26.「石の魔導師と謎の女相場師」事件
世間でくだんの小太陽事件の話題が下火になってきた頃、リーウィアは機嫌よく紙にさらさらと数字を書き込んでいた。
「相場はどうなっているかしら」
ここはリーウィアに与えられた執務室である。
イェルドに上目遣いでお願いしたらあっという間に調度品まで整えてくれた。
「落ち込んでいた価格が順調に回復しつつあります」
「それは重畳」
リーウィアがニッコリと微笑みかけた相手は家宰のベッテルだ。
かつて無い組み合わせだが、ここ暫くはとある案件を動かすのに彼の手を借りている。
そのベッテルが手元の書類に目を落としながら助言してくれた。
「もうそろそろ売り抜けるべき頃合いと存じますが」
「そうね、あと数日だけ様子を見ましょうか」
リーウィアも手仕舞いを考え始めていたところだ。
ベッテルが同意見であるなら否やはない。
「しかし、まさかこのようなことに旦那様をお使いになられるとは。このベッテル、奥様の辣腕に感服するばかりでございます」
「ふふ、おだててもなにも出ませんよ」
口元に手を添え、くすりと上品に笑うリーウィアの姿に、ベッテルは早くも女主人の威容を認めた。
「決して世辞ではございません」
「あまり持ち上げないで。私はただ折角の機会なので〝ついで〟を考えたまでのことです」
「それこそ謙遜でございましょう。なんと頼もしき奥様であられるか、次代のレウリアーダも間違いなく安泰であろうと皆が申しておりますよ」
「旦那様を顎で使っている悪女なのに?」
「その点がなによりも素晴らしいのです。此度のように、これからも旦那様の手綱をシッカリと締めていただきたく」
「善処しましょう」
ベッテルはじつに愉しげにニタリと笑って言う。
「ところで少々お顔が悪くなっておりますよ」
「そういうあなただって」
「金が嫌いな人間などおりませぬゆえ」
「だけど貴族が利殖に励むのもね……。馬鹿にされてしまうわ」
「そういう者こそ金に汚いのです。貧乏人の嫉妬など無視なさいませ。お知らせくださればサシャを差し向けましょう」
「サシャは騎士です。暗殺者みたいに扱わないであげてね?」
「本人は嬉々として征くと思いますよ?」
「ふふ」
「ほほ」
悪人顔をした二人が小気味良く笑い合っていると、ノックの音がした。
入ってきたのは険しい顔をしたマヤだった。
「王宮より使いが参られました。アンネリーエ様がお嬢様をお召しとのことです」
「さすがに勘付かれたか……奥様、少々予定より早うございますが――」
不意にベッテルの言葉が潰えた。
というのも、
「ど、どうしましょう。アンネリーエ様に叱られるかもしれないわ……」
ついさっきまで小悪党みたいな顔をしていたリーウィアがおろおろしているからだ。
ベッテルに困惑した顔を向けられ、できる侍女は即座に対応した。
「お気持ちはわかります。アンネリーエ様に露見することは既定路線であったではないかとお思いなのでしょう。しかしお嬢様は元来小心者なのです」
アンネリーエに「ビビっているのですか?」と煽ったリーウィアこそがビビリなのである。
でなければサシャがただ大きいというだけのことで怯えたりしないし、保身に走るのだって叱られたくない一心でのことだ。
「……つまり事前に想定をして、心積もりもなさっているが、じっさいに事が起これば動揺してしまうと」
「はい、知性の高さと心の強さは別物ですので」
「それなら――」
「お待ちを」
マヤは手を持ち上げて制止した。
「それなら最初からやらなければというのは通用しません。それでもやってしまわれるのがお嬢様なのです。直近だと警報の魔道具がまさにそれでした」
あんなの罠でしかないことがわかり切っていたのに、リーウィアの結論は「征くわ」だったのだ。
それでも一応毎回やめるように言うのだが、やめてくれることの方が少なかったりする。
「なるほど……」
だがベッテルもまた熟練した五十路の家宰である。
主人を補佐することにかけては専門家だ。
「奥様、狼狽える必要はありません。堂々となさっていれば良いのです」
「そうかしら……?」
「そうですとも。法の隙間を突く奥様が立てられた策は完璧です。たとえ妃殿下であろうと奥様を咎めるなど道理に合いませぬ。それでももし責められようものなら整然と反論なされば良い。正義は奥様にあります」
「でも、私たちのやっていることってかなり黒よりのグレーじゃない?」
「問題ありません。そもそも此度のことを奥様に丸投げされたのはどなたでしたでしょうか?」
「……アンネリーエ様だけど」
「方法についても一任されていると伺いましたが」
「言質は取ってあるわ」
「でしたら勝てます」
「そうね……私は勝てるわ……」
「その意気です。奥様に勝利を!」
「ええ、頑張ってくるわ!」
ベッテルに励まされてリーウィアは復活した。
(だんだんお嬢様もレウリアーダに染まってきたなあ……)
