05.ひと目惚れ
「ところでお前はいまだに名を尋ねぬのだな」
父フーゴの指摘にリーウィアはこてんと首を傾げた。
「名とは、辺境伯閣下のお名前のことでしょうか?」
「それしかないだろうに。我々はここまでのあいだ、かのお人のことを子息だの現辺境伯だのとしか口にしていない。意図を持ってそうしたわけだが、敏いお前のことだ、気づいていたのではないか?」
「それをおっしゃるなら、そも辺境伯閣下がそこまで強く私を求められる理由をお尋ねしないほうが不自然ではないですか? 私はただ差し出口を最小に、お父様の説明に耳を傾けていただけです。他意はございません」
「まあいい、そういうことにしておこう」
じっさいのところ、リーウィアは父たちの意図しているところをなんとなく察していた。
自分を取り囲んでいる五人は恐らく探っていたのだろう。
リーウィアが現辺境伯にまつわる情報をどのていど知っているのかを。
「それで? 閣下の名を知っているのか?」
「存じていますよ。イェルド・レウリアーダ様ですよね?」
あっさりと名前を口にすると、なぜか全員が全員、落胆したような空気感を醸し出した。
「やはり知っていたか」
「ご年齢も知っています。確か……私の五つ上だったはずですから今は二十四歳になられているかと」
「どうしてお前がそれほど閣下のことを知っている」
「勇み足ですよ、お父様。逆です。私は閣下についてお名前とご年齢しか知らないのです。お目にかかったこともございませんし、お顔立ちすら存じません。ただ……」
「ただ?」
リーウィアは一瞬迷い、けれど正直に明かすことにした――盛大に困り顔を浮かせて。
「ご家名を聞いたときにふと思い出したのです。もう何年も前のことですけど、ある方面で一時名を馳せたお人の名がイェルド・レウリアーダ様だったなと」
「閣下について他に知っていることは?」
「ですからお名前とご年齢しか存じません。敢えて言うなら王都を舞台に名をお馳せになった当時の噂をちらほらと。本当にこれで打ち止めです」
瞬間、ルーカスとルインヴェルクが「ああ……」と声にならない声を漏らしてがっくりと肩を落とした。
なんだか見ていて可哀想になるくらいしょげている。
彼らの気持ちはわからなくもない。
ルーカスは父親として、ルインヴェルクは師として、イェルドの醜聞をできる限り隠しておきたかったのだろう。
もっとも、たとえ現時点でリーウィアが知らずとも露見するのは時間の問題だったと思う。
けれど今は縁談を申し入れている最中なのだ。
ここでバレようものならイェルドとの顔合わせを待たずに縁談が立ち消えになるやもしれない――そんな風に二人は考えたのではないか。
たぶんこの予想は外れていないと思う。
「どういった噂を聞いたの?」
敢えて軽く触れるに留めた話題を掘り返して来たのはアンネリーエだ。
「所詮は噂に過ぎません。どこかの誰かがやっかみで流したのでしょう。当時から私はまったく信じていませんでしたし、それは今も変わりません。そも御父君の前で披露する内容ではないのです。ご容赦ください」
「本当にそうかしら」
アンネリーエはじっとリーウィアを見つめながら淡々と告げた。
「イェルド・レウリアーダは見目麗しく、剣も魔法も抜群に腕が立つ」
「…………」
「けれど酷く好色で、浮世話は数しれず、暇を見つけては高級娼館に入り浸っている。
これではいくら腕が立つといっても国家の盾たる大家、レウリアーダ辺境伯家が長子として器量を欠くと評価するしかない――という内容なら噂ではなく〝ほぼ〟事実ですよ?」
リーウィアは周囲に眼球を巡らせる。
父フーゴと母カイサは無言で頷き、ルーカスとルインヴェルクは苦々しい顔を浮かせている一方で、いっそ侮辱とも取れるアンネリーエの言葉を否定しなかった。
「そうですか」
じっさいのところリーウィアとてすべてが噂だとは思っていなかった。
いくらか脚色されている部分はあると思う。事実アンネリーエも〝ほぼ事実〟だとしていた。
噂話なんてものは大体がそうで、ましてそれが醜聞ともなれば殊更に面白おかしく囃し立てられるのが常だ。
とはいえ火のない所に煙は立たぬともいう。
それでもリーウィアが躊躇なく噂を全否定したのはひとえにルーカスを思い遣ってのことだ。
息子の醜聞を聞かされる彼の胸中に思いを巡らせると、リーウィアまで苦い気持ちを覚えてしまう。
「困りましたね、どうしましょう」
「……困るだけなの?」
「はい、困っただけです。少なくとも今はまだ」
怪訝な顔をするアンネリーエに、リーウィアはにっこりと微笑みかけた。
「だってイェルド様が好色で、女性にだらしがなくて、娼館に入り浸っていたことには相応のご事情があるのですよね?
