28.「グランフェルト王国が空を手に入れた日」事件
王都郊外にある小高い丘にて。
フードを目深に被り、人目を避けるように立つ一組の男女。
万が一を考えて人気のない場所まで足を運んだのは勿論――イェルドとリーウィアである。
「本当にやるのか?」
「はい」
「そうか、やっちゃうのかあ……」
至極あっさりと言ってのけたリーウィアに対し、イェルドのほうは少々腰が引けている様子だった。
「二つ返事で『いいよ』って言ってくださったではないですか」
「それは君がデートに誘ってくれたからだろう? 頷くに決まっているじゃないか」
今度は逆に自信満々に言ってのけるイェルド。
その表情はわかりやすく緩んでいた。
「イェルド様はえっちですね」
「私も男だ、否定はしない」
ただイェルドにしてみれば、ピクニックデートと聞いていたから嬉々として出かけたわけで。
それがどうしてこんな風に人目を避けねばならないのか。
それでも愛するリーウィアが望むならやむなしだ。
もし彼女が望むなら大陸制覇だってしてみせると、イェルドは本気で考えている。
……かなりたちの悪い婚約者たちだった。
「水属性では失敗してしまいました。まさか生態系に影響を及ぼすなんて……」
「鮭ドラについてはそういう前例がなかったからね」
念のために触れておくと『鮭ドラ』なんて生物は世に存在しない。
これはドラゴン並に異常な成長を遂げた鮭を観光資源とするべく、村人たちが命名したニックネームである。
「でも高濃度魔力水というアイデアそのものは斬新だったと思うよ?」
「慰めは不要です」
「いや、慰めているわけじゃなくて……」
「なんです?」
「鮭ドラのときも言ったけど、これもうやめないか? 今回も嫌な予感がするんだ」
「大丈夫です。鮭ドラちゃんを経た私はさらに学習しました」
水とてやはり物質。その点を想定していなかったことが不覚を取った原因だ。
経験はきちんとリーウィアのなかで積み上がっている。だいじょうぶ、問題ない。
「究極は風なのです」
そう、風属性こそが正解。
イェルドが「風は下手をすると王都を破壊しかねない」などと言うから選択肢から外していた。
しかしそれは思考放棄というもの。脇が甘かった。
風など所詮は気体に過ぎない。
放てば拡散する。
ならば空に向けて放てばいい。地上に放つから被害が出るのだ。
そして上空には生物もいない。鮭ドラちゃんの悪夢は繰り返さない。
(……完璧だわ、リーウィア)
ついに攻略した。問題が起きる要素がどこにもない。
「今度こそ行けます」
◆◇◆
ピクニックデートから五日後――。
小太陽事件に次ぐ大混乱を経て、王国は表向きの平穏を取り戻していた。
けれど王都の上空には、いまだに〝地獄が存在〟していた。
そのさなか、リーウィアは予定調和のようにアンネリーエから出頭命令を受けていた。
「リーウィア」
「はい」
アンネリーエの目の下には〝くま〟が浮いていた。
これまでで一番哀れを誘う姿だったものの、ただ疲れているだけで不機嫌そうには見えなかった。
事実、今日の「リーウィア」の響きは、いつになく柔らかに聞こえた気がする。
「わたくしに言うべきことはありませんか?」
「お忙しい立場であることは重々承知していますが、どうかお体を厭ってください」
「だ、だれのせいでっ……」
アンネリーエは荒ぶる心を落ち着かせるように深い息を吐く。
やっぱりさっきのあれは気の所為で、今日も今日とてぷりぷりしているのかもしれない。
「……王都近郊の空に、渡り翼竜が集まっていることを知っていますか?」
「それなら知っているもなにも、ここからも見えておりますよ?」
リーウィアが指さす窓の向こうには翼竜の群れが胡麻粒のように見えていた。
これが小太陽に次いで、再び王都を大混乱に陥れた地獄の群れであった。
「それで、今度はなにをしたの」
「王国法 第一六八条」
「うん?」
眉をひそめるアンネリーエ。
「アンネリーエ様、我が王国は周辺国が手本とするほど素晴らしき法制を布く王政国家です」
「……推定無罪の原則ですか」
「確かに私はこれまでアンネリーエ様の御心を煩わせることをしてきましたが、だからと言って決めつけられるのは心外です」
「あなたが法を盾にするならこちらも法に沿って対処しましょうか?」
「私を逮捕すると」
「ええ」
「私がイェルド様を逮捕すると申し上げたとき、アンネリーエ様は不要とおっしゃいましたよね?」
「それは……」
「王太子妃殿下なのです。二重基準はよくありません」
「こ、この……」
「畏れながら臣としてお諌めいたします」