そんな感慨を覚えているマヤの腰には変わらずナイフが装備されている。
マヤは主人の染まり具合は気付けるのに、自分の染まり具合には無頓着だった。
◆◇◆
王都の空が燃えてから暫く経ったその日、アンネリーエはリーウィアを呼び出していた。
ちなみにあれから一度も王都上空に小太陽は出現していない。
リーウィアが王都の平穏を取り戻してくれたのだ。
「リーウィア」
「はい」
アンネリーエは今日までそう思っていた。……今日までは。
軽く裏切られた気持ちになっていたアンネリーエは今回は迂回せず本題から入った。
「つい最近ね、石材相場が不思議な値動きをしているって話題になっていたことを知っていますか?」
「いやですわ、アンネリーエ様。貴族の娘である私が石材の相場なんてものを知っているはずがないではありませんか」
「そう?」
「そうですよ」
「と言っても、今はもうほとんど正常化したそうだから過去の話になりそうなのだけれど」
過去の話になるよう仕組んだのは無論、リーウィアとベッテルである。
もちろんそんなことをリーウィアは言わない。
「それはようございましたね。農作物ほどではないにせよ、木材に石材、鉄、塩などでも急激な値動きは王国経済に悪影響を与えかねませんから」
「そうなの。わたくしも少し気懸かりで」
「アンネリーエ様の視界は本当に広うございますね」
「ほんの一月足らずのあいだに二割ほど下がったあと値を戻したの」
「そうでしたか。石材市場は安定している印象がありましたけど思い込みはいけませんね。勉強になります」
そんな感じにチクチクやり合いながらアンネリーエは思った。
(またこの流れ……。今回も行けるところまで知らぬ存ぜぬで行くつもりね……)
(正義は私にあるのです、アンネリーエ様。……ちょっと欲を出しましたけど、そのくらいいいじゃないですか)
リーウィアは前回と同様にしらを切りながら、しかし内実は割と張りぼてだった。
なにぶん今回は「私は悪くない」と胸を張って言えないところがある。
「でね? リーウィア」
「なんでしょう」
「どうも黒幕がいるみたいなの」
「黒幕」
頑張りどころが来たと察し、リーウィアは励ましてくれたベッテルの顔を思い浮かべた。
「意図的に石材を大量に市場に流した〝石の魔術師〟と、その魔術師を裏で操っている〝謎の女相場師〟というのがいるみたいなの」
「まあ」
「なんでもその女相場師は、価格が下がったところで買いを入れて、正常化する手前で売り抜けてガッポリ稼いだそうよ」
「それって法に触れているのですか?」
「いいえ、触れていないわね」
法規制する意味がない。否、正確には法側が想定していない。
市場が値崩れをおこすような大量の石材を短期に生産できる魔導師など存在しないからだ。
「法に触れていないのなら問題はないのでしょうけれど……あまり褒められたやり方ではありませんね」
「そうね、わたくしも為政者の一人として今後このような事が起こらないことを切に願うわ」
アンネリーエはかすかに口元を緩めた。
今リーウィアが口にした言葉は、彼女が今回のことで少なからず罪悪感を覚えていた証だと思うから。
しかし、
「ご意向が伝わるといいですね」
「……伝わらないの?」
「女相場師さんのお話ですよね?」
こてんと首をかしげるリーウィア。
ふてぶてしいったらない。
「まったくあなたは……」
アンネリーエは呆れて苦笑するばかりだ。
反省はしているのだろう。だけど次の保証まではしない。リーウィアはこういう子だ。
「それはそれとして、リーウィアは我が国に商業ギルドと石工ギルドという組織があることを承知しているかしら?」
「もちろん存じています」
「苦情、来ているのよね。レウリアーダ辺境伯家の当主ともあろう者が倉庫を石材で埋めて回っている。困るって」
「アンネリーエ様」
「なあに?」
「太陽」
「…………」
「王太子妃殿下が太陽はやめろってお命じになられたから」
「わたくしがたとえ村娘であってもやめるよう言います」
夜が昼になることを歓迎する国民はいないのだ。
「もっとこう……他にやりようがなかったの?」
「イェルド様がおっしゃるには火属性が禁じられたなら土属性だろうと。魔力効率を追求した結果そうなりました」
アンネリーエははたと気づく。
そうだった。忘れかけていたがこれはイェルドの性衝動を解消することが目的だった。
いつの間にか「アンネリーエを苦しめる策謀」だという認識にすり替わってしまっていた。
「そもそも前回、アンネリーエ様が『本人に言ったところで結局リーウィアしか解決できないのだから無駄だ』って私に丸投げしたことが原因じゃないですか。方法も一任されるとおっしゃいました。私は御意に応じて代替手段を講じたまでです」
「そのことはわたくしも申し訳なく思っていますけど……」
リーウィアは勝機を気取った。
(ここよっ!)
