第5話 解けた魔法、愛してるの残響
完全に、わたしの意識が途切れてしまうその瞬間。
「やーめよーぜぇー」
呑気な声が聞こえる。
ふらつく頭を抑えていると、ラディがわたしに気付いて身体を支えてくれた。
「大丈夫か、彩花!」
「あ……うん……」
「何だよ何だよ、そんな深刻な顔しちゃってさあ。俺、別に蒼の一族とかさぁ、碧の一族とかあんま興味ないんだよね」
ソルトはわたしとラディの目の前まで歩み寄り、そしてわたし達を交互に見比べた。
「俺は、祝福の女神にも興味ないんだよ。幸せは、自分で掴むもんだ。与えられるもんじゃねえ」
わたしの心臓の鼓動が、一瞬跳ね上がった。
この人…… 何が言いたいの……。
ラディは、わたしを守るかのようにぎゅっと抱き締めてくれている。
あったかい、腕の中。
さっき、ラディが怒ってるのかと思ったときは、ちょっとだけ怖かったけど。 でも、今は安心する。
ほっとしたわたしに顔を近づけたソルトは、にこりと笑ってわたしの鼻に触れた。
やだ!
「でもな、アヤカっちには興味ある。あんたをもっと知りたいなあ」
げげ! 彼氏いない暦何年だと思ってるの!?
男性恐怖症のわたしに、至近距離で笑うエメラルドグリーン。
楽しそうに笑っているけど、でも怖い!!
だけどわたしの視界から、すぐにその瞳は消えた。 ラディが身体の位置をずらして、わたしとソルトの間を阻んでくれたんだ。
「無闇に、彩花に近づくな」
そう言ってくれたラディに、ソルトは身体を起こして腕を組み、笑みの種類を少し変えた。 ……挑戦的?
「へえ、あんたアヤカっちの彼氏?」
「…………」
黙るラディ。
そうだよね……別に、わたし達、付き合ってる訳じゃないし。
ラディは、レーリアとの約束を守るために、地球に来てくれたんだもんね。
レーリアは、わたし。
わたしは、レーリア。
なのに、何だか遠い。
だけど、次の瞬間。
「遠い昔に、俺の全てを彩花に捧げると誓った。そういう仲だ」
ラディ…… 今、彩花って。
そう、言ってくれた。
わたしは嬉しくて、泣き出しそうになってしまった。
ううん、涙が零れてきてしまって、それを誰にも見られないように、ラディの胸に顔を押し付けてる。
ごめんね、ラディ。服が濡れちゃう。 だけど……このまま、腕の中にいたい。
わたしが身動きしないで、ぎゅっとラディに抱きついていると、ソルトは呆れたような声を上げた。
「何だよ、デキてんだ。でもまあ、いいけどね。アヤカっち、近いうちにまた会うよ。 そんときに、改めて俺のことを知ってもらうからさ。楽しみに待っててよ」
「必要ない。さっさと行け」
ラディが低い声で吐き捨てると、ソルトは肩を竦めて、 「何だよ、助けてやったのに冷てえなあ」 何て言いながら、あの軽い足取りでアステリア城に向かって歩いていった。
たった、一人で。
どっかの王子様らしいのに。
……ヘンな人。
ソルトが去っていって、しばらく経つのに。
ラディの腕は、わたしを抱き締めたまま動かなかった。
さすがに恥ずかしくなり、わたしは顔をあげようともがいた。
「あの、ラディ?」
「……ごめん、彩花……」
すぐに降る、ラディの声。
後悔に満ちた、苦しそうな声。
どうして……?
すると、わたしの頭を撫でていたキューちゃんに、ポワンが大きな声を掛ける。
「さあ、キュー。働いた後はお腹が空くわね!! あっちで何か食べましょう! ええ、1時間くらい食べてこようかしらねえ!?」
……わざとらしい。 ポワンたら、気を遣っているつもりなんだ。
わたしはくすりと笑って、顔を上げようとしたけれど。
でも、ラディの腕の力が強くて、……身動きできないよ。
「ラディ、ラディ? 苦しいよ……」
そう言うと、ラディの腕の力は、少しだけ弱まったけど。
でも、まだぎゅっとわたしを抱き締めたまま。
「あの……ごめんね、勝手に戻ってきちゃって……」
そのことで怒ってるんだと思ったわたしは、先に謝ってしまうことにした。
だけど、ラディは首を振ったみたい。
その後に、否定の言葉があったから。
「違う……あんな態度をしたのは……ごめんな、彩花……」
「いいの、怒られてもしょうがないもん。先に行ってろって言われていたのに」
「違うんだ。違う。彩花……俺は……」
ラディの腕が緩んだ。
わたしの身体が、少しまた解放される。 だけど、見上げたわたしの目に映った、ラディの表情が、わたしを彼から離れることを止めてしまった。
後悔に満ちた、まるで今にも泣き出しそうな、そんな表情。
どうして……?
