第1話 黒い笛、紐なしバンジー
「ほら、あそこに見えるでしょう。あの森が、『魔女の館』です」
シェニムさんの指が、遥か先にあるこんもりした緑を指差した。
東京ドーム何個分かな……かなり広い範囲でうっそうと木が茂ってる。
今、わたしたちは城壁の外にいた。
アステリア城は、宙に浮かんだ要塞。……ラピュタみたい。
しかも、この城。中が複雑な上に、何重にも結界を張ってあるらしい。
これから、わたしとラディは家族に見送られて、あそこに見える『魔女の館』を目指す。
「ああ、レーリア、パパはお前のことが心配で心配で心配でならない!!」
夕べ、わたしに取り縋ったいた皇帝陛下こと、パパさん。
シェニムさんに、冷たく怒られてた。
「目立たぬように、『魔女の館』へ行くには少人数でなくてはなりません。ラディは魔力は低いですが、剣の腕前はアステリアでも3本の指に入るほど。任せて大丈夫ですよ」
「そうは言うけどね、しかしあの魔女達の元へ、無事に辿り着いたとしても、何を要求されるのやら……」
「しつこい」
そうあっさりとパパさんを切り捨て、シェニムさんはわたしに改めて向き直った。
他の人よりも、少し濃い色の蒼い瞳のシェニムさん。
美人さんな白皙の美貌は、ちょっと近寄りがたいくらいだけど、でも今は、ほんのりと微笑してる。
……奇跡が起きた?
「レーリア、これをお持ちなさい」
そう言って、シェニムさんがわたしにくれたのは、小さな黒い笛。
首を傾げたわたしの手にそれを握らせ、少し腰を屈めてわたしの瞳を覗き込んだ。
「『魔女の館』で、あなたの魔力を再び封印することが出来たら、この笛を吹きなさい。アステリアまで乗せた、あの竜があなたの元へ来ますから」
「え……あの、ドラゴン?」
「ええ。そして、そのまま地球へお帰りなさい」
シェニムさんの言葉に、わたしはもちろん驚いたけれど。
パパさんは今にも泣き出しそうな顔で、シェニムさんの肩をガクガクと揺らした。
「ちょっと待て! レーリアをもう、地球へ返してしまうのか!?」
揺らされたシェニムさんは、涼しい顔で頷いた。
「ええ。彼女をここへ連れてきたのは、漏れ出した魔力を何とかするためだけですからね」
「そんな!! 私はまだ、レーリアを堪能していないのだぞ!?」
堪能って、パパさん……わたしをどうするつもりだったんだろう。
聞くのが少し、怖い。
シェニムさんは、うっとおしそうな目線をパパさんに向け、そして手を邪険に払った。
無敵だな、この人。
でも、でもきっと……シェニムさんは、わたしの想いに気付いてたんだ。
地球に、帰りたい。
そう想うわたしのために、きっとそう言ってくれたんだ。
だから、恥ずかしいけど……
「ありがとう、シェニム兄さん」
そう、熱くなる頬を叱咤して呟くと、シェニムさんは僅かに目を細めて。
そして、間違いない。
優しく微笑した。
その笑みを見てしまったわたしは、ぽかんとしてしまったのだけれど、微笑みは一瞬だけ。
シェニムさんは、背後のラディとイスランさんの方へ行ってしまった。
「この剣を持っていけ。いいか、レーリアに傷一つ負わせて見ろ。特訓と称した拷問に掛けてやるからな」
「おやおや、司令官自ら、そんな暴言を吐いていいんですか?」
「……大丈夫だよ。俺が、そんなことをさせるわけが無い」
そう言ったラディは、わたしの視線に気付き、掲げていた剣を下ろした。
そしてにっこりとわたしに笑顔を向けてくれる。
大丈夫。
その笑みは、わたしに安心させるため。
うん、大丈夫。あなたがいれば、きっと大丈夫。
わたしを心配してくれる、アステリアの家族。
わたしの傍に、ずっといてくれるって言った、ラディ。
皆、あったかい。
魔女に会うのは、少し怖いけど。でも、きっと魔力を封印してもらうから。
そして地球に帰って、ちゃんと、わたしの未来を考えてくる。
だから、待っていて。パパ、お兄ちゃんたち。
夕べは、わたしにべったりとへばり付いていたパパさんは、別人のように凛とした表情でいた。
「気をつけて行け、レーリア、ラナディート」
そう威厳のある声を出すのは、きっと周囲に城の人たちがいるから。
皇帝陛下って、大変だね……。
ラディはパパさんの足元に跪き、深々と頭を下げた。
「は、任務を承りました」
ああ、皇帝陛下の命令で、ラディはわたしと同行するということになっているのね。
何だか形式って面倒くさいんだなあ。
あ、でも、わたしも頭を下げたほうがいいのかな。
ラディの隣に座って頭を下げようとしたら、襟首を掴まれた。
苦しい!
無理矢理立ち上がらせられたわたしが、慌てて振り返ると、そこに眉を寄せたシェニムさんがいた。
「いいんですよ、あなたは。大人しくここにいなさい」
「……はい……」
「レーリア、本当に気をつけろよ。ここからだと結構近くに見えるが、あの森まで馬で2日は掛かる。途中、野生の獣や妖魔の類も出るからな。まあ、ラディがいるから大丈夫だとは思うが」
そう言って、わたしの顔を引きつらせたのは、わたしの横に立ったイスランさん。
野生の獣はまだ分かるけど……妖魔ってなに!?
「だから、ラナディートにもっと魔力を磨かせるようにと言ったでしょう」
「はっ、魔法なんぞ。いざという時に実際に役に立つのは、剣の力だぞ」
「兄上、ラナディートを第二の筋肉バカにするおつもりでした?」
そう言って、小声でまた喧嘩交じりの会話をしている二人に、わたしは慌てて仲裁に入った。
「待って待って。もう、パパさんたち終わったみたい」
パパさんの手が、ラディの頭の上にかざされて、何か呟いている。
おまじないみたいなもんかな?
それが済むと、ラディは立ち上がってわたしの前に来た。
城中の人たちが見守る中、ラディは恭しくわたしに頭を下げ、手をわたしに差し出した。
「姫、お手を」
そう、耳に心地いい低い声でラディが言った。
ひ……姫!?
誰が!!
あわあわとわたしが戸惑っていると、シェニムさんの白い手がわたしの腕を掴み、無造作にラディの手のひらにわたしの手を置く。
「とっととおいきなさい。ぐずぐずしていると、他国の者が来てしまいますよ」
そう言うや、わたしの背中をぽんと押した。
ラディに手を取られたまま、わたしは城門へ出、そして空中に浮かんだ城の端っこに立っていた。
眼下には、数十メートルも下に草原が広がってる。
こ……怖いっ!!
フリーフォールよりも怖い!!!
風はビュービュー吹いてるし、足元は何だかガクガクと震えてくる。
「ど、どうすんの!? 何に乗って、下まで行くの?」
ああ、わたし、声まで震えてる。
ラディはわたしの手をしっかりと握りなおし、ぐいと手を引っ張った。
前に……前に!?
「ぎゃーーーーー!!!」
思わず叫んだわたしの悲鳴は、どこまでも響き渡り。
そのうるささに、わたしは自分の耳を手で塞いだ。
ということは、わたしの手を握っているものはいなくて。
腰に何か感じるから、ラディが抱いてくれているんだとは思うけど。
けど、でも!!
わたしの身体は、宙を舞っている!! そして落ち続けてる!
怖い!! 紐無しバンジー!!
わたしのアステリアでの初めての旅が、こうして恐怖と共に始まった……。




