31.白亜の花嫁
ついにイェルドとリーウィアの結婚式の当日を迎えた。
リーウィアはまだ日が昇らぬ内に家門の一団を率いて出立する。
目的地は王城で、連れて行く彼らは主に花嫁たるリーウィアを着飾らせる人員だ。
「それではお先に」
「一緒についていきたかったんだがな……」
見送りに出てきてくれたイェルドが不満を漏らした。
結婚式は様々な事情を経て、最終的に王宮の「白亜の間」という、国家的な典礼が執り行われる格式の高い部屋で行われることになっていた。
「一緒にいらしても暇を持て余すだけですよ?」
リーウィアはこれから家門の威信を懸けて飾り立てられるのだ。
何時間も要するであろう準備を思うと、喜ぶに喜べないというのがリーウィアの率直な気持ちだったりする。
「綺麗なリーウィアがより美しくなっていくのを間近で見られるんだ。褒美以外の何物でもないだろ」
「ごちゃごちゃ抜かすな女々しいやつめ。貴様がいたところで邪魔にしかならんわ」
苛立たしげに二人に割って入ったのは義祖母ヘレンである。
そこに義母フレンダも加わった。
「行きますよ、リーウィア。イェルドなんて捨て置きなさい」
「あ、はい」
二人はリーウィアと同じく先発組である。
花嫁本人よりも彼女たちのほうがよほど気合に満ちていた。
「私は新郎で当主なんだが……」
「いや、今のは普通にお前が女々しかったと思うぞ」
離れ行くリーウィアを見送りつつ、扱いの悪さに思わず独り言ちたイェルドを、アーロンが切って落とした。
「アーロンの言うとおりです」
さらに同意したのはイェルドの弟であるレオンだ。
「結婚式は花嫁が主役です。脇役たる兄上は大人しくしていてください。――ああはなりたくないでしょう?」
「まあ、そうだな」
レオンが指さしたさきの光景に、イェルドは苦笑いした。
しれっと付いていこうとしていた祖父グレーゲルがヘレンに蹴飛ばされていた。
かたやリーウィアは背後に義祖父と義祖母の喧騒を聞きながら、しかし振り返ることなくフレンダとともに馬車に向かう――自分の足で歩きながらだ。
「脚、かなり良くなったわね」
「はい、ヨランお祖父様の熱心な治療と、皆様の支えのおかげです」
「有難いことだけど、ヨラン様には本当に頭が上がらないわ」
それはそうだろう。
リーウィアの治療どうこう以前に、そもそもレウリアーダはイェルドのことでヨランに多大な恩義がある。
「お返ししたくても魔導卿閣下ですもの。どうにかして御恩にお応えしたいのだけどね……」
「私がいれば十分だそうですよ?」
「そんなことをおっしゃっているの?」
「はい、テレシア様を亡くされて、あとはただただ寂しい余生を過ごすだけだと思っていたところ、リーウィアに巡り会えた。儂がくたばるまで時々で良いから話し相手になっておくれと」
「ふふ、そうなの」
「嬉しゅうございますけど、お会いするたびに『小遣いやろうか?』とおっしゃってこられるのが」
「まあっ」
義母と義娘が、さながら本当の母娘のように揃って吹き出した。
とそこで、リーウィアは思わず歩みを止めて目を丸くした。
「どうしたの、ライノ。その姿は……」
「おはようございます。奥様」
綺麗な所作で腰を折った御者ライノは、かつて見たことのない騎士服姿で待ってくれていた。
いつも身だしなみが整っている彼だが、今日は髪も髭も毛の一本に至るまでしっかりと整えられており、その騎士服も相まって老練な高級騎士を思わせる装いだ。
「本日は奥様をレウリアーダにお迎えする輝かしき一日となります。じつのところかねてより旦那様に嘆願しておりまして、今日一日に限り原隊復帰を認めていただいた次第です」
「旦那様も気心が知れた者が良いだろうと、私とともに奥様をお護りすることになりました」
