25.「王都の空が燃えた日」事件
寝室に眩い光が差し込んできた翌日。
リーウィアは王太子妃アンネリーエから王宮へ出頭するよう命令を受けていた。
「リーウィア」
「はい」
アンネリーエの表情が硬い。
思い当たる節がありまくるリーウィアはおすまし顔で応じた。
「あのお見合いからまだ一月と経っていませんけど、随分と久しぶりに会ったような気がします」
「その節は大変お世話になりました。王都に越してきたというのにご挨拶もできず恐懼するばかりです」
「あらあら、なんだか今日はよそよそしい言葉遣いですね」
「ここは王宮でございますから、臣下としての領分をわきまえている次第でございます」
「ふふ、あなたとわたくしの仲ではありませんか。いつものように気安くしてくださいな」
「ありがとう存じます」
うふふと、二人は相手を牽制するように嘘くさい笑みを交わした。
(……この子、全力で保身に走るつもりね)
(……とか思っていらっしゃるのでしょうけど、私は躱しますよ。だってなにも悪いことなんてしていないもの)
リーウィアの逃げ腰を看破したアンネリーエだが、いきなり本題に入ったりしない。
こうした政治折衝の場で話を急ぐことは「余裕がない」と見做されてしまうからだ。
「レウリアーダに移ってから暫く経ちますけど、息災に暮らせていますか?」
「はい、おかげさまで。レウリアーダの皆様も本当に良くしてくださるので充実した日々を過ごせています」
アンネリーエは元公爵令嬢にして現王太子妃。かたやリーウィアも高位貴族である伯爵家の令嬢だ。
こうした迂遠なやり取りは手慣れたものである。ただ――、
「あら、そうなの?」
アンネリーエは雑談のなかにも小さな針を置いていく。
「この短い期間に、色々な騒動があったと聞いていたのだけれど」
「まあ、どなたがそんな戯言を?」
だがリーウィアも負けていない。針など最初から存在しないとでも言わんばかりだ。
「そう目くじらを立てずともただの噂です」
「王宮の耳は良く聞こえると伺いますけど、そうでもないのかもしれませんね」
「そんなことを言ってはいけませんよ。誰が聞いているかわかったものではないのですから」
「構いません。事実無根の噂をばら撒く不届き者を詰っただけですから」
隙を見せないリーウィアに、アンネリーエが重い腰を上げた。
「ときに昨晩『夜空に小さな太陽が出現し、空が真っ赤に染まっている』と大騒ぎになったことを知っていますか?」
「ええ、この世は不思議にあふれていますね」
アンネリーエがスッと目を細めたが、リーウィアは微笑で応えた。
「自然現象であると」
「どうでしょう。浅学非才の身には見当が尽きかねます」
「あくまでもしらを切るというのですね?」
「はい、行けるところまでは」
「あなたって子は……」
アンネリーエは呆れて、口元を緩めながら眉をハの字にした。
「リーウィアのそういう遊び心? とでも言えばいいのかしら。そうした一面に困らされることもありますけど、わたくしは好ましく思っていますよ」
「私もお慕いしています」
「ではあなたが慕うわたくしが、この件でどのような対応を強いられたのか語って聞かせましょう」
突如として王都上空に小さな太陽が出現するという怪奇現象が起こった。
それを受け、アンネリーエ曰く。
「まず反応したのは獣だったそうよ。ニワトリが朝だと勘違いして一斉に鳴き叫び出したのですって」
「まあ……」
「民が『何事か』と起き出すのは当然よね? そしたらなぜか王都一帯が昼間のように明るくなっていて、空を見上げたら小さな太陽らしきものが浮かんでいる」
「さぞ驚かれたことでしょうね……」
「衛兵が緊急出動する事態になったわ」
「火急の事態に即応できるとは、さすがは王都の治安を守護する衛兵隊です。よく鍛えられていますね」
「……でも王都中が混乱していてね、衛兵だけではとても手が足りず、とうとう軍まで出動させて動揺を収めることになったの」
「差配された国王陛下を始めとする政府の皆様には頭が下がる思いです」
