36.そして地獄へ
リーウィアはイェルドと一緒に王太子夫婦のもとを訪ね、自身の考えを懇切丁寧に説明した。
今回の件に始末をつけるにあたり王室の力添えを賜りたい。
そのための説明ではあるが、これは王室にとっても利があることだ。
リーウィアは当然に、ユークリウスとアンネリーエが二つ返事で応じてくれると思っていた。
だが、
「……今度はなにを企んでいるのです」
アンネリーエは人間不信ならぬ「リーウィア不信」に陥っていた。
「…………」
「…………」
警戒心ありありにじと目を向けるアンネリーエ。
その視線をおすまし顔で受け止めるリーウィア。
「あなたはしばしば自分のことを『学習できる子』なんて言いますけれど、わたくしとて学習するのです。今回もあなたはきっとやらかします」
この子は悪意なき悪魔なのだ。
アンネリーエを虐めることに心血を注ぐ善人なのである。
「お気持ちはわかります。ですがアンネリーエ様。これまでのことはすべて……」
「結果論なのでしょう!? それが嫌なのです! もう聞きたくありませんっ!」
アンネリーエは造りの良い扇子を地べたに叩きつけた。
これにはさしものリーウィアもムッとして切り返す。
「お言葉を返しますけどっ、私がやらかす根拠がおありなのですか? 考えはすでにお話しましたよね?」
「勘ですっ」
「ほらやっぱり! ただの言いがかりじゃないですかっ!」
「言いがかり! あなたは翼竜のときもそう言いましたけど、じっさいにはやらかしていたではないですか!」
「それと今回のことは別です!」
「どう違うというのです!」
「あれはアンネリーエチャレンジでした!」
「その名前も聞きたくありませんっ……!」
「ご自分のお名前でしょうに!」
「王太子妃たるわたくしの名前で遊ぶんじゃありませんっ! 不敬ですよっ!」
なんだか知らないうちに口喧嘩を始めてしまった嫁に困惑しつつ、イェルドはユークリウスにささやきかけた。
イェルドはイェルドで、やらかしてしまった自覚を持っていた。
「あの、殿下……シュミット卿をあれしてしまったことなのですが……」
イェルドも若いとはいえ、周囲が認めるくらいに中身はできた当主だ。
だったらどうして他国の要人を、しかも弁明している人を問答無用で殴るんだという話だが、あのときはリーウィアに「凌辱される」とか言われて気が立っていたのだ。
だが、ぷすぷすと白いものを上げて倒れているエリアスを見てようやく我に返った。
「ああ、しっかり見させてもらったよ。小魔導卿を圧倒するとはさすがだな」
「いえ、そんなことよりもノルデンガルとの……その、友好関係にですね……?」
イェルドは「かなりまずいことをやらかしたのでは……?」と焦っていた。
「辺境伯の心配は杞憂だ」
「…………」
端的に答えてくれた王太子にイェルドは訝しげな目を向けた。「本当かよ……」といった内心が透けて見える目である。
不敬かつ疑り深い男だった。
「もちろん命は当然として、大怪我でも負わせようものなら両国関係に少なくない影響を及ぼすだろうが。そのあたりは大丈夫なのだろう?」
「はい、多少焦げてはいますが大事ありません」
「……人間が焦げているのは結構な大事ではないのか?」
「かすり傷の範囲です」
「……まあいい。貴公がそう言うならそうなのだろう」
王子様には武人の、それも大魔導師の感覚が理解できなかった。
「じつはシュミット卿が割って入る前にこちらにいらしてな」
――これは私の個人的な事情による行動です。どのような事になろうと政治問題化されぬようお願いいたします。
「そう言付けたうえであの場に臨んだのだ」
「そうでしたか」
イェルドとリーウィアは思った。
(そこまで根回ししてからサシャに良いところを見せに行ったのか。こちらとしては有り難いが……)
(一人の女性としては「ただ心配で見ていられなかった」と、そういう衝動的な行動であってほしかったわ……)
なんだかスッキリしない気持ちになる新婚夫婦だった。
かたやユークリウスは打ち捨てられた扇子を拾ってやり、柔らかな微笑みを添えてアンネリーエに握らせてやった。
「じゃあ、行っておいで」
「――――」
アンネリーエは切れ長の目をあらんばかりに見開いた。
「わたくしに一人で行けと……? ユークリウス様は一緒に来てくださらないのですか……?」
