第1話 乙女の証明、焚き火の約束
ティナは再び、わたしとラディを乗せて、草原を駆け抜けている。
時折、狼みたいなのとか、凶暴な顔の羊のようなのとか、あとはスライムみたいなのとか。
そんなのが出てきたけど、難なくラディがやっつけてくれた。
「これ、夕食にしよう」
とスライムをぶら下げた時には、頭を下げて止めてもらった。
「美味しいんだけどなあ」
ええ、美味しいのかもしれないけど。もう見た目でごめんなさい。
あのオーガと死神の影よりも強い妖魔が出ないまま、ティナは遅れた時間を取り戻すかのように、それこそ天翔けるかのような疾走振り。
わたしも段々ティナに慣れてきて、どうにか馬上で話が出来るくらいにはなってきた。
「ねえ、ラディ、あのね、ソルトが言っていたんだけど」
そう僅かに振り返ると、わたしの背後にいたラディの眉がぴくりと動いたのが分かった。
……機嫌が悪そう……。
だけど、わたしが見上げているのに気付き、目を細めてにっこりと笑った。
そのギャップがある意味怖いんだけどな……。
「え、えっと、あのね。最初に会った時、ティナとわたしを見比べて、『ふうん』て言ったの。それで、ティナに乗ったら、『さすがだな』って。どういう意味だと思う?」
ソルトは、ミネリアの王子様らしい。とてもそうは見えないけど。
何だかとっても軽くて明るい人だったなあ……。
でも、わたしにとっては他国の人は危険人物。
相談という形で、ラディに情報を与えたかった。
「報告」「連絡」「相談」は社会人の鉄則だもんね。
ラディは眉を少し寄せたまま、
「そうか……知っていてもおかしくはないけど……どっちだ……」
どっちって、何?
わたしが首を傾げると、ラディはわたしから目線を逸らし、真っ直ぐ前を向いたまま言葉を紡いだ。
「ティナのように羽が付いている馬……ペガサスで、こういう栗毛の色は珍しいんだ。珍しいというか、殆どいないな。俺も、ティナしか知らない」
そうなんだ。
競馬とかで、ティナみたいな全身茶色い馬はよく見かけるけどな。
でもペガサスっていったら、やっぱ白だもんなあ。そういうのが主流なのかな?
「そもそもペガサスは、気が荒くてね。なかなか飼い慣らすのが難しいんだ。その上に、この栗毛だから。だから、きっとあの男はそう反応したんじゃないかな」
あの男、ね……。
よっぽどラディは、ソルトがお気に召さなかったようだ。
元々、あんまり他人に興味のないラディだもの。わたしのアステリアの家族にでさえ、必要最小限の会話しかしなかった。
でも……今回は、何だか少し違う。
ううん、ソルトのことだけじゃない。
何か、他に隠しているような気がする。
「ねえ、それだけじゃないんじゃないの?」
何だろう、凄い頭が冴えている。いつもだったら、そこですぐに納得してしまうのに。
わたしはラディを見上げる目線に、少し力を込めた。
言って? 本当のことを、全部知りたいの。
分からない世界のことだから。知らないまま、隠されたまま地球へ戻りたくない。
わたしの眼差しを受けて、ラディは小さく溜息をつき、困ったような表情でわたしを見下ろした。
「彩花、怒らない?」
「怒るって……どうして?」
「いや……一応、確証が欲しいから。怒らないで、聞いてくれる?」
なに? こんなラディなんて珍しい。
よっぽどのことがなければ、怒らないよ。
わたしが頷くと、それでもなお言いづらそうに、ラディが言葉を続けた。
「実は……ペガサスは、女性を基本的に乗せないんだ」
「え、そうなの?」
ティナは、最初に会った時から好意的だったのに。
「うん。乗せる女性は、限定されている。……穢れのない、女性だけとね」
穢れのない……女性……。
まあ、わたしったらティナに穢れていないと認められたのね!
と喜んだのは一瞬だけ。
ちょっと待って。
その、穢れって。
わたしが目を見開いて、ラディを見上げると。
彼は僅かにわたしから視線を逸らして、そして本当に困ったように呟いた。
「いや、男嫌いの彩花だから、分かりきっていることだし。だから、ティナを呼んだんだし……」
待ってー!!
「そそそその穢れって、もしかして、もしかしてー!?」
わたしが、バージンだってバレバレじゃないのー!
