27.「王国の生態系が変化した日 -鮭がドラゴンになっちゃった-」事件
ここで少し貴族各家がイェルド・レウリアーダという男をどう見ていたかについて触れておこう。
彼は国境を守護する武系の大家レウリアーダ辺境伯家の嫡男である。
言うまでもないことだがイェルドは多くの貴族から認知されており注目もされていた。
ただしその評価は必ずしも良好なものではなかった。
能力は認められていた。
地頭が良く、学業の成績も武系家門の出であることを踏まえると十分に優秀で、逆に武芸については文句なしの実力者であったことから「さすがは名門の男子」と多くの者が評価していた。
一方、人柄の面についても実直かつ誠実な性格であったことから性別や年代問わず、概ね好意的に受け入れられていた。
容姿も整っており、十代そこそこになると縁談の打診が数多く届くようになった。
しかしイェルドはその良好な評価を一気に貶めることになる。
王国学舎に入学した頃を境に聞こえ始めた「好色・娼館に入り浸り」という醜聞が原因だ。
貴族という生物は平民などが理解できないほど体面を重んじる。
当然彼らはイェルドを見る目を一変させた。
家門によっては自家の令嬢に「あの男には絶対に近づくな」と注意を促したくらいだ。
そんな少年期に期待され、青年期には大いに失望されたイェルドが再び評価を一変させた出来事がある。
ほんの数ヶ月前に起こった戦争だ。
終戦からまだ日が浅く今のところ決定的に認知されてはいないものの、戦場をともにしていた者たちの多くがイェルドの戦闘力に衝撃を受け、彼を「次代の魔導卿」と認識するようになった。
さらには論功行賞の場における例の〝やらかし〟である。
とどめとばかりに『マイエル伯爵家の〝あの傷物の才媛〟との婚約』という報せまで飛び込んでくる始末。
イェルドは本人が知らぬ(というより興味がない)ところで過去に例がないほど貴族各家から注目されており、様々な再評価がなされている最中だったのである。
もちろんそうなったら貴族たちはイェルドについて調べる。
婚約者リーウィアのこともだ。
その結果どうなったか。
『どうやら王都上空に太陽を生み出したのはイェルドらしい』
『その件で婚約者のリーウィアが王太子妃に呼び出されたそうだ』
『そのあとすぐに石の魔導師と女相場師が動き始めたようだ』
『石材相場のあれは王家の意向だったのか……』
『事が落ち着いたあとまた妃殿下はリーウィア嬢をお召しになったようだぞ』
『アンネリーエ殿下は学生の頃からリーウィア嬢をいたく可愛がっておられたそうだが、……なるほど、殿下の懐刀か』
彼らは様々な情報を得ながら推測を重ねていく。
ひとまず暫定的な結論としては「アンネリーエ(王家)はリーウィア(懐刀)を通じてイェルド(次代魔導卿)を操っているようだ」という着地を迎えていた。
そんな様々な憶測が飛び交っているなか、アンネリーエはリーウィアを呼び出した。
「リーウィアぁぁ……」
「はい」
アンネリーエは折れかけていた。
真実は小説より奇なりとはよく言ったもので、今日も今日とてアンネリーエの〝戦後処理〟が始まった。
「あなた……わたくしを裏切りましたねっ!」
「なんのお話ですか。私は母のお腹のなかから生まれた瞬間から一貫してアンネリーエ様の忠実な臣であると自認しています」
「薄っぺらすぎて逆に感心します」
「自認しているのは本当ですよ?」
「わかっています。わたくしはあなたの友愛と忠節を疑ったりしません。これまでもこれからもです。……この裏切り者がっ」
「アンネリーエ様のそういうところ本当に素敵だと思いますけど、矛盾されておられますよ?」
「矛盾しているのはあなたです。どうしてわたくしに尽くしながら、毎度毎度わたくしを虐める結末に持って行くのです……」
「悲しいことですけど、私が思っているよりもずっと世界は複雑にできていたようです」
「なにが言いたいのです」
「結果論です」
「悪意なき悪魔めっ……!」
そのっ、真心からっ、生じたっ、結果をっ、いつもいつも誰が後始末していると思っているっ。
「そうぷりぷりなさらずに、お茶でも飲んで落ち着きましょう。ね?」
「…………そうね」
二人はお上品にカップを口に運びほうと息を吐いた。
「少しだけ真面目な話をしてもいいですか」
「なんです?」
「――王室が私、リーウィア・マイエルに求めている役割について」
「続けて」
アンネリーエは表情ひとつ変えない。
さきほどまでの騒がしさが嘘のように消えていた。
「アンネリーエ様たちが当家にお運びくださったあの日以来、私を取り巻く環境は大きく変わりました。
たくさんの新しい出会いがありました。
ヨランお祖父様にも可愛がっていただいています。
有り難いことに熱心に治療してくださり、その甲斐あって、結婚式の当日は自分の足だけで歩けるようになるだろうとお墨付きも頂戴しています。
ありがとうございます、アンネリーエ様。
もし皆様があの日、当家にお運びくださっていなければ今日の幸せはなかったはずです」
「良いのです。あなたが幸せならそれで」
「ですからこれはあくまでも他意なく申し上げるのですが、私は皆様の企図するところをずっと勘ぐっていました。