「きみが、俺達の事を心配して、援軍を連れてきてくれたことは分かる。 だけど……俺は一人できみを護ることが出来ないのかと思ったら、悔しくて、そしてきみが選んだあの男に嫉妬して……」
嫉妬って…… 選んだって…… 偶然、会っただけなのに。
「きみの男嫌いは、分かってるつもりだから。それでも、あいつを連れてきたってことは、多少心を許したってことだ。 だから、俺は……」
ラディは、そう思う自分が許せないのね。
そして態度に出てしまったことが耐えられない。
……でもね、ラディ……。
彩花、素直になろう。
少しだけ、前に踏み出そう。
「ラディ、わたし、怖かった。ソルトと一緒にティナに乗っているときも、 目の前に顔を向けられたときも、ずっと怖かったの」
わたしの言葉を、ラディは眉を寄せて苦しげな表情のまま、じっと聞いていてくれた。
うん。聞いて? ラディ。
お願い。
わたしの、気持ち。
「でも今はね。あなたと二人だけでいても、こうして目の前にいても。 ……さっきみたいに、抱き締められても、怖くないよ」
凄く、心臓がバクバクしてる。
だって、恥ずかしい。
きっと、顔が真っ赤になってる。
ラディの顔、真っ直ぐ見れない。 だけど……言わなきゃ。
言いたい。伝えたいの。
「ラディが、怖くない。もう、全然怖くないの」
わたしにしたら、告白のつもりだったんだけど。
ちょっと情け無い言葉だったかな。
でも、わたしにしたら凄い前進だった。
それに気付いてくれると、いいな……。
ラディをそっと見上げると、彼は綺麗な海の色の瞳をわたしに向けて、少しずつ苦しい表情を解いていっていた。
よかった……伝わった……?
「彩花……」
そう、わたしの名を呼んで、わたしの頬にそっと触れた。
あなたは、アステリアに来てから、一度もわたしを「レーリア」と呼ばなかった。
他の誰もが……ああ、あのソルトを除いてね。
皆、わたしをレーリアと呼び続けていたのに。
ラディ、あなただけはわたしの気持ちを察して、わたしを彩花と呼び続けてくれた。
それが、どんなに嬉しかったか。
心強かったか。
「彩花、今、俺のこと怖くない?」
わたしの頬を撫でながら、ラディは呟いた。
うん。 怖くない。
ラディの指先が、わたしの唇に触れた。
ああ……胸がどきどきする。
この指先も。 あなたの眼差しも。
汚れない海の色の瞳が、熱く強く、段々近づいてくる。
「怖かったら、言って……?」
間近で囁かれる声。 吐息を感じる距離。
だけど……怖くない。
心臓の音が、ラディに聞こえてしまうのではないかと思うほど、どきどきしてるけど。
目を閉じると、唇に暖かいものが触れた。
暖かくて……柔らかい。
何度も何度も、わたしを啄ばむみたいに触れるそれは、やがて惜しむように離れると、 わたしはラディの腕の中に再び包み込まれた。
「離したくない……離さない……愛してる、彩花……」
耳元で、何度も囁く熱い言葉。
わたしは目を閉じたまま、ラディの身体に手を回した。
大きな、わたしを護ってくれる大切な身体に。
わたしも、護りたい。
あなたに、わたしの微笑を。
ラディとわたしは、お互いの体温を感じたまま、ずっと固く抱き合っていた。
ラディの腕の中で、何度も繰り返される「愛してる」の残響。
今までずっと、誰かに触れられるのが怖くてたまらなかったのに。
わたしの呪縛を解いてくれたのは、やっぱりあなただった。
怖くないよ、ラディ。
あなたの吐息も、体温も、わたしを呼ぶその声も。
謎の男ソルトが去った草原で、わたしたちはいつまでも抱き合っていた。
絡み合う運命が、次にどこへ向かおうとしていても、この温もりだけは信じられる。
「波乱の行進曲」編、完結。
次回、新章「揺れる奇想曲」開幕。




