33.甘き花婿
午後から開かれた結婚披露宴は王城で執り行われた結婚式と異なり、レウリアーダの王都別邸で行われる。
この宴における名目上の責任者はルーカスとされていた。
だがすべての家人・使用人を差配する家宰ベッテルが実質的な総責任者の位置づけになっていた。
家中で最も高い職位を持つ彼が結婚式に出席していなかったのは、式に出席している余裕など皆無であったからだ。
なにせ披露宴の規模は、厳選された高位者しか出席を許されなかった結婚式とはわけが違う。
披露宴に招かれる客人は、寄り子の貴族家当主のみならず、その家族や親族、付き合いのある貴族各家、さらには他国から招いた賓客など、その総数は数百人に達していた。
様々な施設を備える王都別邸であっても、こんな出鱈目な規模の宴を催せる部屋までは有していなかった。
よってこの披露宴は巨大な庭園を会場とし、多くの人が好きに動ける立食の形式を取っていた。
この規模の客人をもてなすことは、いかに大家であるレウリアーダ家であっても容易ならざるものがある。
家中は家宰ベッテルを筆頭に、まさに総力戦の様相を呈していた。
無論、主役たるイェルドとリーウィアも次々と祝辞を述べに来てくれる客人の相手で手一杯であった。
「覚悟はしていましたけど……」
「これは大変だ……」
披露宴が開かれてまださほど時間が経っていないというのに、二人とも笑みを貼り付け続けたせいで頬の筋肉に痛みを覚えるようになっていた。
これだけ多くの人に祝われているのだ。有り難いことである。
だがその人数がここまで多くとなると、少々祝意に食傷気味になってきていた。
そんなときだ。
イェルドのもとに義弟のレオンが報せを届けに来たのは。
「兄上、お忙しいところをすみません。お耳に入れたいことが」
「どうした」
「招待客のあいだで軽い諍いが起こったのですが、すでに対応済みです。ただ、諍いになった原因に少々込み入った事情がありまして兄上のお力添えを請いたく。まずは聞いてください」
その些細な異変を最初に察知したのは会場を巡回していた侍女長のオーサだったそうだ。
一組の夫婦がどうにも居心地が悪そうにしている。
夫人のほうはそうでもないが、夫と思われる男性がまるで周囲を威嚇牽制するように剣呑な視線を巡らせていた。
よく観察してみると、なるほど確かに結構な数の男性が舐めるような目で夫人を見つめているようだ。
「そう思っていたところ、数名の男たちが夫人に近づき、夫のほうが過剰に反応してしまったようで」
口論になってしまいオーサは無論、仲裁に入った。
警護の人員を呼び寄せ、どうにか事を治めたものの、そのとき夫が憤懣やる方ない様子でぼやいたそうだ。
「どうして魔種どもばかり舐めるような目でクロエを見てくるんだ。レウリアーダ夫人じゃあるまいし、と。そう口にされたそうなのです」
「……ほう?」
イェルドが興味が惹かれたように片眉を持ち上げた。
妻が陥っている状況をリーウィアに例えたというのだから、色々と想像が捗る。
「それで今は、そのご夫婦はどうされているの?」
「オーサの判断で父上と母上に来てもらい歓待してもらっています」
ルーカスとフレンダが護衛を兼ねて、虫除けならぬ魔種除けになってくれているという。
前辺境伯夫妻のそばにいれば、魔種たちもおいそれとは接触できないだろうとオーサが機転を利かせてくれたわけだ。
「まさかとは思うがと、父上が夫人をその目で確かめてもらいたいとおっしゃっています」
「かなり興味深い話だが見てのとおりだ」
「まあ、そうですよね」
新郎新婦の座席の前には挨拶待ちの列ができていた。
気懸かりな話ではあるが、彼らのこともおざなりにできない。二人はレウリアーダ辺境伯家の当主とその夫人なのだ。
「そのご夫人のお名前はクロエとおっしゃったのよね?」
「ええ」
「ヴェステリア公国の特使夫人かしら?」
「正解です。リグ・ラングレン卿とその夫人クロエ殿です。義姉上は記憶力が良いことで」
「私も何百人もの招待客の名は覚えていませんよ。せめて要人だけでもと思って」
リーウィアは苦笑い気味にそう答えると、軽く手を振ってすぐ近くで侍っている近習たちを呼び寄せた。
同時に貴賓席の様子を窺いつつ、リーウィアは指示を出していく。
「アーロン」
「はい」