「私は……あれだ、捕らえた愚者どもを引き受けてやらないといけないからな。そうだろう? 辺境伯」
「ええ、あんな者たちでも一国の使節ですから。王室で引き取ってくださるなら助かりますが……」
「そんなことは近衛に任せれば良いではありませんか!」
「他国の要人なんだ。向こうに非があるからといって、こちらまで非礼を働くわけにはいかない。むしろこの局面で礼を尽くしてこそ、のちの交渉にも資するというものだ」
「わたくしたちは夫婦ではありませんか……」
「愛しているよ、アンネリーエ。だけど家族会議で決めたじゃないか。リーウィアの担当は君だ」
「な……」
家族会議に担当という言葉が、リーウィアには聞き捨てならなかった。
「……畏れながら私はいったい王室のなかでどういう扱いをされているのですか?」
「それは――」
実態として、リーウィアは王室のみならず政府のなかでも様々な呼び方をされている。
イェルドとの縁談が整った直後、即ちリーウィアの魔力特性が明らかになったとき、とある大臣がこんなことを口にした。
『テレシア夫人の喪失という大凶事から僅か一年あまり。代替わりするかのように「グランフェルトの真なる大盾」が再来するとは。これもすべて国王陛下の御威徳によるものでしょう』
当時はその弁に誰もが共感した。
しかしすぐに様々な言葉が生み出されることになる。
グランフェルトの真なる大盾(かつてテレシアがそう呼ばれていた)
どエロな魔力令嬢
対魔種決戦兵器
レウリアーダの聖女
太陽生成術式の開発者
生体兵器を金稼ぎに転用する方法(著:リーウィア・マイエル)
鮭ドラ名誉観光奨励大臣
善良なる魔王
妃殿下の忠実なる臣下にして仇敵
主君を刺す懐刀
リーウィアが動いたぞ、被害に備えよ(格言)
(最近だと軍務卿が考えた「基本厄災、まれに天恵」が大ウケだったな。そんなこと言えるわけがないけど)
最新のそれは翼竜事件を受けてのことだ。リーウィアのやらかしが王国に利益をもたらしてくれた初の事例である。
もちろんイェルドを制御してくれているだけで、王国は多くの恩恵を受けているわけだが。
ユークリウスの一押しは法務卿が披露した「生体兵器を金稼ぎに転用する方法」だ。
(リーウィアの著作とすることで短い言葉に物語性を持たせた点が素晴らしかった)
法務卿が「法の隙間を見事に突かれたリーウィア嬢の悪知恵に敬意を表して」とか言うものだから、ユークリウスも大臣たちも皆で腹を抱えて笑ったものだ。
内務卿だけが「笑い事ではないわっ」とキレていた。
彼はアンネリーエとともにあの石材事件の始末をさせられた被害者の一人だ。怒って当然だろう。
ともあれ、リーウィアの異名付けが王室と政府のなかで言葉遊び化しているなんて本人に言えるはずがない。
だからユークリウスは、非の打ち所がない完璧な王子の笑みを貼り付けて答えた。
「それはもう、忠誠心の厚い臣下の一人だと思っているさ。ただリーウィアの場合はその忠節がアンネリーエに寄りすぎているから。彼女が名乗り出たことで『ならアンネリーエの担当で』となったわけだ」
「……そうでしたか」
リーウィアは額面通りに受け取らなかったが、さりとて追及する材料も意味もないことから大人しく引き下がることにした。
重要なのは王太子夫婦――即ち国に始末を丸投げすることだ。
こちらとしてはアンネリーエだけでもなんら問題はない。
「それでは参りましょう。アンネリーエ様」
「嫌な予感がするの……」
やだやだと首を振るアンネリーエは半泣きだった。
しかしリーウィアは彼女のヘタれた顔も大好きだった。
「気の所為ですよ。アンネリーエ様はただその場に立っていてくださるだけで良いのです。あとは万事こちらにお任せください」
「任せたくないっ……。だってあなたに任せたらやらかすもの……」
「ささ、こちらへ。王太子妃のお務めをしに参りましょうね」
リーウィアはこれ以上の問答は無用と、アンネリーエの腰に手を回した。
拉致まがいに連れて行かれながらアンネリーエは縋るように夫を振り返った。が、
「いってらっしゃい」
「もう離婚です! ユークリウス様なんてきらい!」
悪態をつきながら連行されていくアンネリーエ。
ユークリウスは堪らず吹き出すと、その場に取り残されたイェルドに向けて苦笑を浮かせた。
「随分と驚いているようだが?」
