20.無自覚才媛の善意攻撃(初手)
イェルドが詰問を受けてから二日後、リーウィアはお付きの侍女に尋ねてみることにした。
「ねえ、マヤ」
「はい」
じつのところ昨日の時点で「ん?」とは思っていた。
だけど真実を明らかにするのにちょっと勇気が必要だったのだ。
「あなたはどうして武装しているの?」
「気づかれましたか」
「最初から気づいていたわ。聞くのが怖かっただけよ」
マヤが昨日から腰にナイフをぶら下げるようになっていた。
いいや、マヤだけではない。探検に出かけた日を境に多くの人が武装するようになっていたのだ。
「ちなみにお嬢様はどうしてだと思われますか?」
「……私が警報機を作動させたからよね?」
「私もそう思ったのですが、違うそうです」
「あら」
自責の念から聞くのを躊躇っていたのに、リーウィアのせいではないらしい。
「どういうわけか、旦那様に対する警戒水準が引き上げられたようで、私にもできれば身に着けてほしいとお願いされました」
「それはレウリアーダ家としての判断ということ?」
「はい、オーサ様からそう説明を受けています」
「やっぱり私のせいじゃないかしら」
「お嬢様とは無関係の自主的な措置とお聞きしています」
「そうなの?」
「そうみたいです。詳しいことは私も存じませんけど」
「ところでマヤはナイフなんて使えるの?」
「まったく使えません。でもちょっと格好よくないですか?」
侍女服のマヤが足をコンパスの針のようにしてくるりと一回転した。
「……よく似合っているわ」
「ありがとうございます」
本人が気に入っているなら物申すつもりはない。
ないが、お付きの侍女がどんどんレウリアーダに染まっていっているようで、リーウィアは少し寂しくなった。
(イェルド様はお義母様たちの好きにさせてやれとおっしゃっていたけど……)
やはり家門の当主が警戒対象になっている今の状況は健全ではないと思う。
リーウィアが無関係なわけがない。イェルドが警戒されている原因はリーウィア以外にないのだから。
そしてリーウィアはイェルドの味方になってやりたいと思っている。
「……このあいだ、イェルド様が『決して君とスヴェンを裏切らない』って言ってくださったという話をしたじゃない?」
「はい」
「やっぱり私としては今の状況は不健全だと思うの」
「お気持ちはわかりますけど、不思議とギスギスした空気は一切ないですよね」
「わかる。そこは本当に不思議よね」
そう、警戒されているイェルド本人も、武装している家人たちからも不穏な空気は一切感じないのだ。
見た目が少々物騒な人がうろついているだけで、邸宅の空気感は平和そのものだ。
リーウィアとマヤには到底理解できない状況なのだが、そこは「武系の名門なんだから」と無理やり納得していた。
「私もお義母様たちの心配は理解できるの。だけどイェルド様があそこまでおっしゃっているのだから、私としてはもう少し彼のことを信じてあげてほしいって思いがあって……」
「ご立派なお考えかと」
「ありがとう」
マヤはリーウィアの思いを否定しなかった。
主人の考えは妻の在り方として正しいものであり、私情だけで言うならマヤだってイェルドに同情する気持ちがあったからだ。
「だからこのおかしな状況を改善するには、私がもう少し……こう、イェルド様のお気持ちに寄り添えるように? なればいいんじゃないかと思うのだけど……」
「つまりお嬢様は、旦那様と男女の関係的な意味で仲を深めたいと」
「そういうわけじゃないんだけど……」
「でも確かに、お嬢様のおっしゃるとおりかもしれませんね。お二人の距離が近くなって、それでも旦那様が婚約者として正しく振る舞ってくだされば、周囲の警戒心も自然と解けていくと思います」
「でしょう? でも私ってほら、そういう男女の機微が? 偏っていると思うのよね……」
「お嬢様の恋愛知識の源泉はほぼ艶本ですからね」
「……敢えて言葉を濁しているのに」
「それで、具体的にどうなさるおつもりなのですか?」
「イェルド様に『買い物に連れて行ってくださいませんか』ってお願いしてみようと思うのだけど」
「デートですか」
「そう」
「…………」
マヤは刹那のあいだに頭を回した。
侍女とは主人の機微を読み取り適切に手当することが仕事である。
ならば、たとえ今のイェルドがヴォルデガルフ化(飢えたチワワ化)していようと、リーウィアの願いを叶えることがマヤの職分である。
主人の身の安全を確保するのはサシャの仕事だ。
「……………………良い、お考えだと思います」
「なあに? その間は」
「なんでもありません。でしたらさっそく旦那様にお願いしにまいりましょう」
◆◇◆
「では、明日を楽しみにしていますね」
「ああ、私も楽しみだ。誘ってくれてありがとう」
そのやり取りを最後にリーウィアが執務室を出ていった。
数秒のあいだ名残を惜しむように閉じた扉を見つめたあと、イェルドは内なる歓喜を隠そうとせず、軽やかな動作で秘書官に手を差し出した。
「次の書類を」
「ひどい浮かれようだな」
イェルドは苦笑するアーロンから書類を引ったくるように受け取り、内容に目を通していく。
「そりゃあ浮かれもするさ。リーウィアからデートに誘ってくれたんだぞ」
「仕事なんてしている場合じゃないって?」
「ちゃんと仕事はしているだろ。さっさと終わらせてデートの内容を綿密に練りたいだけだ」
「そうかい」
アーロンは処置無しと言わんばかりに口の端を持ち上げ、けれど内心では喜びに満たされながら自身の仕事に戻った。
