34.暴虐の花婿
ディートリヒが乱入する姿は貴賓席からも余すことなく見えていた。
「またあの痴れ者ですか」
嫌悪感を隠すことなく吐き捨てたのは王太子妃アンネリーエである。
ただでさえ戦争状態にあったうえに、派遣されてきた特使が人様の結婚式に水を差したのだ。
立場上、露骨に拒絶感を示すことは避けるべきだが、あの公子に限ってはどうやっても許容できそうになかった。
「あそこまで思慮分別に欠けると、いっそ芸術的でさえあるな」
その公子を式から追い払った王太子ユークリウスが嘲笑と苦笑を綯い交ぜにした笑みを浮かせた。
さすがにこの場に国王と王妃はいない。王室で披露宴に出席しているのは王太子夫婦のみだ。
「公爵はいったいどのような教育をしているのか」
「公爵と長子には会ったことがあるが、まともな人だよ?」
「そうなのですか?」
「公爵家ともなれば、まともでなければ自然と周りが引きずり降ろすさ。君の兄上がもしあれだったなら周りはどうすると思う?」
「どこかの田舎に幽閉するか、兵器として徹底的に躾けるでしょうね」
「だろう?」
「でしたらなぜあの痴れ者には自浄作用が働いていないのです」
「少しばかり才能があるからと甘やかされたのだろうな」
「周囲もその才に目がくらみ過分な夢を見ましたか」
「そうとしか思えない」
我が国にも魔導卿をと夢見てしまったのだろう。
イグサーマク王の姪孫だそうだが、ユークリウスにすればにわかに信じ難い出来の悪さだ。
「本当に手を差し伸べられないおつもりですか?」
「手出し無用と言われたじゃないか」
式のあと、イェルドとリーウィアからディートリヒを排除した礼を言われた際に、もし披露宴で何事かが起こってもどうか手を出してくれるなと言われているのだ。
結婚式は王宮で行われた兼ね合いから王室が差配した部分が多かった。
国王たる父がああした仕置きをしたのも白亜の間を提供した者として、また王室の希望を受け入れてくれたレウリアーダを慮ったからこそだ。
だが披露宴は違う。すべてにおいてレウリアーダ家が差配しているのだ。
問題が起こり、それを王室を含めた外部の者の手を借りて治めたとなれば、レウリアーダ家は面目を損なう。
「ですけど……」
それを承知しているはずなのに、アンネリーエの表情は晴れない。
理由はわかりきっている。
「君は本当にリーウィアのことが好きだな」
「ユークリウス様と違って、わたくしが好意を向けた分だけ好意を返してくれるばかりか、倍にして好いてくれる子ですもの」
「妬けるなあ」
「ふふ、お戯れを」
「けどまあ、手を差し伸べたところで迷惑になるだけだろう。そこのところをあの愚か者はわかっていない。ここをどこだと思っている? レウリアーダの敷地だぞ?」
武門の大家レウリアーダが支配する地は、王太子であるユークリウスでさえ振る舞いに気を配る数少ない場所だ。
こんな危険極まりない場所で火遊びに興じるなど正気を疑う。
「レウリアーダ卿が不在の隙を突いたつもりなのだろうが、無知とは罪なものだな」
「わたくしは今ひとつ腑に落ちませんけれど」
「私にはあれが死にたがりにしか見えないよ。そうだろう? 騎士団長よ」
「私にどうお答えせよと」
そう苦笑しながら答えたのは近衛の騎士団長ではない。レウリアーダ家の騎士を統括している騎士団長である。
「卿は助勢に行っても良いのだぞ。ここには近衛も控えているのだから」
「そうは参りません。当主より決して両殿下のおそばを離れぬよう厳命されておりますゆえ」
「わざわざ卿が手出しするまでもないか」
「御意。奥様であれば難なくお捌きになるかと」
「だそうだぞ、アンネリーエ」
「わかりました。リーウィアがあの痴れ者をどう料理するのか高みの見物とさせてもらいましょう」
ユークリウスはまるで興行を楽しむような目でリーウィアを見つめ、口のなかでだけ唱えた。
「死人が出なければ良いがな」と。
◆◇◆
「こんにちはリーウィア夫人。祝意を告げに伺いました」
「…………」
ディートリヒが大仰に腕を広げて呼びかけてきた刹那、リーウィアは眼球を巡らせて周囲の動向をつぶさに観察した。
挨拶待ちの客人を接待していた兼ね合いから、すぐ近くにはグレーゲルを除く家族親族が揃っていた。
しかし彼らは一人としてリーウィアに駆け寄っては来ない。
ルーカスがスルリと腕を持ち上げ、自身の首の前で横薙ぎに引いた。
(構わん、やってしまえと。お義父様はシーラに次ぐレウリアーダの良心だと思っていたのに……)
ルーカスはアンネリーエに詫び状を書くくらいには常識人である。
だが所詮レウリアーダのひとり――否、そもそも義父は先代辺境伯その人だ。蛮族思考なのは道理だった。
ヘレンがなにやら家人に命じている。
(あれは……「あたしの剣を持ってこい!」とおっしゃっているのかしら?)