「いえ、話には何度も聞いていたのですが、あそこまで仲睦まじいとは……」
「夫すら置き去りにするくらいだからな」
「まったくです。今日の今日、結婚したばかりだというのに。今から先が思いやられます」
「別に二人が一緒にいるのを初めて見たわけではないのだろう?」
「確かに初めてではありませんが見合いの日以来、式に続いてこれがまだ三度目ですから」
「妬けるよなあ」
「本当に」
イェルドは写し鏡のように苦笑を浮かせ、ユークリウスに一礼した。
「では」
「ああ、行ってこい」
最後に微笑を交換して、イェルドはリーウィアのあとを追ったのだった。
◆◇◆
披露宴会場は一時の混乱ぶりを思えば、かなり落ち着きを取り戻しつつあった。
だが起こった事が事だけに、招待客の口は忙しなく動き続けている。
生憎のところ会話の内容は、距離が離れていることからリーウィアの耳には届いてこない。
しかし彼らの内心がじつに様々であることは容易く想像できた。
驚き、蔑み、怒りに好奇心。挙げればきりがない。
イェルドとリーウィア、そしてレウリアーダ家にとって慶事となるはずだったこの結婚式は、明日から長らく彼らの話の種にされてしまうだろう。
それも世界的にだ。
面白おかしく、また、あることないことをささやかれるのは不快だ。
だがこの騒動を受け、彼らがイェルドとレウリアーダ辺境伯家を記憶から消すことは無くなった。
名を知らしめ、容易に手出し出来ぬ家だと思わせられたなら。それは政治的に大きな意味があることだ。
(だからこそ、ここでもう一手)
王室に始末を押し付けるのはいい。
しかし決して望んではいなかったけれど、結果として自分の結婚式を台無しにしてまで得た盤面だ。
(名声を高めて武威を示し、そして責任を回避するだけで終わるのは業腹だわ)
ゆえにリーウィアは最後にもう一手だけ打つことにした。
すでに脚本はイェルドに託してある。
妻たる者は前に出すぎてはいけない。
リーウィア自身もみずからを貞淑な妻であると自認しているし、そう在りたいとも願っていた。
だから、
「私たちの結婚を祝いに来てくださった皆様にお話したいことがある!」
リーウィアの出番はもう少しさきだ。
甘き夫は新妻が転んでしまわないよう丁寧に絨毯を敷いてくれるに違いない。
「まずは主宰として皆様に詫びたい」
拡声魔法によって増幅されたイェルドの声が広大な庭園に響き渡る。
自然、忙しなく動き続けていた何百人もの招待客の口がピタリと止まり、全視線が新郎新婦の元へと釘付けにされた。
「当家の企図したことでないとはいえ、皆様の身を危険にさらしてしまったことを誠に心苦しく思っている」
イェルドはリーウィアから託された脚本を脳内で反芻しながら言葉を紡ぐ。
「ただ、一部のお客様のなかには、いまだ事態を把握できていない方々もいらっしゃるだろう」
仮に題するなら『魔種たちの暴挙』とでもなろうか。その演目はすでに終了している。
だがこの舞台を観覧していた者は全体の一部に過ぎない。
成り行きの詳細まで把握できている者ともなればさらに少数となるだろう。
「主宰である私は事の次第を皆様へ詳らかにする説明責任があると考える。此度の騒動が当家だけで収まる話ではないからだ」
しかし舞台を見逃した者たちへも物語のあらすじくらいなら聞かせてやることができるはずだ。
そしてこの演目の内容は勧善懲悪の物語である。
脚本は実話を元にリーウィアが書いた。
ディートリヒを始めとする役者が一部不在だが知ったことではない。この脚本が唯一無二の真実である。
「遺憾なことに国家間の外交にも影響することを思えば、皆様も決して他人事とは言えないのだ」
勧善懲悪である以上「正義の主役」と「懲らしめられる悪役」が配されるのが道理だ。
「ゆえに知っていただきたい。誰がこの目出度き席においてどのような暴挙に至ったのかを」
だからまずは誰が正義で誰が悪なのか、その配役を示すことから始める。
「いま思えば〝白亜の間〟で執り行われた結婚式から不穏な気配があった」
イェルドは前日譚の位置づけとなる結婚式の騒動から語り始めた。
この結婚式がグランフェルト国王の協賛を得て執り行われた点を強調しながらだ。
語りのなかには三国の魔種が働いた無礼のことも盛り込んだ。
これは対三国への牽制でありながら、のちに続く物語の伏線でもある。
