表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傷物才媛リーウィア、断れない政略結婚の裏をすべて見抜く  作者: 黒依クロ
第五章 忍び寄る地獄の足音

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/50

42.ディートリヒ編(下)

 そうしてディートリヒはリーウィアと再会を果たすことになったわけだが。


「……臆面もなく、よく当家の門をくぐれたものだ。ほら、つらは見てやったぞ。さあ帰れ」


 対面の場に設けられた応接室。

 ディートリヒが席に着くや否や、イェルドが魔力を揺らめかせながら眼光鋭く招かざる客を睨みつけた。

 それをとりなすのは言うまでもなくリーウィアである。


「あなた」


 リーウィアは夫の袖を軽く引き、困ったような微笑を向ける。

 イェルドはいかにも不承不承といった様子で小さく舌を打って引き下がった。


「感謝する、夫人」


 基本傲岸な性格のディートリヒだ。

 以前に一度ぼろ布のようにされた相手だとはいえ、この程度の嫌味や威圧などで怯むようなやわな精神など持ち合わせていない。

 一応これでも誠実に謝罪しようという気概で訪ねているのだ。

 リーウィアの魔力特性まで踏まえれば、イェルドが面会を許してくれただけでも奇跡だとさえ思っていた。


「さっそくだが、まずはレウリアーダ夫人と貴家に対し、結婚式の折に私が働いた無礼と無体について謝罪をさせていただきたい」


 ディートリヒは神妙な面持ちでそう言うと、足元から一つの木箱を持ち上げた。

 大の男が両腕で抱え上げるほどの木箱、いや、鉄帯で補強されたそれはもはや樽と呼ぶべき代物だった。

 ディートリヒはそれを難なく持ち上げると、高級な黒檀で作られた美麗なテーブルに乗せた。


「あ……」


 そのか細い声は誰のものだったのか。

 樽のような木箱が乗った瞬間、テーブルはみしみしと悲鳴のような軋み音を立て、あっという間に脚がへし折れて天板ごと床へ崩れ落ちていた。


 イェルドが瞬時に障壁を張っており、サシャが咄嗟に身を挺してリーウィアを護っていた。

 そしてリーウィアは口をあんぐりと開けて倒壊したテーブルを見つめていた。


「…………」

「こ、こちらは我がロッシュフィルト家からの謝罪金です。どうか私からの誠意の一つだと思――」


 ディートリヒが若干どもりながら言いかけたその刹那――空気を切り裂く炸裂音が轟いた。


「ぶほあッ……!」


 イェルドの拳が顔面に吸い寄せられるように叩き込まれ、ディートリヒはその苛烈な勢いのままソファごと後方に吹き飛んだ。

 まともな人間なら首から上が消し飛んでいそうな一撃だったが、ディートリヒは魔種ゆえか異常な耐久力で以って即座に体を起こした。


「いきなりなにをする! 痛いではないか!」


 ほっぺをさすさすしながら抗議するディートリヒ。

 鼻血を拭いながら難なく立ち上がったその顔には怒りよりも強い困惑が浮かんでいた。


「……テーブルが壊れただろうが、このクソ迷惑なお坊ちゃまが。人の家に来て最初にする仕事が家具の破壊か!?」

「そこは悪いとは思っているが不可抗力だ! 私はただ謝罪金を受け取ってもらいたくてだな……!」

「あははっ」


 生粋の貴族令嬢として育ったリーウィアが声を上げて笑うことは稀だ。

 それだけに振り返ったイェルドは驚きに目を見張り、また釈明していたディートリヒは声を上げて笑うその愛らしい姿に見惚れてしまった。