隣に並び補足してくれたのは言うまでもない、専属護衛であるサシャだ。
リーウィアは胸の前でパチンと手を打った。
「嬉しいわっ。それにその騎士服、とっても似合っていて素敵よ」
「ありがたき幸せ」
ライノが頬を緩め、慇懃に馬車の扉を開いてくれた。
リーウィアが一歩踏み出そうとしたそのとき、背後から肩を抱かれた。
「んじゃまあ行こうかね。女の戦場へ」
「物騒なことをおっしゃらないでください。私は結婚式を挙げに行くのです」
ニタリと笑いかけてきたヘレンに、リーウィアはじとっとした目で応えた。
「そうは言うが、うじゃうじゃ来ているそうじゃないか。あんたを目当てにした魔種どもが」
「お祝いに来てくださっているだけですよ。それにもし事が起こったとしても……」
リーウィアが意味深な目をサシャとライノに向けた。
「奥様に無体を働かんとする不埒者は」
「我らが斬り捨てましょう」
違う。そうじゃない。
「護ってくれたらそれでいいから。お願いだから斬らないでね……?」
もし斬ってしまったら外交問題で済めばまだ良いほうで、下手をすると戦争へ一直線だ。
「これは命令ですからね? 絶対に斬ってはいけませんよ?」
「たとえこいつらが斬らずとも、イェルドが消し炭にするんじゃないかい?」
「そうでしたっ」
これから結婚式だというのに、リーウィアは不安でいっぱいだった。
◆◇◆
イェルドとリーウィアの結婚式は王城の「白亜の間」で、披露宴はレウリアーダ邸で行われることになっていた。
「王室と辺境伯家のあいだで結構な綱引きをされたと聞いています」
「ああ……あれな、大変だったよ。レウリアーダの言い分ももっともなんだがなあ……」
かたや、次代の魔導卿と目されるイェルドの婚姻を、国威発揚に利用したい王室と政府。
かたや、当主の結婚式に外から口出しされる謂れはないと不快感を示すレウリアーダ家。
丁々発止な協議を繰り返し、行き着いた妥協の産物が「式は王城で、披露宴は邸宅で」である。
「その件については、わたくしはあまり関わっていませんね。そのぶんあなたの〝やらかし〟に振り回されていましたけれど」
「結果論です」
「あなたはまたっ……」
式の内容はレウリアーダが堅守した。
グランフェルトでは一般に神殿で神官の立ち会いのもとに式を挙げるが、レウリアーダ家では代々、一族と来賓の前で誓いを立てる人前式が慣わしとされている。
「なにやら政治闘争じみた大事になってしまったことで、私は当事者なのにすっかり蚊帳の外に置かれていたのですよ?」
「その責めは甘んじて受けようじゃないか」
「自分の結婚式にまともに関われないなんて可哀想なリーウィア」
「お二人ともちっとも謝る気がないですよね?」
花嫁衣装に身を包むリーウィアが物申しているのは、式を前にわざわざ足を運んでくれた学舎の先輩夫婦――王太子ユークリウスと王太子妃アンネリーエの二人だ。
「ところで辺境伯は大丈夫なのか?」
そう尋ねてきたユークリウスがずっとチラチラと横目に見ているのはイェルドである。
「気にしないでください。ご自分の世界に浸っておられるだけですので」
「なんて美しいんだ……」
イェルドは花嫁衣装姿のリーウィアをひと目見た瞬間から一貫して放心状態だった。
リーウィアはもう慣れた。というより諦めている。
「そのようなことよりも、リーウィアはなにをしているのですか?」
「アンネリーエ様ってイェルド様に結構辛辣ですよね」
「ええ、あまり好きではありませんから」
「ちょ、アンネリーエ……」
「ユークリウス様だってご存知でしょう? わたくしが負わされる苦労の大半はこの人が原因なのですよ」
さらっとリーウィアの責任は免除されていた。
