第2話 森の囁き、パンプスの行軍
パチパチと枯れ木が爆ぜる音がしていた。
寝ないつもりだったのに。
膝を抱えて、体を丸くして。
ぼんやりと焚き火の火を見ていたら、その爆ぜる音が段々遠くに感じていく……。
はっと気付いた時、辺りはまだ薄暗かった。
だけど、もう太陽が昇り始めている。
何となく暖かくて、あれ、焚き火が消えてる。
「あれ……?」
ぼんやりとして、体を起こすと、わたしに上着が掛けられてた。
濃いくすんだ紺色のそれは、ラディの着てたコートだ。
「起きた? 辛かっただろ、身体痛くない?」
間近で低い、耳に心地いい声が聞こえる。
顔を上げると、目の前に端正な顔がある。
「……っ!! ラ、ラディ!」
「おはよう、彩花」
にっこりと笑う、切れ長の眼差しは、今日も綺麗な海の色。
って、違う、そうじゃない!!
わたし、ラディに思い切り寄り掛かって寝てしまっていた。
あああ、疲れてるのは、わたしじゃなくてラディなのに!
「ごめん、本当にごめんなさい!」
慌てて体を起こして、掛けてくれた上着を彼に返した。
寒かっただろうに……申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ラディは一旦受け取ったコートを広げ直し、そしてふわりとわたしに再び掛けた。
「まだ、気温は低いし、寝起きは身体が冷えるよ。もう少ししたら、ポワンを起こすから。キューを召還させて、また火をつけさせよう」
その言葉に、ポワンを見たら、可愛らしい寝顔でまだ熟睡してる。
……もう少し、寝かせてあげたいな。
でも、今はポワンよりも、ラディが心配でならない。
「わたしはもう、大丈夫だから。これ、ちゃんと着て? それから、もしかしてラディ、寝てない?」
わたしもポワンも寝てしまったら、誰が見張りをしてくれたの?
本当は、わたしが起きていなくちゃいけなかったのに。
だけどラディは困ったように微笑んで、わたしの髪に手を伸ばした。
「俺のことは、気にしないで。こう見えても、軍で鍛えられたんだから、大丈夫だよ」
やっぱり。寝てないのね。
「だめ。これを着て、少しでもいいから寝て? お願いだから」
わたしが必死になって頼むと、ラディはじっとわたしを見つめ、それからポワンを見下ろして。
「じゃあ……彩花、お言葉に甘えさせてもらう」
そう言って、わたしの背後から、わたしをぎゅっと抱きしめた。
ひぇ!! どうして、なんで!?
長い両足を、畏まったわたしの両側に立てて。
そしてわたしを両手で包み込んで、顔を髪に埋めている。
「ラララ……ラディ?」
「……あったかい。でも、怖くない……?」
こんなときまで、わたしの心配をしてくれてる。
大丈夫だよ、怖くない。
優しいあなたの腕の中だったら、怖くないから……
だから……。
「この体勢で、寝れるんだったら、寝てね?」
「うん。重くない?」
「大丈夫だよ」
くすりと笑ってわたしが頷くと、ラディは小さなあくびを漏らして、そのまま黙り込んだ。
……寝てるのかな。
でも、きっと寝てない。だって寝るんだったら、「1時間経ったら起こして」とか、 「何か異変があったら起こして」とか。
ラディだったら、一言あるはずだもの。
それでも、こうして少しでもラディの身体が休めるんだったら。
わたしも、少しは役に立てているのかな?
背中に当たる、ラディの身体は思ったよりも筋肉質で。
少し……ううん。かなり恥ずかしいけれど。
でも、あったかいのは、わたしもだよ、ラディ。
あなたの気持ちが、わたしに流れてくるような気がする。
まだ……好きって言葉と今の気持ちが一緒にならない。
でも、大事なひと。
恋愛に臆病なわたしが、あなたとこうしている時間が、とても嬉しい。
いつか、あなたの目をまっすぐに見て、「好き」だって伝えられるといいな。
きっと、それまで待っていてくれるはず。
ごめんね、ラディ。
もう少しだけ、わたしに時間をください。
30分も経たないうちに、
「よく寝た。ありがとう、彩花」
そう言って立ち上がったラディに、わたしは苦笑いを向けるしかなかった。
嘘つきなんだから。
でもその嘘も、わたしの気を遣ってついた嘘。
だから、責められるわけなんかない。
ゆっくりとラディを休ませてあげるには、一刻も早く地球へ戻ることしかない。
わたし達は、完全に日が昇りきらないうちに、出立した。
「ええと、今日って日曜日だよね?」
「そうだな。もうあまり時間がない。急ごう、ティナ」
ラディは、ティナの腹部を軽く蹴り、更に彼女にスピードを上げさせた。
張り切って爆走するティナ。
早い! 早すぎ!! てか、揺れに身体が付いていかないぃ!
「あ、あの、早く、帰りたいけど、でも、けど……」
「ああ、うん。大丈夫、きっと月曜日には二人で出社できるから。俺に任せて」
違う、何もそこまで月曜日にこだわっていないのよ、私ぃー!