だが一方で、イェルドが語る物語を招待客が支持してくれるかは別の話だ。
当たり前にレウリアーダを面白く思っていない者たちは確実にいる。貴族各家が背負う事情も様々であり、それは周辺国、他国の貴族も同様だ。
こちらの足を引っ張る者。痴れ者たちの肩を持つ者も普通に湧いて出てくるだろう。
だからこそ、
「彼らの暴挙をここに居る少なくない皆様がその目でご覧になっている。私、イェルド・レウリアーダは次代の魔導卿を目指す者として皆様の正義と良心を信じている」
ただ話についていけず困惑する者。あるいはその真意を悟って敵意を募らせる者。
ともすれば、イェルドが強いた二者択一の押し付けは、会場全体を強い警戒と反発で満たしてしまう恐れがあった。
それでも構わない。
魔導卿の位階は国王が叙するものだ。ゆえにイェルドが勝手に名乗るわけにはいかなかった。
だが衆目の前で小魔導卿を打倒せしめた。すでに力は示している。
事実上の次代の魔導卿が「貴様らの正義と良心を信じている」と口にしたことに意味があるのだ。
――レウリアーダの敵に与した者たちは、ことごとく次代の魔導卿の敵である。
この恫喝を気取れる者だけが理解すれば良い。
「事のあらましは以上となるが、少なくない皆様が疑問を覚えているのではないだろうか。他国の使節たる者たちが、このような公式の場でなぜ暴挙に及んだのか」
イェルドは言葉を切り、数百の客人を見渡した。
ようやくリーウィアの出番がやってきた。もっとも自分で筋書きを書いたわけだが。
「そのことについて我が妻リーウィアから説明させてもらいたい」
イェルドに促されてリーウィアが一歩前に出る。
その傍らには王太子妃アンネリーエが顔に憂いを浮かせ、新婦を案じるように腰をそっと支えていた。
結婚式を台無しにされた哀れな新婦。それを友人として気遣う王太子妃という演出だ。
(でもその憂い顔は別の意味の憂い顔ですよね?)
そう問い詰めたくなるくらいアンネリーエの表情は、この世の終わりを迎えたかの如く深刻だった。
きっと今から自分の未来に絶望しているのだろう。
リーウィアとしては「そこまでですか?」とお小言のひとつも言いたくなる。
こちらは胸中で小躍りしたほどの良策だというのに、どうしてこんなにも落ち込んでいるのか。
意味がわからない。もっと喜んでほしいし褒めてもらいたい。
なんだか愛が伝わっていないようでリーウィアは悲しかった。
イェルドもまた妻を支えるように腰に手をやりながら、リーウィアの口元に拡声魔法を展開してくれた。
「リーウィア・レウリアーダでございます。私たちの結婚をお祝いに来てくださった皆様に改めて御礼を申し上げます。また、私もレウリアーダに連なる者として、お客様の身を危険にさらしてしまったことを深くお詫び申し上げます」
リーウィアは胸に手を当てて頭を下げる。
「ただ恥を忍んで釈明させていただきますと、夫があれほど激昂しましたのは、ひとえに私の身を案じてのことでございます。決して皆様に危害を加える意図がなかったことをご理解くださいますと幸いです」
真実ではある。だが正確ではないと現場を詳細に把握できていた者たちは思うだろう。
リーウィアに恥じるところは何一つない。
ディートリヒの祝意を固辞したことは当然の措置だ。彼の振る舞いは特使としても一人の貴族としても粗末であった。
それを逆恨みして力を持ち出してきたのは向こうだ。
現実に火球まで放たれているなか、夫に「拐かされる、凌辱される」と泣きついてなにが悪い。「殺される」と訴え、命を奪っても良かったのだ。身を守ったに過ぎないのだから。
だがそんなことを、ここに居る大部分の者は知らない。
ならばか弱き哀れな花嫁を演じるまでだ。
「素直な気持ちを吐露しますと、こうして皆様にお詫びしなければならなくなったことそのものが残念でなりません。せっかくの晴れの舞台でしたのに……今日一日くらいはずっと笑顔でいたく存じました」
――なにを言う。あれほど公子を蔑んでいたではないか。
――武威を示すと高らかに謳っていたではないか。
(そうね。物申したいなら言ってきなさい。二枚舌とささやくのも結構。ですがその結果、次代の魔導卿がどう思われるか私は存じませんけれど)
そのためにイェルドに恫喝してもらったのだ。
結局のところ力を持つ者の言い分が真実になる。強き者が白と言えば、それは白なのだ。