「お義父様に特使夫妻をこちらにお連れくださるよう言伝を。あと、こちらに合流後は挨拶を待ってくださっている皆様を接待くださるようお願いしておいて。もちろんお義母様にもです」
「承知しました」
アーロンはレオンに顎をしゃくられ、ルーカスが居るであろう方向に早足で向かった。
「マヤ、マイエル伯爵とカイサ夫人、スヴェンを呼んできて。同様に親族として列の皆様のご接待を」
「かしこまりました」
一礼してマヤが人混みのなかに消えた。
「ライノ」
「は」
「貴賓席にヨランお祖父様のお姿が見えません。できればお祖父様に気取られる前にクロエ夫人に接触を図りたいのです。気心の知れたグレーゲルお義祖父様にお願いして、ヨランお祖父様をお探ししたうえで足止めを」
「御意」
ライノもまた音もなく姿を消した。
「サシャ、今は旦那様が隣りにおられます。護衛は不要です」
「むぅ……」
機先を制されてサシャがむくれる。
リーウィアはくすくすと笑いながら、
「ヘレンお義祖母様とシーラ、アンジュを探してきて。家族総出で接待して特使夫妻に接触する時間を捻出します」
「わかりました」
しぶしぶ感を満載にしたサシャが人混みに消えると、リーウィアは残る一人に微笑を向けた。
「レオン、私の言いたいことはわかりますね?」
「無論です、義姉上。私が先陣を切って接待して参りましょう」
「……不快じゃない?」
元来小心者のリーウィアは恐る恐るといった様子でレオンの顔を覗った。
彼は義弟とはいえリーウィアの二つ年上である。
式を挙げる直前まで「レオン様」と呼んでいたのに、ここにきて突然の呼び捨てだ。
女主人らしく毅然と指示しながらも内心では「怒らせたらどうしよう……」とビビっていた。
そのレオンが心底愉しげにニンマリと笑った。
「私は義姉上の義弟ですよ。不快に思うわけがないではありませんか」
「だったらよかったけど」
「すでに女主人が板についているご様子で頼もしく思うばかりです」
途端にイェルドが得意満面となった。
「うちの奥さんは凄いだろう?」
「嫁自慢も結構ですが、本来当主たる兄上が差配すべきことだということをお忘れなきように」
そう釘を刺しているものの、レオンも軽口で言っているだけだ。
兄は家門の長としては若年であり、当主の座を継いで間もない。しかし辺境伯家の嫡男として不足ない教育を受けてきた。
十代半ばで父の仕事を手伝い始め、ときには当主代行を務めることもあった。
当主となってからの仕事ぶりも誰もが認めているところだ。
いくらリーウィアに甘くとも、それをまずいと感じたなら当たり前に止めるだろう。
弟の欲目なしでそう確信できるくらい頼もしい当主だと思っている。
だが当の本人はというと、
「お前はリーウィアの誓いの言葉を聞いていなかったのか?」
「というと?」
「あなたの隣で、その歩む道を照らす光となる」
「兄上はつまり、義姉上が照らしてくれる道を進めば良いと」
「私はリーウィアが『征け』と言ったときに征けばいいんだ。……なんだその顔は」
「いえ、浮かれているなあと」
「今日浮かれずにいつ浮かれろと言うんだ……?」
「それはそうなんですけどねえ」
レオンが意味深な目でチラリとリーウィアを見た。
「兄上の浮かれ具合を見ていると、果たして義姉上は無事に明日の朝を迎えられるか心配になったもので」
「おいっ!」
レオンはからからと笑って長い列へと向かった。
「え? 大丈夫ですよね……?」
レオンの脅かしはあっさりとリーウィアを疑心暗鬼に陥らせた。
リーウィアは初デートの際の前例があるように、何事においても事前準備を怠らない子である。
もちろん今晩迎える初夜についても恋愛小説(艶本)をもとに、脳内で想定訓練を完璧なまでに終えていた。
これは決してただのえっちな妄想ではない。脳内訓練なのだ。
だが訓練と実戦は往々にして異なるもの。その点をリーウィアはきちんとわきまえていた。
ようするに――、
「ねえ、あなた? 優しくしてくださいますよね……?」
花嫁はビビり散らかしていたのだ。
「………………………………もちろんだ」
「なんですっ!? その長すぎる間は!」
「いやだって……。ちょっと撫でられただけであんなに凄いのに……それが……だろう?」
「だろうではありませんっ」
「……この話はやめておこう。日が高いうちにする話じゃないし、誰に聞かれるかわかったものじゃない」
