32.魔性の花嫁
「……ほう? どこの誰が、どういう理由で、私たちの誓いを認めぬというのか聞かせてもらおうではないか」
イェルドが怒気の魔力を立ち上らせつつ、異議を唱えた声がした方向に問いかけた。
それを契機に白亜の間が緊迫した空気に塗り替わっていく。
式場に配置された近衛、サシャやライノといったレウリアーダの騎士が不測の事態に備えて即応できる体勢を取った。
「…………」
「…………」
かたやグランフェルト国王と魔導卿ルインヴェルクが刹那の内に目でのみ意思疎通を図った。
二人は数十年に及ぶ付き合いだ。ひと呼吸のあいだに意識を共通させた。
「なんだ、物申したわりに名乗り出ては来ないのか? 異論があるなら承ると言っている」
再度呼びかけたイェルドも、来賓の数が多いことから無粋者を特定できてはいない。
しかし周囲の引いた反応から、すぐに二・三名ほどに対象を絞り込むことができた。
そのうちの一人が盛大に頬を引きつらせながらも整然とした声で訴え出てきた。
「さきの発言を撤回いたします」
「貴殿はどなたか」
イェルドは無粋者と声が異なることに気づき、最低限の礼節を以って問いかけた。
「イグサーマク王国 グランフェルト王国駐在大使 ゲルハルト・シュタインベルクです、辺境伯閣下」
式場がにわかにどよめいた。
この場に居る者は所属に関係なく要人ばかりだ。
ほんの四ヶ月ほど前までグランフェルトとイグサーマクが戦争状態にあったことを知らぬ者はいなかった。
「祝いの席に水を差す行いをしましたことを、イグサーマク王国を代表して謝罪するとともに、さきの発言を撤回することを公式に言明いたします」
やむを得ないことだとはいえ、このどよめきがゲルハルトの心をさらに苦くさせる。
この式へ参席することは、講和した両国の雪解けを印象付ける最初の行事となるはずだったのだ。
(それをよくも……世間知らずのお坊ちゃまがッ!)
謝罪の言葉を述べるゲルハルトは、暴挙を起こした当人――ディートリヒの腰の服を引きちぎらんばかりに握り込んでいた。
これ以上の騒ぎは起こすな、黙っていろと。
「…………」
そのディートリヒはというと、他の誰のことも眼中にない。血走った目をして吸い寄せられるように花嫁を凝視していた。
それに気づかぬイェルドではない。
「イグサーマク王国の意思ではないと」
「無論です、閣下」
「しかし大使殿よ。異論を唱えた当人に撤回する意思はあるのか? そのような不躾な目を我が妻に向けているのに?」
そう言いながら、イェルドはディートリヒの視線を遮るべくおのが体をリーウィアの前に置いた。
すると意外なことに、ディートリヒは綺麗な微笑をイェルドに向けた。
「ロッシュフィルト公爵家が次男、ディートリヒ・フォン・ロッシュフィルトです。〝辺境伯〟」
「…………」
短い言葉ながら、品位を感じさせるディートリヒの声音。
だが敬称を敢えて付けなかったであろうやり口に、イェルドは目を細めた。
家格はディートリヒの方が上ではあるが、彼は当主でもなければ嫡男ですらない。家を継ぐことが決まっているなら自身を次男と称さず、嫡男ないし嫡子と表現したはずだ。
これは相手に自身の立場を知らせるマナーである。
もっとも、
(生意気そうなガキだ。死なない程度に炙ってやろうか……)
たとえディートリヒが公爵家の嫡男であったとしても、身分は現役辺境伯が上回る。
ゆえに彼は立場上「辺境伯閣下」と呼ばないまでも「辺境伯殿」もしくは「レウリアーダ卿」とすべきだった。
「花嫁があまりに美しく、私自身も無意識のまま叫んでしまったのです。お二人の婚姻に疑義を挟む意図はありませんでした。さぞご不快に思われたことでしょうが、寛大な心を以ってお許しくださると幸いです」
その淡々とした言葉運びに最も驚きを示したのは、他でもない火消しに奔走していたゲルハルトであった。
「当人もこう申しております。正式な謝罪は後日改めて行わせていただきます。どうかこの場はご寛恕ください」
「如何にする、辺境伯。ここで許さねば、今度はそなたの器量が問われるやもしれぬぞ?」
そう愉しげに茶化したのは、グランフェルト国王その人である。
