? 本当に吉田くん、オレンジジュースが大好きね」
そう思わず笑ってしまうと、吉田くんもくすりと笑ってメニューをわたしに差し出した。
「そうだな……」
言いかけて、言葉を止めてしまった。
何? 何があったの?
わたしはきょとんとして、体を起こして吉田くんを見上げた。
「アステリアの気配がする……」
アステリアの気配!?
それって、一体……。
驚いて固まってしまったわたしは、周りを見渡したんだけど。
普通にカップルとか、女の子同士とか、男性達がいたりとか。
別に怪しそうな人はいない。
吉田くんは眉間に僅かに皺を寄せ、気のせいかな、と呟いた。
やだな。
何か、妙な胸騒ぎがしてくるよ。
何だか落ち着かなくなってしまって、わたしはトイレに席を立った。
数歩歩いたわたしに、
「彩花!」
と呼ぶ吉田くんの声。
それに重なるように、どーんとわたしの背後に何かがぶつかった。
「アヤカっち、やっと見っけ!」
びっくりしてしまって、ごほごほと咳き込むわたしの肩に手を巻きつけて言うその声。
そしてわたしを、たまごっちのように呼ぶその人は。
「ソ……ソルト!?」
ぱっと振り向くと、褐色の短めの髪をツンツンと立てて、大きな上がり気味の赤茶の瞳が嬉しそうに輝いている。
着ている服は、アステリアの時のとは違い、普通のジャケットにジーンズ姿。
「やりい、覚えていてくれたんだ。すげえ嬉しいんだけど!」
「彩花、こっちへ」
ぐいと手を引っ張られ、わたしは立ち上がった吉田くんの後ろへと回された。
わたしを庇うように、吉田くんは真正面からソルトを睨みつけている。
「どうしてここに来た」
「だーって言ったろ? 俺、またアヤカっちに会うよって」
へらへらと笑うソルト。
緊張感を漲らせ、先ほどまでとは打って変わったような、攻撃的な眼差しの吉田くん。
二人の間で、見えない火花がバチバチと飛んでる気がする。
こ、怖い……。
ていうか!
何で、ミネリアの王子様が地球にいるの!?
しかも舞台はバーだなんて……戻ってきた平和な日常、終わりなの!?
せっかく吉田くんといい雰囲気になってきたのに……どうなるのぉー!?