アンネリーエがまた抜けるような息を吐いた。
「あなたは保身を図らないと死んでしまう呪いにでもかかっているのかしら」
そう呆れ顔で言って、アンネリーエはテーブルの上に置いてあった書類をリーウィアに押し出した。
「……これは?」
「読んでごらんなさい」
リーウィアは書類に目を落とす。
表題には『翼竜群の原因調査報告および一次提言』とある。
報告者は宮廷魔導師団と、生物学者の連名だった。
「面白いことが書いてあるわよ」
「…………」
アンネリーエの言葉を背に、リーウィアはわずかに視線を泳がせながら読み進めていく。
報告の要旨はこうだ。
高密度魔力によって上昇気流が発生し、その影響で翼竜にとって極めて居心地の良い空域が生まれた。
結果、渡り翼竜の群れが居付いてしまった。
原因はそれだけ。
そして問題は――いや、提言はそのさきにある。
報告によれば、この翼竜は草食で温厚。
すでに他国では飼い慣らされ、竜騎兵として運用されている種だという。
「……空から戦力と輸送手段が降ってきたようなもの、ということですか」
「そうなるわね」
アンネリーエはわずかに口元を緩めた。
「しかも魔導師団の見立てだと、翼竜は暫くのあいだあの空域に留まる見込みが高いそうよ。商業ギルドからも早々に『捕獲したい』と陳情が来ているわ」
「商人は利に敏いですね」
「本当にね」
そう言いつつもアンネリーエの顔には苦いものが含まれていた。
商業ギルドに思うところがあるのかもしれない。……石材とか。
「この空域は時間経過で自然に解消される見込みらしいわ。よって討伐の必要はなし。翼竜を実用できるかは時間との勝負になるでしょう。つまり――」
「つまり?」
「あなたの好きな結果論です」
「……叱られない?」
「っ……」
上目遣いなリーウィアは小動物じみていて、大いにアンネリーエの琴線に触れた。
可愛い。愛でたい。
だがこれは公務である。王太子妃はいつぞやのように丹田に力を込めて我慢した。
「叱りませんよ。想定外とはいえ結果は結果です。成果を上げた者を評価することは為政者の務めではなくて?」
「ということは、私は今回、褒めるために呼ばれたと」
「そうです。ただ……」
「ただ?」
「よくわからないのだけれど、貴族界隈で『妃殿下が成し遂げられた』とか、意味がわからない噂がささやかれているみたいなの」
「成し遂げられたのですか?」
「あなたがね」
「想定外です」
「知っています。あなたは聡明ですけど、神でもなんでもないただの人でしかないのですから」
そこでリーウィアは暫しのあいだ黙考。
「……そういうことでしたら、もしかしてご褒美なんかも? いただけちゃったりします?」
「ええ、それを尋ねたくて呼んだというのもあります」
「そうなんですか、なんだか申し訳ないです。まだ実用段階に至ったわけでもないのに」
「翼竜を実際的に活用できるようになるかは政府の所管です。その切っ掛けを作ったことの評価は別ですよ」
「理解しますが……」
「功績を上げた臣を報いなければ王室の権威を損ねます。イェルド殿のときのようなことはもう御免ですよ?」
「そこを突かれると未来の妻としてはなにも言えなくなってしまいます」
「なにが欲しい? 多少の無茶も通ると思いますよ」
アンネリーエが上機嫌で説明してくれる。
翼竜の一件は、国王も王太子ユークリウスもいたく喜んでいるらしく、アンネリーエとしても鼻が高いのだそうだ。
実態としてアンネリーエがリーウィアの担当者と化しているなか、たとえ事故的であってもイェルドを制御して成果を上げたのだから、王室の本懐を遂げたとも評価できる。
「まあ、急に言われてもあなたも困るでしょう。ゆっくり考えて後日にでも……」
「免責権をいただきたく」
「免責権」
「はい、免責権をください。それさえいただければ他には――」
「あげませんっ!」
アンネリーエは即座に断った。
本能が告げていた。「この子に免責権など与えようものなら何をしでかすかわかったものではない」と、脳内でけたたましく警鐘が鳴り響いている。
武器を握った兵士が、そのあふれる智謀を尽くし真剣に戦った結果、どういうわけか自軍が壊滅していた――みたいなことをやらかす子なのだ。
指揮官として断じて容認できない。自殺行為だ。
「待ってください。おっしゃりたいことはわかっています。免責権が及ぶ範囲を交渉させてください」
「交渉の余地などありません! それ(免責権)なしの状態で、すでにこれ(地獄)なのですよ!?」
「アンネリーエチャレンジ」
「っ……!?」
リーウィアは癇癪を起こした幼子を諭すような声で語りかける。
