⑤2度目の援助とプレゼント
その夜、神谷は家族の待つ家へ帰った。
妻の理恵が、食卓で息子と話していた。
いつもと変わらない、穏やかな家庭の風景だった。
神谷は、二人の姿を見て、ふと、自分が美月に贈り物をしたことを思い出した。
彼女が喜んでくれたことは嬉しい。
けれど、これからも同じように贈り物を重ねていくことが、本当に彼女のためになるのだろうか。
美月は、まだ若い。
これから、自分の人生を築いていく人だ。
自分の好意が、彼女にとって負担になってはいけない。
まして、贈り物によって、自分を特別な存在だと思わせたいわけではなかった。
神谷は、自分に言い聞かせるように考えた。
美月が必要としているものは、何でも与えてくれる誰かではない。
自分の力で夢を追いかけ、自分の意思で人生を選んでいけるようになること。
そのために、自分ができることがあるのなら、無理のない範囲で応援したい。
ただ、それだけだ。
そのときの神谷は、まだ、自分が美月に対して抱き始めている感情に気づいていなかった。
誕生日の贈り物は、彼にとって、ほんのささやかな祝いのつもりだった。
しかし、美月にとって、その小さな青い箱は、いつか特別な意味を持つことになる。
誰かが、自分の誕生日を覚えていてくれた。
自分が喜ぶものを考え、選んでくれた。
そして、受け取るかどうかまで、自分に委ねてくれた。
その経験は、美月の心に、静かに残っていった。
美月は、小説を書くことが好きだった。
頭の中に浮かんだ物語を言葉にし、登場人物たちの人生を紡いでいく。
悲しい物語を書くこともあれば、優しい物語を書くこともあった。
現実では思いどおりにならないことがたくさんあっても、小説の中なら、傷ついた人が誰かに救われることも、孤独だった人が自分の居場所を見つけることもできた。
美月は、そんな物語を書くのが好きだった。
けれど、美月自身は、自分が特別な人間だとは思っていなかった。
むしろ、自分はどこか人より劣っているのではないかと、心の片隅でいつも感じていた。
小学生の頃から、いじめを受けてきたからだ。
小学五年生のときには、同級生の女子に首を絞められたこともあった。
なぜ、そんなことをされたのか。
今でも美月にはわからない。
自分が何か悪いことをしたのだろうか。
相手を怒らせるようなことを言ったのだろうか。
いくら考えても、答えは出なかった。
ただ、恐ろしかったという記憶だけが、心の奥底に残っていた。
高校時代にも、忘れられない出来事があった。
美月は絵を描くことも好きで、展覧会に作品を出品したことがあった。
そして、賞をもらった。
本来なら、喜んでいい出来事だった。
ところが、それを境に、クラスメートたちの態度が変わった。
昨日まで普通に話していた人たちが、急によそよそしくなった。
話しかけても返事をしてくれない。
自分が近づくと、誰かが目配せをする。
気がつけば、美月はクラスの中でひとりになっていた。
理由はわからなかった。
自慢したつもりはなかった。
誰かを見下したつもりもなかった。
ただ、自分の好きなことを一生懸命にやって、賞をもらっただけだった。
それなのに、どうして。
その疑問に答えが出ないまま、美月は学校に通えなくなり、やがて高校を中退した。
人から傷つけられるたび、美月の心には少しずつ傷が増えていった。
それでも、美月は誰かを恨むことはしなかった。
誰かに優しくされると、素直に嬉しかった。
何かをしてもらえば、心から感謝した。
相手の言葉を疑うより先に、信じようとした。
大人になっても、美月の心の中には、純粋な子供のような部分が残っていた。
その純粋さが、美月を苦しめることもあった。
けれど同時に、それは美月の書く物語にも表れていた。
誰かを信じたいと思う気持ち。
傷ついても、もう一度誰かとつながりたいと願う気持ち。
自分を認めてほしいという、ささやかな願い。
美月の作品には、そうした思いが飾らない言葉で描かれていた。
神谷が美月の小説に惹かれたのも、そんなところだった。
ある日の夜、美月から神谷にメッセージが届いた。
『Kさん、こんばんは。
実は最近、小説が全然書けないんです。