「……いいでしょう。でもあとでちゃんと話し合いますからね? あなた様は忍耐強い人です。きっと優しくできます」
「当然だ。一度は太陽を生み出すほど我慢したんだ。欲に溺れはしない」
「逆に怖いのですけど……」
そこまで溜めに溜めたものをぶつけられるのはリーウィアなのだ。
今さら太陽を引き合いに出されても恐怖を煽られるだけだった。
「それで、どうする? ただの思い違いならいい。だがもしクロエ夫人がリーウィアと同じ特性を持っていたなら面倒だぞ」
すでに不特定多数の魔種にクロエの存在が露見しており、彼女を巡って諍いも起きている。
「まずは事実確認とクロエ夫人の安全確保を最優先に」
ラングレン夫妻はレウリアーダに招かれて訪れているのだ。
二人の身になにか起こればレウリアーダは面目を損なう。主催側として手当てが必要だろう。
「裏が取れたときは?」
「どうにかして当家に取り込みたいところですね」
「悪い顔をしているぞ」
「お嫌いですか?」
「私はリーウィアのすべてを愛している」
「そうでしたね、ふふ」
「しかしラングレン卿は一国の特使を任される人物だぞ? 取り込めるものか?」
イェルドの言うことは道理だ。
特使であるということは即ち、リグ・ラングレンが自国で相応の立場にあることの証である。
そう簡単に取り込めるものではないだろう。
「叶うならという程度です。自分で言うのもなんですけれど、もし私と同じ特性を持つならクロエ夫人は希少な存在です。仲良くしておいて損はありません」
「仮に取り込めたとして使いどころがあるか?」
「そのようなことは後でゆっくり考えれば良いのです。希少であることそのものが価値を持つのです」
宝石を確保することと、身に着けることは別の話だ。
希少な宝石であることは明らかなのだからまずは決断して確保に動く。
手に入らずとも構わない。「あなたは路傍の石ではない」と知らせてあげるだけでも恩を売れる。
「リーウィアは政治家のような物の考え方をするなあ……」
「あら、レウリアーダ家の女主人は政治家でございましょう?」
「まあ、そうだが」
「いま思いつくだけでも使いどころはございますよ。私の魔力の性質を紐解くにしてもクロエ夫人がいてくだされば比較対照ができますし、国内外の魔種とも繋ぎをつけやすくなります」
「御老を外したのは?」
ヨランも当然クロエの性質を見抜けるはずだ。
イェルドとともに見定めてもらえば確実性が上がる。だが、
「私はリーウィア・レウリアーダですから」
リーウィアは今日、イェルドとともに家門を率いる立場となった。
軸足をどこに置くべきかなど考えるまでもないことだ。
「道理か」
「ええ」
ヨランに知られれば王室の横槍が入りかねない。
王室には恩も情も、揺るぎない忠節も覚えている。
それでもリーウィアはレウリアーダの人間である。家門の益を追求するのが責務だ。
「そろそろよろしいでしょうか」
挨拶待ちの列を捌いている家人が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「ああ、お通ししてくれ」
イェルドとリーウィアは会話を打ち切り、笑みを貼り付ける営みに戻った。
◆◇◆
それから三組の挨拶を受けた頃、イェルドが断定した。
「本物だ」
「そうですか」
二組目の挨拶を受けている最中から、ルーカスに伴われて来たラングレン夫妻が少し離れたところで待ってくれていた。
今、彼らの相手はアーロンとマヤがしてくれており、サシャとライノもすでに護衛に戻っている。
家族親族は総出で招待客を接待してくれており、貴賓席には相変わらずヨランの姿は見えない。グレーゲルによる足止めが成功している証だ。
「ただリーウィアの魔力とは別物だな。敢えて言うならテレシア様に近いかもしれない」
「ヨランお祖父様は陽だまりのような心地良い魔力とおっしゃっていましたけど、クロエ夫人もそういう?」
「傾向としてはそうなる。もっともテレシア様とも明らかに異なるが」
イェルドが言うには、リーウィアの極めて煽情的な魔力に魅了されない魔種の男はほぼ居ない。
一方テレシアやクロエの魔力にはリーウィアのような抗い難さは無いものの、魅せられるという意味では同じだ。
契機となるのが情欲か好意かの違いでしかない。
男女問わず魔種たる者は、テレシアやクロエのそばで「その美しくも温かな魔力を感じ続けていたい」という衝動に駆られるだろうとのことだ。