どうやら義祖母はみずからの手で不逞の輩を処す意向のようだ。
じつに血の気の多いヘレンらしい行動だと思う。
一方、レオンとアンジュは身振り手振りでリーウィアに何事かを訴えてきていた。
ディートリヒたちを指さして、バンバンと自身の胸を叩くその仕草は恐らく。
(……なんなら私がやりましょうか? という意味かしら)
品行方正な義弟と、愛らしい義妹だと思っていたのに結局のところ彼らも蛮族思考の夫婦であった。
リーウィアも薄々気づいていた。式でも一緒になって野次を飛ばしていたし。現実から目を背けていただけだ。
そして残る二人。義母フレンダと義妹シーラは、それぞれ父フーゴと母カイサ、弟スヴェンを押し留めているように見えた。
両親と弟は常識的にリーウィアを心配してくれているようだ。
だがそれをフレンダとシーラが抑えている。となるとこれは即ち――。
(私は試されているわけね)
レウリアーダ辺境伯家の女主人、リーウィアがこの事態をどう捌くのか。
家族の反応はそれぞれだが、誰ひとり駆け寄って来ないのはそういう意味だろうと解釈する。
(いいでしょう。望むところです)
リーウィアの薬指にはすでに突剣が刻まれている。
先人たちはどのような思いから花嫁の身に剣を宿すよう強いたのか。
決まっている。
(我らに仇なす敵を屠る気概なき者に、レウリアーダの女主人たる資格なし)
そんな目まぐるしい思考を終えたリーウィアは、ディートリヒに対して失笑気味に応じた。
「祝意など結構です。お引き取りを」
「……なんだと?」
リーウィアは困ったように頬に手を当てて眉をハの字にした。
「まだお若くございますのに、理解力に難がおありなのでしょうか? 祝意を辞退しますのでお帰りくださいと申し上げています」
「私はイグサーマク王国の特使であるぞ」
「だったらなんだというのです。二度にわたって騒ぎを起こし、お祝いに来てくださっている他のお客様を押しのける。一国の特使を称するにしてはあまりにお粗末ではありませんか? そのような者から祝意を受けるなど我がレウリアーダにとっては恥でしかありません」
リーウィアは腕を持ち上げて手首を返した。
「お帰りはあちらです」
「貴様……下手に出ておれば図に乗りおって……おい」
ディートリヒに促されて取り巻きたちが魔力を立ち上らせた。
その数はディートリヒを含めて七名。魔力の気配からして恐らく全員が魔種であろう。
ただその人数を多いと見るか、僅かと見做すか。
「雑魚どもがいきり立つな。せっかく奥様が温情をかけてくださっているのだ。怪我をせぬうちに帰れば良いではないか。どうしてもと言うなら相手をしてやらんでもないが恥の上塗りにしかならんぞ?」
呆れ顔を浮かせた臨時護衛騎士ライノは取るに足らぬと評価しているようだ。
かたやもう一人の専属護衛騎士サシャは嬉々としてリーウィアに尋ねた。
「今回こそ斬ってもいいですよね? 喧嘩を売ってきたのは向こうですしっ」
「いつも思うのだけど、どうしてサシャは口癖みたいに斬る斬る言うのかしら」
「いやだって、警報機のときは結局実力をお示しできませんでしたし」
「サシャの強さはよく知っているのだけど?」
あれから三ヶ月も経っているのだから、リーウィアは当たり前にサシャの実力を把握している。
「見てください!」とお願いされて何度も訓練を見学させてもらっているが、サシャの実力は荒事の素人であるリーウィアの目から見ても頭が幾つも抜けているほどなのだ。
今さら実力を示す必要なんて皆無である。
「実戦でこそ本領が見えるというものです」
「それでも斬っちゃ駄目です」