書きたいことはあるんですけど、いざ書こうとすると、なんか違うなあってなっちゃって。
何度も書き直してるうちに、何が書きたかったのかわからなくなっちゃうんですよね。
こういうときって、どうしたらいいんですかねえ?』
神谷は、仕事を終えて帰宅したあと、そのメッセージを読んでいた。
精神科医として一日中、人の話を聞き、さまざまな問題について考えてきた。
疲れていないといえば嘘になる。
けれど、美月から届くメッセージには、不思議と目を通したくなった。
彼女は、自分をよく見せようとしない。
知らないことは知らないと言い、困ったときは困ったと素直に伝える。
嬉しいときは、まるで子供のように喜ぶ。
その飾らないところが、神谷には心地よかった。
神谷は、少し考えてから返信した。
『こんばんは。
書けないときは、無理に書かなくてもいいんじゃないですか。
一度、少し離れてみてもいいと思いますよ。
書かなければいけないと思いすぎると、かえって苦しくなることもありますから。
美月さんが、書くことそのものを嫌いになってしまうほうが、僕は心配です』
しばらくして、美月から返信が届いた。
『そっかぁ……。
うんうん、なるほどねー。
書けないときは、書かなければいいんですよね』
神谷は、思わず笑った。
続けて、メッセージが届いた。
『なんか、肩の力が抜けた気がします。
私、書かなきゃ、書かなきゃって思いすぎてたのかもしれません。
Kさん、ありがとうございます!』
神谷は、穏やかな気持ちになった。
特別なことを言ったつもりはない。
ただ、無理をしなくてもいいと伝えただけだった。
けれど、美月は、その言葉をまっすぐに受け取ってくれた。
神谷は返信した。
『いえいえ。いつも応援していますよ』
すると、美月から、すぐに返事が届いた。
『ありがとうございます!
Kさんにそう言ってもらえると、なんだか安心します』
神谷は、その言葉をしばらく見つめていた。
自分の言葉が、彼女の心を少し軽くした。
そのことが、思っていた以上に嬉しかった。
美月は、小説投稿サイトに作品を掲載していた。
最初は、ただ自分の書いた物語を誰かに読んでもらいたかっただけだった。
自分が書きたいと思う物語を、ほかの人にも読んでもらいたい。
そして、できれば、面白かったと言ってもらいたい。
そんなささやかな願いから始めたことだった。
けれど、作品を投稿し続けるうちに、美月には新しい夢ができていた。
いつか、自分の小説を本にしたい。
出版社の編集者に認めてもらい、担当編集者についてもらいたい。
そのために、美月は小説投稿サイトへの掲載を続けながら、出版社主催の新人賞にも応募するようになった。
投稿サイトでは、読者からの評価や作品の人気によって、ランキングが変動する。
美月の作品も、少しずつ読まれるようになっていた。
ランキングで八位や十位になることもある。
上位に入れるようになったのは嬉しかった。
けれど、投稿サイトのランキングで上位になることと、出版社の新人賞で受賞することは別だった。
美月は、そのこともわかっていた。
ランキングで評価されても、出版社から声がかかるとは限らない。
新人賞に応募しても、必ず選ばれるわけではない。
それでも、夢を諦めたくはなかった。
ある日、美月は神谷にメッセージを送った。
『Kさん、聞いてください!
今月、ランキングで五位になりました!』
神谷は、その知らせを読んで微笑んだ。
『おめでとうございます。
五位ですか。すごいですね』
『ありがとうございます!
でも、1位まではまだまだですね……』
その言葉に、神谷は少し笑った。
嬉しいはずなのに、もう次の目標を見ている。
そんな美月らしさが感じられた。
『五位でも、十分すごいことだと思いますよ。
でも、一位を目指したいという気持ちも大切ですね』
『はい!
いつか絶対、一位になりたいです。
それから、新人賞も取りたいんです。
担当さんがついてくれたら、もっといろいろ教えてもらえると思うんですよね』
『そうですね。
目標があるのは、いいことだと思います。
焦らず、ひとつずつ進んでいきましょう』
『はい!