「相変わらずまるで共感できない感覚ですけれど、対処が必要なことは理解できました」
「せっかく祝いに来てくれているのに心苦しいが、披露宴が終わるまで別室にいていただくことにするか」
イェルドの合図を受け、アーロンがラングレン夫妻を伴って近づいてくる。
「私に合わせてください」
「取り込むにしても今すぐ動かなくてもいいだろ」
「熟考された悪手より、直感の好手とも申します」
時間をかけて悩むくらいなら今できる最善を即座に打つべきである――という趣旨の、グランフェルトにある格言だ。
「ついさきほど『そんなことは後でゆっくり考えれば良い』って言っていた気がするんだが?」
イェルドは「熟考するのは悪手なのでは?」と矛盾を突きたいらしい。
しかしそれは違う。
「あのときも今も私は即座に確保すべきと申しておりますよ? 熟考するのは確保した後のことです」
「ううん?」
宝石を確保することと、身に着けることは別の話だ。
そしてリーウィアが言うところの「ゆっくり考える」のは身に付け方についてである。
「いかがですか、旦那様?」
そう悪びれもせず、むしろちょっと得意そうな微笑を浮かべる新妻に、イェルドは苦笑するしかなかった。
「……ごもっともだ。ならお手並み拝見といくとするか」
イェルドが降参だとばかりに肩をすくめたときにはもう、ラングレン夫妻が目の前に来ていた。
まず夫のリグがまったく田舎臭くない優雅な一礼を取り、妻クロエもまた洗練されたヴェステリア公国式のカーテシーを取った。
今日まで夫婦揃って物凄く練習を重ねてきたことは絶対に秘密である。
「本日はお招きいただきありがとうございます。ヴェステリア公国の特使に任じられておりますリグ・ラングレンです」
「妻のクロエにございます」
「ヴェステリア公国を代表し、レウリアーダ辺境伯ならびにレウリアーダ夫人のご結婚をお祝い申し上げます。公王陛下より祝辞の親書とお祝いの品を携えて参りました。後ほどお改めいただければ幸いです」
一国の特使として一分の隙もない、じつに見事な口上であった。
さきほど魔種たちと諍いを起こしたことは、リグにすれば「公国の特使としてあるまじきやらかし」という認識である。この挨拶まで失敗できないという崖っぷち的な思いがあった。
あと魔導卿と比肩する魔力を備えるイェルドのことが普通に怖かったりもする。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。レウリアーダ辺境伯、イェルドです」
対するイェルドは内心で安堵しながら笑顔で応じた。
諍いがあった兼ね合いから、多少なりとも機嫌を損ねているのではないかと心配していたのだ。
両者の思いは綺麗にすれ違っていたわけだが、そんなことを双方が気づけるはずがなく。
「紹介しましょう。妻のリーウィアです」
「ようこそお越しくださいました。リーウィア・レウリアーダです」
リーウィアは綺麗な微笑を浮かべながら、刹那リグの頬が緩んだことを見逃さなかった。
「ヴェステリア公国は我がレウリアーダと東に国境を接する、言わば隣人のようなお国と思っています。当家も夫イェルドに代替わりしたことですし、今後はより厚く貴国と誼を通じていきたいと、そう主人とよく話しているのですよ」
「公王陛下にその旨をよろしくお伝え願いたい」
淀みなく追従したイェルドだが、もちろんそんな話は初耳である。
過去にリーウィアとヴェステリア公国について話したことと言えば――。
『子供の頃に一度行ったことがあるが、小国ながら長らく政情が安定している平和な国だよ』
『でしたら当家の想定敵に数える必要はございませんか?』
『当然あるさ。国境を接する以上は仮想敵だ。でももし有事になろうとレウリアーダ単独で戦える規模だし、過度に警戒する必要の無い国ではある。戦争とは無縁なのどかな国なんだぞ』
といったくらいのものだった。
「勇名轟くレウリアーダ家からそのようなお言葉を頂戴するとは。必ずや公王陛下にお伝えしましょう」
野蛮人集団から歩み寄りの言葉を引き出せた(引き出してはいない)ことに、リグは胸中で強く拳を握った。
(私はやりましたよ、公王陛下! ちょっとやらかしてしまいましたが、レウリアーダとの友好関係を築く足がかりを掴んでみせたのです!)