真意は不確かだが、少なくともイェルドはこの言葉を「このあたりで矛を収めよ」という内意であると解釈した。
そしてリーウィアもまた機を図っていたのだろうか。
「〝あなた〟」
「っ……!?」
ちょんと袖を摘みつつの「あなた」呼びである。
指に描かれた突剣さながら、イェルドの心臓は一撃のもとに貫かれてしまった。
「わかりました。本意でなかったのであれば撤回を受け入れましょう」
イェルドの機嫌は復活するどころか今日一番の良さとなっていた。
しかし、
「いやあ、良かった良かった」
グランフェルト王がいっそ芝居じみた笑い声を上げながら先々代辺境伯グレーゲルに言う。
「この上ない慶事だというに、また戦争になるのではないかと肝を冷やしたぞ」
「まことに。つい先日講和を結ばれたばかりですからな」
老練な先々代は阿吽の呼吸で国王の御意を悟った。
「うむ、そなたに死に場所を与えずに済んだわ」
「私としてはいささか残念にございますが。私みずからがレウリアーダの全軍を率いて国境になだれ込む――これはこれでなかなかに心が踊りますゆえ」
もっといえば、老練な男はグレーゲルだけではない。
「もしそうなっておれば儂も合力しておったのだがな」
「おお、ヨラン殿もともに死に花を咲かせられるか」
「馬鹿を申すな。儂はそなたのような武辺者ではないのだ。どことは言わぬが国王陛下の御意のもと、しっかり焼け野原にしたあと帰ってくるつもりだ」
「物騒な老人どもだ。なあ、ユークリウスよ」
王太子ユークリウスは不敬にも国王の問いに答えず、しかしその代わりに国王の御意を代弁した。
「不快である。去れ」
ディートリヒとゲルハルト、両名にだ。
「…………かしこまりました」
ゲルハルトは絞り出すように答え、一方ディートリヒは黙礼するのみであった。
両名が式場を辞すと、グランフェルト王が新郎新婦に柔らかに微笑みかけた。
「さあ、式を続けよう」
「恐れ入ります」
「ありがとう存じます」
イェルドとリーウィアは改めて戴く王に畏怖し、また自然と心服した。
進行役のルーカスが今一度証人たちに問いかけた。
「改めて問おう。この婚姻の真正を、皆は承認してくれるか!」
「承認しようではないか!」
グランフェルト王の高らかな声を呼び水に「認める!」「祝福しよう!」と来賓から次々と声が届いた。
もっとも、そのなかには、
「当然よ!(フレンダ)」
「舐めてんのかい!(ヘレン)」
「やるのか、おい!(グレーゲル)」
「受けて立つぞ!(レオン)」
「かかってこい!(アンジュ)」
「すべて斬る!(サシャ)」
「いつでも征けるぞ!(ライノ)」
などという主戦論的な声も混ざっていたが、どの家の者の叫びかは論じるまでもないだろう。
承認するかと問われているのに口にしていることは、もはや酒に酔ったならず者が飛ばすような野次でしかなかった。
リーウィアあたりはもう恥ずかしくって「ここは王宮なのよ、やめて……」とヴェールの下で顔を真っ赤にし、唯一の良心であるシーラも手で顔を覆っていた。
レウリアーダ邸のノリを王宮に――しかも王族や外国の要人の前で披露するなど赤っ恥もいいところであった。
「万雷の承認を以って、ここに二人の婚姻は成立した! 二人の門出に盛大なる祝福を!」
ルーカスの呼びかけを受け、万雷の拍手が白亜の間に響き渡った。
拍手が収まったところで、ルーカスがあらかじめ用意していた婚姻誓約書へサインするよう目で促した。
「さて、二人が誓約書にサインしているあいだに、もう少しだけ私の話にお付き合いいただきたい。
皆様の賛意を得たことで二人はすでに夫婦となっておりますが、当家の慣わしにはあと一つだけ重要な儀式が残されております」
そう前置きし、ルーカスは来賓に向けて「花嫁の薬指に魔力痕を刻む」という儀式の内容を説明した。
じつのところレウリアーダ家では、当主の妻と、家門の女主人とを明確に区別している。
そしてこの魔力痕はレウリアーダ家の女主人であることの証とされていた。
原則として当主の妻と女主人は同一の存在である。
だが仮に当主が側妻を持ったとしても魔力痕が与えられることは絶対にない。