「そんなぁ……」
「鞘ごと殴るなら構いませんけど……死なせてはいけませんからね?」
「やった!」
サシャが喜びの声を上げたそのとき、取り巻きの一人がリーウィアたちに向けて大きな火球を放った。
「きゃあっ!」
状況をただ見ていることしかできなかったクロエが悲鳴を上げて頭を覆う――が、
「なんだこれは」
サシャがまるで羽虫を追い払うように軽く腕を振っただけで火球は上空に弾かれ、何事もなく魔素へと却ってしまった。
彼女のそばにいるリーウィアを始め、ライノも、マヤも、アーロンも、いたって平然としたままだ。
(……びっくりしたあ)
いいや、リーウィアだけは上っ面を取り繕いつつも、胸中ではビビり散らかしていたわけだが。
それでも覚えていたのは恐怖ではない。突然魔法を放たれたことに対する驚きでしかなかった。
目を見開き固まっているディートリヒたちにサシャが鼻を鳴らして言う。
「なにか勘違いしているようだが、貴様らは魔種にありがちな〝ただ魔力が多めな魔導師〟でしかないのだぞ? 多少魔力が多かろうが雑魚は所詮雑魚だ。身の程をわきまえろ下郎どもが」
サシャが火球を放ってきた男に手のひらを向けた。
「さらに言えば、魔法は貴様ら魔種だけのものではない」
言い終えたときにはもう、サシャの手のひらの先には拳大の火球が顕現していた。
その大きさは男が放った火球と比較して随分と小さい。
だが色が違う。男のそれが赤き火球だったのに対しサシャのそれは青白い光を放っていた。
「こんな風に。そら受け取れ――」
青白い火球がまるで引き絞った弓から放たれた矢の如き速度で射出された。
おおよそ目で追えるような速度ではない。少なくともリーウィアの目には、火球が突如消えたように映った。
「がっ、アアァァッ……!」
男はまったく反応できずに肩に直撃を受けた。
ブスブスと服ごと肌を焼かれ、男は苦鳴を上げながら崩れ落ちた。
「せっかく多くの魔力を備えて生まれたんだ。人並み以上に魔法の腕を磨くのが道理だろうに。才能に胡座をかいていないでもっと鍛錬をしろ」
「まったくだ。レウリアーダでは今の火球程度なら洗濯女中でさえ放てるというのに」
言って、サシャの隣に並んだライノが腰から鞘ごと剣を引き抜いた。
「ライノさんには奥様をお護りいただきたいのですけど」
「アーロンが障壁を張ってくれると言うのでな」
アーロンが呆れを通り越して焦れた感じに言った。
「これでも一応護衛の顔を立てているんですからね」
その機嫌の悪そうな顔からして「あんまりたらたらしているなら俺が片付けるぞ」とでも言いたげだ。
「苛ついておる」
「仕方ありません。ではライノさんは取り巻きの雑魚を。私は親玉の雑魚を狩ります」
サシャも鞘ごと剣を引き抜く一方で、マヤがリーウィアにささやきかけた。
「洗濯女中さんでも撃てるってお話ですけど、私あんなの撃てませんよ? 奥様付きの侍女なのに」
「騙されちゃ駄目よ、マヤ。洗濯女中は洗濯することが仕事よ」
洗濯女中を雇う際に「ところで君は火球は撃てるのかね?」なんて尋ねる家があってたまるものか。
女中も侍女も火球なんて撃てなくていい。レウリアーダが世の理から外れているだけなのだ。
「そういうわけで貴様らをこれから撲殺するわけだが心の準備はできたか? 安心しろ、命までは取らん」
サシャの矛盾を突く者は一人としていなかった。
基本ノリと勢いだけで話すような人なので指摘しても疲れるだけだ。
「侮られたものだな」
ディートリヒはくくくと喉を鳴らし、不遜に嗤う。
今しがた取り巻きが放った火球を容易く弾かれただけでなく、無抵抗に一人を無力化させられたというのに彼の表情には焦りも怯えも一切なかった。
