出発の日
ユウトとクリスが護衛契約を交わしてから数日後。
『銀狼商会』として初めての行商準備が整った。
もっとも商会と言っても実態は一人と一頭、そして雇われの身が一人である。
倍馬のダイフクはゴミ市での購入後、騎獣ギルドで面倒を見てもらっていた。
健康面のチェック、馬体に合わせた蹄鉄や馬具の新調、そして大喰らいの倍馬向けの十分な食事。
馬の購入金額を遥かに超える準備費用をギルドから請求されたユウトは仰天し、なんとか工面して支払ったが、価格に見合うだけの価値はあった。
「車の購入時みたいだな。本体代だけじゃなくてオプション料金取られるみたいな」
「……ブルル?」
「うんにゃ。お前は気にしなくていいこと。よ~しよしよし。ギルドの人たちにいっぱい食べさせてもらったんだな」
「ブルルル!」
よく食べ、よく眠り、たっぷりと休息をとったダイフクは売れ残っていた時とは見違えるように活き活きとしていた。まだ倍馬としては痩せているらしいが、大地を踏みしめる脚は太く、力強い。土埃で汚れていた身体も丁寧に洗われており、純白の毛並みは陽光を反射して眩しいくらいだ。
そんなダイフクに繋がれているのは、商人ギルドから支給された小型の幌馬車。
商隊員は少なく2名のみ。そして後脚に古傷を持つダイフクが曳くにはなるべく軽い方がいいだろうという判断だ。
荷台には、ユウトが見繕った雑多な商品が山のように積み込まれている。
保存食や干し肉、塩、そして農具や布などの生活物資や作物の種。ユウトとクリスの食事や寝具、ダイフク用の干し草なども積めば、小さな幌馬車はたちまち一杯になった。
「これだけ積んでも馬一頭で曳けるのか。倍馬ってすげぇな」
ユウトが感心したように言うと、ダイフクはふんと鼻を鳴らした。言葉は理解できないだろうが、褒められたことは分かるのだろうか。
「当然だ。私たちの倍馬だからな!」
なぜかダイフクよりも誇らしげに腕を組んでいるのは、護衛剣士のクリス・フラン。
革鎧や外套を着こみ、背中には長剣を携えている。熟練の冒険者のような出で立ち。
文字も読めない、契約や交渉といった商売もできないが、荒事では彼女の腕っぷしに頼ることになるだろう。
「なんでお自慢げなんだ。お前の馬じゃないだろ」
「しかし、仲間の馬だ」
「ダイフクとはまだ会ったばっかりだろ?」
「一日目だろうが、旅の仲間は仲間だ!」
自信たっぷりに、大声で断言された。
ダイフクもブルルとご機嫌で鼻を鳴らしているので、クリスを仲間として認めているのだろうか。
『旅の道連れは皆、仲間』。そう言われればユウトとしても悪い気はしなかった。
「(……まぁ、急いで準備したわりには悪くねぇな)」
今回の旅はユウトにとっても初めての行商だ。何もかもが急ごしらえである。
売れ残りだった倍馬が曳くのは、借り物の中古馬車。護衛は問題児が一人だけ。
設立したばかりでまだ商会旗もない、新人商人が手綱を取る小さな商会。
写した手書きの地図やおおよその方角を頼りに、行ったこともない道を進まなければいけない。
それでもユウトの心は踊っていた。旅の不安よりも好奇心が勝っている。
「いくぞダイフク!クリス!出発だ!」
「目指す難民村は東……スプーンを持つ方だな!」
「それは右な」
「……ブルル」
出発の合図と共に、自信満々に右を向いたクリス。ツッコむユウト。楽しげなダイフク。
こうして不安と希望を荷馬車に積んで、ユウトたち『銀狼商会』は初めての一歩を踏み出した。
◆◆◆◆◆
商都を出発してから数時間。ダイフクの手綱を握ったユウトは感心していた。
「倍馬すげぇ……ガンガン進めるぜ!」
「ブルルル!」
倍馬は速い。想像していたよりもかなり速い。