頑張ります!』
美月の返信には、いつも素直な喜びがあった。
神谷は、そんな彼女の様子を微笑ましく感じていた。
それからしばらくして、美月から、別の相談が届いた。
『Kさん、ちょっと聞いてもらってもいいですか?』
『もちろん。どうしました?』
『実は、お母さんがお金のことで困っていて……』
美月の母親は働いていたが、家計には余裕がなかった。
住んでいる家は全面リフォームしていたものの、建て替えたわけではない。そのため、書類上は築年数の古い家として扱われ、火災保険や地震保険の加入先が限られていた。
以前加入していた保険料の安い保険会社に戻ろうとしたが、会社の方針が変わり、再加入できなくなっていた。
ほかの保険会社にも相談したものの、思うように引き受けてもらえない。
ようやく見積もりを取ると、年間の保険料は十数万円にもなった。
『十数万円って、結構大きいですよね……。
お母さん、ずっとお金がないって言っていて。
私も何かしてあげられたらいいんですけど、まだ小説で稼げているわけじゃないし……』
神谷は、その文章を読んで考えた。
美月は、自分の夢を追いかけながら、母親のことも気にかけている。
自分にできることがあれば、何かしてあげたいと思っているのだろう。
けれど、今の美月には、十分な経済的余裕がない。
神谷には、彼女を助けることができるだけの余裕があった。
もちろん、お金を渡すことが本当に彼女のためになるのか、慎重に考える必要はある。
金銭的な援助は、相手に負担を感じさせることもあるからだ。
それでも、美月の悩みがひとつ減れば、彼女は少し安心できるかもしれない。
神谷は、メッセージを送った。
『もしよければ、お金をお送りしましょうか?』
美月からの返信は、すぐに届いた。
『いえいえ!! そんな、大金ですから、いいですよ!
ありがとうございます。ちょっと聞いてほしかっただけです』
神谷は、少し微笑んだ。
美月らしい反応だった。
彼女は、誰かに何かをしてもらうことに慣れていない。
親切にされると嬉しいのに、同時に、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのだろう。
神谷は、もう一度返信した。
『その悩みがなくなって、美月さんが創作に集中できるのなら、僕にとっては安いものですよ』
『でも』
『心配しないでください。美月さんのために使えるお金は十分にありますので(笑)。無理はしていませんよ』
しばらく返信はなかった。
神谷は、少し考えた。
自分が善意で申し出たことでも、相手にとっては重いかもしれない。
だから、無理に受け取らせてはいけない。
彼は、さらにメッセージを送った。
『もちろん、無理に受け取る必要はありません。
美月さんが負担に感じるなら、断ってくれて大丈夫ですからね』
しばらくして、美月から返信が届いた。
『ご厚意に甘えていいんでしょうか?でも母も困ってるし……』
神谷は、その文章を読みながら、美月の顔を想像した。
きっと、困ったように首を傾げているのだろう。
受け取っていいのか、何度も考えているに違いない。
やがて、美月からメッセージが届いた。
『じゃあ、いったんお借りしてもいいですか?
返せるようになったら、お返ししますね。
ありがとうございます。
Kさん、本当に助かります。ありがとうございます。』
神谷は、思わず笑みをこぼした。
安心した美月の姿が目に浮かぶようだった。
貰うのではなく返そうとする美月を、神谷は可愛らしいと思った。
ただし、彼女の感謝を、自分に対する特別な感情だと勘違いするつもりはなかった。
美月は、助けてもらったことが嬉しいのだ。
それ以上の意味を、自分の側から勝手に与えてはいけない。
神谷は、返信した。
『そんなに何度もお礼を言わなくても大丈夫ですよ(笑)。
まずは、お母さんと相談してみてくださいね。
それから、返すことを気にしすぎて、無理をしないでください』
『はい!
本当にありがとうございます。
Kさんって、優しいですね』
その言葉を読んで、神谷は少しだけ目を伏せた。
優しい。
そう言われることは、仕事柄、珍しくなかった。
けれど、美月からの言葉は、なぜか心に残った。
彼女は、何かを得るために人を褒めるような人ではない。
嬉しかったから、嬉しいと言う。
助けてもらったから、ありがとうと言う。
ただ、それだけなのだ。
神谷は、そんな美月のことを、ますます可愛らしく思った。
それから、美月は創作を続けた。
小説投稿サイトでは、相変わらずランキングが上下していた。
五位に入る月もあれば、八位まで下がる月もある。
読者から感想をもらって喜ぶこともあれば、思うように読まれず、落ち込むこともあった。
出版社主催の新人賞にも、応募を続けていた。
けれど、こちらは簡単には結果が出なかった。
一次選考を通過することもあれば、残念ながら選ばれないこともある。
美月は、そのたびに落ち込んだ。
自分には才能がないのだろうか。
もっと上手な人が、たくさんいるのではないか。
もう書くのをやめたほうがいいのだろうか。
そんな考えが頭をよぎる日もあった。
それでも、しばらくすると、また新しい物語を書き始めた。
ある夜、美月から神谷にメッセージが届いた。
『Kさん、今月も新人賞はだめでした……。
結構頑張ったつもりだったんですけどね。
やっぱり、まだまだですね』
神谷は、すぐには返信しなかった。
彼女を励ましたい。
けれど、根拠もなく「次は絶対に大丈夫」と言うのは違う気がした。
結果が出ない悔しさは、美月自身のものだ。
その気持ちまで、簡単な言葉で消してしまいたくなかった。
しばらく考えてから、神谷は返信した。
『悔しいですね。
頑張った分、余計にそう感じるかもしれませんね』
美月から、少し間を置いて返信が届いた。
『はい……。
でも、また書きます。
私、小説を書くのは好きなので』
神谷は、その言葉を見つめた。
また書きます。
小説を書くのは好きなので。
その短い文章に、美月のまっすぐな心が表れている気がした。
結果が出なくても、彼女は書くことをやめない。
誰かに認められたいという気持ちはあるだろう。
担当編集者についてもらいたいという夢もあるだろう。
それでも、最後に彼女を机に向かわせるのは、書くことが好きだという気持ちなのかもしれない。
神谷は、返信した。
『その気持ちは、大切にしてくださいね。
結果を出すことも大切ですが、美月さんが書くことを好きでいられることも、同じくらい大切だと思います。
僕は、これからも応援していますよ』
『ありがとうございます!