そういう世界にリーウィアたちは生きている。
「皆様は魔種という存在をご存知でしょうか? 希少ゆえにあまり世に知られていないと聞き及んでいます」
リーウィアは魔種とはどういう者たちを指すのか語って聞かせた。
そのうえでイェルドに柔らかな微笑みを向け、
「夫イェルドもまた魔種でございます。騒動の中心となった公子、三国の使節たちも魔種でございました。お祝いに来てくださった皆様のなかにも多数の魔種がいらっしゃいます」
魔種たる者は独自の美意識を備える。
「私も皆様と同じ普通の人間です。魔力そのものに魅せられると言われましても、それがどういう感覚なのかまったく理解できません。ただ夫や魔導卿閣下が申されるところでは、どうやら私は魔種が好む魔力を有しているようなのです」
無論、その魔力がとてつもなく煽情的であるなんてことは言わないし言えない。
「ですから私の持つ魔力がこの騒動を引き起こした一因であるのかもしれません」
リーウィアは自身の魔力が原因の一つであることを推測として認めた。
一切の責任を認めない姿勢を取ると、相手に攻撃材料を与えることになりかねない。
だからある一定の範囲で責任があることを認めたうえで、別の切り口から全否定する。
「ですが考えてみてください。酒に酔っていたからと、結婚式を挙げた花嫁に色目を使い、袖にされたからと激昂し、あまつさえ殺そうとする。このような無体が通る道理がございましょうか」
悲しいことだが、これが貴族が平民に対して働いた無体ならまかり通ることがある。
だがそんな恥ずべき行いをした貴族は貴族たちから後ろ指をさされ、社交からも締め出されることになる。
実質的に貴族として終わりだ。
これは正義感や良心からではない。貴族は他者を貶めることに心血を注ぐ生き物だからだ。
「事実、皆様のなかにも多数の魔種がいらっしゃいますが、誰一人として私に無体も無礼も働いておられません。ただただ真心から私たちの結婚を祝してくださいました。
魔種であれ、普通の人であれ、良識ある者と愚か者がいるのです」
リーウィアは一呼吸を置いた。
ここからが大切だ。叱られないため、ぐっすり眠るため、上手に事を運ばなければならない。
「これまで私は自分が持つ魔力を軽く考えていたところがございました。
だって私にはまるで共感できない感覚なのです。抑え込むことも、消し去ることもできません。
自分ではどうしようもないのに、こんな恐ろしい目に遭うなんて……」
リーウィアは顔にありありと不安を浮かせ、夫のイェルドではなくアンネリーエに縋るように身を寄せた。
「…………」
「…………」
イェルドがしょんぼりする一方で、アンネリーエは嫌な予感がして頬を引きつらせた。
「ただただ怯える私に畏れ多くもアンネリーエ王太子妃殿下が助言をくださったのです」
「っ……」
アンネリーエが目で激しく「そんな話聞いていませんけど!?」と訴えていた。
確かに彼女には始末を国に丸投げする意向を伝えてあるが、この話は伝えていなかった。
(そんな目で見なくても大丈夫ですよ? 大した話ではありませんから。アンネリーエ様の株をですね、こう……グッと上げちゃおうという私の心遣いです)
リーウィアはアンネリーエが大好きなのだ。
いつだってお尽くししたい気持ちでいっぱいである。
「いっそのこと、あなたの魔力の性質を広く周知して門戸を開いてみてはどうでしょうとおっしゃってくださったのです。
秘するから探られ、不埒な者まで招き寄せてしまうのだと。
私のことが心配だと心を痛めてくださり、妃殿下のお優しさが本当に嬉しくて……是非とも御意に沿わせていただきたいと思ったのです」
アンネリーエは驚愕にかすかに目を見開き――しかしそれだけであった。
王太子妃の肩書は伊達ではない。外面を取り繕うことに関しては専門家のなかの専門家だ。
「魔種の方々もみずから望んで魔種に生まれたわけではありません。
今回は残念なことになってしまいましたが、もし魔種の皆様が適切な手続きを踏み、正式に要請してもらえたなら、私リーウィア・レウリアーダはその出自を問わず交流を深めたいと考えています」
アンネリーエは悪意なき悪魔の言葉を咀嚼し、さらに咀嚼を重ねて吟味して、最終的に「……うん、それなら別に大丈夫かしら?」と結論した。
だが悲しいかな、彼女は魔種たちの目の色が変わっていたことに気づいていなかった。