アンネリーエが罪悪感を覚えていそうなこの機に、ベッテルが授けてくれたとどめの台詞を繰り出していく。
すべては叱られないために――、
「責められるべきは果たしてどなたなのでしょうか?」
「…………」
アンネリーエはまた黙らされた。
なんてやりにくい子だろうか。こうした一面は学生の頃から少しも変わっていない。
「……つまり、責任を放棄したわたくしが悪いと?」
「まさか、そんな畏れ多いことは思っていません。私はアンネリーエ様の臣下であり、イェルド様の婚約者でもあります。責任の一端を感じていました。ですから将来のレウリアーダ家の女主人として無い知恵を絞った次第です」
「無い知恵、ねえ」
「たしかに私は学舎を首席で卒業しています。けれどアンネリーエ様、学舎で実践的な相場取引の方法を教えますか?」
「いいえ、教えません」
「がんばってお勉強しました」
えっへんとでも言いたげな顔だ。
ドヤ顔かわいい。憎らしいけどすき。
「お勉強してガッポリ稼いだと」
「はい、おかげさまで家中では好評です。うちのお嫁さんは頼もしいなあって。照れちゃいますね」
「~~~っ」
なにが照れちゃうだ。
なぜレウリアーダ家は怒らない。大家の当主がせっせと石材を倉庫に詰めて回る絵面に思うところはないのか。
それこそ醜聞じゃないのか。その恥を許容できるならもう大人しく娼館に行ってもらいたい。
リーウィアにおもねっているのか。武門の大家が聞いて呆れる。根性なしめ。
「……もしかして怒っていらっしゃいます?」
どうやら叱られないようだと安堵していたところ、リーウィアの小心がちらりと顔を覗かせた。
「い、いいえ……丸投げしたわたくしにも責任がありますし」
「良かったですっ」
良くないわ! 苦情が寄せられているこっちの身にもなれ!
と、アンネリーエは思ったが丹田に力を込めて耐えた。
「私もちゃんと気を使ったのですよ? 市場を壊さない範囲に収めましたし、なにより結婚すれば問題は解決するわけですから。短期決戦にして正解でしたね」
「ひとつ疑問なのだけれど」
「なんでしょう」
「あなた、さきほど家中で評判だって言っていたわよね? イェルド殿はともかく、レウリアーダ家は本当になにも言わないの?」
「はい」
「どうして? 辺境伯家当主ともあろうものが倉庫に石材を詰めて回っているのよ? 諌めて当然でしょう?」
「じつに健全だと」
「…………」
もうなにがなにやら、アンネリーエは困惑するしかない。
「いえ、私もどうかと思ったのですよ? いかにイェルド様ご自身のためといえど、大家の当主として問題があるのではないのかと」
「ですよね? わたくしが間違っているわけではないですよね?」
「はい、でも皆様がおっしゃるには、私が同居する以前のイェルド様は常に苦しげだったそうで。それが一緒に暮らすようになった途端、嘘のように晴れやかなお顔をされるようになり、食も進み、訓練に励まれ、ご政務などもはかどられているらしく」
「だから石造りくらい些末なことだと」
「いえ、ですから健全だと」
健全ではないだろ。
「そう言う感じで。じつをいうと聖女のように崇められています」
「……そうなの。ま、いいでしょう。今度こそもう大丈夫よね?」
「はい、あと一ヶ月半ほどで結婚ですから。なんとかなると思いますよ」
「信じますからね」
しかし、アンネリーエはそう遠くない内に裏切られることになる。




