30.来たる魔種たち
王都にはグランフェルト王国と国交を結ぶ各国の大使館が設置されている。
これは先般グランフェルトと戦争になったイグサーマク王国も例外ではない。
大使館とは基本、国家間外交の窓口として機能するものだが、両国が交戦状態に陥った場合、大使の引き上げなども一つの政治的措置として行われることがある。
だがさきの戦争においてグランフェルトもイグサーマクもそうした措置は執らなかった。
結果的にイグサーマク側の敗戦という形で講和したものの、両国ともに外交窓口を閉じることをしなかったところからして、さきの戦争に対する本気度が窺える。
どちらも決定的な決裂は企図しておらず、まして国家の存亡を懸けてまで戦おうなどとは思っていなかったということだ。
そんななかにあり、イグサーマク王国の大使館を預かる大使は、自国のさる貴人を迎えていた。
「長旅お疲れ様でした。大使館職員一同、公子殿の訪れを歓迎いたします」
「労いを感謝する、大使殿」
大使がグラスを掲げ、公子と呼ばれた――少年から青年への過渡期にある貴人がワインを口に運んだ。
「いかがですか」
「それはグランフェルトのことを訊いているのか、それともこのワインの味を尋ねているのか」
「どちらでも」
「どちらも悪くない。王都もなかなかの栄えぶりだが、このワインも上質だ」
公子ディートリヒ・フォン・ロッシュフィルトはそこで終わらず、ナッツを口に放り込み忌々しげに噛み砕いた。
「それだけに気に食わん」
「…………」
大使は、ディートリヒとは別種の苦い気持ちを覚えながら、ひとまず共感を示すために頷いてみせた。
(上の考えはわかるが……この機会にこの方を寄越すか。お守りをさせられるこちらの身の上のことも考えてもらいたいものだ)
大使にとってディートリヒはあまり歓迎できない客であった。
「大叔父上のご下命とあらば他国に足を運ぶのもやぶさかではないが、敗戦国の札付きというのがな……」
「お気持ちはごもっともかと」
ディートリヒ・フォン・ロッシュフィルト。十八歳。
イグサーマク王国の大家、ロッシュフィルト公爵家の次男であり、フォンを名に持つ彼は王位継承権こそ持たないものの、国王を大叔父に持つ貴人のなかの貴人だ。
それだけではない。
「かの戦で私を投じていれば、このような恥辱を覚えずに済んだものを」
ディートリヒはただ指折りの貴人というだけでなく、類まれなる力を持つ魔種でもあった。
そんな彼はイグサーマクの特使としてレウリアーダ家の結婚式に列席するべくグランフェルト王国を訪れていた。
「あなたは我が国の切り札なのです。魔導卿が出張ってきたならさておき、あのような小競り合いで切るような安い札ではないというご判断でしょう」
大使という――まして大国グランフェルトの駐在大使ともなれば、イグサーマク王国政府のなかでも相当な高職となる。
無論さきの戦争の起こりから戦闘の推移、講和交渉の内容、今回のレウリアーダ家の婚姻、そこへディートリヒが投じられた事情に至るまですべて承知していた。
「わかるが、結果としてイェルドとかいう者にいいようにやられてしまったではないか」
「だからこそ、我が国最高の魔種たる公子殿に、イェルド・レウリアーダが持つ力を確かめてもらう運びとなったのです」
これは真実である反面、嘘でもある。
(間違いなく我が国で最高の魔導師になる資質を備えているが……まだまだ青い)
ディートリヒはその若さゆえに見識が狭く、性格面においても高慢が目立つ。
もっともこれほどの高貴な家に生まれれば性格が偉くなるのも道理ではある――が、
(果たしてこの方が現実を受け止められるかというと、怪しいものだ)
今のディートリヒは魔導卿ルインヴェルクにまるで及ばない。
イグサーマク政府はそう判断しているからこそ、ディートリヒにこの機会を通じて〝本物〟を知ってもらうべく、グランフェルトに派遣することにしたのだ。
もちろんイェルド・レウリアーダの力量を測るという目的も兼ねている。
しかしそれは副次的な目的であり、ディートリヒの自覚を促すことのほうが重視されていた。
ただ大使の懸念は別にある。
「ところで大使殿」
「なんでしょう」
ディートリヒの目の色が変わったことで大使は「きたか」と内心で身構えた。
「くだんの傷物の女……リーウィアと言ったか?」
「花嫁がなにか?」
「その女との婚姻が突然決まり、決まった途端にイェルドが娼館通いをやめたという話は事実だろうか」