優しさか、それともアンネリーエチャレンジを無かったことにしたいのか。
「そうかもしれないが、レウリアーダ家は国境を守護してくれている重要な家のひとつだ。仲良くしてくれ」
「わたくしのリーウィアを奪っていくのに?」
「君のではないね」
ごもっともだが、アンネリーエが大好きなリーウィアは嬉しくなってしまう。
しかし裏腹なことに口から出た言葉は、
「縁談を仲介したのはアンネリーエ様ではありませんか」
「ですからリーウィアはなにをしているのです」
都合の悪いことは無視ときた。
さすが王族、汚い。
「もう、アンネリーエ様が興味を示されるから絵師様がお顔を青ざめているではありませんか」
「だって気になるのですもの」
「私も気になるな。手になにを描いているんだ?」
二人に問われ、リーウィアはお抱えの絵師がみずからの指に施す最後の仕上げを見つめた。
絵師が精密に筆を振るっているのは左手の薬指の根本あたり。一般的に結婚指輪を嵌める位置だ。
「レウリアーダの慣わしなのだそうです」
レウリアーダ家の当主の婚姻において、新郎は新婦の手に魔力痕を刻む。
特殊なインクで描かれたそれに魔力を流すと、新婦の肌に生涯消えぬ痕となって定着する。
「描く形は新婦の好きにして良いそうなのですが、必ず剣でなければなりません」
義祖母ヘレンの指には豪壮なる大剣が。
義母フレンダの指には質実な直剣が描かれ、それぞれがグレーゲルとルーカスによって肌に刻まれている。
「――決して消えぬ剣を夫の魔力を以って刻み、その身の内に剣を宿す。この儀式を通じて花嫁はレウリアーダの一門に迎えられる、という慣わしなのだそうです」
「ほう、身の内に剣を宿すという考え方が武門の大家らしいな」
「最初は肌に刻むなんてと思いましたけど、決して消えない結婚指輪だと思うと素敵なことかもしれないわね」
「はい」
リーウィアもレウリアーダらしい武張った、しかし同時に美しい慣わしだと思っている。
「ただ私の場合はこんな華奢な体ですから。お義母様たちのような立派な剣にしてしまうと、まず扱えないだろうと思いまして。優美でありながら、けれどいざとなったとき一突きのもとに敵を屠れるよう突剣にしてもらうことにしたのです」
「…………」
「…………」
ユークリウスは胸中で「あのリーウィアが物騒なことを考えるようになったものだ……」と思い、アンネリーエは「わたくしのリーウィアを野蛮人に貶めるとはっ」とレウリアーダを恨んでいた。
そこで秘書官だろうか、男性がユークリウスに控えめに声をかけた。
「殿下、そろそろ」
「ああ、もうそんな時間か。では辺境伯、リーウィア、式場で会おう」
「わざわざお運びくださりありがとうございました」
ユークリウスが踵を返そうとしたそのとき、アンネリーエが声をかけた。
「ユークリウス様、あれを伝えておりませんよ」
「おっとそうだった。辺境伯……は聞こえていなさそうだからリーウィアに伝えておこう。予定に無かったことだが、式に父上と母上が出席されることになったゆえ、そのつもりでいてくれ」
「ええっ!?」
「奥様、どうかお静かに」
「あ、ごめんなさい……」
腰を浮かせかけたリーウィアに、絵師が見事に反応したことで精密に描かれていた剣が崩れることはなかった。
「……国王陛下が列席なさるのですか?」
そう問いかけたのは夢の世界から舞い戻ったイェルドである。
困り顔なイェルドの様子を見て、ユークリウスは悪い顔を浮かせて追い打ちをかけた。
「どうも辺境伯は例の一件以来、余を避けておるようなのだ。合わせる顔がないのか知らぬが、向こうが来ぬなら余から会いにゆくしかあるまいよ、と陛下は仰せだ」
「別に避けているわけではないのですが……」