「知りたくないですか? アンネリーエチャレンジ。ご自身の名がつくそれがなんなのか」
「…………なんです、それは」
「免責権をください。話はそれからです」
「この子はっ……」
「安心してください。私が求める免責権はこの場限り、かつアンネリーエチャレンジに限ったものです」
アンネリーエはピンときた。
知ればアンネリーエが激怒するような内容に違いない。
つまり――、
「予防線を張りたいわけね」
「誰だって我が身は可愛いものです」
鋭い眼光で睨みつけるアンネリーエ。それを悪い笑みを浮かせて受け流すリーウィア。
さながら「主人公」と「黒幕」の対峙のような格好になっていた。
「免責を認めなければ?」
「真実は闇に葬られます」
「さて、葬れるかしら?」
「…………」
アンネリーエが口の端を持ち上げたところで潮目が変わる。
「リーウィア」
「はい……」
「わたくしが本気でひとこと『話しなさい』と命じたとき、あなたは断れますか?」
「断りません。断りたくもありません」
「結構。最高の返答です」
アンネリーエは満足気に深く頷いた。
「そう答えてくれると確信しているからこそ、わたくしはあなたの友愛と忠節を疑わないのです。いつまでも悪ぶっていないで素直な気持ちを白状なさい」
「アンネリーエ様、ぜったい怒ります。叱られるの嫌です……」
拗ねたようにポツリ言う姿が、やはりアンネリーエの琴線に触れた。
「もう、仕方のない子ね。叱られたくないなら最初からやらなければいいのに」
「楽しくなっちゃったんです」
「アンネリーエチャレンジ?」
「はい……」
「だったら仕方ないわね。それがリーウィアだもの」
アンネリーエが気が抜けたように微笑んだ。
「やっぱり私、アンネリーエ様が大好きです」
「そう? ありがとう。わたくしも大好きですよ」
その呆れた笑みも、寛容さも。
リーウィアの気質をきちんと理解したうえで、粘り強く向き合い、ときに叱り、ときに頼ってもくれ、最後はいつも温かく受け入れてくれるこの王太子妃のことが、リーウィアは本当に大好きだった。
「ですがそれはそれです。なにが楽しくなっちゃったのかすべて吐きなさい」
「えぇ……なんだかんだで許してくださる流れだったじゃないですか……」
「早く」
リーウィアは特大の爆弾を投下することから始めた。
「イェルド様の性衝動問題ですが」
「ええ」
「小太陽事件直後に完璧に解決済みです」
「…………」
五秒が経ち、十秒が過ぎ、二十秒を数えて、ようやくアンネリーエは反応した。
「………………え?」
いいや、まだリーウィアの告白を咀嚼できていなかった。
「ですから性衝動問題は解決済みです。なので小太陽事件以降の、石材と、鮭ドラちゃんと、今回のワイバーン事件、すべてはアンネリーエチャレンジだったんです」
「ふぅ……ちょっと待ってね……」
アンネリーエは瞼を落とし心臓に手を当てて、どうにか現実を受け入れようと努力した。
けれどリーウィアは止まらない。
「いかにアンネリーエ様にバレることなく性衝動問題の解決策を実行できるかの挑戦――だからアンネリーエチャレンジです」
蓋を開けば、一連の事件は楽しくなっちゃったリーウィアによるあまり生産的とは言い難い挑戦であった。
「私が名前をつけました。愛を込めて」
「待てって言っているでしょうッ!?」
アンネリーエは椅子を鳴らして立ち上がり、造りの良い扇子を地面に叩きつけた。
「ふぅ……ふぅ……わたくしの……これまでの苦労は……!」
「どうどう、落ち着いてください。アンネリーエ様」
「どう、どう……? ですってぇ? こ、の、ぐっ、ぅうっ~~~!」
そんなこんなで結局、激昂するアンネリーエが落ち着きを取り戻すまで十分ほどの時間を要した。
「……だめね、怒りのあまりまだ頭のなかがチカチカしているわ……」
「でもですよ? アンネリーエ様。私もただ楽しくなっちゃっただけでアンネリーエチャレンジをしていたわけじゃないんです」
「取り敢えずその……アンネリーエチャレンジという呼び名をやめなさい」
「ではチャレンジと」
「……それでいいわ」
アンネリーエのなかではすでに「太陽」「石材」「鮭ドラ」に続いて「アンネリーエチャレンジ」なる言葉もフラッシュバックを誘発する鬱ワードになりかけていた。
人に名前を呼ばれただけでビクつくようになったらどうしてくれる。
「まずは事情を説明しますね」
「ええ……」
「これでも私は普通に良識常識を備えているつもりです」
そこで言葉を切って表情を覗ったところ、アンネリーエは不思議そうに首をかしげた。