「……ええ、調べた限りそのようです」
イグサーマク王国においても魔種なる存在は稀少ではあるが、昔から居るには居た。
故に一般人と比較して、魔種の性衝動が強いという性質についても認識していた。
しかしながらイグサーマクでは過去に、ディートリヒほど強い魔種は――少なくとも公式には確認されていなかった。
「イェルドも大家の当主だ。外聞があるのはわかる。しかしだからといってこの激しい性衝動を一人の女で御せるとは思えん。その点がどうにも腑に落ちなくてな」
「…………」
イェルドがそうであったように、ディートリヒも性に目覚めて以来、その強すぎる衝動に悩まされていた。
だがイグサーマクは初めての例だったことから大いに困惑させられることになる。
イェルドにとってのルインヴェルクにあたる存在もおらず、だからこそ可能性すら想像していなかった。
(まさか魔種の性衝動を鎮められる女がいるとはな……)
イェルドの結婚相手であるリーウィア・マイエルなる女が、どうやらそんな稀有な力を持っているらしいことを、イグサーマクは今回の調査を通じて初めて察知したのだ。
とは言え、リーウィアのことはまだ未確定情報であり、疑いの段階だ。
そしてこちらもまだ未確定であるものの――、
(先年亡くなった魔導卿の妻テレシアにもその疑いがある)
であるなら色々なことに辻褄が合ってしまう。
魔種の最高峰と思われる魔導卿ヨラン・ルインヴェルク。彼が激しい性衝動に晒されていた気配が皆無であったことも。イェルドが突然結婚を決めたことも、娼館通いをやめたことにも説明がつく。
大使はこの未確定情報を本国に送っている。
しかし送ったのは昨日のことだ。距離から考えてどうやっても結婚式の当日までに本国からの指示は届かない。
「疑問は理解しますが、イェルドが公子殿ほど力を持たないというだけのことでは?」
大使は迷った末にディートリヒにこの情報を入れないことにした。
この結婚式は戦争状態にあった両国の雪解けを印象付ける最初の行事となる。
無いとは思うが、リーウィアに変な興味を持たれて台無しにされては堪らない。
「だがイェルドは娼館に通い詰めだったのだろう?」
「魔種は大なり小なり強い性欲を持ちます。ただ好色な男なだけかもしれません」
「そうかもしれんが……」
じっさいあなたがそうだろう、と大使は喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
ディートリヒは娼館に通い詰めてなどいない。
だが十八歳にして多数の妾を囲っているし、この大使館にも妾を連れ込んでいた。
体面を取り繕うか否かの違いでしかないのだ。
「まあいい、折角ここまで足を運んだのだ。私が直々に成り上がりのイェルドと傷物女を見定めてやろう」
大使は誤認していた。未知でもあった。
リーウィア・マイエルに性衝動を鎮める力などない。彼女は強すぎる魔種の魔力を調律する力を持つだけだ。
そしてその力の根源となるものが「魔種を虜にする魔性の魔力である」ことをまったく理解していなかったのだ。
◆◇◆
一方その頃、さる魔種の男がグランフェルト王城にて歓待を受けていた。
歓待しているのは三人。
「ようこそおいでくださった、シュミット卿。私のことを覚えておられますか?」
「もちろんでございます、王太子殿下。本当に大きくなられ……などと申し上げるのはさすがに無礼ですね」
「はは、構いませんよ」
一人目はおおらかに笑うグランフェルト王国王太子ユークリウスだ。
「最後にお会いしたのは私が学舎に入る前の頃でしたから。どうでしょう、多少は〝らしく〟なったと自認しているのですが」
「それはもう、まだお若いのに次代の王たる風格を備えておられるかと」
「卿は世辞が下手ですね」
「あ、いや……」
シュミット卿と呼ばれた男は、どう答えて良いのかわからず曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
じっさいのところ彼は現場主義で宮仕えの方面があまり得意ではなかった。
ユークリウスもそうした彼の気質を承知したうえで軽口を叩いただけのことだ。
「ですが、もし私に風格が備わっているなら、きっと彼女のおかげでしょう。紹介します。妻のアンネリーエです」
「お初にお目にかかります、エリアス・シュミット卿。アンネリーエ・ウル・グランフェルトでございます」
二人目はたおやかに微笑みかける王太子妃アンネリーエだ。