確かにイェルド様は私を求めておられました。
私でなければ魔力の乱れをお鎮めできなかったこともまた、事実としてそうなのでしょう。
論功行賞の場でのこともありました。
けれど一方で、皆様は皆様の企図するところがあり、だからこそあのような形で私たちの縁談に関わってこられたのだと思います。
繰り返しますが私は責めていません。
事故に遭って一度は諦めていたことのすべてが取り戻せるのです。
皆様にはただひたすらに感謝しています」
アンネリーエはじつに楽しそうに微笑した。
「いつから気づいていたの?」
「皆様がいらっしゃったあの日に疑問を覚え、翌日イェルド様に初めてお会いしたときに確信しました」
アンネリーエが視線で答えを促した。
「生体兵器イェルド・レウリアーダの管理と運用、それが私のお役目なのかと」
「兵器とは、間もなく夫になる人に酷い言い草ね」
アンネリーエが小さく肩をすくめた。
「王太子妃殿下の視界に沿う表現をしたまでです。私にとっては甘やかしが過ぎる将来の旦那様でしかありません」
「お熱いことで」
「私としてはもう少し手を抜いていただきたいのですけどね」
「それで? 今になってわたくしにそれを告げようと思った理由は?」
「練習です」
「んん?」
なんだかちょっと風向きが変わってきた。
「ですから、ここ暫くアンネリーエ様とあれこれしているのは練習なのです。イェルド様を適切に扱う訓練です」
「…………とんでもない論法を持ち出してきたわね」
「太陽」
「っ……」
びくりとアンネリーエの肩が震えた。
いわゆる反射という脳の判断を待たずに行われる危機回避行動である。
わかりやすくいうとトラウマだ。
「石材」
「や、やめなさい……」
「そして今回。すべてが将来に向けた訓練だと思いましょう」
「相変わらずぶっとんでるわね……」
見事な理屈を積み重ねて、ここまで辿り着いてしまった。
「今度はなにをしでかしたの」
聞きたくない。おうち帰りたい。ここがおうちだけど。
でも聞くしかなかった。
アンネリーエは王太子妃なのだから。
「ご存じないのですか? あんなにも怒っておられたのに」
「じつを言うと、色々と聞こえては来ているのですけど情報が錯綜していて、今回は政府も全容を把握できていないのです」
「証拠もなく私のことを裏切り者扱いしたのですか? ひどいです」
「なら、やらかしていないの?」
「世界が複雑にできていたのです」
「結果論だと」
「はい、私は学習できる子です」
「……言ってごらんなさい」
「今回こそアンネリーエ様の御心を煩わせないよう万全の代替手段を講じることにしました」
リーウィアはこんこんと説き始めた。
「これまでの経験から、改善すべき点を洗い出し、しっかり対策していたのです」
大切なことは三つ。
・騒ぎになるようなことは避ける。
・「このくらいなら許されるだろう」という甘い考えを捨てる。
・イェルドの性衝動を抑え込むことだけに注力して、石材のときのような「ついでの利益」を求めない。
「太陽の件もそうですし石材の件もそうでした。結局のところ目に見える物が無ければ騒ぎになりようがないのです」
「そうなると水属性魔法かしら?」
「はい、水しかないと思いました。当初からアンネリーエ様が推されていた方法ですね」
なんといっても物が残らない。川に流せばそれで済む。
「でもそれだと衝動の抑え込みにならないと言っていたではないですか」
「水属性魔法が不向きなのは魔力効率が良いからです。その点さえ改善できる方法があるなら水属性が最適なんです」
「なるほど。しっかり考えてくれていたのですね。リーウィアのことですから、その方法も講じてくれていたのでしょう?」
「もちろんです」
「それで、どうなったの?」
「…………」
リーウィアがスッと目を逸らした。
「いいなさい」
「生態系が変わりました」
「……………………え?」
「〝高濃度魔力水〟を放水したところ下流域の水生生物の一部に異常個体が発生したようです」
「――――」
アンネリーエはあんまりな事態を飲み込むのに数秒の時を費やした。
「い、異常個体? とは、たとえば……?」
「今わかっているところだと鮭ですね」
「さけ」
「はい、鮭です」
「……鮭がどうなったのですか?」
「……ドラゴン並になったと聞いています」
「さけがどらごんに……?」
「はい」
「はいじゃありません……」
「ですが、たくさん食べられるって村人たちには好評だそうですよ?」
「あなたねぇっ!」
アンネリーエは造りの良い扇子をテーブルに叩きつけた。
「それ! 水を飲んだ森の獣とかにも影響があるのではないですか!?」
リーウィアがまた目を逸らした。
「……現在レウリアーダとマイエルの両家によって周辺の調査が行われています」
「なんてこと……」
そのあと色々と大騒動になったけれど、ドラゴン並みに育った鮭は最終的になぜか観光資源となったそうな。
「私なりにがんばったのですよ……?」
「………そうね」
「ごめんなさい」
意外にもリーウィアはちゃんとごめんなさいできる子だった。