もはやリグのなかから世界に打って出る気概は綺麗さっぱり消え失せていた。
怖い人たちとは仲良くしておくべきなのだ。
そこでイェルドがクロエを気遣った。
「報告によると、諍いがあったとか。大事はありませんでしたか?」
友人が相手ならリーウィアに丸投げしているところだが、特使が相手となればイェルドが主体的に会話を回さねばならない。
公式の場でリーウィアが前に出すぎると、夫婦揃って体面を損なう恐れがあるからだ。
夫を差し置いて前に出過ぎる妻、妻の尻に敷かれている情けない夫――といった具合だ。
なのでこれはクロエを気遣う体を装ったリーウィアへの気遣いというのが実態だったりする。
「はい、貴家の方が仲裁に入ってくださったおかげで大事ございませんでした。お祝いの席だというのにお騒がせしてしまい申し訳なく思います」
「前辺境伯ご夫婦にも大変お世話になりました。辺境伯からもよろしくお伝えください」
「ええ、必ず伝えましょう。ですがどうぞお気になさらず。招く側として当然の措置ですので」
リーウィアは夫の優しさを感じつつ、自然な形でクロエに水を向けた。
「クロエ様とお呼びしてもよろしゅうございますか?」
「え、あ、はい」
「ありがとう存じます。私のこともリーウィアとお呼びくださいね」
柔らかに微笑みかけ、リーウィアはクロエに手招きした。
「お近くに」
「?」
クロエは横目にリグを窺い、リグが困惑気味に頷くと、誘われるまま新婦席に近づいた。
「もっとお近くに」
席の目の前までクロエが距離を詰めても、リーウィアは立ち上がってさらに手招き。
とうとう顔を寄せ合うような至近距離に至ると、リーウィアはクロエに耳打ちした。
「え……?」
「どうか騙されたと思って試してみてください」
「はあ……わかりました」
クロエは首を傾げながらリグの隣に戻ると、夫の耳元で短くささやきかけた。
「はあ!?」
リグが目を見張り、頬を引きつらせながらクロエを見て、それからリーウィアを見た。
「お答えくださいな」
リーウィアがくすくすと笑いながら促すと、リグは諦めたようにぽつりと、
「……しています」
「ええっ! こんなときに!?」
特使夫人という立場を忘れて驚きの声を上げるクロエ。
置き去りにされたイェルドが訝しげな顔をして「いったいなにを言ったんだ?」とリーウィアに目だけで問うた。
「今、欲情されていますか。正直に答えてくれないと嫌いになりますよと。そうご主人に尋ねてみてくださいとお願いしました」
「酷なことをするものだ」
イェルドは苦笑するしかない。特に〝誰に〟欲情しているのかを示唆していない点が悪質だ。
今の反応からしてクロエはきっとリグがこんな公の場で自分に欲情していると思い込んでいるのだろう。
「あら、ラングレン卿には嫉妬なさらないのですね」
「うん? ああ、それはクロエ夫人がいらっしゃるからな。欲情してしまうのは本能だから仕方ない。それでも心が揺らぐことは絶対にないだろうという確信がある」
「そこまで断定されますか」
「するさ。方向性こそ違うが、特別な魔力を備える妻を持つという意味で卿と私は同士だからな。事実、私は夫人に少しも揺れていないだろう? 卿も同じだよ」
「説明されてもやっぱり少しも共感できません」
「いいんだ。私がリーウィアだけを愛していることが伝わればそれで」
「そこはちゃんと伝わっていますけど」
「ならいい」
リーウィアは表情を真剣なものに改めてリグに語りかけた。
「今のやり取りを受けて、ラングレン卿はすでにある程度の推察をなさっていらっしゃると考えますが、いかがでございましょう」
リグはリーウィアのまとう空気感が変わったことを受け、数秒の黙考を経てから口を開いた。
「……そうかもしれないと思うところがいくつか。ただ正直に言えば今はまだ半信半疑といったところです」
「諍いが起こったことには明確な原因がございます。式での騒動も同じです」
「やはりそうでしたか。私も違和感は覚えていたのですが……」
「無理もないかと。貴国は〝地政学上〟そうした種類の情報が手に入りづらいでしょうから」
リーウィアは善意と配慮から意図的に言葉を装飾した。
しかしリグとクロエの解釈は違っていた。
(物を知らない田舎者って言われた……)
(やっぱり芋臭いって思われていたんだ……)
田舎人は都会人が思う以上に自身が田舎者と思われることに敏感なのだ。