「エリアス・シュミットです。妃殿下にお目にかかれることを楽しみにしておりました。噂以上のお美しさに、不敬ながら胸の高鳴りを抑えきれません」
「まあっ」
アンネリーエは破顔して、夫のユークリウスへ意味深な笑みを向けた。
「私を見られてもな。どうやらシュミット卿は女性に対しては世辞が上手くなるようだ」
「――と、夫は申しておりますが、お世辞なのですか?」
「まさか、本心ですとも」
「私だけを悪者にしないでくれ」
王太子夫婦とエリアスがからからと笑う。
「遅ればせながら、ノルデンガル王国を代表して両殿下の御成婚を心よりお慶び申し上げます」
「ありがとう存じます。引き続き貴国との友好を深めていければと思います。どうぞお見知りおきのほどを」
「有り難きお言葉を頂戴しましたことを、必ずや国王陛下へお伝えしましょう」
「是非ともお願いします」
「どうだ、夫婦揃って腰が低かろう? いずれ大国の王と王妃になるのだ。もちっと偉ぶっても良さそうなものだが」
そう茶化したのは歓待する最後の一人――魔導卿ヨラン・ルインヴェルクだ。
エリアスはヨランと目を合わせ、殊更に笑みを深めた。
「大変ご無沙汰をしております、魔導卿閣下。変わらずご健勝なようで安堵しました」
「久しいの、エリアス。かの魔獣氾濫以来だが……あれは何年前だったかの?」
「六年前でございますよ」
「もうそんなに経つのか」
エリアス・シュミット。
彼はグランフェルトと長らく友好関係にあるノルデンガル王国の魔導師だ。
エリアスもまた、イェルドとリーウィアの結婚式に参列すべくグランフェルトを訪れていた。
今はグランフェルト王への謁見を済ませ、ユークリウスを接待役に歓待を受けているところであった。
「未曾有の危機の最中にあり、貴国が手を差し伸べてくれたことをノルデンガルは忘れたことがございません。魔導卿閣下を派遣してくだされなければいったいどれだけの犠牲が出ていたことか。想像するだけで身の毛がよだちます」
慇懃に礼を言われたユークリウスはわかりやすく苦笑した。
「当時の私は十五の子供に過ぎませんでした。礼はどうか国王陛下と御老に」
「シュミット卿を〝小魔導卿〟にならしめた一件ですよね?」
アンネリーエの問いに、今度はエリアスが苦笑させられた。
「ええ、閣下に倣うなど畏れ多いことでございますが」
エリアスは〝小魔導卿〟として、各国が動静に注意を払う程度に名が知られた実力者だ。
彼が小魔導卿と呼ばれる切っ掛けとなったのが、今話題に上がっているノルデンガル王国において発生した魔獣氾濫である。
「最初は国王陛下の戯れに過ぎなかったのです」
かの魔獣氾濫におけるヨランの活躍は隔絶したものがあった。その証拠に、この一件もまた魔導卿が成し遂げた偉業の一つとして教科書に載っていたりする。
一方で、当時無名だったエリアスを一躍有名にしたのもこの危機であった。
『グランフェルトにヨラン・ルインヴェルクがあるなら、我が国にはエリアス・シュミットがいる。どうだ、グランフェルトに倣って卿を魔導卿に号しようと思うのだが?』
これは魔獣氾濫の終息を祝う祝宴におけるノルデンガル王の言葉だ。
「私などが閣下と同じ位階を戴くなど畏れ多いことですと固辞しましたところ『ならば卿はさながら〝小〟魔導卿といったところか』とお笑いになり、それがなぜか定着してしまった次第で」
「そのような成り行きだったのですか」
そこで、せっかちなヨランが無理やり話題を変えた。
「それで? ノルデンガルはどの程度掴んでおる?」
「と申されますと?」
流れるように応じたエリアスに、ヨランは呆れたように鼻を鳴らした。
「なんだ、少し見ないあいだに腹芸ができるようになったのか? クソ真面目な小僧が成長したものだ」
「いえ、それがまったくできませんで……」
「だったら見栄を張るでないわ、馬鹿者が」
「御老、他国の要人ですよ。馬鹿はないでしょう……」
ユークリウスがそうたしなめてエリアスに言う。
「当方に隠す意図はありません。気にかかることがおありならなんなりと」
「見るべき者が一目すれば、おのずと露見することゆえな」
「ではお言葉に甘えて一つだけ」
エリアスの問いは、短いながら極めて核心を突くものだった。
「リーウィア・マイエル嬢はテレシア夫人の再来でしょうか」
ユークリウスが頷き、ヨランが答えた。
「妻とは似て非なるものだ」
「具体的にはどのように」
「見ればわかる。ところでそなた、子はできたのか?」