 リーウィアは立ち上がり、ディートリヒの元へ向かう。

 その途中で「大丈夫ですから」と夫の肩に触れ、呆けているディートリヒにハンカチを差し出した。


「主人がごめんなさい。お怪我は大事ございませんか?」

「ええ……このくらいかすり傷です。ありがとう、夫人」


 殴られた腫れか、あるいは別の気恥ずかしさからか、顔を赤くしているディートリヒは理性的に答えてハンカチを受け取った。

 リーウィアはイェルドとサシャ、マヤたちに向けて振り返る。


「ご覧のとおり私がこれだけ近づいても大丈夫そうです。公子はきっと、あの日のような無体はなさらないでしょう。信じてあげませんか?」


 自然と全員の視線がイェルドに集まった。

 やがてイェルドは深々と溜息をつき、樽みたいな木箱を開いて中を覗き込んだ。


「お前は馬鹿なのか? こんな大量の金貨を持ち込むな。こういうのは現物じゃなくて手形で持ってくるのが常識だろうに……」

「私は世間知らずのお坊ちゃまなのだ」


 ディートリヒは敢えておのれを無知であるとして開き直った。

 手形を用いることが常識であることなど、イェルドに指摘されるまでもなく知っている。

 だがこの大量の金貨は実家から盗み出してきた物なのだ。

 ギルドや商会を通じて手形を発行してもらうと、そこから足がつく恐れがある。

 そもそもディートリヒ自身が出奔も同然な状態なのだ。なにせ国王の蟄居謹慎の命に背いてまでレウリアーダを訪れている。きっと今頃は手配書が回っているに違いないが、そんなことは知ったことではない。

 ともあれ、そういう次第で馬鹿みたいな量の現物を持ち込まざるを得なかったのだ。


「私は今回謝罪に赴いた。それは紛うことなき本心だ。だがそれとは別に、ディートリヒというただ一人の男として夫人にお願いしたいことがあって貴家にまかり越したのだ。

 しかしそれも、まずは夫たる辺境伯の了承を得ることが道理である。そこを私はわきまえているつもりだ」


 ディートリヒはイェルドに向かって片膝をついて最上級の礼を取った。


「だから辺境伯、私の話を聞いてもらいたい。このとおりだ」

「…………」


 イェルドは目を細めてディートリヒを見つめ、リーウィアに問うどころか視線すら送らなかった。


「妻に決して無体を働かない。ロッシュフィルトの家名に誓えるか?」

「さきほど言ったように、これは私の個人的な願いだ」

「ならば貴様の名でも良い、誓え。違えたときは今度こそ私が処す」

「誓う。違えたときは甘んじて我が身を委ねよう」

「わかった。話だけは聞いてやる。……が、その前にテーブルの片付けだ。これでは茶を出してやることもできないからな」

「感謝する」


 それから片付けを終え、ディートリヒの願いとやらを聞いてやることになった。

 もちろんイェルドが事前に釘を刺したように、話を聞きはしても願いを叶えてやるかどうかは別の話だ。


「なるほど? つまり公子もリーウィアのような妻を娶りたいと」

「私は……辺境伯が羨ましくて堪らないのだっ……」

「……ふは」


 血涙でも流しそうな勢いのディートリヒを見て、イェルドは魔種として、また一人の男としても、この上ないほどの下劣な優越感を覚えた。

 彼はすでに「羨ましい」と言っている。だがそこを敢えて「なあ、リーウィアを隣に座らせている私を見て、どんな気持ちだ? 言ってみろ? ん?」とでも煽り倒してやりたくなった。