「レウリアーダ辺境伯家は魔種の皆様を歓迎いたします」
リーウィアの狙いは口実作りである。
なぜこんなことを公言したのか。一つはクロエとリグを囲い込むための布石だ。
一応これで公式にリーウィアの魔力は「魔種が好む魔力」ということになった。
好むのだからリグがレウリアーダ邸に暫く滞在していたって名分が立つ。
(引き止めているあいだにヨランお祖父様を抱き込んでクロエ様を口説き落とす)
さらにエリアスのこともある。
(イェルド様の非道をきちんとお詫びして。わだかまりなくサシャに会いに来られるようにしてあげられたら)
リーウィアは無理やり二人をくっつけようなんてことは考えていない。
でももしサシャが望むのであれば、関係を後押ししてあげたいと思っている。
だから二人が不足なく会えるよう環境だけは整えてあげて、あとは成り行きを見守ろうと思っていた。
(あとはイェルド様のお相手をしてくださるお強い魔種の方が見つかると良いのだけれど……)
イェルドはエリアスと手合わせしたことで、とても嬉しそうにしていた。
あの充足感に満ちた笑顔は、どうやってもリーウィアには与えてあげられそうにない。
魔種に対して広く門戸を開けば、もしかするとイェルドが手応えを感じられる強い魔種がレウリアーダを訪れてくれるかもしれない。
他人のためだけではない。家門のためだけでもない。
リーウィアは夫にも幸せになってほしいと願っている。
そのためなら自分が魔種寄せの餌のようになったとしても、なんら躊躇うところはなかった。
リーウィアの仕事は残すところあと一つ。
いつもどおり万事保身を図るだけである。
すべては楽をするのと、怯えずに済む日常と、快適な睡眠を得るために――。
「旦那様」
リーウィアは抜かりなく最後の仕事を夫に託した。
妻たる者は前に出すぎてはならないのだ。
イェルドは頷き、再び招待客に語りかけた。
「最後に此度の騒動について改めて触れさせてもらう。レウリアーダ辺境伯家は慶事を汚した者たち、ならびに属する家門、さらに使節として派遣した当該国に対し、最大限の遺憾を表明するものである」
レウリアーダは怒り狂っている。次代の魔導卿は妻に無礼を働いた者、あまつさえ魔法を撃ち込んできた者どもを決して許しはしない。
前提としてこの点を改めて世に強く訴えかける。
そのうえで、
「だが一方で、此度のことは国家の外交関係にまで影響を及ぼしかねない事案だ。グランフェルト王国に属する一介の貴族家が国王陛下の御意を差し置き、国家の外交方針を独断で左右するなど畏れ多いことである」
国家間外交は王室と政府の所管である。
怒り狂ってはいるが、レウリアーダ家は道理を重んじる。
「ゆえに此度の件にまつわるすべての交渉、ならびに罪人どもの事後処理は、グランフェルト王国政府へ委ねることにした。
国がどのような裁定を下そうとも、当家はただそれに従うのみである。
皆様におかれてはこの点をよくご理解いただきたい」
レウリアーダと王室は一体だ。
その証拠に見ろ、王太子妃が我が妻をこんなにも気遣ってくれている。
レウリアーダの怒りは王室の怒り。グランフェルト王国は怒っているぞ。
招待客たちにそう思わせる――少なくともそう見えるよう仕向けることで、一連の騒動に決着をつける。
そんなリーウィアが綴った脚本は完遂された。
つまるところ、過去に類を見ない大厄災をもたらす地獄の門が開かれてしまったということだ。
(よくやりきったわ、リーウィア! あなたの書いた筋書きは完璧だったわ!)
開いたのは無論、おのれを喝采賛美しながら胸中で「わーい、わーい、これで夜もぐっすり!」と小躍りしているリーウィア・レウリアーダであり、
(わたくしったら、いささか被害者意識が過ぎていましたね……。そもそもリーウィアは聡明な子なのです。そう何度もやらかすような子ではありませんでした)
そして尻拭いをさせられるのは無論、おのれを灼く業火が足元まで迫っていることを、いつも通りまったく気づいていないアンネリーエ・ウル・グランフェルトである。
アンネリーエは分かっているようで、まるで分かっていなかった。
リーウィアはその聡明さを悪意なく正しく用いているのに「なぜか厄災を招いてしまう」がゆえに「善良なる魔王」などと呼ばれてしまっているということを。




