白い倍馬
商都名物の『ゴミ市』で投げ売りされていた白い倍馬の値段は20万セル(銀貨二十枚)だった。
倍馬としては安い。安すぎると言ってもいい。
健康で状態が良好な倍馬なら、その3倍や4倍の値段でも買い手がつく。
だからこそ、この一頭はゴミ市にいた。
誰にも見向きもされず、誰にも期待されず、広場の隅で格安の値札をぶら下げていた。
「まいどあり」
店番の騎獣ギルド職員は驚くほどあっさりと倍馬を売った。彼も、まさか売れると思っていなかったのだろう。銀貨を受け取るとすぐに譲渡契約書へのサインを促した。
「うちのギルドで預かって世話はしておくから、そういうのも含めて同意する契約書ね。よければサインを」
「ふんふん……」
「それと、返品は受け付けないからね」
「もう俺の馬だ。するわけねぇだろ」
「だったら嬉しい……よろしくね」
サインを確認した騎獣ギルド職員は、手続きをすると言って店の奥に引っ込んだ。最後の言葉は彼らなりの本音だろう。気持ちのいい取引だとユウトは思った。
商人が納得したうえで自分の馬を買った。商売は成立した。それだけだった。
だが、隣で見ていたアルメリアは納得していない様子だった。
「この子、本当に買うんですか」
「もう買ったよ。契約書にサインしたの見たろ」
「なぜですか?」
「馬がいるだろ。商人にはさ」
「それはこの馬を買う理由になっていません」
食い下がるアルメリアに対し、ユウトは首を傾げた。逆に何が分からないのだろうという不思議な顔だった。
「ギルドちゃん知ってる?商人ってのは荷物を運ぶんだぜ?」
「もちろん知っています!ですが──」
「俺も商人になるんだ。だから馬がいる」
「もっと良い馬がいます。商人ギルドだって保有している倍馬を紹介できます」
「一回見せてもらったことあるけど、すげぇ高かった」
「それはそうですが……だからってこんな安い馬を……!」
アルメリアは思わず額を押さえた。
この男はこれから商人になるというのに、損得の計算がなっていない。雑である。
いや──雑というよりも、何か違う基準で動いている。そんな印象を受ける。
「よろしくな、お馬ちゃん」
「ブルル」
自分の持ち主が変わったことを分かっているのかいないのか。白い痩せた倍馬は首を撫でられて心地よさそうに鳴いた。元野良馬とは思えないほど人に慣れており、従順だった。
思惑はどうあれ、本人たちがいいなら良い。ギルド職員が他人の商売に口出しする義理も関係もない。そう自分を納得させたアルメリアは頭を切り替えた。
「それで、この子の名前はどうしますか」
「名前?いるの?」
「商会登録の際に保有騎獣の提出が必要です。商人にとって騎獣は相棒ですからね。個体識別のための名前とタグをつけてください」
「ふーん。飼い主登録みたいなもんね。しっかりしてるなぁ」
「そんなことも知らなくて商人になろうとしてるんですか?」
「そういうことを教えてくれるためにギルドちゃんがいるんだろ?」
「どうして自慢げに胸を張れるんですか……」
開き直って無知を認めるユウトに対して、アルメリアは本日何度目か分からないため息をつき、こめかみを押さえた。まだ午前中だというのに頭が重い。
「とにかく、考えておいてください。この後は商会登録に行くんですからね」
「あいよ。名前、馬の名前かぁ……」
馬の白い毛並みを撫でながら眺め、少し考えて……ユウトは倍馬の身体をポンと叩いた。
「ダイフク」
「……ブルル」
「うん。よし。お前はダイフクだな」
「由来は?」
「白いし。よく飯を食べるって言ってたからな。丸くなるとかわいいだろ」
基準も由来も意味不明だ。アルメリアは聞かなければよかったと思った。
しかし『ダイフク』と名付けられた倍馬は、なぜか得意げに鼻を鳴らしている。
案外気に入ったのかもしれない。動物の考えることは分からない。
考えていることが分からないのは、このおかしな商人も大差ないが。
取引を終えて広場から離れ、人が行き交う街中を歩きながら、アルメリアは改めてユウトを観察した。
年齢はまだ若い、自分の商会を立ち上げる商人としてなら若すぎるくらい。服装も平凡。特別裕福そうにも見えない。
それなのに、この男はなぜ商会を立ち上げようとしているのか。
普通の商人志望なら、まずはどこかの商会に所属し、経験を積む、個人の信用を得る。それから独立して自分の商会を持つ。それが王道だ。
しかしこの男はいきなり商会登録に来た。商売の常識をほとんど知りもしないのに。