「どうしてわたくしの顔色を伺うのです。あなたは良識と良心を持つ人です。当然ではないですか」
「今回のことで誤解されちゃったかと」
「リーウィアが言うように一連のことはすべて結果論です。あなたに悪意があったなんて少しも思っていません」
「お慕いしています」
「それも知っています。早く続きを」
良識あるリーウィアはまた、王家から期待されている自身の役割も承知していた。
だからこそリーウィアは太陽の一件が起きたとき、当たり前に「これは不味い」と考え、すぐに行動に移した。
「そのときの私はイェルド様を――有り体に申し上げると、かなり厳しく問いただしました。
イェルド様は随分と焦っておいででしたけど、別に私は責めたかったわけではないのです。
どうしてあのようなことをなさったのか。
お体の状態や、魔力の巡りはどうだったのか。そういうことをお尋ねしたに過ぎません」
いまだ二人は婚約を交わしたばかりで夫婦ではないし、公的に責任を問われることはない。
けれども婚約を交わしたのだから相応の社会的な責任はあるだろう。
ましてリーウィアは王家の意思を読み取ったうえで、それでもこの人のもとへ嫁ごうと決めたのだ。
「私たちは互いについて知っていることよりも、知らないことのほうがたくさんあるのです。
それを改めて思い知らされました。
ですからこんなことになる前に知る努力をしていきましょうと、魔力のこともそこに含まれますと、そうイェルド様に説かせていただいたのです」
それからたくさん二人で話し合い、魔力のことも検証を重ね、その結果、いまだ学術的論拠は無いものの、イェルドの魔力に起因する性衝動についておおよそのメカニズムを掌握することができた。
理論は不明であれど抑え込む手段は確立していた。
「正確なところは後日、文書にて報告させていただきます。
ひとまず対症療法だけお伝えしておきますと、私が一定期間のあいだに〝処理〟している限り、魔力と性衝動が安定することの確証は得られています」
アンネリーエが眉をひそめた。
「貴族の淑女が婚姻前にはしたない真似はできなかったのではないの?」
「あの夜空に輝く燦然とした小さな太陽を見せられてはそうも言っていられません」
「悪質ね」
アンネリーエが楽しげに吐き捨てた。
しかしリーウィアは即座に切り返す。
「国に奉仕しているつもりです」
「感謝しているわ。個人としても公人としても」
「それでも当家とレウリアーダ家の体面もございますから……」
「言わなくて結構よ、どこを〝処理場〟としているかは想像がついているから」
「デートの体を装っているのですが、声を掛けるとイェルド様が目を輝かせるのです」
「いやね、男って、即物的で」
「私は可愛いと感じていますけどね」
しかしそれでも問題は残る。
「たとえば私が妊娠したら。病気になったら。それ以外にもなにか不測の事態が起きたとき、イェルド様の問題が顕在化するかもしれません。
ああいう方ですから私の手前、死んでも二度と娼館には行かれないでしょう。
側妻を持つことも断じてないと、言って聞かないのです」
イェルドの在り方はリーウィアの女の部分を満たしてくれる。
だが、だから「それで良い」とするわけにはいかない。
「なのでチャレンジを通じて安全に魔力の消費をできる方法を模索することにしました。楽しんでいたことは否定しません。駄目だとわかっているのですけれど、これはもう私の性分ですから諦めていただくしかありませんね」
「いいですよ、そのくらい。あなたの献身に報いるのはわたくしであるべきでしょう。譲るつもりもありません」
「報いるというより苦労を背負い込んでばかりですけどね」
「そうね。今後はもう少しお手柔らかに頼みたいわ」
「私はいつも真剣で学習を重ねています」
う~んとアンネリーエは唸って、諦めたように深い息を吐いた。
「あと少しで結婚式ですね」
「アンネリーエ様の大事なリーウィアがお嫁にいっちゃいますよ」
「悲しいわ。やっぱり今からでも侍女に召し上げちゃいましょうか」
「王都を火の海にしたいのであればご存分に」
そんな予言を受け、アンネリーエは引きつった笑みを浮かせるしかなかった。
世の人々はこの日、彼女たちが交わした言葉を知ることはない。
だがのちに、リーウィアのやらかしによって起きたこの事件は「グランフェルト王国が空を手に入れた日」と呼ばれることになる。
この翼竜の楽園は以降も定期的に作られ、捕獲した翼竜は王国の空軍の創設に繋がり、また、民間では郵便、物流、運輸などの経済活動に用いられることになったのだ。




