第1話 戻ってきた日常、コーヒーの香りと愛の温度
朝日が、零れ落ちてる。
うう……眩しい。
軽く伸びをして、ゆっくりと目を開けた。
背中に、柔らかい布団の感触。
わたしのベッドだ。
目の前には、見慣れた天井。
そして、見渡せば、いつもと変わらないわたしの部屋。
戻ってきた。
アステリアから、地球にちゃんと戻ってこれた。
黒竜に乗って、地球のわたしの家へ辿り着いたのは、夜中の2時過ぎだった。
でも、全然眠くなくて。興奮してしまっていたのかも。
色んなことがあった。
アステリアで、わたしの本当の家族と会って。
漏れ出した魔力を再封印するために、『魔女の館』へ向かって。
途中、何だか強い妖魔とラディ達が戦って、わたし、何とかしたくって。
そこでばったり出会ったのが、ソルトだった。
明るくて軽いソルトは、ミネリアの王子様だっていうけど……全然見えなかったなあ。
彼に協力してもらって、妖魔を無事斃して、『魔女の館』へ着いたんだった。
「あの時のラディ……別人みたいだったな……」
思い出しては、少し頬が熱くなる。
きっと、演技だったんだろう。
魔女達の長を前にして、テーブルに手を突いて、身体を前に傾けたラディの表情は、それはもう艶っぽくて、見ていてどきどきした。
でも、最後に地球に戻ってくるときには、すっかりといつものラディに戻ってた。
わたしをぎゅっと抱き締めて、浮かべた微笑はとても優しげで。
包まれている感覚が、わたし、とっても幸せだった。
愛してるって、何度も何度も言ってくれた。
けど、わたしは結局好きだって言えず終いだった。
言いたかったな……あのチャンスを逃してしまったら、次にいつ言えるのか分からない。
ラディは、わたしに気持ちを押し付けない。
ただ、わたしを護るために全力を尽くしてくれて、わたしに素直に気持ちを伝えてくれる。
わたし、受身ばっかりだ。
でもね、でも。
気付いたの、ラディ。
あなたの隣、心地いい。
わたしがわたしでいられる。
この先、レーリアの記憶が段々蘇ってきて、いつか今のわたしと違う考えになっていくかもしれない。
それでも、あなたはきっと、わたしを受け入れてくれるよね。
わたしの全てを見守ってくれるあなたの、傍にいたい。
そう気付いたわたしは、きっと、次に勇気が出たときには。
あなたに気持ちを伝えるから。
だから、もう少し待っていて?
布団に半身を起こして、ぼーっと考え込んでいた時間、思ったよりも長かったみたい。
階下から、お母さんの声が聞こえる。
「彩花ー、彩花ー? 朝よ、起きなさい!」
ああ、何だか懐かしいお母さんの声。
きっと今日の朝食も、ロールパンだけだろうけど。
それでも、お母さんとお父さんに、早く会いたい。
「はーい、起きたよ!」
戻った日常が、始まった。
慌ててスーツに着替え、リビングへ降りると、もうわたし以外の全員が起きていた。
お母さんはキッチンでコーヒーを淹れていて、お父さんは相変わらず新聞を読んでいる。
そして、座ったわたしの前に、ミルクたっぷりのコーヒーを差し出してくれたのは、烏の濡れ羽のような、艶やかな髪の色で、端正な顔の……
わたしの、大切なひと。
「おはよう、彩花。よく眠れた?」
耳に心地いい声と共に、最高級の微笑を振舞ってくれたラディ。
……ううん。吉田くん。
ごめんね、ラディ。
どうしても、その日本人の姿になると、頭のスイッチが変わってしまうの。
夕べ、寝る前に今の姿に変身したときに、わたしが何て呼べばいいか戸惑っていたら、ふんわりと笑って言ってくれた。
「彩花が呼びたい名前が、俺の名前なんだから。気にしなくていいんだよ?」
本当は、本名で呼んでもらいたいくせにね。
すごく、気を遣ってくれているのが分かる。
でも、甘えさせてもらおう。
その代わり、二人きりになったときには、きっと「ラディ」って呼ぶから。
「ありがとう、吉田くん」
そうお礼を言いながら、マグカップを受け取ると、彼は笑みを浮かべたままわたしの隣に座り、そしてお父さんの新聞に目を向けた。
「あれ……お父さん、拓郎、ライブやるみたいですよ」
「なに! 本当か!」
お父さんが慌てて、読んでいた新聞をひっくり返した。
丁度吉田くんが見ていた方に、確かに小さく、ライブ情報が載っていた。
「何と……何年ぶりなんだ。行きたい、母さん、行きたい!」
子供じゃないんだから。
勝手にいけばいいのに。
お母さんもそう思っているみたいで、完全無視を決め込んでいる。
「ああ、予約は今日の昼からか。何ぃ、ネット限定発売? おれに対する嫌味か! パソコンを使えないおれに対しての!!」
珍しい。お父さんが怒涛の怒りを示してる。
でも、そのネタがチケットを巡ることなんて……何だかなあ。
吉田くんはくすりと笑って、お父さんから新聞を受け取った。