はっきり言って無謀である。
「……ユウトさんは、なぜ商会を作るんですか」
問われたユウトは少しだけ視線を上げ、空を見た。清々しい青空だった。風に乗って小さな白い雲が空を流れている。
「……見たいから」
「何をですか」
「世界」
アルメリアは瞬きをした。予想外の答えだった。
「世界、ですか?」
「そう。知らない町とか。知らない国とか。知らない飯とか。そういうの見てみたいんだよ」
子供みたいな答えだった。そこそこの年齢の青年が言うレベルの願望ではない。
しかしユウトは笑って言った。無邪気に、そして楽しそうに。このおかしな青年の眼は……妙に輝いていた。
「世界を見て回ったりするのは、冒険者としてではなく?」
「俺、強くはないんだよね」
「たしかに強そうには見えませんが……」
「だろ?」
「だからどうして自信満々なんですか……!」
面と向かって『強そうに見えない』というのは失礼な返答だったが、ユウトは気にしなかった。彼にはメンツやプライドよりも大事な夢がある。
「商人なら行けるだろ。町から町へ。国から国へ。知らない場所へ。俺はいろんな場所へ行ってみたいんだ。だから商会を作る」
そう言ってダイフクの首を叩くユウトの瞳には、確かな決意があった。
予想外の返答に、アルメリアは黙り込んで考える。
金儲けのため。名誉のため。家名のため。己の欲を満たすため。自分の実力を試すため。
人は様々な理由で商人になる。商会を立ち上げる。自分の手腕で商売を繰り広げる。
しかし……『世界を見たいから、いろいろなところへ行くために商会を作る』。
そんな理由で商売を始める商人は聞いたことがなかった。
「変わっていますね」
「たまに言われる」
どうやら変人の類だということは本人も自覚しているらしい。困ったものだった。
アルメリアが『変人ならそんな理由で商売することもあるか』と納得し。その心を知ってかすらずかユウトが自信満々で胸を張る──その時だった。
商都の大通りを、一台の豪華な荷馬車が通りかかる。
先導する護衛たちが大声を上げて呼びかけ、行き交う人々が道を開ける。大柄な倍馬が二頭で曳く、護衛付きの大型馬車。商会旗に掲げられるのは、牙を剥く赤い獅子のマーク。
「『赤獅子商会』ですね」
「有名なのか」
「二つ星の大商会です。王国内でも有力な商会の一つですよ」
「へぇ……」
商人なら誰もが目指すべき姿。多数の従業員を抱え様々なビジネスを手掛ける、栄光と実績を兼ね備えた大商会だというのに、ユウトの反応は薄い。
「興味ないんですか」
「あるぞ」
「どのあたりに?」
「すげぇ儲けてそう。何で稼いでるんだろうな?」
気になる点は、やはりそこだった。やはり男は商人だった。少し変だが。
「ユウトさんも、いつかあれくらいになるつもりですか?」
「んー。どうだろうな」
「なりたいわけではない?」
「商会は大きくしたいけど、大きくするのが目的じゃない。世界を見るのが目的だ」
「また……世界ですか」
ついにアルメリアは理解を諦めた。この話になるとユウトは変人度が上がることが分かったからだ。そして、キラキラとした目の輝きも増す。やはり、だいぶ変な男だった。
しかし、不思議と嫌な気はしない。
むしろ……少しだけおもしろい。
そんなことを思った瞬間、アルメリアは自分のことながら驚いた。
商人を平等に手続きし、補助する商人ギルドの職員としては失格かもしれない。
だが、長らく多くの商売人を見てきた職員としての勘が告げていた。
『この男は何かやらかす。いつか絶対に』
それが良い意味か、悪い意味かは分からない。
ただ一つ確かなのは──平凡な商人にはならないだろうということだった。
「さて……と」
赤獅子商会の馬車を見送ったユウトが伸びをする。やる気に満ちあふれたおかしな若者がついに動き出す。
「ギルドちゃん」
「アルメリアです」
「仕事くれ」
「まだ商会登録も終わっていません」
「先に仕事を探そうぜ」
「物事には順番というものがあります。登録も立派な契約ですからね」
「そう言われるとサボりにくいな」
「サボりにくい、ではなくサボれません」
アルメリアはため息をついた。そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
たぶんこれから忙しくなる。そんな予感がしていた。
なぜなら──アルメリアの予感はよく当たるのだ。