「…………あとね、天文学会の教授たちが『新星の誕生だ!』と深夜に狂喜乱舞していたのだそうよ」
「事実は小説より奇なりとはよく言ったものです」
「あちらもこちらも大騒ぎ。対応に追われて一睡もできませんでした」
「大変でしたね……」
ありありと顔に同情を浮かせたリーウィアを、アンネリーエはじとっとした目で見た。
「……なんだか他人事のように聞こえますね」
「私は心からアンネリーエ様のことをおいたわしく思っております」
流れるように答えになっていない答えを返してくるリーウィア。
アンネリーエは口元を引きつらせつつ、しかしそこに触れずに話を進めることにした。
「それでね、政府はこの小さな太陽を人災だと断定しているのだけど、あなたはどう思う?」
「人災に違いなく、容疑者もごく少数に絞られるかと」
擬似的な太陽を生成できるとか、存在自体が天災のようなものだ。
しかし遺憾なことに、そんな出鱈目な魔種がリーウィアの身近に二人もいるのだから始末に負えない。
「じつのところ、ほぼ確実という容疑者の名も挙がっているのだけど……なにか知っていることはありませんか?」
「これは不幸な事故です」
リーウィアは即座に方針を転換し、保身の図り方を変えることにした。
要点は「私は悪くない」ということだけで、リーウィアは別に事件そのものを否定したいわけではないのだ。
「……なにがあったか説明しなさい」
「お聞きになられますか?」
「どういう意味です」
「説明するのはやぶさかではございません。でも聞いてしまうと、きっとアンネリーエ様はお怒りになると思いますよ?」
「もしかして……とても下らないことが原因だったりするの?」
「そんなことはありません。私たちは真剣に生きています」
「……意味がよくわからないけど王太子妃の立場上、聞かないわけにはいきません」
「アンネリーエ様のお苦しみに胸が潰れる思いです」
「あなたの方針が見えてきたわ。第三者の立ち位置を貫くつもりなのね」
「私は実行犯でもなければ教唆もしておりませんから」
「まあ……いいでしょう、説明しなさい」
「では」
リーウィアは事情を、事件後にイェルドから聴取した内容も含めてアンネリーエに説明した。
イェルドは常々「問題ない」と言い切っていたものの、じつのところ「リーウィアのことが好き過ぎて物凄くムラムラしていた(本人の談)」そうだ。
しかしながら周囲に大見得を切っていたり弟スヴェンとの約束もあって、今さら気が狂いそうなほどムラついているなんてとても言い出せなかったという。
だからといってすでに婚約している今、もはや娼館には行けないし、行きたくもない。
なら、このあふれんばかりの性衝動をどうするか。空に大魔法を放つことで解消しようと考えた。
「そしたら性衝動を我慢しすぎたせいか、意図せず太陽的なものが出来てしまった――と、本人は供述しております」
「…………」
リーウィアが話したことはすべて偽りなき事実だが、意図的にいくつかのことを伏せたままにしておいた。
お見合いの日にイェルドの昂りをこっそり処理していたこと。
今回の事態が発生する直前――つまり昨日リーウィアから「処理してあげてもいいよ」と提案していたことがそれだ。
「ちなみに本人はとても晴れやかなお顔をされていて、まったく反省も後悔もしていないと思われます」
「っ……」
そんなことまでバラすとリーウィアまで責任を問われかねない。
こちらはあくまでも善意から行動していたまでのこと。
なんら悪いことはしてないのだ。引き続き保身を図っていく所存である。
「あと一応前辺境伯ルーカスより書簡を預かってきています」
リーウィアは便箋を取り出し、静かに青筋を立てているアンネリーエに差し出した。
内容を確かめるやいなや、アンネリーエの薄い唇の奥から歯を軋ませる音が聞こえた。
「……遺憾であるとしか書いていないではないですか」