それどころか、自身を「親玉の雑魚」と評したサシャを逆に見下し、その傲慢な瞳を愉しげに細めてすらいた。
「ただの騎士風情がこの私を撲殺すると。面白い冗談だ。ならばやって見せよ――」
直後、ディートリヒの全身から、これまでとは一線を画す膨大な魔力の奔流が立ち上った。
大気を震わせる衝撃波とともに、庭園の芝生が波打ち、ディートリヒから滲み出る魔力が大気と干渉してバチバチと乾いた音を立てた。
その魔種の本領たる圧力を前に、サシャとライノが同時に目を細めた。
「雑魚に毛が生えた程度かと思っていたが存外手強そうだ。一人でやれるか?」
ライノは依然として平静を保ったまま相方に尋ねる。
彼がディートリヒの力を再評価したことは間違いない。だが「一人で」と問うたことから、その上方修正の程度が覗えた。
問われたサシャは引き抜いた鞘でコンコンと肩を叩き、不敵な笑みを深めた。
「まあ、なんとか。多少手こずるかもしれませんけど、ねっ――」
サシャが地を蹴り、ディートリヒへと肉薄しようとした、まさにその刹那。
二人のあいだを分かつように分厚い魔力障壁が容赦なく顕現した。
「――双方、待たれよ」
その冷たい声と同様に、障壁を割り込ませた男は極寒の冷気のような魔力を立ち上らせていた。
「げっ、小魔導卿……」
顔をしかめたサシャの視線の先――ゆっくりと戦いの場に歩み寄ってくるのは、ノルデンガル王国の小魔導卿、エリアス・シュミットであった。
ディートリヒが顔を歪ませ盛大に舌を打った。
「小魔導卿……ノルデンガル王国のエリアス・シュミットか」
「すでに結婚式の場でお会いしているが、言葉を交わすのはこれが初めてだな、ロッシュフィルト卿」
「ノルデンガルの貴様がなに用だ、部外者であろう」
「貴公とてただの招待客の一人であろう? しかもレウリアーダ家にとっては招かれざる……」
「小魔導卿閣下」
意図的にエリアスの言葉を遮り、不快感を込めた冷笑を向けたのは他ならぬリーウィアであった。
「畏れながら結構です」
リーウィアはさきほどのように手を持ち上げて手首を返した。
「むしろ迷惑でしかありませんので、閣下はどうぞ向こうでお酒でも楽しんでいてくださいませ」
「………………え?」
「え、ではありません。重ね重ね失礼ですけど、閣下はどうせサシャに格好をつけたいだけでしょう?」
リーウィアは結婚式の直前にヨランの紹介でエリアスと対面していた。
エリアスは周辺国に「小魔導卿」として認知されているほどの魔種であり、異名に違わぬ実力者でもあった。
そんな彼を事前情報のみでリーウィアに引き合わせたとき、イェルドの一目惚れのような事件が発生するかもしれず、またエリアスは三十歳にして未婚でもあった。
懸念を覚えたヨランと王太子夫婦の意向から、リーウィアは事前にエリアスと面会することになったのだ。
案の定エリアスはリーウィアに対して大いに欲情した。
したのだが、ここで誰もが予想だにしていなかった事件が発生する。
『美しい……』
エリアスが恍惚とした声を向けたさきはリーウィアではなかった。
『どうか貴女の名をお聞かせください』
『……んん? もしかして私にお尋ねですか?』
『はいっ』
小魔導卿はなんということか。サシャに一目惚れしてしまったのだ。
聞くところによるとサシャが好みのド真ん中なのだそうだが、そんなこと今はどうだっていい。
「これは当家の力のみで治めなければならない問題なのです。手出しは無用。ご理解いただけましたか?」
「は、はい……」
