22 再生
私は、息苦しさを感じて目を覚ました。 暖炉の火は、とうに消えていた。
違和感を感じた私は、寒さに震えながら毛布にくるまり、テラスへと続く扉を開けた。
空が燃えているーーー。
見上げた漆黒の夜空が、メラメラと音を立てるように紅く揺れていた。
振り返ると、コテージの裏手の森が赤黒い。
地鳴りのような音が聞こえる。 森が震えている。
動物たちがコテージの横を走り抜けていく。 湖に飛び込んでいるのだろうか、水音が響く。
「逃げないと………」
身体のあちこちを家具にぶつけながらも、急ぎ部屋に戻った私は、寝室のディーゼルに飾ってある『星空の夜』を胸に抱いた。
(これだけは………。)
震える脚をどうにか交互に動かし、ボートの停留所へ向かおうとしてハタと気がついた。
「だめだわ。点検で陸に上げたじゃない」
残る道は、エルセルホテル本館へと続く小道を抜けるしかない。
しかし、火の手はすぐ近くまで来ている。 悩んでいる暇はなかった。
胸に抱えた『星空』を抱きなおし、小道へと駆け出した。
ーーーのだが、目の前の光景に足がすくんだ。
小道の奥は炎の道と化していて、バキバキと音を立て木が倒れてゆく。
とても、本館にたどり着ける気がしない。 もう、湖に逃げるしかない。
裸足のまま、何度も転び泥だらけになりながら、なんとかたどり着いた湖畔のガゼボ。
その先に、ボートが陸に上げてある。 はずだったのだが、どこを見渡してもボートが見えない。
振り向けば、メラメラと炎がコテージを舐めている。飲み込もうとしている。
頬が熱い。焼けるようだ。
その場にストンと座り込んだ。
胸に抱えた『星空の夜』をマジマジと見返し、頭上に掲げた。
「キレイ………」
『星空の夜』のバックに、赤々と燃えあがる夜空。 ユラユラと闇が揺れている。幻想的な闇夜だった。
「レオはどんな風に描くかしら?」
揺らめく炎を眺めていると、そんな疑問が湧いてきた。
私は死を覚悟した。 不思議と怖くはなかった。 これで、楽になれると思った。
「母上!」
急にジェミの声が聞こえた。そんな気がした。
(死ねない。死んではいけない)
ルカがいる、サラがいる、リオンにがいる。
まだまだ母親が必要なはずだ。
勇気を奮い起こした私は、水際へと走る。なんども転んだ。足の裏が痛い。
(確か、桟橋に壊れたボートがあったはず)
もしかしたら、まだ処分されずに残っているかもしれない。
「あった………」
桟橋のたもとにつながれたボート。一見なんの異常も見つけられない。
急いでボートに飛び乗り、綱を外した。
助かった。と思ったのも束の間
「オールがないわ」
そして、急に襲い掛かる冬の寒さ。それに足元が氷のように冷たい。
「やだ。水が………」
ボートの底に水が溜まっていた。
どこから染み出しているのだろうか。と思っている間に、ボートがゆっくりと沈んでゆく。
ひっくり返ったボートに、必死でしがみついた。 運よく絵をボートの上に上げることができた。
真冬の湖は想像を絶する冷たさだった。
歯の根が合わない。カチカチと音がする。
ボートにしがみつく腕の感覚がなくなっていく。 足先は、もう感じない。
ホテルの従業員が私を探しに来るだろうが、真っ黒な湖面を漂う私を、見つける事ができるだろうか。
(その前に、私がダメかも)
指先の感覚がなくなり、ゆっくりと腕から力が抜けてゆく。
ボートを掴み直そうとして、腕を持ち上げるのだが、身体がいう事を聞かない。
「母上!」
「オリビア!」
私を呼んでいる声が聞こえる。幻聴だろうか。
もう、何も感じなくなっていた。目を開けているのか、閉じているのかもわからない。
ーーーオリビアの身体が、ゆっくりとゆっくりと闇のような湖水へと沈んでいった。
********
必死に私を呼ぶ声が聞こえてきた。 身体が揺さぶられる。
(眠いわ………。もう少し、寝かせて………)
「母上!母上!お願いだから、目を開けてよ!」
ジェミの声がする。
重い瞼をどうにか開けると、眩しい光の中にジェミの顔が見えた。
記憶の中の彼よりも、いくぶん大人びて見えた。
辺りを見渡すと、窓も家具もない真っ白な部屋だった。
死後の使いにジェミをよこすなんて、神様も粋な計らいをしてくれる。
そっと腕をジェミに伸ばす。 その頬に触り、彼を引き寄せた。
ふんわりと香るその香りは、懐かしいジェミのものだった。
サワサワと彼の髪を撫でまわし、懐かしい我が子の感触を思い出していると「………そろそろ止めてよ」と言われ、引きはがされた。
肩を掴むジェミの、その手のひらの温かみを不思議に思い尋ねる。
「死後の世界も、香りや感触があるのね?」
「生きてるけど………」
呆れたようにジェミは言う。
「あなた、生きているの?」
ジェミはコクリと頷く。
ーーー訳が分からない。 死亡通知を受けとり、国葬が行われた。
それなのに、ジェミが生きている。生きて、私の目の前にいる。
「母上。説明するよ」
私の両手をしっかりと握り、ゆっくりと話し始めた。
あの日、ジェミが所属する部隊は、物資の補充のために近くの集落を訪れていた。
そこで、輸送部隊に砲弾が撃ち込まれ、全滅したことを知った。
死を覚悟した彼らだったが、住民が彼らを隠した。誰にも知られないように。
「戦況によっては、敵国に売られたんだろうけね」と言って、笑う。
「でも、帰ってきたら死んでることになってるじゃない? 父上もいないし、母上がエルセルホテルにいるって聞いて来てみれば、山火事だし」
「ジェミ、ジェミ………」
私は、ジェミに震える腕を伸ばした。
確かめたい。触って確認したい。
あぁ、なんという事か。ジェミが生きていた。
「本当はもっと早くに帰ってきたかったんだけど、僕のいた村がちょっと特別でね」
はにかむジェミを胸に抱く。
もういい。無事に帰ってきてくれた。それだけでいい。十分だ。
「国境をまたがないといけないところにあったからさ。助けに来てくれた人を見て驚いたよ」
そう言ってジェミが視線を外した。
その視線を追うと、信じられない人物が立っていた。
いつから、そこにいたのだろうか。
「覚えてるよね?」
忘れられるものか。忘れたいのに、いつまでも私を苦しめる愛しい人。
「オリビア………」
懐かしい声に胸が震える。会いたかった。
「レオ………」
会いたくなかった。