「でもちゃんとごめんなさいできるあたり、お義父様はレウリアーダのなかでは良心があるほうだと思いますよ。他の皆様は『奥様が無事で良かった』としか言いませんし」
「レウリアーダッ!」
アンネリーエは衝動のままにルーカスからの詫び状を破り捨てた。
「なんなのあの家は!? 論功の件といい、王室に迷惑ばかりかけてッ!」
「独特な家風ですよね」
「他人事ッ!」
「私はリーウィア・〝マイエル〟です」
「ぐっ……そもそもムラムラしたって、そんな下らない理由でこんな大騒動をっ……」
「そこは言わないであげてください。イェルド様も望んで魔種に生まれたわけではないのですから」
「だからって太陽はないでしょうっ!? 魔法で解消するなら水を生成して川に流すとかっ、他にも方法があったでしょうにっ」
「イェルド様がおっしゃるにはもっとも魔力効率が悪い元素魔法が火属性だそうで、水を出す程度では衝動は1ミリも収まらず、土を使えば周囲は岩で埋め尽くされ、風なんて使おうものなら王都を破壊しかねないそうです」
ふぅ、ふぅ、と荒い息を吐いていたアンネリーエは努めて心を落ち着かせ、紅茶で喉を潤した。
「どうにかしなさい」
「私はまだ婚約者なのですけど」
「婚約者ではありませんか」
「私にどうこう申される前に、まずは実行犯であるイェルド様、ないしレウリアーダ家を詰めるのが道理ではないでしょうか」
じつのところリーウィアが王宮に呼び出されたことで一悶着あった。
イェルドは「まさか王室はリーウィアを咎めるつもりか! おのれ……」とか際どいことを言い出すし、サシャなんかも「奥様に難癖をつける者は……」というお決まりの台詞を吐いたりしていたので「大人しくお留守番していなさい」と説き伏せるのに苦労させられたのだ。
「詰めたところで問題は解消しません」
リーウィアはピンときた。
「もしかして……ビビっているのですか?」
「臆している……? なにを馬鹿なことを。わたくしはこの国の王太子妃ですよ」
「でしたら時限的な警察権をお与えください。私がイェルド様を逮捕して参りましょう」
「…………」
アンネリーエ様が黙っちゃった。
追い詰められたお顔が美しい。すき。
「不要です」
なるほど。あくまでもリーウィアを盾にするという固い意志を感じる。
さすが王族。汚い。生徒会にいた頃の清廉なお姉様は失われてしまった。でもそんなお姉様もすき。
「では私にどうしろと」
「いえ……ですから、あれでしょう? 定期的に〝処理〟してあげれば収まるのでしょう?」
「今さら娼館へ行くよう勧めろとおっしゃるのですか? 婚約者である私に。なんて無体な……」
「そうではなくっ、あ・な・たが処理してあげれば済む話ではないですかっ」
「まだ婚約中ですよ、アンネリーエ様。貴族の淑女がそんなはしたない真似はできません」
「あなたこそ、わたくしにどうしろというのです……」
「向き合いましょう。臣下を盾にせず、ご自身で」
それから暫く押し問答を続けたものの、最終的にリーウィアは押し切られてしまった。
なんだかんだ言いながら、やはり敬愛してやまないアンネリーエに頼み込まれてしまうと断りづらい――というのは建前に過ぎず、今回のことはリーウィアも大いに責任を感じていた。
確かにさきほど主張したようにリーウィアはいまだマイエル家の人間ではある。
だが同時にイェルドの婚約者であり、また王室に期待されている役割も求婚を受けた時点で承知していた。
これで知らぬ存ぜぬでいることは不実というものだろう。
(だけど私はリーウィア・マイエルだもの)
マヤなんかは「楽しくなっちゃうと止められないところが、お嬢様の唯一の欠点」だと言うけれど、きっと当たっている。
務めは果たす。期待に応える。だけどそれはこの胸に灯る好奇心を満たしながらだ。
だから、
「方法は私に任せていただけるのですね?」
「ええ、任せますとも。私はあなたを信頼していますからね」
「わかりました、微力ながら力を尽くします」
「ありがとう、大好きよ、リーウィア」
「もう、調子がいいんですから」