「良うございました。引き続き宴を楽しんでいただければ幸いです」
リーウィアにニッコリと、しかし酷く冷たい笑みを向けられたエリアスは、大人しく去るのかと思いきや、少しばかり距離を取ったところで腕を組んだ。
介入はしないが見守ることにしたようだ。恐らくサシャのことが心配なのだろう。
リーウィアはエリアスの登場を受け、少しばかり考えを変えていた。
「ねえ、公子殿」
「……なんだ?」
「あなたは酷くお粗末な特使ですけれど、それでもイグサーマクの名を背負ってこの場に臨んでいるのです」
ここまで大きな騒動になってしまった以上、もはやどうやってもディートリヒ個人の話で収まりはつかない。
「国家を背負っている以上、あなたの行いが外交問題化することは避けられないでしょう」
「脅しのつもりか?」
「いいえ、助言しているのです。ここで手を引けば、少なくとも今以上に傷を広げることは避けられます。どうです? ときには尻尾を巻いて逃げることも勇気ある決断だと思いますけれど」
「それは助言の体を装った挑発か? それとも本気の私を見て怖くなったか?」
助言だと言っているのに。
この愚か者はどうあっても引く気はないらしい。
「公子殿、私は思い直したのです。レウリアーダ辺境伯家の女主人が成すべきことは、あなたのような痴れ者を処すことにあらず」
多くの貴族、他国の要人が固唾を呑んで状況を見守るなか、レウリアーダの女主人が真に成すべきことは。
「――レウリアーダの武威を示すことにあり」
リーウィアは首元にあるネックレストップに魔力を流した。
瞬間、警報の魔道具から目を開けていられないほどの赤い光が溢れ出した。
「なんだっ……!」
ディートリヒが目を細めて臨戦態勢を取った。
眩い光は即座にリーウィアの前で収束し、赤き光球へと形を変えた。
光量を一気に下げ、腕の長さほどの直径を持つ紅玉となったそれは、音一つなく上空へ打ち上がる。
そして――。
「ぐっ、なにをしたっ……!」
「ふふ……」
けたたましい鐘の音が降ってきた。
どこが音源かもわからないほどの警鐘の音が、全周から絶大な音の暴力として新婦席に襲いかかってきた。
『緋色信号発令! 緋色信号発令! 奥様より〝想定状況ロア〟を受信! 位置は新郎新婦席! 全家人・使用人はただちに全業務を停止し、奥様の元へ参集せよ! 想定状況ロアだ! レウリアーダに仇なす者を制圧せよ!』
その警報を耳にした誰もが目を見開き、時が止まったように硬直した。
無論そこにはディートリヒも含まれる。
「全家人だと……」
呆然と呟いたディートリヒも徐々に理解が広がっていったのだろう。
頬を引きつらせているその肌は蒼白となっていた。
「あなたが気にすべきことはそこではありません」
リーウィアが薄く微笑みかけたそのとき、上空から新たな声が降ってきた。
『リーウィアァァァッ――――!』
いつかの思い出が脳裏をかすめ、リーウィアは堪らず吹き出した。
「ほうら、魔王が降臨しましたよ」
リーウィアが言葉を紡ぎ終えた瞬間、新郎新婦席の少し離れたところに、まるで隕石でも墜落したかのような凄まじい衝撃音とともに土煙が立ち上った。
その衝撃に庭園の芝生が吹き飛び、地面すら陥没した。
「もう少し距離を離せよ……」
ぼやくアーロンが張ってくれていた魔力障壁のおかげでリーウィアたちに被害は無い。
盛大に立ち上る土煙は風魔法で即座に消し飛ばされ、焦燥の表情を浮かべたイェルドが駆け寄ってきた。
「リーウィア! 大丈夫か!?」
いや、今回ばかりは大丈夫ではない――。
「助けてあなた! 魔力に酔った魔種たちが私を拐かして凌辱しようとしています!」