荷物が満載の幌馬車を苦も無く引っ張り、並足以上の速度で数時間走り続ける。古傷を抱えるダイフクの脚を気遣ったユウトは自由に、そして緩めのペースで走らせていたが、それでも速い。
「やはり商人だな。馬の扱いが上手い」
「そんなに褒めるな。騎獣ギルドの初心者講習を受けただけだ。体力配分が分からねぇから、まずはダイフク任せだな」
「初心者講習。そんなものがあるのか。他のギルドは進んでいるな……!」
「冒険者ギルドはないのか?依頼書の読み方講習とか」
「ない。ギルド登録時に『文字が読めない』と言ったら受付嬢に鼻で笑われた」
「ひでぇな」
『銀狼商会』が今回の旅で目指す『難民村』は、商都から2日程度の距離と言われている。ただし、これは通常の馬よりも体力もスピードもある倍馬を使った基準だ。通常の馬であれば4日程度。徒歩ならばもっと時間がかかる。
小型の馬車とはいえ荷物が満載であることを考え、ユウトは旅程を3日程度と見積もっていた。
「もっと急がなくていいのか?難民たちは困っているんだろう?」
「俺もダイフクも旅に慣れてないからゆっくり行く。街道があるところまでは準備運動って感じだな」
「なるほど。確かに準備運動は大事だな」
いまだ商都を出てから半日。王国の都市と都市を繋ぐ、整備された石畳の街道を進んでいる。
石畳は広く、道を行き交う商人の馬車も多い。天気は良好。旅は平和そのものだった。
その後は、街道脇の小川などでダイフクの水分補給や休憩をはさみながら進み、日が傾くころには隊商向けの野営地に入り、いくつかの荷馬車の列に混じって夜を明かした。初日は何もかもが順調であった。
商会として初めて問題に直面したのは、翌日。旅程二日目のことだ。
その日も天気は良好。ダイフクをはじめ商会メンバーの体力や健康面には問題なし。
野営地からの街道も石畳が続いており、朝は穏やかな雰囲気で出発した。
だが……昼を過ぎた頃に徐々に周囲の景色が変わってきた。
石畳だった街道は轍の刻まれた舗装されていない道に変わり、行き交っていた荷馬車は姿を消し、街道脇の森の気配が濃くなる。大街道から離れた土地へ向かっているのだ。
「今日はここまでだな」
陽が傾き始めた頃。ユウトは街道沿いに小さな野営地を見つけて馬車を止めた。
小さな井戸や焚き火の跡がある、旅人たちが使う簡易宿営地だ。十分であった。
ここを過ぎたら陽が暮れるまでに次の野営地を見つけられるか分からない。
「私は薪を集めてくる。何かあったら大声で知らせてくれ」
「頼む」
「森歩きは慣れている。任せろ」
いつもより凛々しい表情のクリスはそう言って剣を腰に差し、躊躇せず森へ分け入っていった。
実に頼もしい。護衛としては完璧だった。あとは文字さえ読めれば。
「まぁ、役割分担だと思おう。ダイフクもお疲れ様だな」
「ブルルッ!」
「お~よしよし。頑張った。ほら、ご飯の用意をするからな」
夜を明かすための薪集めはクリスに任せ、ユウトはダイフクを労って水や飼料を与える。馬車を曳く倍馬は大量の食糧を必要とするのだ。牧草や穀物を混ぜた主食に、ご褒美にニンジンなどの野菜も与えてやった。まだまだ倍馬の世話に慣れていないユウトにとっては一苦労だった。
ダイフクの世話が落ち着いたら、その後は一人で夕食の準備を始める。
鍋を出して水を汲み、干し肉を刻み、野菜の皮を剥いて切る。メニューは水分と栄養素を無駄なく摂取できる野菜スープの予定だ。スープは暖かく、塩分も摂れる。旅の食事にしては悪くない。
そんなことを考えていた時だった。
樹に縄で繋がれて青草を食んでいたダイフクが、突然耳を立てた。
「ん?」
「ブルルルッ!」
いななくほどではないが、鼻息が荒い。
脚を地面に打ち付け、落ち着かない様子で首を振って周囲を見ている。