当代に二人の当主が並び立つことがないように、女主人もまた唯一無二の存在だからだ。
事実、弟レオンの妻アンジュには、この魔力痕が刻まれていなかった。
レウリアーダは他国と国境を接する家柄であるがゆえに、有事に際し当主が采配を振るえない状況に陥った場合、女主人は軍権を行使することすら許されている。
当主に継ぐ強力な権力を握る存在なのだ。
「あるいは皆様のなかには『花嫁の肌に生涯消えぬ痕を刻むなど』と眉をひそめる方々もいらっしゃるかと思います。
しかしこの儀式を行わないことには、リーウィアが真の意味でレウリアーダの女主人として認められることはございません。
武門たるレウリアーダ家当主の妻たる者は、その身の内に一振りの剣を宿さねばならぬのです」
先人たちがそうしてきたように、妻フレンダの指にも、母ヘレンの指にも剣が刻まれている。
これも一つの誓いであり、妻が示す覚悟である。
そう話を締め括ったルーカスは、新郎新婦に目配せをした。
「これより、我がレウリアーダ家門が代々受け継ぎし、最後の婚姻の儀を執り行う!」
式場が再び厳粛な静寂に包まれた。
イェルドが一歩距離を詰めたそのとき、リーウィアは先んじて口を開いた。
「ヴェールを。その瞬間をこの目に焼き付けておきたいのです」
「ああ」
イェルドがそっと純白のヴェールを上げた瞬間、白亜の間は静謐を保ったまま、しかし来賓席から魔力という目に見えぬ圧力が一気に膨れ上がった。
だが今さらそんなことを、イェルドとリーウィアは気にしなかった。
「美しいにもほどがあるだろう。やはり君はユンヴェルの使徒じゃないのか?」
「私は美の女神の使徒ではありませんよ。あなた様の妻です」
そのやり取りもまた、バスローブ一枚だけを身にまとって臨んだ、あの見合いの日の再現であった。
イェルドがリーウィアの左手から手袋を外し、その細い指を慈しむように撫でた。
お抱えの絵師が最後の仕上げを施した薬指の根本には、特殊なインクで描かれた一振りの突剣が静かにたたずんでいた。
「痛みはない。一瞬で済む」
リーウィアは堪らず小さく吹き出してこう答えた。
「これも一瞬でゼロが百になるのですね」
「うん? ああ、そうとも言えるな」
警報の魔道具と同じだ。ゼロか百しかない。退路はなく、半端な結末もあり得ない。
あのときリーウィアはサシャに「征かれますか」と問われ、躊躇うことなく「征くわ」と答えた。
(征きましょう。過去の傷痕とお別れして、この人が刻んでくれる新たな痕と一緒に。この人がくれた未来へ)
そんな想いはリーウィアの独り善がりだったのかもしれない。
魔力を流すその直前にイェルドが言ってくれた。
「私は君に刻まれているすべての痕を愛す」
「――――」
リーウィアがたった今決別しようとした過去の傷痕も。イェルドがその手で刻む誓いの痕も――。
「その痕すら私は愛おしいんだ」
イェルドにとっては大差ない。どちらもリーウィアだから。
「っ……」
イェルドがくれた存在を丸ごと抱擁するような言葉が、薬指から流れ込む魔力を通じて全身へ広がっていく。
初めはぬるま湯のように優しかった温もりは、リーウィアの内側であらゆる過去を溶かし尽くすほどの熱い激情へと姿を変えていった。
あふれんばかりの熱は心臓を震わせ、喉を締め付け、またたく間に顔中へと広がり、最後は堪えきれぬ大粒の涙となってリーウィアの頬を滑り落ちた。
「あなたさまをっ、あいしてっ、いますっ……」
「良かった。やっと両思いになれた」
「ばかっ……」
リーウィアは愛しい夫の首を引き寄せ、少しでもこの想いが伝われと願いながらイェルドの唇を奪った。
「今このときより花嫁はリーウィア・レウリアーダとなった! イェルドとリーウィアに幸あれ!」
まさかの急襲に目を丸くするイェルド。
瞳をきゅっとつむり、ただ必死に唇を押し付けるだけの下手くそな口づけをするリーウィア。
そんな愛らしい新婚の二人に、祝福の万雷の拍手が惜しみなく降り注いだ。
◆◇◆
イグサーマク王国の紋章が刻まれた馬車の車中は非常に重苦しい空気に満ちていた。
「あなたはご自分がなにを仕出かしたのか理解しておられるのか」
ゲルハルトの声は冷静ではあったが、その響きはほとんど詰問に近かった。