従兄弟として、また腹心として、ずっとイェルドの苦しみをそばで見続けてきた――見続けることしかできなかった。
だからアーロンはほとんど無意識にぽつりと、
「……良かったな、本当に」
「ああ、今でも信じられない気持ちだ」
「大切にしないと」
「言われるまでもない」
それから暫くのあいだ、静かな執務室のなかには紙をなぞるペンの音だけがあった。
アーロンはふと思い出したようにペンを止め、イェルドをじっと見つめた。
「大切にしろよ?」
「うん? すると言っているだろ」
「いや、本当に、絶対にやらかすなよ? 二度とこんな奇跡ないんだからな?」
「……おまえ」
「まあ、外なら人の目もあるし間違いは起きないだろうけど……、いや、ほんと、頼むぞ?」
「いい加減にしろっ」
ギロリと鋭い目で睨まれても、アーロンはまったく、これっぽっちも、イェルドを信じる気になれないでいた。
◆◇◆
そうして迎えたデート当日。
リーウィアは万全の準備を整えたうえでイェルドを待ち構えていた。
(完璧だわ)
車椅子に乗ったリーウィアは、はしたなくならないよう脳内でだけふんふんと鼻息を荒くした。
リーウィアはイェルドとデートの約束を取り付けたのち、マヤを相手に実践的な想定訓練を行っていた。
(今日の主題は『私がイェルド様のお気持ちに寄り添う』こと)
リーウィアは何事においても事前準備を怠らない。
イェルドに寄り添う手段を確立している今、隙などあろうはずがなかった。
唯一懸念があるとすれば、その手段を生み出す源泉となった知識が恋愛小説(艶本)であるということだけだ。
(――とか、思っているんだろうけど、そこが致命的なのよね)
そう内心でため息をついたのはマヤだ。
だったら「あなたがちゃんとした指南をしてあげれば?」とか言われても困る。
マヤだってお見合い結婚だし、恋愛経験なんてあってないに等しいのだ。
やる気をみなぎらせている主人を諦め半分で眺めている彼女は、なぜか今日のデートに付き合わされることになってしまっていた。
そしてお付きの本命がもうひとり。
「今日の奥様は一段と覇気に満ちておられる」
眩いものを見るように目を細めているのは無論、護衛騎士のサシャである。
二人は主人たちの初デートを邪魔しないよう、今日のところは影に徹する予定だ。
さらには玄関ホールで待ち構えるリーウィアを、二階の隅から固唾をのんで見守っている者たちもいた。
「いきなりデートなんて無茶じゃないかしら。心配だわ……」
「やっぱりあたしが付いていったほうが……」
「駄目ですよ、お祖母様、今日のところはお兄様を信じると決めたではないですか」
「まあ、外なら人の目もあるし滅多なことにはならんだろ」
「そうだと良いのですが、今朝オーサより不穏な情報が……」
「奥様はデートするにあたって、マヤさんを旦那様に見立てて籠絡する手管を練習なさっていたそうなのです」
「……冗談ですよね?」
裏お嫁さん会議の議員たちが一斉にオーサを見た。
誰もが「なぜそんな無謀なことを」と疑問に思ったそのとき――慌てた様子のイェルドがリーウィアに駆け寄ってきてしまった。
「すまない、待たせたか」
「いいえ、楽しみすぎて私が早く来てしまったのです。ふふ、子供っぽいですよね?」
口元に手を当ててはにかむリーウィアに、イェルドが刹那のあいだ見惚れて固まった。
だがそれは本当に刹那の出来事に過ぎず、
「そんなことない。今日のリーウィアは一段と綺麗だ」
「ありがとうございます。イェルド様もとっても凛々しくて素敵ですよ」
「――――」
今度ばかりはイェルドも驚きのあまり思考停止した。
過去にこれほど率直に、リーウィアから褒め言葉を贈られたことがなかったからだ。
(ここよっ)
リーウィアは攻めどきを気取り、さっそく練習した技を繰り出していく。
「お手を」
「う、うん……?」
リーウィアが差し出された手を握り、そっと引いた。
イェルドが自然と中腰になると、リーウィアは間近で目と目を合わせて彼の手を両手で包み込んだ。
「今日はよろしくお願いしますね」
「…………」
体温を刷り込むようにイェルドの手を撫でながらリーウィアが微笑みかける。
イェルドはもはやまともな反応すらできず、呆けたように口を半開きにするだけだった。
「ではまいりましょう」
リーウィアはあっさりと手を放し、けれど内心では初手の成果に大変満足していた。
(やっぱり完璧だわ。今日だけでイェルド様との……その、距離を……一気に近づけてみせる)
そんなことを考えつつ、ちょっぴり頬を赤くしているリーウィアは周囲がえらくざわついていたことに気づけなかった。
正確には自分の大胆な行動に動揺していて、周りを見る余裕なんて無かっただけなのだが。
「イェルド様?」
「あ、ああ……すまない。行こうか」
「はいっ」
イェルドに車椅子を押してもらって玄関を出る。
すぐ目の前には車止めがあり、馬車の前に初老の男性――ライノが控えていた。
「おはよう、ライノ」
「おはようございます、奥様」
「今日はよろしくお願いしますね」
「万事このライノめにお任せあれ」
リーウィアとイェルドが二頭引きの馬車に乗り込み、マヤとサシャがライノとともに御者席についた。
「ライノさん――」
「皆まで言うな」
サシャが囁くように話しかけると、ライノは鋭い眼差しを返し、傍らに置いてあった剣の鞘を軽く叩いた。
「いざとなれば私も加勢しよう」
「頼もしいことで。我ら二人で奥様を逃す刻を稼ぎましょう」
「任せよ」
マヤは内心「やっぱりおうちで待っていたかった……」とがっくりと肩を落としたのだった。