 何度だって「羨ましい」と言わせてやりたい。だって聞くたびに愉快に浸れるから。


 そんな夫の胸中を察して、リーウィアは呆れ顔を浮かせながらマヤに声をかけた。


「リグ様とクロエ様を呼んできてもらえる?」

「かしこまりました」


 顔にかすかな困惑を浮かせたディートリヒに、リーウィアが言う。


「公子のお話に出てきた女性ですけど、今もこの屋敷に逗留されているのですよ」

「……まことですか?」

「クロエ様と申されます。ヴェステリア公国の特使リグ・ラングレン卿のご夫人です」


 正確には現在のリグの名はリグ・レウリアーダ・ラングレンとなっている。

 が、今この場で養子縁組の話までする必要はないだろうというリーウィアの判断だ。


 そのリーウィアにイェルドが短く尋ねた。


「いいのか?」

「いけませんか? 私の気持ちはあなたもリグ様もご承知ですし、お二人とも応援すると言ってくださいましたよね?」

「まあ、そうだが」


 リーウィアの言う私の気持ちとは、ヴェステリア公王への私信に書いた、まさにディートリヒのような魔種に手を差し伸べてあげたいという思いのことだ。

 この思いはイェルドはもちろんのこと、国元でリーウィアの私信を読んでいたリグを通じて、クロエもすでに承知していることだった。


 そう時を置かずリグとクロエが応接室に入ってきた。

 ディートリヒへの紹介をリーウィアに任せたイェルドは、義弟となったリグに手招きしてささやきかけた。


「(こいつ、よく当家につらを出せたと思うだろう?)」

「(一応マヤさんから簡単に話は聞きましたけど、根性ありますねえ)」

「(リーウィアやクロエ殿のような女性を探して妻に迎えたいのだそうだ)」

「(ほうほう、俺たちのような勝ち組の魔種の仲間入りがしたいと)」

「(私のことをな、羨ましくも悔しげな、じつに良い顔で見てくるんだ。一緒に楽しもう。気持ちいいぞ)」

「(悪い義兄だなあ)」


 下衆なことを語り合う同い年の義兄弟は、書類上とはいえ兄弟となったことでかなり打ち解けていた。

 なお、リグの恨みはいまだ消えていないことは秘密だ。


 紹介を終えたのち、多少の話し合いを経たところでディートリヒがイェルドに切り出した。


「私はなんとしても辺境伯やラングレン卿のように運命の人と巡り合いたい。そのためには両夫人に協力してもらい、似た魔力特性を持つ女性を探す手掛かりを得たいのだ。許可をいただけないだろうか」

「まあ、私もリグも魔種だ。もっともリグはクロエ殿と幼馴染であったし、そう苦労はしなかったかもしれないが……」


 そこでイェルドは言葉を切って、チラリと横目に妻を見た。


「私などは四肢をもがれるような思いをしながら一度はリーウィアを諦めたこともあった。公子が覚えているであろう渇望は他の誰よりも理解できるつもりだ」

「ではっ……!」

「だがこの場で軽々に返答はできない。当たり前のことだが、リーウィアもクロエ殿もすべきことがある」

「そこは私も承知している。結果的に無償の善意に縋る形になるかもしれないが、協力してもらう対価は別で用意するつもりだ。私の事情を優先してもらおうなどと厚顔なことも考えていない。手空きの時間を少し割いてもらえばいいんだ」

「二人からの聞き取りだけで済ますことはできないのか?」

「聞いた限りだと夫人たちの血筋や出身地に魔力との関連性は見つからなかった。やはりお二方の魔力そのものを調べる必要があると思うのだ」

「そうは言うが、どういう手段を用いて魔力を調べるのか、その具体的な方法さえ思いついていないのだろう?」

「それはっ、そうだが……」

「とにかくだ。今この場で結論を出すことはできない。最低でも公子はどうやって魔力を解明するのか、その手段くらいは考えてくれ。でないとこちらも応とも否とも言いかねる」

「……わかった。辺境伯の弁は道理だと思う」


 意気消沈したディートリヒの姿が哀れを誘う。

 だからではないが、イェルドは慰めの言葉をかけた。


「そう肩を落とすな。誤解しているかもしれないが、私も立場があるゆえに軽々なことが言えないだけだ。公子に協力してやりたい気持ちは間違いなく持っている」

「辺境伯……」

「それにな、公子のような魔種に手を差し伸べることはリーウィアの願いなんだ。悪いようにはせんよ」


 瞳にささやかな希望を灯したディートリヒの目がリーウィアに向いた。


「結論から言えば、私やクロエ様のような特性を持つ女性は、世の中にそれなりの人数がいらっしゃると思いますよ」

「……そうか?」

「はい」


 リーウィアは確信を覚えているようにすんなりと頷いて、ディートリヒの前で指を折っていった。


「私が知る限り、私、クロエ様、そして残念ながらすでに身罷られておりますが魔導卿閣下の夫人テレシア様、三人の存在が確認されています。私たちと同質の特性を持つ女性、あるいは男性も含めて、相当数が世に存在しないと考える方が不自然です。違いますか?」