もしくは今はもう落ち着いておられるとか。
そうでなければ論功行賞のあれこれがあったにせよ、お父様とお母様、アンネリーエ様が私のところまで縁談を持ってくるはずがありませんもの。
ただでさえ私は傷だらけの身ですのに、醜聞まみれの殿方を充てがうなんて死体蹴りも同然ではないですか」
「ふふ、死体蹴りとはひどい言い草ですね」
「アンネリーエ様は私を蹴飛ばしたりしませんよね?」
「するものですか。優しく抱きしめてあげます」
「良かったです」
続けてリーウィアは渋面を貼り付けてこちらを見つめている二人に目を向けた。
「ルインヴェルク閣下、レウリアーダ閣下。
どうかそのような苦しげなお顔をなさらないでください。私まで悲しくなってしまいます。
もちろん醜聞については事情を詳しくお聞きしないことにはなんとも言いかねるところです。だとしても私は何も解ろうとせず、耳をふさいで否定することはしませんのでご安心くださいますように。
ただもし……そうですね、イェルド様と一緒になるのであれば、籍を入れたのちは女遊びを控えていただけるようお力添えをいただくことになると思います。
私なりに精一杯お尽くしするつもりですけれど、なにぶんこのような酷い体ですから。
イェルド様をお慰めすることは難しいでしょう。
ですがそれでも私は女なのです。瑕疵があるのはこちらなのですから多少のことは目をつむるつもりでいます。けれどそれにもきっと限界があると思うのです。
私にも心があり、妻としての矜持がございます。
ですから女性関係はほどほどに留めていただきたく。その点だけはお含み置きくださいませ。
という次第ですので、ひとまずイェルド様のご事情は後ろに回して話を進めませんか?」
唇を一文字に結んで聞いていた魔導卿ルインヴェルクは喘ぐように天を仰いだ。
「(神はなにゆえこのような善き娘に過酷な試練をお与えになったのか……)」
そう口のなかで唱えたのち、ルインヴェルクはリーウィアと目と目を合わせた。
「リーウィア嬢――いや、リーウィア」
「はい、閣下」
「体の傷痕のことは気にするな。消し切ることは叶わぬが薄くすることはできよう。その手の治療は数え切れぬほど経験があるゆえ確かな見立てと思ってくれて良い」
「そうですか、嬉しゅうございます」
「脚のことも任せておけ。この身に懸けて走れるようになるまで治してやる。……だからそのような悲しい覚悟をしてくれるな。老人の身には堪えるのだ」
「わかりました。申し訳ございませんでした」
「謝るでない、礼で応えよ」
「失礼しま……いえ、ありがとうございます」
「うむ、あとな?」
「はい」
「こんな爺さんに言われても嬉しくなかろうが、そなたは美しいぞ。このような麗しき淑女を前に、昂らぬような情けない男は儂が消し炭にしてやるゆえ、もっと自信を持ちなさい」
「ふふっ、嬉しい言葉をくださいます」
「今後はヨランお祖父様と呼ぶように。儂はそなたが気に入った」
「かしこまりました、ヨランお祖父様」
一方、前辺境伯ルーカスは興奮気味に父フーゴににじり寄っていた。
「ご令嬢を当家にくれ」
「惚れましたか」
「これが惚れずにいられるかっ、なんとしてでも娘にしたいっ」
「やりませぬ」
「ぐっ……やはりイェルドが気に食わないか? ならレオンならどうだっ」
「ご次男殿はすでに結婚されているでしょうに……」