そうよ。
男の人、怖いもの。
男だと認識してしまった人が近づくだけで、会話も成り立たなくなるもの。
そんなわたしが、あんなこんなそんなことなんか、出来るわけないじゃない!
でも、それをティナがばっちりと証明してくれたなんて!
きっとソルトは、わたしがティナに……というか、ペガサスに乗っていたから、
「あー、この女、男を知らねーんだ」
なんて思ったに違いない。
もう嫌! 恥ずかしすぎる!!
顔を真っ赤にしてしまい、ティナの首筋に顔を埋めたわたしの頭を、パタパタと飛んでいたキューちゃんが撫でてくれる。
うう……慰めてくれているのね。でもあなたまで、バージンだから召還できる使い魔だったなんて、言わないでね……。
「あの、彩花?」
伺いを立てるかのように、恐る恐るラディがわたしを覗き込む。
…………。
怒らない、約束だもの。
約束は守るわよ。穢れを知らない乙女ですからねっ!
もうヤケになったわたしは、ばっと顔を上げ、ラディに再び振り返った。
まだ、顔は赤いままだろう。夕焼けで誤魔化せますように。
「聞かなかったことにする。だから、ラディも忘れて。お願い」
「ああ、分かった。それで、彩花がいいのなら」
ラディはほっとしたようで、ふわりと笑みを浮かべた。
その瞬間浮かべたラディの笑顔が、心臓を突き抜けるくらいに可愛らしく感じてしまった。
……ダメだ。わたし、少し落ち着かなきゃ……。
日が暮れるのは、あっという間だった。
アステリア城から見えていたあの森は、あんなに近くだったのに。
まだまだ、先が見えない。
「今日はここで野宿になってしまうけど……大丈夫?」
心配気に言ってくれるラディだけど。
でも、わたしは何もしていないから、全然疲れていないもの。
……お尻は凄い痛いけど。
とにかくラディやポワン、キューちゃんを休ませてあげなくちゃ。
「うん。何か手伝うことあれば言って? 何でもするから」
焚き火の準備をしているラディの傍に行ってそう言うと、彼は持っていた枯れ木をわたしに手渡した。
「じゃあ、これを全部半分に折って、ここに積み重ねていって? 後はキューに火をつけさせよう」
了解です。細い枝ばかりだもの、簡単に、ポキポキと折れてしまう。
わたしはその場に座り込み、枯れ木を折りながらラディのことを見ていた。
野営に慣れているのかな、動きに迷いが無い。
わたしに枯れ木の準備を任せると、途中斃した獣の皮を剥いで、ナイフで肉を切り分けている。
……ちょっとしたスプラッタ。
だけど、それがわたしの今晩のご馳走になるわけだから……ごめんね。美味しく頂きます。
気を遣ってくれたのか、ラディは風下で獣を捌いてる。
血の香りを、わたしに嗅がせないためだろう。
でも、その血の香りで、他の獣が寄る可能性もある。
後で、そこに生えているヨモギを焚こう。匂いを消さなくちゃ。
……なんでわたし、こんなことを考えているんだろう?
自分の考えに首を傾げていると、トレーに肉の塊を載せたラディが戻ってきた。
「塩胡椒だけの味付けだけど。これはそんなに臭みがないから、彩花でも大丈夫だと思うよ」
「うん……気を遣ってくれて、ありがとう」
ラディはわたしに微笑んで、キューちゃんに合図をした。
小さなこうもりのような羽根をはためつかせて、キューちゃんが枯れ木の山の上でパカッと口を開いた。
あああ、あんなに可愛らしい口元から、鋭い牙がてんこもり!