「ああ……ああっ、そうだなっ」


 簡単に意気を取り戻したディートリヒに、リーウィアは薄く微笑みかける。


「私はかねてより公子のような方のお力になりたいと思っていました。

 今はまだほとんど手を付けられていませんが、公子が言うところの『運命の人』を見つけ出す手段を、確かな根拠を元に確立していこうと考えていたのです。

 根拠となる要素の一つは、公子がお考えのように魔力そのものにあるのでしょう。

 魔力自体に学術的に説明がつく何らかの要因があることは間違いありません。

 そうでなければ説明がつかないことが多すぎますから。

 ただ、公子の目的は『運命の人』を見つけ出すことですよね? でしたら別に魔力の解明だけに頼ることはないと思うのです」


 突然すらすらと語り始めたリーウィアに、ディートリヒが瞼をぱちぱちと瞬かせた。

 単にリーウィアの語りっぷりに驚いているのか、それとも話の展開する速度に頭がついてこないのか。


「魔力の解明に頼らないとは、例えばどういう……?」

「効率化です」

「効率化?」

「運命の人を見つけるという目的を達成することが、公子にとって最も優先されるべきことですよね?」

「ああ」

「であるなら、いかに短時間で、そして投じる労力を減らして特定の条件を満たす女性を見つけ出すか。この方向性で効率化を図ることも目的を達成する有効な手段の一つです。具体的には社会学や統計学の知見を用いて――」


 そこでイェルドが苦笑しながら横槍を入れた。


「リーウィア、話が本筋から外れている」

「あ、ごめんなさい。つい……」


 かたやディートリヒは「え? そこで止めるの?」とでも言いたげな目でイェルドを見つめていた。

 その訴えるような眼差しを無視してイェルドがあとを継いだ。


「見てのとおりでリーウィアは公子の目的を叶えてやりたいと思っている。今回のことがなくても妻は独力で手段を確立しようとしていたはずだ。その点を踏まえてだ。私はこの場で結論することは難しいと言っている。そこは理解してくれるか?」

「ああ、無茶を言っている自覚くらいは持っている」

「ならいい。この件は少し時間を置いて改めて話し合おう。公子はこちらに求める内容をもう少し具体的に煮詰めてくれ。リーウィアとクロエ殿は予定を確認して、どの程度の時間を、どういう内容なら公子に協力できるか検討してもらいたい」