Kさんが応援してくれると、また頑張ろうって思えます』
神谷は、その言葉を読んで、静かに微笑んだ。
自分は、美月を応援しているつもりだった。
彼女が夢に近づけるように。
少しでも安心して、好きなことに取り組めるように。
けれど、いつの間にか、自分も美月から何かをもらっていた。
精神科医という仕事は、人の苦しみと向き合う仕事だ。
患者の話を聞き、その人の心の動きを考え、少しでも楽になれる道を探す。
神谷にとって、それは大切な仕事だった。
けれど、どれほど経験を積んでも、すべての問題を解決できるわけではない。
力になりたいと思っても、何もできないことがある。
言葉を尽くしても、相手に届いたのかどうかわからないこともある。
人の苦しみを受け止め続けることは、決して簡単ではなかった。
そんな日々の中で、美月とのやり取りは、神谷にとって不思議な時間になっていた。
美月は、神谷の言葉を受け取ると、素直に喜んでくれる。
ほんの少し励ましただけでも、安心したと伝えてくれる。
自分が何かをしてもらったときには、心から感謝する。
その一つひとつが、神谷の心を温めた。
ある夜、神谷は仕事を終えて帰宅したあと、ソファに座っていた。
一日中、さまざまな人の悩みに向き合ってきた。
身体は疲れていたし、頭も重かった。
何も考えずに休みたいと思っていた。
そのとき、美月からメッセージが届いた。
『Kさん、こんばんは!
今日はちょっとだけ書けました!
まだまだ直すところはいっぱいあるんですけど、昨日よりは進みました!』
神谷は、その文章を読んで、自然に笑みを浮かべた。
『よかったですね。
少しずつ進めばいいと思いますよ。
無理せず、頑張ってくださいね』
『はい!
ありがとうございます!』
それだけの、何気ないやり取りだった。
けれど、神谷はスマートフォンを置いたあと、先ほどまで感じていた疲れが、少し和らいでいることに気づいた。
美月が今日、少しでも書けた。
そのことを、自分のことのように嬉しく感じていた。
美月は、自分のことを特別な人間だとは思っていないだろう。
まだまだ足りないと思い、もっと頑張らなければと考えているに違いない。
それでも、彼女には、人の心を温かくするものがあった。
計算のない優しさ。
飾らない感謝。
傷ついた経験があっても、なお誰かを信じようとする心。
神谷は、目を閉じた。
美月を見ていると、元気になってくる。
疲れが取れてくる。
明日も、もう少し頑張ろうと思える。
彼女を応援しているつもりだったのに、いつの間にか、自分も彼女に支えられていた。
神谷は、そのことを不思議に感じていた。
ただ、その温かさに、まだ名前をつけるつもりはなかった。
神谷には、妻の理恵と、幼い息子がいる。
大切な家庭があり、守るべき約束がある。
美月を応援したいと思うことと、彼女に心を惹かれていくことは、同じではない。
その違いを、忘れてはいけない。
このときの神谷にとって、美月は、才能のある若い書き手だった。
そして、自分が応援することで、少しでも前に進んでくれたらと願う、大切な存在だった。
彼女の笑顔が、自分の日常の中に小さな明かりをともしていること。
その明かりを、いつの間にか心待ちにするようになっていること。
神谷はまだ、それが自分の心にどんな変化をもたらしているのか、深く考えようとはしていなかった。
ある日の夜、神谷のスマートフォンに、美月からメッセージが届いた。
いつもなら、少し遠慮がちな文章で始まる美月のメッセージだったが、その日は違った。
『Kさん!! 聞いてください!!』
神谷は、思わず画面を見つめた。
何かあったのだろうか。
そう思いながら、返信を打とうとした、そのときだった。
続けて、もう一通メッセージが届いた。
『三位になりました!!!