ダイフクの視線の先は、街道脇の森。嫌な予感がしたユウトは手を止めて荷馬車に走り、護身用に買った中古の剣を掴む。
──次の瞬間だった。
茂みをかき分けて、灰色の影がいくつも飛び出してきた。
「うおっ!?」
一頭。二頭。三頭。さらにその後ろから続々と現れた獣は、全部で六頭。
狼だった。
いや、普通の狼ではない。
暗がりで爛々と輝く赤い目。頭の位置が人間の腰ほどもある体躯。異様に太く、発達した牙。
「こいつが──魔狼か!」
ユウトは思わず叫んだ。
聞いたことはあるが、見るのは初めてだった。
獰猛で肉食。群れで行動し狩りをする危険生物。
新人商人が遭遇したくない相手ランキング上位である。今決めた。たぶん上位だ。間違いない。
だがしかし、ユウトは魔獣に対する切り札を持っている。
「クリス!」
こういう時のための護衛の冒険者。こういう時のためのクリスだ。
ダイフクを背にかばいながら、ユウトは力いっぱい叫んだ。すぐに駆け付けて魔狼を真っ二つにしてくれるはずだ。
「……クリス?あれ?おーい!」
だがしかし、あれだけ自信満々に『何かあったら叫べ』と言っていたのに、クリスは返事もしなかった。ユウトの大声を威嚇と捉えたのか、魔狼たちが唸る。
数匹ずつ固まり、ユウトやダイフクの様子を伺いながら包囲をし始める。赤い目がギラギラと光り、唸り声と共によだれが垂れる。完全に獲物として見られていた。
ユウトは手にした剣を抜き、牽制のために突き出して構える。
だが正直なところ、一対一でも勝てる気はしない。ダイフクをかばいながらの一対六では無謀もいいところだった。
「おいおい!どこいったんだよクリス!クリース!」
手に嫌な汗をかきながら剣を握り、魔狼の群れに突き出し、ユウトが叫んだ。その時だった。
「待たせたな!」
朗々と、ユウトが待ち望んだ声が森に響く。
返事から間髪入れずに茂みから飛び出した影が一つ。クリスだ。
右手には抜身の長剣。左の脇には薪の束。なぜ薪集めと救援を両立しているのかは誰にも分からない。
クリスは薪を抱えながら疾風のように走り、魔狼の群れに向かって突撃した。
「グルルルル!」
突っ込んできた新たな獲物に対して一頭の魔狼が唸り、牙を剥いて飛びかかる。
クリスがぐんと腰を落とし、踏み込み、長剣を振り、一閃。
銀色の軌跡が走った次の瞬間、首と胴体を切断された魔狼が地面に転がった。
速い。あまりにも速い。
「おお!」
ユウトの目には剣閃がまったく見えなかったが、思わず感嘆の声が漏れる。
この剣士は強い。本当に強い。雇ってよかった。
「まず一匹!次はどいつだ!?」
迫るクリスを脅威として認めたのか、残る魔狼たちが取り囲んで襲いかかる。
しかし、多数の獣が襲い掛かってきても、クリスは全く動揺しなかった。
一足で距離を詰め、一閃。
一頭。また一頭。剣が振るわれるたびに魔狼が両断され、断末魔と血しぶきを上げて倒れ伏す。
「どうした!もっとだ!かかってこい!」
戦いに気分が高揚したクリスは血に濡れた剣を握り、笑みを浮かべながら魔狼と対峙する。
もはやどちらが肉食獣か分からない。
「──グルルルッ!」
残った魔狼の群れは三匹。血濡れの剣士が自分たちよりも強いと捉えたのか、恐怖に耐えきれなくなったのか、踵を返して森の奥へ逃げていった。
──日暮れの野営地に、静寂が戻る。
しばらく周囲を警戒していたクリスはやがて、剣の血糊を払ってから鞘へ収めた。
「遅くなってすまない」
そして……嬉しそうに薪の束を掲げる。
「薪を取ってきたぞ!」
「そっちかよ」
ユウトは思わず突っ込んだ。
普通は戦果を誇る場面だろう。
だが、普通ではなさそうな剣士は首を傾げるだけだった。