「はい」

「かしこまりました」


 最後にイェルドは今一度公子に目を向けた。


「公子さえ良ければ暫くのあいだ客人扱いで当家に滞在してもらっても構わない」

「良いのか……?」

「別に無理にとは言わんし、こちらも頼んでいるわけじゃない。善意から申し出ているだけだ。嫌なら大使館にでも帰れ」

「いやっ、世話になる」

「……言っておくが、どこかの誰か(エリアス)のように居着くなよ? 少しのあいだだけだ」

「うむ、よくよくわきまえよう。感謝する」

「じゃあこの場はお開きにさせてくれ。仕事が押しているんだ。マヤ、すまないが公子を別館に案内してやってくれないか」

「お任せを。公子様、ご案内いたします」

「頼む。それでは辺境伯、レウリアーダ夫人、ラングレン卿、ラングレン夫人、失礼する」

「待て」

「うん?」

「一旦その金貨は持っていけ。あとで人をやるから公子が立ち会いのもとで金額を数えてくれ。そのうえで当家から預り証を発行する」

「いや、これは謝罪金なのだが……?」

「まだ謝罪を受け入れたわけじゃない。その件も含めて後日改めて話し合おう」

「む……」

「この場での問答は無用。持っていってくれ」

「承知した」


 ディートリヒが樽みたいな木箱を抱えて応接室を出ていった。

 部屋に残るのは五人。イェルド、リーウィア、リグ、クロエ、そしてサシャだ。


「所詮公爵家のお坊ちゃまですね。綺麗に騙されちゃって」


 呆れ気味にディートリヒを切り捨てたのはサシャである。


「世間知らずにもほどがあるだろ。なんだあの馬鹿は?」

「田舎者の俺であってもさすがに今のは気づきますけど。よほど甘やかされて育てられたのでしょうね」


 イェルドがわけがわからないとばかりに首を捻り、リグが同情を込めた苦笑を浮かせた。


「えっと……?」


 一人だけ話が見えていないクロエがこてんと首を傾げてリーウィアを見た。


「クロエ様がわからないのは無理ないですよ。最初からこの場にいたわけではないのですから」

「そうですか?」

「はい。つまりですね、公子は客人として迎えられたと思い込んでいますけど、その実態は旦那様の手によって逃げられないよう軟禁状態に置かれてしまったのです」

「まあ……」


 リグが内心「まあ?」と、そんな驚き方をかつてしたことがなかった妻の変貌ぶりに軽く衝撃を受けていた。

 そのリグが妻に助け舟を出した。


「簡単な話だ。あの公子はグランフェルトとイグサーマクのあいだで外交摩擦を引き起こした張本人だ。これはわかるよな?」

「うん」


「そんな奴がだぞ? 揉めている相手国、しかも問題を起こしたレウリアーダ家に単身で謝罪をしに来るなんてあり得ないことなんだよ。

 駐在大使を伴って来ることが最低限。専任特使とともにというのが妥当なところだな。

 そもそも公式の謝罪であるならグランフェルト政府から事前の通達がないのはおかしいんだ。

 グランフェルト政府を代表して――たとえば外務卿あたりが立ち会うくらいはしないと、政府間で協議した意味がない」


「なるほどー」

「今回の訪問は公子の独断である可能性が極めて高いのです」


 リーウィアが結論を口にした。


 レウリアーダ側としては突っ込みどころがいくらでもあった。

 たとえば謝罪金を持ってきたことに対して、


『金額は?』


 一言そう尋ねたら公子はどう答えただろう。

 あの様子だと、ディートリヒは自分が何枚の金貨を持参したのかさえ把握していなかったに違いない。


『受領書を出せ』


 そう促したら公子はどうしただろうか。

 ディートリヒ曰く「ロッシュフィルト家からの謝罪金」なのだから、ロッシュフィルト家は金額を明記した受領書をレウリアーダから受け取るのが道理だ。きっと公子はそんな物を用意していなかっただろうが。