そして、そこの場所を手で破いて、にこやかに言った。
「お任せを。俺がチケットを手に入れますよ」
「本当か、拓哉くん!」
お父さんは喜色満面。ああ、本当に珍しいものを朝から見てるな、わたし……。
「よしよし、二枚ちゃんと取るんだぞ。きみも一緒に行くんだからな!」
「え、俺も同行してもいいんですか?」
「もちろんだ! 同じ拓郎フリークとして、今晩酒を酌み交わそう!」
「拓哉くん、適当にしなさいね? オヤジ相手にしていたら、若さ吸収されちゃうんだから」
とキツイお言葉は、お母さん。
もう、何だかわたしはその会話を聞いて、可笑しくなってしまって。
ロールパンを喉に詰まらせそうになりながらも、けらけらと笑ってしまった。
だって、嬉しいの。
地球の、わたしの大切なお父さん、お母さん。
その二人と、吉田くん。凄く仲良く会話してる。
嬉しい。何だか、涙が出そうになるくらい、嬉しい。
こんな平凡な日常が、わたしにとっては貴重で有難くて……そして、わたしが望んでいたことなんだと妙に実感してしまう。
薄く涙を浮かべたわたしを見上げ、ポワンが心配そうにしている。
ごめんね、でも大丈夫だよ。
これはね、嬉し泣きなの。
アステリアに行って、そして地球に戻ってきたわたしは、レーリアの気持ちが少し分かったような気がした。
吉田くんと二人で、駅までの道のりを歩く。
おかしいね、つい昨日は、二人似たような格好で、ティナに乗ってた。
「ねえ、吉田くん」
隣を歩く、背の高い彼を見上げた。
吉田くんは、小首を傾げるようにして、わたしを見下ろしている。
その表情は、穏やかで。
昨日までの疲れなんか、微塵も感じない。
一昨日の夜、全然寝て無いのに。
軍で鍛えたからって、大丈夫なのかな? 今日、わたし一人で行ける顧客回りは、一人で行こう。
「あのね、新しく開拓した顧客管理とか、事務的な手続きしてないのがたくさんあるの。だから、今日は吉田くんは……」
そう言いかけたわたしに、吉田くんはにっこりと笑って、鞄からUSBメモリを出した。
「大抵の書類は、ここに入ってる。俺が地球に来るまでの間のは、宮下さんがちゃんと管理してあったし、その後のは俺が全部追加してあるはずだよ」
「え……?」
わたしは驚いて、足を止めてしまった。
吉田くんは、手にしたUSBメモリを眺めて、溜息交じりの声を出した。
「宮下さんは……ユリシーダは、地球で彩花のパートナーとして完璧でいたかったんだろう。それが伺える。後で、確認してみて」
由利ちゃん……
大好きだった。
尊敬できる先輩だった。
綺麗で、頭が良くて、愛想もよくて。
だけど、男の人に媚びることなんて、一切しなかった。
おしゃれは女性としての特権。男のためなんかじゃない。
そう言い切る由利ちゃんが、心から大好きだった。
思えば、わたしが入社して、初めて話しかけてきてくれたのが、由利ちゃんだった。
あまりに綺麗な人で、わたし、びっくりしてしまって。
人見知りもあるから、初っ端から弾丸トークの由利ちゃんに、圧倒されてしまったんだけど。
でもそれも、わたしの緊張をほぐすためだって、すぐに気付いた。
でも、けど……それも全て、『祝福の女神』としてのわたしに、近づくためだったんだよね……
何だか切なくて、悲しくなってしまって。
わたしは手を握り締めて、黙りこくってしまった。
吉田くんは、わたしの髪をそっと撫でて、顔を寄せた。
「彩花、とにかく仕事のことを考えよう? その方がいい。アステリアのことも、ひとまず置いて、今出来ることをしていこう」
「でも……」
わたし、いいのかな。
地球で、今まで通りの生活を送っていても、いいのかな……。
きっと、来年のわたしの誕生日までの間だよね。
今日、わたしは24歳になった。
25歳の誕生日には、成人した者として、わたしはアステリアでの発言権を得る。
その時に、わたし自身の未来を自分で決めることが出来る。
どこで生きて行きたいのか。
わたしの力を、何に使いたいのか。
……わたしは、誰の傍にいたいのか。
「急に、色んなことがありすぎた。だけど、彩花は彩花らしくいればいいんだ。そのために、俺がいる」
「吉田くん……」
吉田くんは、わたしの髪から頬に手を伸ばした。
あったかい、手のひら。
大きい。少し、ごつごつしているのは剣を持っているからなのかな?
見上げれば、漆黒の瞳が、優しげにわたしを見つめてくれていた。
「俺は、彩花のためにここにいるんだよ。それを忘れないで」
ありがとう、吉田くん。
わたし、もう少しゆっくりと考えたい。
頭悪いのかなあ? いっぺんに、理解できない。
だから、待っていてくれるあなたの優しさが、今のわたしにはすごく嬉しい。
さっきまで、少し憂鬱だった気持ちが、ちょこっとだけ晴れたような気がした。