「あの場で釈明したとおりだ。遺憾だとは思う。だが無意識にこぼれ出てしまったことゆえ、大使殿にはただただ申し訳なく思うばかりだ」
ゲルハルトは取り繕うことなく深いため息をついて目頭を指で揉んだ。
この公爵家の世間知らずに言いたいことは山ほどある。
だが問いただしたところで無意味であろう。
吐く言葉はそれなりに慇懃だ。しかしその声音や態度からディートリヒがまるで意に介していないことは明白だった。
(……忌ま忌ましいにもほどがある。誰が貴様の尻拭いをさせられると思っているのだ。もし本国が私を咎めようものなら全力で噛みついてやる。この馬鹿を寄越した上の責任だ)
そもそも大使たるゲルハルトの立場では、ディートリヒなどに構っている場合ではない。
言いたいことと同じくらい考えるべきことも山積みなのだ。
取り分け今回のやらかしがグランフェルト国王王妃、王太子夫婦が揃った場で起こったという点が深刻であった。
(実質的に事を治めたのは国王だ。他愛のない牽制に過ぎないが武力行使まで示唆するとはな……)
それだけディートリヒの行いを不快に思っていたという証左だ。
間違いなく明日には貴族界隈を賑わす話の種にされるだろう。
各国の要人に見られたのもまずかった。イグサーマクの国威を大いに損ねることになってしまった。
とにかくまずは対グランフェルトで致命的な外交問題へと発展させぬよう、これ以上の延焼はなんとしても防がなければならない。
「……ともかくです、公子殿。あんなことがあった以上、もはや披露宴には出席できません。大使館で大人しくしていてくださいますように」
「私に謹慎しろと?」
「そう受け取ってもらっても構いません。此度のことは本国にありのまま報告させていただきます」
「別に我らが披露宴に赴いてもレウリアーダ家は断らぬと思うのだが? もっとも、歓迎はされぬだろうけどな」
ゲルハルトは唾を飛ばして罵ってやりたくなった。
(賢しらな小僧がッ……!)
ディートリヒの読みは恐らく当たっている。
レウリアーダ家はイグサーマク王国の祝意を拒絶したりはしないだろう。
そこまで行く手前の段階で国王が――直接不快感を口にしたのは王太子だが――事を治めたからだ。
グランフェルト王室は不快感を示したが、国王が言及したからこそイェルドはあのとき「撤回を受け入れた」のだ。
ゆえにレウリアーダ家にイグサーマクからの祝意を断る理由はなく、ディートリヒが言うように歓迎はまったく期待できないが門前払いされることもないだろうと、ゲルハルトも読んでいた。
国王の差配にはそうした政治的配慮が込められていた。
ある意味でレウリアーダの代わりに国王たるものが不快感を代弁してくれた、泥をかぶってくれたとも言える。
(こちらとしては逆のほうが良かったがなッ)
どうせ揉めるのであれば、グランフェルト王室よりレウリアーダ家とこじれたほうがまだマシだった。
それもこれもすべてこの不遜なお坊ちゃまがやらかしてくれたせいだ。
「仮に拒絶されずとも歓迎されぬことはわかり切ったことです。あなたは問題を起こされに行かれるつもりなのか」
「まさか、謝罪と祝意を告げたいだけだ」
「……リーウィア嬢、いや、すでにレウリアーダ夫人ですか」
そこで言葉を意図的に切り、ディートリヒの反応を見る。
あのとき彼がリーウィアを見つめる目は尋常ではなかった。
「夫人に手出しすれば公子殿ほどのお立場でも身を滅ぼすことになりかねませんよ」
「杞憂だ」
「……で、あれば良いのですが。披露宴への出席はなりません。よろしいか?」
「わかった」
「結構」
図ったかのように馬車がイグサーマク王国大使館に到着した。
「では私はやるべきことが山積みですのでここで失礼させていただく。今日一日は大使館にてゆるりとお過ごしください」
「迷惑をかけた。大人しくしていよう」
頷き、ゲルハルトが大使館に入っていった。
入れ替わるように迎えに出てきた近習がディートリヒに近寄ってきた。
彼もまた結婚式には参加できなかったものの、披露宴に出席すべく本国から派遣されていた魔種の一人であった。
「大使が浮かぬ顔をされていましたが、式にてなにか問題が?」