『お前ひとりの、しかも口頭での謝罪など受け入れられるか。イグサーマク政府が発行した謝罪の公文書を出せ』


 これもまた同じことだ。ディートリヒがそんなものを用意しているはずがないのだ。

 他にも「大使を連れてこい」「こちらの政府に問い合わせる」など、どれを突きつけようとあの公子がまともに対応できたとは思えない。


「浅慮軽率という意味では、結婚式のときとなにも変わっていないな」

「でしょうけれど、あのときと違って悪意はないようです。私はその点を素直に評価してあげたいですけどね」


 呆れるイェルドを、リーウィアが小さく笑いながらとりなした。


「お優しいことで」

「人の性根など、そう簡単に変わるものではありませんから」

「あの公子殿はそう言う君の一つ年下で、スヴェンの一つ年上なんだぞ。スヴェンのほうがずっと大人だ」

「ともあれ政府に通報――もとい、報告を」


 リーウィアはなんら躊躇うことなくディートリヒを切り捨てにかかった。


 当然だ。現在グランフェルトとイグサーマクで外交交渉の真っ最中なのだ。

 そんな状況下で政府に報告しないでいると、リーウィアはあとできっと偉い人たちに叱られてしまう。

 リーウィアはビビリなので、いつ何時も全力で保身を図っていく所存である。


 ディートリヒに協力するのはやぶさかではない。いくらか同情もしている。

 しかしそれは、彼自身がみそぎを終えて綺麗な身上になってからの話だ。叱られる要素が少しでもあるなら、リーウィアにとっては排除すべき対象でしかないのだ。


「君から妃殿下にお知らせしてくれ」

「…………」


 流れるように紡がれた夫の言葉を受け、リーウィアの表情が立ちどころに消え失せた。


「どうして私からアンネリーエ様に報告を? 問題の質を鑑みると、辺境伯であるあなたからユークリウス様か外務卿あたりにお知らせするのが自然ではありませんか?」

「無駄な手間を省くためだ」

「無駄な手間とは」

「披露宴のときのことを思い出せ。あの状況下で王太子殿下はアンネリーエ殿下を見捨てたんだぞ」

「…………」


 リーウィアは不覚にも「確かに」なんて思ってしまった。

 あのときユークリウスはどういう名分を盾にして招待客の前に立つことから逃亡したのか。


「殿下は『リーウィア担当』という理由を持ち出してお逃げになった。なら今回のことはどうだ? 公子殿は君を目的にしてレウリアーダを訪れている。王太子殿下であれ、外務卿であれ、妃殿下に押し付けるのは自明だ。つまりリーウィアから妃殿下にお知らせすることが最も自然なんだ。異論があるなら承る」

「もっともらしいことをおっしゃっていますけど、私に押し付けるおつもりですね?」

「…………」


 威勢のよいことを言っていたわりに、イェルドは逃げるように目を逸らした。


「なぜ目をお逸らしになるのです。異論は承ってくださるのですよね?」


 追い詰めていく妻であったが、夫も負けてはいなかった。


「今から予言しておく。君は近々また例のごとく妃殿下から呼び出しを食らうだろう」

「くっ……」

「たとえ私から報告を上げようと、その未来はきっと避けようがない。リーウィアはそう思わないか?」

「悔しくございますけど、思ってしまっています……」

「意見の一致が見られてなによりだ。ではリーウィアから報告してもらうということで」

「もうっ、ちゃんとお仕事をしてくださいっ」

「しているさ。ただ公子の件は君の仕事だというだけの話だろう?」

「むぅ……」


 いつも負け続けているイェルドが、リーウィアから勝ち星をもぎ取った貴重な瞬間であった。



 ◆◇◆



 リーウィアがアンネリーエに報告の文をしたためた翌日に、王宮から返書が届けられた。

 かなり素早い反応ではある。

 だが内容が内容だけに、イェルドもリーウィアも驚きはしなかった。


「…………」

「…………」


 それでも夫婦が渋い顔を浮かせて返書を見つめているのは、そこに綴られている内容がまったくの想定外だったからだ。

 差出人からしてすでにアンネリーエではなかった。


「妃殿下が病にせっておいでとは、心配だな……」

「はい……」


 代理として返書を書いてくれたユークリウスによると、アンネリーエは昨日、急に倒れて現在は病床にあるとのことだ。

 公子の件は承知したとはあるが、


「公子はただ留め置けとだけ」

「そうか」


 二人はそのごく短い掛け合いだけでディートリヒの話題を打ち切った。

 ユークリウスの考えは大枠で推察できている。

 そも王太子が留め置けと言うなら臣たるレウリアーダは御意に沿うまでのことだ。


 それよりもアンネリーエのことだ。

 彼女は高熱に朦朧もうろうとしながらうわ言のように繰り返しリーウィアの名を口にしているという。

 ユークリウスも酷く胸を潰しているようで「一度見舞いに来てやってもらえないだろうか」と書かれてあった。


「行くよな?」

「もちろんです」

「私も行こう。妃殿下は言うなれば私たちにとって仲人にあたる御方だ。ここで行かねば不実だろう」

「いけません」

「どうして」

「後宮だからです。男性である旦那様はそもそも立ち入ることすら許されませんよ?」

「ああ……そうだった。あまりに縁遠い場所だからすっかり忘れていたよ」

「ひとまず旦那様はユークリウス様にお見舞いの文を書いてください」

「見舞いの品は?」

「そちらはアンネリーエ様が快方に向かわれてからの方がよろしいかと。今贈られても周囲の皆様も良い気はしないでしょうし」

「わかった。すぐに文を書こう」


 夫婦がそれぞれ動き出す。

 イェルドはペンを取り、リーウィアは王宮へ上がるため着替えに向かったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