「…………」
エリアスは問われた内容もそうだが、なぜそんなことをこの場面で尋ねられたのかがわからない。
「子どころか結婚すらしておりませんが……」
「なんと……」
「ええ……」
「まあ……」
ヨランと王太子夫婦が互いを見やり、図ったかのように深刻な顔を浮かせた。
「御老、他の有象無象はともかく、シュミット卿はまずいのではないか……?」
「小魔導卿と呼ばれるほどの実力者ですものね。リーウィアの懸念のとおりなら、あるいは……」
「むぅ……」
うんうんと唸りながらヨランは、
「エリアスよ、そなた歳はいくつだ」
「三十ですが」
「三十っ。そんなオヤジに片足を突っ込むような歳になって、なぜ独り身なのだ」
「なぜと申されましても……」
「さては男色か?」
「……いくら閣下といえど、お言葉が過ぎます」
「ちょっと御老は黙っていてください。じつはですねシュミット卿――」
余計なことしか言わないヨランを黙らせ、ユークリウスがリーウィアが持つ魔力の特性を語って聞かせた。
「……まことですか? 殿下を疑うなど不敬極まりないことですが、にわかに信じ難いお話です」
エリアスの反応はユークリウスも想定内だ。
しかし自身がまったく実感できない感覚だけに、受け売りな話に終始するしかない。
だからこそヨランに委ねたわけだが、この老人は他国の賓客に対して放言を繰り返すばかりだ。困ったものである。
「リーウィアも多忙だろうが、事前に会ってもらうことにするか」
「それがよろしいかと。さすがに前情報のみで結婚式に臨んでいただくのは心配です。御老――」
「仕方あるまい。万が一のことが起こらぬよう儂が立ち会おう」
そうしてエリアスは結婚式の前にリーウィアに相まみえることになったわけだが――、
「美しい……」
エリアス・シュミットはその日、運命の出会いを果たすことになったのだ。
◆◇◆
ヴェステリア公国という小国がある。
レウリアーダ辺境伯領の東――峻険な山々に囲まれたその国には目立った資源はなく、広い耕作地も持たず、他国がわざわざ兵を動かすほどの旨味を持たないがゆえに、長らく戦火とは無縁であった。
険しい山脈に守られた平穏のなかで民は羊を追い、穏やかだが垢抜けない牧歌的な暮らしを営んでいる。
だが、
『それはこのリグ・ラングレンを得る前までの話だ』
力なき小国に奇跡が起きた。
魔種であるリグ・ラングレンが生を受けたのだ。
『……我が公国は、俺の代で世界へ打って出る』
大国グランフェルトへ赴くにあたり、イェルドと同年である二十四歳という若き魔種は意気軒昂であった。
レウリアーダ家の婚礼に際し、公国の外交特使という大任を拝命したリグは内に秘めた特大の野心とともに、威風堂々と大国グランフェルトの王都へ足を踏み入れた。
しかし内なる志の高さと、染み付いた「田舎者」の習性は別物であった。
「な、なんだこれは……」
初めて目にする大国の王都は、ヴェステリアの静かな山並みとなにもかもが違っていた。
壮麗な石造りの建築群。見たこともない豪奢な衣装を纏った貴人たち。行き交う馬車の喧騒。冗談かと思うほどの人の数。
一歩進むごとに押し寄せるまばゆい華やかさに、リグの野心はたちまち圧倒された。
胸中では「この華やかな都もいずれ公国のものに……」などと必死に取り繕ってはいるものの、視線は完全に制御を失っている。
「ね、ねえ、リグ……。なんだか私たち物凄く場違いじゃない……?」
幼馴染の妻が右を向いては感嘆の息を漏らし、左を仰いでは目を丸くし、挙げ句はすれ違う美貌の婦人を見て、みずからと比べてがっくりと肩を落とす始末であった。
そんな二人は絵に描いたような「お上りさん」そのものであった。
「胸を張れ、クロエ。この王都もいずれ我が公国のものとなるんだ」
台詞の内容こそ大胆不敵だが、リグはクロエの耳元でささやいていた。
聞かれたらまずいという意識はしっかりと働いていた。
「ずっとそんなこと言っているけど、そういうのいい加減やめたほうがいいと思うの」
「……今はわからなくてもいい。そう遠くない内に大豪邸に住まわせてやるさ」
「家族で慎ましく暮らせれば十分だよ?」
「クロエは欲がないな。そういうところも大好きなんだけど」
「へへっ、ありがとっ。私も大好きだよ」
リグ・ラングレンもまた、この王都にてイェルドとリーウィアを知る。魔導卿ルインヴェルクもだ。
その結果どうなるのかは――まだ誰も知るところではなかった。




