ゴミ市
商都グラン・メルカの朝は早い。
まだ太陽が昇り切る前だというのに、中央広場にはすでに人だかりができていた。
商人たちが荷車を引き、市民たちが古びた箱を抱え、駆け回る子供たちが興味津々に露店に並べられた品物を覗き込んでいる。
市場に並ぶ品々は雑多だった。いや、雑多という言葉ですら足りない。
片方しかない靴。
車輪の無い荷車。
柄の折れた斧。
何に使うのかも分からない錆びた金属部品。
黄ばんだ本。
欠けた食器。
とにかく様々な品物が露店や店の軒先に並べられている。広場全体が巨大な物置をひっくり返したような有様だった。
商人たちはこの市場を、親しみを込めてこう呼ぶ。
──ゴミ市。
正式名称は『捨て物市』。毎月三十日に開催される、不要品売買のための市場だ。
「捨てる前に一度売ってみる」「誰かが買えば儲けもの。売れなければ捨てればいい」
その程度の感覚でさまざまな品物が露店や店先に並べられる。
だからこそ、本当にどうしようもない物も多い。
しかし──だからこそおもしろい。
「へぇ……」
そんな市場を見渡しながら、一人の青年が感心したように声を漏らした。
ユウト・クラマ。
歳の頃は二十代後半。黒髪黒目というこの都市では珍しい容姿をしているが、服装は地味で、手荷物は少ない。
しかし、その青年の目だけは妙に輝いていた。
「おもしろいな」
にぎわう市場をひとしきり眺めた後、彼は近くの露店に近寄った。
店先には雑多な品が並べられており、なかには片方だけの革靴まである。
「なぁおっちゃん。こんなの売れるのか?」
「分からねぇよ」
問われた店主は即答した。
「自慢じゃねぇが、五か月前のゴミ市の時から置いてるぞ」
「売れねぇじゃねぇか」
「だが左の靴だけ持ってる奴が見つけるかもしれん」
「なるほど。誰が何を欲しがるか分からねぇもんな」
ユウトは真顔で頷いた。どうやら本気で納得しているらしい。
店主は少し笑った。この青年は駆け出し商人のようにも、変哲もない市民のようにも見えるが、とにかく変わった男だった。普通なら、露店に並べられた片方の革靴など見向きもしない。
「おもしろいな。うん。おもしろい」
だが、この青年は雑多なゴミ市そのものを楽しんでいるように見える。そんな時だった。
「おもしろくありません」
ユウトの背後から冷静な女性の声がした。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
几帳面さを示すかのように切り揃えられた栗色の髪。整った顔立ち。
紺色の制服。胸元には商人ギルドの徽章。
見るからに仕事のできそうな雰囲気を纏っている。
「誰?」
「商人ギルド職員です」
「あぁ、待ち合わせの……」
「……待ち合わせということを覚えているなら、フラフラと歩かないでください」
「悪いね。捨て物市ってのがおもしろくてつい、な」
「はぁ……。ユウト・クラマさんですね?」
「そうそう。今日はよろしく。え~っと……キミの名前は?」
青年から名を問われた商人ギルドの職員……俗に『受付嬢』と呼ばれる女性職員は丁寧に一礼した。
「アルメリア・ヴァルシュシュバイン・デュッセルドルフ・フォン・グランアレスト・クーテンクラート・メルテリスです」
「長ぇな」
「よく言われます」
「おう。自覚はあるのか」
「ありますが、れっきとした名前です。商人なら覚えてください」
「無理だろ」
「まだ全部言っていませんよ。ミドルネームを省略しています」
「もっと長いのかよ。無理無理、やめとく」
やる気なく肩をすくめるユウトに、アルメリアはおや、と眉をひそめた。
初対面でここまできっぱりと諦められたのは初めてだった。たいていの商人志望は相手の名前を意地になって覚えようとするか、『アルメリア』と気安く呼ぶか、略称を提案してなんとか場を繋ごうとする。それなのにこの青年ときたら……。
「商人ギルドの子だよね。今日は商会登録の手続きをしてくれるんだっけ?」
「はい」
「じゃあ、ギルドちゃんで」
「却下します」
「ギルドちゃん」