小説投稿サイトのランキング、三位です!!
三位ですよ、三位!!
もう、嬉しくて嬉しくて、どうしよう!!』
神谷は、画面を見つめたまま、思わず笑顔になった。
『本当ですか?
おめでとうございます!』
すぐに返信すると、美月から、間髪入れずに返事が届いた。
『ありがとうございます!!!
今まで五位とか八位とかだったのに、ついに三位ですよ!!
嬉しいですー!!』
文章から、喜びがあふれていた。
神谷は、美月がどんな顔をしているのか、容易に想像できた。
きっと、目を輝かせて、嬉しそうに笑っているのだろう。
誰かに褒めてもらいたくて、誰かと喜びを分かち合いたくて、たまらないのだ。
神谷は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
やったな、美月さん。
心の中で、そう呟いた。
美月がどれだけ努力してきたか、神谷は知っていた。
書けなくなって悩んだ日もあった。
何度も書き直し、思うような結果が出ずに落ち込んだこともあった。
それでも、美月は諦めなかった。
自分の好きなことを信じて、書き続けてきた。
その努力が、少しずつ形になっている。
もちろん、投稿サイトのランキングが上がったからといって、すぐに出版社から声がかかるわけではない。
けれど、三位という結果は、美月にとって大きな自信になるはずだった。
神谷は、自分のことのように嬉しかった。
『本当によかったですね。
美月さんが頑張ってきたことを知っているので、僕も嬉しいです』
すると、美月から返信が届いた。
『Kさんにそう言ってもらえると、もっと嬉しいです!
ありがとうございます!
次は一位を目指しますね!』
神谷は、微笑んだ。
この人は、どこまでもまっすぐだ。
三位になったことを喜びながら、もう次の目標を見ている。
そんな美月の姿勢が、神谷には嬉しかった。。
そのとき、ふと思った。
何か、プレゼントをしてあげたいな。
三位になれたことを、何か形にして祝ってあげたい。
以前、誕生日にティファニーのネックレスを贈ったとき、美月はとても喜んでくれた。
あのときの、驚きながらも嬉しそうにしていた様子が、神谷の脳裏に浮かんだ。
また、ティファニーがいいだろうか。
そうだな。
三位入賞のお祝いに、何か小さなものを贈ろう。
神谷は、そう考えた。
もちろん、高価なものを贈って、美月に負担を感じさせたいわけではなかった。
彼女が喜んでくれたら、それでいい。
何かを返してもらいたいわけでもない。
ただ、頑張った美月に、おめでとうという気持ちを伝えたかった。
神谷は、ティファニーの公式サイトを開いた。
さまざまなアクセサリーを眺めながら、美月に似合いそうなものを探した。
あまり華美ではなく、けれど、身につけるたびに少し気持ちが明るくなるようなもの。
そうして目に留まったのが、アクアマリンのネックレスだった。
透明感のある、澄んだ水色の石。
美月の白い肌によく似合いそうだった。
神谷は、しばらくその商品を眺めていた。
これがいい。
きっと、美月は喜んでくれるだろう。
彼は、そのネックレスを注文した。
数日後。
美月のもとに、小さな箱が届いた。
送り主を確認した美月は、目を丸くした。
「あっ……Kさんだ」
箱を手にしたまま、しばらく立ち尽くした。
以前、誕生日にティファニーのネックレスを贈ってもらったことがある。
あのときも、驚いた。
まさか、インターネットで知り合った人から、こんな素敵なものを貰えるだなんて思ってもいなかったからだ。
そして、今回も。
美月は、すぐに神谷にメッセージを送った。
『Kさん、もしかして、またプレゼントですか?』
神谷から返事が届いた。
『はい。三位入賞のお祝いです。
改めて、おめでとうございます』
美月は、慌ててメッセージを打った。
『ありがとうございます!!
でも、またティファニーなんて……!