「な――――」
もっとも、そこに悪意があることは否定しないが。
「でも彼らも私の魔力のせいでタガが外れてしまっただけなのです! いいですか! 気の迷いのようなものです! 手にかけたら外交上不利になるので痛めつけるだけにしてください! わかりましたか! 絶対に死なせてはいけません! わかったなら『わかった』と言ってください!」
「わかった!」
「さすが旦那様です! では私を助けてください!」
リーウィアの助けを求める声は凄まじく説明的だったが、イェルドが気にした素振りはない。
我を失うほど怒り心頭でもリーウィアの声はなぜかちゃんと聞こえているし、そもそも愛妻の頼み事には基本「わかった」か「いいよ」としか言わないのだ。
「貴様ら、よくも……」
イェルドからほとばしる魔力で大気そのものが歪む。
一歩踏み出すたびに地面が沸騰し、草と土の焦げた匂いが立ち込めていった。
「っ……」
まずイェルドに敵認定されたのはリーウィアの最も近くにいたディートリヒたち七名であった。
猛るイェルドの様は、ディートリヒがさきほど放った魔力の奔流のような見かけの派手さはない。
だが多少なりとも魔法の習いがある者であれば、イェルドから漏れ出る魔力の密度がディートリヒのものと比較して隔絶していることが否応なしに理解できた。
そんなイェルドの状態に最も早く、なにより苛烈に反応したのはレウリアーダ家の家族たちであった。
「あれはまずいぞ……。手すきのものは全力で魔力障壁を張れ! お客様をできるだけ遠くに誘導しろ! 決して傷つけてはならんぞ!」
ルーカスの号令のもと、家族と騎士総出で全力の魔力障壁を張り、参集した家人・使用人たちが招待客たちを守りながら後方へ誘導していく。
「……どこかで見た顔だと思ったら、貴様は私たちの誓いを認めぬとか抜かしやがったガキではないか」
「だったらなんだと言うのだ、イェルド・レウリ……」
ディートリヒが言い終える前にイェルドの姿が掻き消えた。
「が、はっ――――!?」
苦鳴を涎と一緒に流しながら、ディートリヒが体をくの字に折った。
がら空きの腹に深々と拳を突き刺したイェルドは、
「塵芥の如きガキが一端に物を申すな」
イェルドは瞳を爛と輝かせ、周辺に首を巡らせる。
その一巡だけで目に見える範囲にいる魔種のすべてを捕捉し終えていた。
「逃げられると面倒だな」
そう独りごちたと同時に、イェルドの足元から全周へと、まるで静まり返った水面に水滴を垂らしたかのように、目に見えぬ魔力が拡散していった。
その効果は即座に発揮された。
「な、なんだこれは……っ!?」
「あ、足が、動か、な……ッ!」
ディートリヒの取り巻きであった魔種たちの足元から不気味な地鳴りのような音が響き渡った。
硬質な音を立てて彼らの靴の先から急速に石の結晶が這い上がり、その肉体を容赦なく硬化させていく。
ただ、その身柄を拘束する土魔法の対象とされたのは「周囲にいた魔種のすべて」であり、
「え? どうして私まで……!」
少し離れたところで腕を組んで眺めていたエリアス。
彼の足元からもピキピキと音を鳴らして石がせり上がってきており、小魔導卿と呼ばれる彼をして一切の抵抗を許すことなく下半身を石像化させられてしまっていた。
イェルドは細めた目で下半身を石化させられた魔種たちを睥睨した。
「これより我が妻に手出しした罪を、その身を以って贖わせる。妻の願いゆえ命までは取らんが楽に許されると思うなよ……?」
言って、イェルドはまず手始めに地べたに転がっているディートリヒに向けて腕を振り上げた。




