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⑦初めての相談

 しばらくして、美月はベッド脇のテーブルに置いてあった紙を手に取った。

 以前、Kさんがプレゼントを送ってくれたときの送付状だった。

 そこには、神谷の名前と住所、電話番号が記されている。

 美月は、その文字をしばらく見つめた。

 自分には、心の奥底に、誰にも話せずにいる深い傷がある。

 思い出すだけで苦しくなること。

 何度も夢に見てしまうこと。

 誰かと接するとき、相手の何気ない言葉や表情が怖くなること。

 傷つきたくない。

 もう、あんな思いはしたくない。

 そう思うようになってから、美月は人との接触をできるだけ避けてきた。

 本当は、誰かに話を聞いてほしかった。

 自分の中にたまっていく苦しさを、誰かに受け止めてもらいたかった。

 けれど、心療内科を受診することも、カウンセリングを受けることも、なかなかできずにいた。

 初対面の人に自分のことを話すのが怖かった。

 自分の話を信じてもらえなかったら。

 大したことではないと言われたら。

 かえって傷つくことになったら。

 そんな不安が、いつも先に立ってしまう。

 けれど、Kさんなら。

 いつも自分の言葉を丁寧に受け止めてくれる、あの人なら。

 ほんの少しだけ、話を聞いてもらえるかもしれない。

 そう思った。

 美月はスマートフォンを握りしめたまま、しばらく迷っていた。

 投稿者と作品を見てくれている人。

 二人の関係は、あくまでもそれだけだ。

 いきなり個人的に連絡するなんて、迷惑かもしれない。

 それに、Kさんは精神科医だ。

 仕事ではないのに、こちらの個人的な悩みを聞いてほしいと頼むのは、図々しいことではないだろうか。

 美月は何度もためらった。

 それでも、もう一度、送付状に目を落とした。

 神谷という名前。

 住所。

 電話番号。

 実在する、一人の人間。

 自分の言葉を受け止めてくれた人が、そこにいる。

「……一言だけなら」

 美月は、小さくつぶやいた。

 そして、スマートフォンの画面を開いた。

「突然すみません。

 美月です。

 いつも私の作品を見てくださっているKさんですよね?

 以前、プレゼントを送っていただいたときの送付状にお名前と電話番号が書いてあったので、こちらに連絡してしまいました。

 いきなりすみません。

 実は……少しだけお話を聞いていただきたいことがあって。

 もしご迷惑でなければ、少しやりとりできませんか?迷惑だったら、無視してくださいね。」

 送信ボタンを押した瞬間、美月の心臓が大きく跳ねた。

(どうしよう……。やっぱり、連絡しないほうがよかったかな)

 画面を見つめたまま、後悔が押し寄せてくる。

 けれど、もう送ってしまった。

 美月はスマートフォンを握りしめ、神谷からの返事を待った。

 その頃、神谷のスマートフォンに、一通のメッセージが届いていた。

 送り主の名前を見た神谷は、思わず目を見開いた。

 美月だった。

 なぜ、彼女から直接連絡が来たのだろう。

 驚きながらも、神谷はメッセージを開いた。

 そこには、遠慮がちな言葉が並んでいた。

 神谷は美月からのショートメッセージに少しドキドキした。

 落ち着け、落ち着け、

 神谷は自分に言い聞かせた。

 神谷は、すぐに返信しようとして、いったん指を止めた。

 彼女は、何かを抱えているのかもしれない。

 だからといって、自分が安易に踏み込みすぎてはいけない。

 彼女が安心して話せるように。

 けれど、自分への依存を強めてしまわないように。

 神谷は慎重に言葉を選び、返信を打ち始めた。

 そして返信した。

「ご連絡ありがとうございます。

 もちろん構いませんよ。僕でよければ、話してください。」

「ありがとうございます。いいんですか?お時間大丈夫ですか?」

「ええ。話すだけでも、少し楽になることってありますから。」

「でも、先生って精神科医なんですよね?」

「そうですけど、今日は医者としてというより……1読者として話を聞かせてもらえたらと思っています。僕でよければ、いつでも聞きますよ。美月さんが話したいと思ったことなら、どんなことでも。そうだ、電話はかけ放題ですか?】

【いいえ、かけ放題ではないです】

【それだったらLINE ID教えますんでLINE通話しますか?】

【はい、ありがとうございます】

 神谷と美月がLINEでつながった。


 美月もドキドキしていた。

 実は美月は今まで誰とも付き合ったことがなく、男性と通話するのは生まれてはじめてだ。

 しかも相手は少し気になっている神谷。

 発信音が鳴る。

 ドキドキ。

「はい、もしもし神谷です」

「もしもし美月です」

「はじめまして」

「はじめまして」

 ふふっとお互い笑いあった。

 そして大きく笑った。

「実はわたし・・少し重い話になるんですがいいですか?」

「もちろんです。

 どうしました?」

「実は私、昔、学校ですごくひどいいじめを受けていたことがあるんです。」

「そうだったんですね。」

「今はもう昔のことだって思ってるんですけど・・

 たまに、あの頃のことを夢に見るんです。

 目が覚めても、夢だったって分かってるのに、すごく嫌な気持ちが残っていて。

 その日は何をしていても気分が沈んでしまって・・」

「それはつらいですね。」

「はい・・

 普段はそんなに気にしてないつもりなんですけど、夢を見ると、全部戻ってきたみたいな感じがして」

「そういうことがあるんですね。」

「自分でも、なんで今さらこんなことで落ち込むんだろうって思います。

 もう昔のことなのに。」

「【昔のことだから、気にしてはいけない】と思わなくてもいいと思いますよ。

「……。」

「つらかったことが、時間が経ったからといって、なかったことになるわけではありませんから。」

「神谷さんにそう言ってもらえると、なんだか少し安心します。」

「そう思ってもらえたなら、よかったです。無理に忘れようとしなくても大丈夫ですよ。

 話したくなったときは、僕でよければ聞きますから。」

「ありがとうございます。本当は、こんな話を人にするの、すごく怖かったんです。」

「話してくれてありがとうございます。」

 神谷とのやり取りを終えてスマートフォンを置くと、美月はしばらくぼんやりと天井を見つめていた。

 不思議だった。

 ほんの少し話をしただけなのに、胸の奥にあった重たいものが、少しだけほどけたような気がする。

「……なんでだろう」

 美月は小さく呟いた。

 母子家庭で育った美月には、父親と呼べる存在が身近にいなかった。

 もちろん、父親がいないことをいつも寂しいと思っていたわけではない。母と二人で暮らすことが当たり前で、それなりに自分の中で折り合いもつけてきたつもりだった。

 けれど、神谷と話していると、不思議な感覚になった。

 急かさない。

 否定しない。

 無理に元気づけようともしない。

 ただ、美月の話を静かに受け止めてくれる。

 それが、とても心地よかった。

 まるで、自分のことを少し離れたところから見守ってくれる父親がいるような――そんな安心感だった。

 もちろん、神谷は父親ではない。

 美月自身も、そんなふうに思うのは少し変だと思っていた。

 それでも、神谷の言葉を聞くと、胸の奥がほっとする。

「大丈夫だよ」と言ってもらえるような気がするのだ。

 美月はスマートフォンの画面をもう一度見つめた。

 そこには、さっき神谷から届いたLINEが残っている。

 ――話したくなったときは、僕でよければ聞きますから。

 その一文を見つめながら、美月は小さく息を吐いた。

 こんなふうに安心できる相手が、自分にもいる。

 それだけで、少しだけ明日が怖くなくなった。


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