本当にいいんですか?』
『もちろんです。
頑張った美月さんへの、お祝いの気持ちですから』
美月は、箱を見つめた。
嬉しかった。
とても嬉しかった。
自分が頑張ったことを、こんなふうに喜んでくれる人がいる。
自分のことを応援してくれる人がいる。
それが、何よりも嬉しかった。
美月は、丁寧に包装を解いた。
そして、小さな箱を開けた。
「うわぁ……!」
思わず、声が漏れた。
中に入っていたのは、アクアマリンのネックレスだった。
澄んだ水色の石が、柔らかな光を受けて輝いている。
「かわいい……!」
美月は、しばらくネックレスを見つめていた。
それから、すぐに神谷にメッセージを送った。
『Kさん!!
すごくかわいいです!!
アクアマリンなんですね!
本当にありがとうございます!!!』
神谷は、そのメッセージを読んで、自然に笑みを浮かべた。
『気に入ってもらえてよかったです』
『はい!!
すっごく気に入りました!
大切にしますね!』
神谷は、スマートフォンを見つめながら、ほっとしたように息をついた。
美月が喜んでくれた。
それだけで、十分だった。
美月は、さっそくネックレスを身につけてみることにした。
鏡の前に立ち、チェーンを首に回す。
留め具を留めるのに少し手間取ったが、何とか身につけることができた。
鏡に映った自分の姿を見て、美月は目を輝かせた。
白い肌に、アクアマリンの澄んだ水色がよく映えていた。
「わぁ……かわいい」
もう一度、鏡をのぞき込む。
少し首を傾けてみる。
光の当たり方によって、石の色が微妙に変わる。
美月は、嬉しくてたまらなかった。
そして、神谷に写真を送った。
『Kさん、つけてみました!
どうですか?』
写真を受け取った神谷は、しばらく画面を見つめた。
思ったとおり、よく似合っていた。
アクアマリンの淡い水色が、美月の白い肌によく映えている。
神谷は、素直な感想を送った。
『よく似合っていますね。
三位、本当におめでとう!』
美月は、すぐに返信した。
『ありがとうございます!!
Kさんのおかげで、嬉しいことがもっと嬉しくなりました!』
神谷は、その言葉を読んで、胸の奥が温かくなるのを感じた。
自分は、ただ彼女を祝いたかっただけだった。
けれど、こうして喜んでくれる姿を見ると、自分まで幸せな気持ちになる。
美月の喜びを、自分のことのように嬉しく思える。
そんな感情が、自分の中にあることを、神谷は少し不思議に感じていた。
その夜、美月はベッドに横になっていた。
首元には、アクアマリンのネックレスが輝いていた。
寝る前に外そうと思ったのだが、もう少しだけ眺めていたくなった。
美月は、指先でそっと石に触れた。
Kさんって、どんな人なんだろう。
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
これまで、何度もメッセージを交わしてきた。
自分が落ち込んでいるときには、優しい言葉をかけてくれる。
何かを頑張ったときには、一緒に喜んでくれる。
困ったことがあれば、力になろうとしてくれる。
誕生日にも、今回の三位入賞にも、素敵なプレゼントを贈ってくれた。
けれど、美月は、Kさんのことをほとんど知らなかった。
何歳くらいの人なのだろう。
どんな仕事をしているのだろう。
どんな場所に住んでいるのだろう。
普段は、どんな生活をしているのだろう。
もしかしたら、自分よりずっと年上なのかもしれない。
それとも、思っているより若い人なのだろうか。
美月は、天井を見つめながら考えた。
不思議な人だな。
どうして、こんなに自分を応援してくれるのだろう。
自分は、まだ何者でもない。
小説投稿サイトでランキング三位になったとはいえ、出版社から本を出したわけでもない。
新人賞だって、まだ受賞していない。
それなのに、Kさんは、いつも自分のことを応援してくれる。
美月は、ネックレスを指先でそっとつまんだ。
アクアマリンの石が、わずかに揺れた。
その澄んだ色を見ていると、Kさんの優しい言葉が思い出された。
『いつも応援していますよ』
その言葉を思い出すだけで、胸の奥が温かくなった。
美月は、目を閉じた。
Kさんは、どんな人なんだろう。
いつか、もっといろいろな話をしてみたいな。
そんなことを考えているうちに、少しずつ眠気が訪れた。
美月は、アクアマリンのネックレスを外して枕元に置くと、そのまま眠りに落ちていった。
夢の中でも、彼女の心には、Kさんの優しい言葉が残っていた。