「ならば分家から良き男を見繕って養子にいれる! それならどうだ!?」
食い下がるルーカスを、アンネリーエが細めた目で睨めつけた。
「寝言は寝てから言ってください。リーウィアはわたくしの侍女に召し上げると最初に申し付けたでしょう?」
「あれは私たちへの牽制を兼ねたご冗談だったのでは……?」
「まさか、わたくしは本気ですよ? リーウィアの才は領地貴族家の夫人に収まるものではないのです。将来は王妃となったわたくしの右腕として働いてもらいます」
「いや、しかし――」
「しかしではありません。この子の王立学舎での成績をご存じ? 教えてあげましょう。入学から卒業に至るまで一貫して首席でした。そんな才媛を領地貴族家の嫁に出すなど国家の損失ではないですか。リーウィアは国政に携わらせるべき人材です。結婚したいならわたしが然るべき殿方を見繕います」
「なるほど? 妃殿下のお話を聞いてますます欲しくなりました。必ず当家に迎えます」
「あげませんからね?」
「いいえ、うちが貰います」
リーウィアを巡ってやり合う二人。
「うちはやらぬと言っているのになにを争っておいでなのか……なあ?」
「ふふ、ですね」
呆れ顔な父に、困り顔で応じる母。
そして自分を巡る争いを目を糸のようにして見守る娘。
三人は阿吽の呼吸で目配せし合うと小さく笑った。
リーウィアはそろそろ頃合いかと思い、ずっと後回しにしてきた最大の謎を解き明かすことにした。
「お父様」
「うん?」
「今回のイェルド様のなさりようはいささか度を逸しているように思えてなりません」
その一言を契機に一同の視線がリーウィアに集まった。
「私はイェルド様と一面識もございませんし、お顔も知らず、お姿を見かけたこともありません。
もしかすると向こうは私をご存知なのかもしれませんが、互いに面識がないことは確かです。私にお会いした記憶が無いのですからイェルド様にもあるはずがありません。
にもかかわらず、イェルド様がこれほどまでに私に執心するのはどうしてですか?」
父フーゴが示した答えはリーウィアの想定から大きく外れていた。
それだけに――、
「一目惚れしたのだそうだ」
「ひとめぼれ……?」
リーウィアは淑女らしからぬとぼけた声を上げるしかなかった。
「そう、一目惚れだ。男女のことなのだからそういうこともあるだろう?」
「いえ、それは……あるのでしょうけど話したことすらないのですよ?」
「気持ちはわかるがもう少し聞いてくれ」
想定外はまだ続く。
「イェルド殿がお前に惚れたのは二年も前のことだ」
「どういうことですか……?」
リーウィアは今度こそ困惑と驚きに呆然となった。
「どこかの晩餐会でお前を見初めたらしい。
それがどこであるかは私も把握していない。わかったところで二年も前のことだ、お前も覚えていないだろう。
とにかくその晩餐会とやらでイェルド殿はお前を見かけた。
偶然チラリと目に映った程度だったらしいが衝撃を受けたそうだ。
これほど麗しい女性がこの世にいるのかと、心臓が潰れるかと思うほど高鳴ったとおっしゃっていた」
そんな訳のわからない話を聞きながら、リーウィアはじっと父フーゴを見つめていた。
否、いっそ目で舐めるように父親を含め、周囲の動向をつぶさに観察していた。
というのも、
(……見えてきたかも)
そも、リーウィアは父フーゴが説明を始めたそのときからこの会談に違和感を覚えていたのだ。