「いかがでしょう。この機会に正確なところを把握されては。これはクロエ様の身の安全に関わることでもあります」
「それは……願ってもないことですが」
リグとしてはどうしてそこまでしてくれるのか、なにか裏があるのではと勘ぐってしまい、すぐに了承の言葉を口にできない。
多少なりともその胸中を察していたリーウィアは重ねて、
「同じ特性を持つ者としてクロエ様が心配でならないのです。現に奥様は危うい目に遭いかけました。夫もラングレン卿のことをある一面で同士と思っております。
まずはお話だけでも聞いてみませんか? ただひとえにクロエ様のために」
リグの目がイェルドに向く。
イェルドが深く首肯したことで気持ちが決まった。
「ではお言葉に甘えて」
「良うございました。かといってあまり公にすべきお話ではございませんし、別室にて主人がご説明します」
予想だにしていなかった展開に、イェルドが弾かれたようにリーウィアを見た。
「…………」
「お願いしますね」
ニッコリと微笑みかけるリーウィアだが、イェルドの顔はあからさまに「えぇ……」と訴えていた。
「いや、それは……今は披露宴の最中ですし、そのお話はあとでも……」
「ラングレン卿の言うとおりだ。まだ挨拶を待ってくれているお客様もいらっしゃるんだから……」
「お二人ともなにをおっしゃっているのです。何度も言わせないでください。クロエ様の安全に関わることなのですよ? そう長い時間が掛かる話でもありませんし、気になるなら手早く済ませてきてください」
そう畳みかけながら、リーウィアは男たちが物申す前にクロエに水を向けた。
「主人たちの話が終わるまでクロエ様は私と一緒に待っていましょうね」
「あ、はい……」
クロエはほぼ話についていけていなかった。
リーウィアの狙いは夫婦の分断とクロエに対する個別説得である。
(クロエ様さえ口説いてしまえばラングレン卿はどうとでもなる。……これが最短かつ最速の勝ち筋)
リーウィアは自身の経験から知っていた。
基本的にイェルドはリーウィアの願いをなんだって叶えてくれる。以前に「私は君が望むなら大陸制覇だってしてみせよう」なんてことも言っていたが、あれはたぶん本気だ。
とにかく甘やかし方が尋常ではない。
こちらが迂闊なことを口にしないよう気をつけなければならないほどなのだ。
(ラングレン卿もきっと同じに違いないわ。あとはクロエ様をどう口説き落とすか……)
攻めの手はある。ヴェステリア公国はのどかな国だ。
クロエが知らない世界――きらびやかな生活。金銭。服。宝石。美味しい食べ物。まずはその辺りから探りを入れる。
ここまでのやり取りから押しに弱そうな性格と見た。
取っ掛かりさえ掴めば口説き落とせる可能性は十分にある。
「行こう、ラングレン卿」
イェルドは諦めて腰を上げた。
事前に「お手並み拝見」と口にしてしまっている以上、ここで梯子を外しては嘘をつくことになってしまう。
やりたいようにさせてやりたいという思いだってある。イェルドはリーウィアにだけはひたすら甘かった。
「いや、しかし……」
「夫人のことなら心配ない。当家の威信にかけて安全を保証しよう」
苦笑して言うイェルドに思うところがあったのか、リグは似たような苦笑を浮かせて深く息を吐いた。
「わかりました。辺境伯がそこまでおっしゃるなら」
「案内しよう」
男二人が気安く雑談しながら屋敷へ向かう。
やはり似た特性の妻を持つ者同士、通じるものがあるのかもしれない。
それからリーウィアはマヤに茶を用意してもらっているあいだクロエと軽い雑談に興じた。
良い具合に打ち解けてきたこともあり「さてどこから探りを入れようか」と本腰を入れかけたそのときのことだ。
「……なにごとですか?」
遠くから怒号というほどではないが、喧騒じみた複数の声が聞こえてきた。
「様子を見て参ります」
マヤがそう言って一歩踏み出そうとしたときにはもう、彼らの姿が視界に映っていた。
人を乱暴に押しのけながら現れた複数の男たち。
取り巻きらしき者を引き連れた一人の若者がリーウィアにニヤついた笑みを向けてきた。
「こんにちは〝リーウィア〟夫人。祝意を告げに伺いました」
大仰に腕を広げてそう言ったのは、結婚式で騒動を起こしたディートリヒ・フォン・ロッシュフィルトであった。