「どうも大使殿は体調を崩されてしまったようだ」
ディートリヒの声音、目つき、纏う魔力の加減から、近習は言葉を額面通りに受け取らなかった。
「……大使殿ですよ? 手出しすれば、さすがにお立場を危うくされるかと」
「貴様はなにを言っている? 大使殿は体調を崩されているだけだぞ? 大使館にてゆっくり休めば復調されるであろうよ」
「今日一日は部屋でお休みになると」
「ああ、そうおっしゃっていた。残念だが披露宴には我らだけで行くことになる」
「……かしこまりました。大使館を一歩も出られないよう手配します」
「頼む」
近習は深く一礼し、影のように下がっていった。
その背中を見送りながら、ディートリヒは唇を歪めた。
「リーウィア……」
思い返されるのは、白亜の間で彼女の姿を捉えた瞬間の、あの世界が塗り替わったかと思われたほどの衝撃。情欲をこれでもかと掻き立てられた魔力。
「いいな、あれは私にこそ相応しい……」
血走った瞳に恍惚の光を宿し、ディートリヒは再び馬車のシートへと深く身を沈めた。
行く先はリーウィアが待つレウリアーダ邸だ。
◆◇◆
ヴェステリア公国の特使、リグ・ラングレンは混乱のさなかにあった。
色々と衝撃を受けすぎたせいで式場から大使館までどうやって戻ったのか記憶が曖昧なくらいだ。
その衝撃の強さは、一事を取り上げただけでもお上りさんの心の許容量を大きく上回ってしまっていた。
「え、あれ……? 魔種ってあんなごろごろいるものなのか……?」
物凄く稀有な存在ではなかったのか。
あんな数十人単位が一堂に会せるくらいに世にありふれた存在だったのか。
リグの常識が砂上の楼閣のごとく崩れ落ちていく。
「魔導卿はさすがに俺も知っていたけど、やばくないか? あれ……」
じっさいの強さがどの程度のものかはわからないが、ひと目見た瞬間から「逆らっちゃ駄目だ」とリグの本能が脳内でけたたましく警鐘を鳴り響かせていた。
「やばいと言えば、辺境伯も魔導卿と同じくらいやばかったな……」
あとレウリアーダ辺境伯家もやばい。なんだあの野蛮人の集団は。怖すぎる。
高位の貴族とはもっとこう、お上品な人たちだと思っていた。
「国王陛下も笑っているのにめちゃくちゃ怖かったし。うちの公王陛下とは大違いだわ……」
人の良さそうな笑みを浮かべ、リグを送り出してくれた公王の顔が恋しくなった。
そんなあれこれに衝撃を受け続けていたものの、やはり腰を抜かしそうなほど驚いたことは――。
「あ、おかえりなさい、リグ。式はどうだった?」
大使館にてリグを出迎えた妻クロエは特使夫人であるがゆえに式には出席を許されず、このあとの披露宴にのみ招かれていた。
「クロエっ、聞いてくれ! レウリアーダ夫人が……」
「奥様がどうかされたの?」
口をパクパクさせるばかりの夫に、妻のクロエがこてんと首をかしげた。
(どちゃくそエロかったなんて言えない……!)
言えないので、リグはもう一つの真実だけを口にすることにした。
「クロエとそっくりなんだ!」
「え」
クロエは数瞬の硬直を経てから困惑した顔を浮かべた。
「私みたいに芋臭いお方なの? 伯爵家のお嬢様なのに?」
「ぜんぜん芋臭くなんてないぞ。クロエみたいなのは素朴な可愛さっていうんだ」
「へへっ、ありがとっ」
「って、そうじゃないんだ。上手く言えないんだけど……魔力の雰囲気が? クロエに似ているっていうか……」
「あー、リグが昔よく言ってたやつ? おひさまみたいにぽかぽかする魔力だって」
違う。リーウィアの魔力はぽかぽかなんてしない。どちゃくそエロいのだ。
(でも凄い惹かれる魔力だなんて言えない……!)
たとえ魔力がどれほどエロかろうとリグに浮気心は皆無なのだ。
なので、
「そう」
そういうことにしておいた。
そんなお上りさんたちもまた、レウリアーダ邸へと向かう。
リーウィアと似て非なる魔力を持つクロエが、魔種がはびこる場に飛び込むということを――。
「美味しいお料理たくさん食べられるかなあ」
「あんまりがっついちゃ駄目だぞ。特使の妻なんだからしゃんとしてくれ」
この夫婦はまったく理解も想像すらもしていなかった。