「でも国威発揚のためであるなら、両陛下がお運びになるのも道理かもしれませんね」
「奥方殿の推察のとおりである。辺境伯」
「承知しました。あまり悪目立ちしたくはないのですがね」
「それは今さらでしょうに」
アンネリーエが暗に醜聞を当てこすったところで話は打ち切られ、王太子夫婦が部屋を辞していった。
「うん、やっぱり私は妃殿下に嫌われているようだ」
「本当に良いお人なのですよ。色々とございましたけれど、挫けず仲良くしてくださいね」
「確かに私もやらかしたが、妃殿下の不興の半分くらいはリーウィアの責任じゃないか?」
「アンネリーエ様は私に甘うございますから」
「困ったものだ」
それからも親族を中心にごく近しい者たちに限り、新郎新婦の様子を窺いに来てくれた。
弟のスヴェンが来てくれたときには、
『もしかして泣いていらっしゃるのですか?』
『泣いてはいないでしょう。涙ぐんでいることは認めますけど』
『ふふ、そうですね』
『姉上は本当に苦労を重ねてこられましたから。……お恥ずかしい』
『いいえ、喜びの涙ですから恥ずべきことではございませんよ』
なんてやり取りが義妹のシーラと交わされていて、それを見たリーウィアが「この二人はもしやっ」と心のなかでだけ前のめりになった場面もあった。
やがて刻限が迫り、イェルドもまた花嫁を迎えるべく、一足先に式場へ向かった。
「旦那様、お嬢様、そろそろご準備を」
柔らかな声で促してくれたのは、リーウィアが姉とも思うお付きの侍女マヤであった。
「今のが最後になったのかしら。マヤにお嬢様と呼んでもらえる機会は」
「きっとそうなのでしょうね」
「なんだか寂しいわ」
「私は喜びしかございませんよ? お幸せになってくださいませね、奥様」
「きっとなるわ。今まで支えてくれてありがとう」
「はい」
マヤは小さく頷き、溶けるような微笑みを浮かべた。
我がことのように愛おしげにリーウィアを見つめるその笑顔は、見ているこちらまで胸が熱くなるほどに優しく――。
「では行こうか、我が娘よ」
「っ……」
そこに特別な意味はなかったのかもしれない。
けれど父がくれた些細な言葉がリーウィアの胸中を刹那のうちに激情で満たした。
たとえマヤが「奥様」と呼ぶようになろうと「お前は私の娘のままだ」と言われたような気がして。
「はいっ、お父様」
リーウィアは差し出された父フーゴの大きな手をそっと握る。
ちいさな頃に幾度となくそうしたように。
父にエスコートされて娘は部屋を出ていく。
部屋に残っていた、リーウィアを飾り立ててくれた使用人の誰もが拍手を以って花嫁を送り出してくれた。
「いってらっしゃいませ」
「いってきます」
微笑をたたえて一礼する侍女長オーサに答え、リーウィアは廊下に出た。
「こちらへ」
サシャが先導し、臨時護衛騎士のライノが後方を固める配置で式場へ向かう。
と不意に、フーゴが口を開いては閉じといった動作を何度か繰り返した。
「どんな言葉をかけてやろうかと考えていたのだがな。いざそのときとなると何一つ言葉が出てこぬわ」
「ふふっ」
じつのところ、こうして父にエスコートしてもらう手順はレウリアーダの流儀にはなかったことだ。
本来リーウィアはイェルドにエスコートされて式場に入ることになっていた。
新郎新婦が揃って式の場に臨む――というのは、それはそれで在るべき姿なのかもしれない。
「ご迷惑でしたか?」
「なにが」
だけどなんだか寂しくて、リーウィアはひとつだけ我儘を通させてもらった。
「私をエスコートすることが、です」
「そんなわけがあるか」
嫁ぐそのとき、リーウィアはどうしても父に手を引かれてお嫁に行きたかった。
だから今こうしている。
「苦労したな」
「はい」