「却下です」
「ギルドちゃんね。今日はよろしく」
「……」
アルメリアは朝から頭が痛かった。待ち合わせ時刻に指定された場所にいないこの青年を探して市場を歩き回ってやっと見つけたのに、この軽い扱いである。
しかし仕事は仕事。真面目なアルメリアは気を取り直した。
「それより、市場見学は終わりましたか?」
「いや、まだだ」
ユウトは楽しそうに辺りを見回す。
「いいなこれ」
「どこがですか?」
「夢がある」
「ゴミ市ですよ」
「宝かもしれないだろ」
目を輝かせて返答する青年。アルメリアはまた少しだけ眉をひそめた。
この男──どうも普通の商人の感覚をしていない。そんな予感がした。
「ゴミが……宝ですか?」
「そうだよ。誰かにとってゴミでも、他の誰かにとっちゃあ……」
言いながら市場を見回したその時。ユウトの視線が広場の隅で止まった。
賑やかな広場の隅に追いやられたような、誰にも注目されていない露店。
支柱代わりの棒に布を張っただけの粗末な天蓋。その影の中に、杭につながれた一頭の獣がいた。
通常の馬よりも大きな体を持つ、荷運び用の倍馬だ。
しかし倍馬としては痩せている。たてがみはゴワゴワとしており、せっかくの純白の毛並みは薄汚れている。
見るからに売れ残り。いや、処分待ちと言った方が近い。事実、誰も見向きしていない。
「……ふむ」
そんな倍馬に視線を止めたのは、おかしな青年ただ一人。
嫌な予感がする。アルメリアは直感的にそう思った。
「ユウトさん」
「ん?」
「やめてください」
「まだ何も言ってないぞ」
「その顔は言います」
アルメリアの静止も気にせず、ユウトは露店の倍馬に近寄って顔をじっと見つめた。
興味深そうに行き交う人々を眺めていた倍馬も気が付き、彼を見る。
おかしな青年と薄汚れた倍馬がしばらく見つめ合う。不思議な時間だった。
やがて、ユウトが口を開く。
「売れ残りか」
倍馬が鼻を鳴らした。
「ブルル」
「そうか。まぁ生きてれば色々あるよな」
「会話してませんよね?」
「してるだろ」
「してません」
しばらく売れ残りの倍馬を観察したユウトは立ち上がり、店主らしき男に尋ねる。
「この子、いくら?」
アルメリアは頭を抱えた。いやな予感が当たったのだ。
「ユウトさん。やめてください」
「なんで?」
「かわいそうですが、明らかに不良品です」
「そうか?」
「そうです。私にだって見ればわかります」
アルメリアは商人ギルドの受付として働いてきた。人や商品を見る者としての自信がある。彼女の、一般的な商人の感覚から言えば、確実に損な買い物だった。
「あんた、商人ギルドの人?まぁオススメはしないよ」
軒先で売られている倍馬の担当者だろうか。黄色のツナギのような制服に、胸元には動物の足跡を模した徽章──騎獣ギルド職員の男が手元の紙を見ながら苦笑する。
「元は野良馬で血統も不明。怪我して動けないところを保護されてて、後ろ脚に傷持ち。重量物や長距離の輸送で使うには不安があるね。白い毛色は珍しいんだけど、買い手が付かないんだよね。馬体のわりによく食べるから維持費も馬鹿にならないし……」
「ふぅん……野良馬ねぇ……」
騎獣ギルド職員の説明を聞き流しながら、ユウトはまたじっくりと白い倍馬を観察する。
がっしりとした体格は腐っても倍馬だが、これでも痩せている方らしい。食わせて身体を戻して使うまでに維持費ばかりかかる。輸送で使うとしても脚に古傷持ちは不安がある。普通なら絶対に買わない商品……まさにゴミ市で投げ売りされるような不良品だ。
しかし、ユウトは真剣な顔で倍馬を見ていた。その目には損得勘定以外の何かがあった。
「なあ、ギルドちゃん」
「アルメリアです」
「俺にはな──」
白い倍馬の身体をポンと優しく叩き、ユウトはニヤリと笑った。
「こいつはまだ走れそうに見える」
その言葉に……なぜだろう。痩せた白い倍馬が少しだけ胸を張ったように見えた。
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