そしてそこから、真っ赤な炎が吐き出された。
すぐに枯れ木に火がついて、やがて暖かなぬくもりが辺りに広がる。
「さあ、キュー。あんたはもう戻っていいわよ。また明日になったら呼ぶから、それまで休みなさい」
ポワンの言葉に続いて、キューちゃんが可愛らしい鳴き声を上げながら、割れた空間へと消えていった。
「お休みー、キューちゃん」
膝を抱えたまま、わたしはキューちゃんを見送って手を振った。
何だか、この世界にも慣れてきたな。
ていうか、大抵のことでは驚かなくなってきた。人間、慣れだよね。
「ポワン、お肉焼けたみたい。先に食べて、寝ていいよ?」
串に刺した肉を焚き火から取り出し、ポワンの足元に置いてあげた。
「そんな、レーリア様よりも先に使い魔が食事を取るなんてことはあり得ませんことよ!? アタシは一番最後のきれっぱしで充分なんでございますから、どうぞレーリア様が先に召し上がってくださいませ!」
でも、でも。
わたし、本当に何もしていないもの。
本当は、ラディに一番に食べてもらいたいけど。絶対わたしより先に食べてくれないような気がしたから。
だから、ラディとは一緒に食べようと思ってた。
キューちゃんを召還してくれた、本日の功労者のポワンに、今日の晩餐のトップバッターを飾ってもらいたい。
「お願い、ポワンに食べてもらいたいの」
そうもう一度お願いしても、頑なに「ダメでございます!」というポワンに、ラディはくすりと笑って言った。
「ポワン、毒見をしろ」
「ど……毒見…」
ポワンは少しの間絶句していたけれど、だけどそれで納得してくれたみたい。
「本当に申し訳ございませんが頂きますわ」
重々しく告げ、やっとポワンが食べてくれた。
それを見て、わたしとラディは顔を見合わせて笑ってしまった。
ポワンはお腹がいっぱいになったみたいで、わたしの隣でコテンと寝てしまった。
可愛い。
いつも見慣れている、わたしの愛犬の姿そのままなのに。
あんなにおしゃべりで、でも一生懸命わたしのことを考えてくれて。
「大好きだよ、ポワン……」
そう身体を撫でると、ポワンは僅かに身じろぎをしたけれど、また深い眠りに入っていった。
「召還魔法は、体力を使うから。ましてや、犬の身体のままだから、消耗が激しいんだろうな」
ラディは焚き火に手を伸ばしながら、そう教えてくれた。
そっか……
こんな小さな身体で、頑張ってくれているんだもの。
一緒に帰ろうね、ポワン。ごめんね、無理をさせてばかりで。
何だか何も出来ないわたし。情け無いな……。
「彩花、焼けたよ」
どうしてラディは、わたしがヘコんだときに限って、名前を呼んでくれるのかな。
こんなことが、凄く今のわたしには嬉しい。
「うん……ありがとう、ラディ」
だから、わたしも。
アステリアでは、あなたの本当の名前を呼ぶの、恥ずかしくない。
でも……ごめんね。
「地球に戻ったらね」
香ばしい香りのするお肉を受け取りながら、わたしはラディの瞳を見つめた。
この、汚れない海の色の瞳を見れるのも、きっと後少しだ。
だから、目に焼き付けておこう。
「ラディは、また日本人の髪と瞳に変身するんでしょ?」
あの、濡れた烏の羽のような、艶やかな黒髪と。
深い色の黒瞳に。
ラディはふと笑い、そして頷いた。
「そうだな。お父さんとお母さんに、この姿を見せたら驚かれてしまうからね」
あはは、そうだね。
お父さん、早く吉田拓郎談義をしたいだろうな。
やっと出逢えたコアな仲間だもの。
早く……早く帰りたい。
お母さんの手抜き料理も、今は恋しい。
でも、今、わたしがラディに言いたいこと……それを伝えなきゃ。
「あのね。……わたし、今の姿が、ラディなの……」
ええと、何て言えばいいのかな。うまく、言葉にならない。
でもラディは、わたしのすぐ隣に座りなおして、そして大きな手でわたしの頭に触れた。
そして近づく、彼の額。こつんと、わたしの額に触れさせた。
わたしとラディは、間近で見詰め合った。
息が掛かるくらいの、至近距離。
怖くない。でも、すごく、すごく恥ずかしい。
「いいよ。彩花が呼びたい名前で、俺を呼んでくれれば。それが俺の名前だから」
「でも……ラディは、ずっとわたしを彩花って呼んでくれた……」
「それはね、俺が彩花と呼びたいから。だから彩花も、俺を呼びたい名前で呼べばいいんだよ」
……ごめんね、ごめんねラディ。
わたしの中で、吉田くんの姿のあなたと、今の姿のあなた。
同じ人なのに、名前を分けて考えてしまっている。
それを、許してくれる……?
「早く、地球に戻らないとな。藤森・吉田コンビで、大学の購買の委託権を必ず取ろうな」
うん。
あなたがいれば。きっと頑張れるよ。
早く、戻ろう……ううん、帰ろう。
レーリアとしてよりも、彩花としての地球のことを考えてくれたラディの優しさが、何だかとっても嬉しくて。
せっかくのお肉の味が、何だか涙の味になってしまった。