だけどその言葉を発することは出来ず。
ガンガン飛ばすティナにしがみ付き、巧みに彼女を御するラディに落ちないように支えられ。
太陽が完全に真上に昇ったころ、わたし達は緑茂る森の前に立っていた。
「ここが……『魔女の館』?」
ぽかーんとした顔で、森の入り口に立つわたし。
大きな森……都会と言われる場所で育ったわたしは、あんまりこういう自然に触れ合う機会が無かった。
少し腰を曲げて中を伺うと、鳥の鳴き声とか、何だか分からない獣じみた声が時折聞こえる。
……こ、怖いかも……。
ラディはティナから降り立ち、そしてそのたてがみを撫でた。
眼差しは、何とも言えず愛おしそうで。
ティナが可愛くて仕方が無いんだな……。
「ご苦労様。アステリア城に戻って、皇帝陛下に報告を済ませたら、お前もゆっくり休め」
報告って、ティナが?
不思議に思って見ていると、ティナはぶるる、と鼻を慣らして大きく首を動かした。
『畏まりました。お気をつけて。レーリア様も』
頭の中で、大人びた女性の声が聞こえる。
え? えええー!?
びっくりしているわたしの前から、ティナは翼をはためかせて飛んで行ってしまった。
「あの、今のって?」
「ああ、ティナ達ペガサスは、テレパシーで会話をするんだよ。彩花を驚かせると思って控えていたんだろうな」
……ペガサスにまで、気を遣わせてしまっているわたしって……。
何だか申し訳ないなあ、本当に。
しゅんとヘコんでしまっていると、ラディの大きな手がわたしの頭をぽんと撫でた。
「さて、行こうか。ここからは、徒歩になる。彩花、大丈夫?」
ラディはわたしの足元を見ている。
わたしもラディも、仕事の途中でアステリアに来てしまったから。
お互いに、スーツ姿のままだ。
ラディはアステリア城に泊まった時に、自分の元の服に着替えれただろうに、わたしに合わせてスーツ姿のままでいてくれた。
もう、着たきりスズメも3日目。
こうなったら、匂いだって気にならないもの!
足元のパンプスだって、いつもこれ履いて、街中を駆け回っているもの。
大丈夫!
「頑張る。大丈夫よ。行こう!」
わたし達は、うっそうと茂った森に足を踏み入れた。
魔女の館。
建物のことを言っているんじゃない。
この森全てを、魔女の館というそうだ。
どこにいるの、わたしの漏れ出した魔力を封印してくれる、魔女は。
でも、ちょっと怖い。
パパさんの願いを叶えて、そして得た報酬が……。
パパさんの性欲……。
一体、何を要求されるんだろう。
でも、迷っている場合じゃないもの。
このままだと、地球に戻ってもアステリアにいても、他の国にわたしのことがバレてしまう。
わたしは、自分の意思で自分の未来を決めていきたい。
だから、迷ってなんかいられない。
来年の、わたしの誕生日までは、「藤森彩花」でいなくちゃいけないから。
足元が悪い道を歩きながら、わたしは自分自身を励まして、でも時折怖くて不安になる。
その時は、隣を見上げた。
わたしの腕をそっと掴んで、一緒に歩く背の高い彼がいる。
わたしを見下ろしては、優しい笑みを浮かべてくれるあなたが。
ラディ、あなたがいれば。
きっと大丈夫だよ。
また、心の中で元気を取り戻したわたしの頭上から、何か聞こえてきた。
首を傾げて木々を見上げる。
その隙間から、太陽の光が少しだけ漏れ出していた。
「おやおや、客人だよ」
「本当だ。珍しいねえ」
「珍しいどころじゃないよ。これは驚いたねえ」
「へえ、本当だ。驚いた」
まるで、わたし達をからかうかのような声。
「……魔女のお出ましかな?」
低く呟いたラディの声。
心臓が、ドクドクと早く鳴り出しているのを感じる。怖い!! これが、魔女の声!?
「漏れてるねえ」
「ああ、漏れ出しているねえ」
「それにしても、いい男だねえ」
「本当だ。おいしそうだねえ」
ララララ、ラディ!
おいしそうって言われてるよ!?
どっちの意味!?
言われた本人は、不機嫌そうな表情で時折声の鳴る方を見上げている。
その眼差しは、眇められて忌々しそうで。
そう言えば、地球でも「吉田くん、カッコいい!」とか言われるたびに不機嫌になっていったなあ。
褒められると、嫌なのかな……?
「彩花、足元痛くない?」
ふと尋ねられて、わたしはぼーっとしていた意識を戻した。
痛くない……といったら嘘になる。
足の裏はジンジンするし、それにつま先も切れそうに痛い。
だけど、弱音なんて吐いてられない。
「大丈夫。急ごう。魔女たち、きっと近くにいるよね?」
「ああ、そうだな。あまりに辛かったら、言って?」
そう言ってくれるラディに、わたしはにっこりと笑って頷いた。
ありがとう。
でも、甘えてばかりは嫌なの。
だから、行こう。
わたしは、自分の足で、ちゃんと魔女たちの元に辿り着きたい。
わたし自身の未来のために。
わたしは、ズキズキと痛む足を堪えて、一歩一歩歩いて行った。