「やはりなんと言っていいのか……とにかくっ、なあ? リーウィアっ、どうかっ、幸せ……なってっ……」
「はい」
「あいしてるっ……」
「私も愛しています。私のせいで幾夜眠れぬ夜を過ごさせてしまったのでしょう。不出来な娘でごめんなさい」
「ちがっ、そんなことないっ……」
フーゴが声を詰まらせ、まるで小さな子供のように涙をこぼす。
娘の謝罪を打ち消すように繰り返し首を振るその姿に、リーウィアはただひたすらに父が与えてくれる無償の愛を感じた。
いつかのデートのときのようにリーウィアが中空に手を差し出すと、マヤが無言でハンカチを握らせてくれた。
リーウィアは込み上がる喜びを覚えながら、父の目元を拭ってやり、
「他国から多くの来賓がお越しです。あまり酷いお顔をされてはマイエルが侮られるやもしれません」
「不憫な娘がようやく幸せを掴むのだっ。父親が泣いてなにが悪いっ」
捨鉢気味に開き直るフーゴがおかしくって。
リーウィアはくすくすと笑いながら愛しい父親をなだめにかかった。
「別に悪くはございませんけど、わんわんと幼子のようにお泣きになっていると、あとで国王陛下にからかわれてしまうやもしれませんよ?」
「なに、陛下がお運びになっているのか?」
「はい、王妃陛下も揃って。急遽決まったそうです」
「そうなのか。しょうじき他国の者などどうでも良いが、両陛下に醜態を晒すわけにはいかんな」
鼻をすする父の目元は腫れぼったく、瞳だってあからさまに充血している。
だけどそれがいい。むしろそうであってほしかった。
毅然と娘をエスコートする伯爵が、ついさきほどまで大泣きしていた――皆にそう思ってもらいたかった。
だってその姿は、リーウィアが父に愛されているなによりの証になると思うから。
父と一緒に大きな扉の前に立つ。
「緊張しているか?」
「少しだけ」
「じつは私もいささか緊張している」
「まあっ」
「お前が国王陛下がお運びになっているなどと言うから……」
「ふふ、申し訳ありません」
扉の向こう側からこつこつと小さくノックする音が聞こえた。
「間もなくです」
扉を守護する近衛騎士のひとりが教えてくれた。
リーウィアとフーゴは自然と目と目を合わせた。
「幸せになりなさい」
「はい、お父様。十九年もの長きにわたって慈しみ、育ててくださりありがとうございました」
巨大な両開きの扉が開かれた。
「――――」
視界を埋め尽くしたのは、圧倒的な白であった。
白亜の間と名付けられたその空間は、文字通り白一色に染め上げられ、中央を一本の赤い絨毯が鮮やかに貫いている。
かすかに顔を上げると、壇上には進行役である義父ルーカスが微笑をたたえてたたずみ、その手前にはイェルドが――緊張ゆえだろうか、心持ち硬い表情でこちらを見つめていた。
「ゆくぞ」
そうささやきかけて、フーゴがゆっくりと歩みを進める。
リーウィアもまた、慎ましくやや顔を伏せたまま、父にいざなわれて夫のもとへ向かった。
(人前式だから拍手で迎えられるのかと思っていたけれど……)
まったくそうではない。空間は極めて静謐であった。
聞こえる音はたった二つのみ。リーウィアとフーゴが絨毯を踏む音と――。
(……息遣いが聞こえる)
どこか熱のこもったような吐息を漏らしているのは一人や二人ではなかった。
(凄く見られている。……私の顔はヴェールで見えていないはずなのに)
顔を伏せているせいで彼らの表情は覗えない。しかしそれでも舐めるような粘着質な視線を感じた。
それもやはり一人や二人ではない。左右に別れた来賓席のどちらからもリーウィアを絡め取るように視線がぶつけられていた。
だからこそ簡単に理解できた。
(道理でイェルド様がご機嫌斜めなわけね)
こんな不躾な目で妻を見られようものなら、嫉妬深いイェルドが不機嫌になるのは当然だろう。
だがそれも長くは続かなかった。
「フっ……」
イェルドのもとへ至り、フーゴからエスコート役を受け継ぐと、途端に新郎の口元が緩んだ。
否、そのあまり褒められたものではない表情は、羨望の目を向けてくる魔種たちへの優越感にまみれていた。
(もう、仕方のない人ね)
もう間もなく名実ともに妻とするのだから、もっと泰然としていてもらいたいものだ。
イェルドとリーウィアが来賓席に向き直り、二人のあいだに進行役のルーカスが立った。
「前レウリアーダ辺境伯、ルーカスでございます。
本日は他国を含め多くの賓客の皆様にお運びいただき、心より御礼申し上げます。
また、本日ここに国王王妃両陛下、ならびに王太子夫妻の御臨席を賜りましたこと、当家にとってこれ以上の栄誉はございません」
ルーカスにイェルド、リーウィアは当然として、グランフェルト王国に属する者たちが国王に向けて礼を取った。
グランフェルト王が軽く手を持ち上げて言う。
「よい。才ある若き二人が夫婦となるのだ。慶事であるゆえ無礼講とせよ」
「は」
ルーカスは礼を解き、一堂を見渡しながら朗々と続けた。
「グランフェルト王国における婚姻は神殿にて行うのが一般的です。
しかし我が家門では代々、神ではなく『人の前』で誓いを立てる人前式を慣わしとしております。
皆様におかれましては、これより新郎新婦が立てる誓いの証人として、どうぞその行く末を見届けていただけますようお願い申し上げます」
ルーカスの目配せに応じ、まずイェルドが前へ歩み出た。
「私、イェルド・レウリアーダは、リーウィア・マイエルを妻とし、生涯をともにすることを誓います」
ただ一言だけを証人たちに宣誓し、イェルドはリーウィアに向き直った。
彼の真っ直ぐな眼差しはヴェール越しにリーウィアただ一人にだけ向けられている。
「君がこれから覚える苦しみも、その傷の痛みも、すべて私が引き受けよう。我が命のすべてを以って君に安寧をもたらし、その歩む道に二度と暗い影を落とさせないことを、ここにいるすべての証人の前で誓約する」
リーウィアは口のなかで「まあ……」と唱え、ひとりでに頬を緩ませてしまった。
聞き覚えのあるそれは、初めて出会った見合いのあの日、イェルドが求婚してくれたときにくれた言葉とよく似ていた。
リーウィアは夫に倣うことにした。
「私、リーウィア・マイエルは、イェルド・レウリアーダを夫とし、生涯をともにすることを誓います」
それだけを証人たちへ宣誓し、続く言葉はイェルドだけに向けて告げた。
「私に安寧をくれたあなたの隣で、その歩む道を照らす光となり、苦楽のすべてを分かち合うことを、ここにいるすべての証人の前で誓約いたします。どうか私にも分けてくださいましね」
ルーカスが両腕を広げて証人たちへ訴えかけた。
「ここに誓いは成された! 我が一族、ならびに証人の皆へ問いたい! この若き二人が立てた至高の誓約を、この婚姻の真正を、その誠実な心で以って承認していただけるか!」
証人の誰もが承認の言葉を告げようとしたそのとき――。
「認められるものかッ……!」
一人の男の怒号がとどろき、水を打ったような静寂が式場の隅々まで満ちた。
そして、
――ほう?
図らずも複数の者が同じ言葉を呟いた。
グランフェルト国王が。
王太子ユークリウスが。
魔導卿ルインヴェルクが。
先代辺境伯ルーカスが。
先々代辺境伯グレーゲルが。
先々代辺境伯夫人ヘレンが。
当然そこには――。
「……ほう? どこの誰が、どういう理由で、私たちの誓いを認めぬというのか聞かせてもらおうではないか」
これ以上無いほどの怒気の魔力を立ち上らせている、新郎イェルド・レウリアーダの呟きも含まれていた。




