02.傷物伯爵令嬢の縁談
リーウィアはその日、父からの呼び出しを受けて大いに浮かれていた。
さながら少女のように心を弾ませていると、車椅子を押してくれているお付きの侍女が小さく吹き出した。
「本当に嬉しそうですね」
「そう見える?」
リーウィアは満面の笑みで後ろを振り返った。
「はい、とっても。私まで嬉しくなってしまいます」
父からの呼び出しを報せに来てくれたのは彼女だ。
もちろんリーウィアが浮かれている理由をよくよく承知したうえでの言葉だ。
「それにしましても王太子妃殿下が遠きマイエルの地までお運びくださるとは。お嬢様のご人徳でしょうか」
「ふふ、まさか。アンネリーエ様が慈悲深いだけよ」
王太子妃アンネリーエは学生時代に出会って以来、厚い親交を結んできた人だ。
彼女は二つ年上なうえ、公爵家のご令嬢であるものの、リーウィアのことを「気のおけない友人」だと言ってくれている。
「ずっと手紙のやり取りはさせていただいていたけれど、お目にかかるのは本当に久しぶりだから。もう嬉しくって」
「ようございましたね」
「ええ」
ずっとアンネリーエに心苦しい思いを抱えていた。
リーウィアは彼女の結婚式に参列すべく王都に向かった道すがら馬車の事故に遭ってしまったのだ。
(慶事に水を差してしまったことをようやくお詫びできるわ)
そのアンネリーエがわざわざ遠く離れたマイエル家の領地まで訪ねて来てくれたというのだ。
こんなに嬉しい気持ちになるのは事故に遭って以来、初めてのことかもしれない。
ただ少しだけ気懸かりがある。
(……いくら親しくさせていただいているとはいえ、王太子妃殿下が友人の見舞いで王都を離れるかしら? ……おかしなことにならなければいいけど)
目的地の応接室の前に至ると、近衛騎士と思われる男性二人が扉の前で控えていた。
その点だけ見てもアンネリーエが王室の一員になったことを改めて実感した。
リーウィアは近衛騎士たちに向けて黙礼した。
(気づかせてくださりありがとう存じます)
アンネリーエの結婚式に参加できなかったせいか、心のどこかで公爵令嬢の頃のままの認識でいた気がする。
彼女はすでに王族なのだ。公爵令嬢でも十分に雲の上の存在だったが、王族ともなれば一線を画する。
学生気分のまま気安く接するのは無礼だろう。
リーウィアが頷いたのを受け、近衛騎士の一人が扉をノックする。
「ご令嬢がお越しになりました」
『通してくれ』
父の許可が出て扉が開かれると、リーウィアはみずから車椅子を回して応接室に入った。
瞬間、勢いよく立ち上がった女性が目に飛び込んできた。
「リーウィアっ!」
「アンネリーエ様……」
悲痛な声を上げた友人は、王族とは思えないほど落ち着きを欠く足取りでリーウィアに駆け寄ってきた。
そして衝動に突き動かされるように伸ばされた手が――、
「っ……」
リーウィアに触れる寸前でビクリと弾かれたように止まった。
「抱きしめてもいいかしら? もし傷に障るなら……」
「大丈夫ですよ」
リーウィアは目を糸のようにして微笑み、友を迎え入れるように腕を広げた。
「でもどうかお優しく」
「ああ……良かった……」
うめくような声とともに、アンネリーエがまるでガラス細工を扱うかのような手つきでリーウィアの背に腕を回す。
「ご心配をおかけしました」
「ええ、本当に。命が危ういと聞いたときには生きた心地がしませんでした」
「ごめんなさい……」
「良いのです。あなたが無事ならそれで」
衣服越しに伝わる体温を感じながら、リーウィアはただ静かにアンネリーエの腕のなかで柔らかな安らぎに身を委ねた。
「大変遅くなりましたが、ご結婚、ならびに王太子妃の位階に就かれましたことをお慶び申し上げます」
「ありがとう」
「せっかく式に招待してくださいましたのに参列できず申し訳ありませんでした」
「そのことはもう何度も手紙で謝ってもらいましたよ」
「でも……ずっと心苦しく思っていたんです。大好きな両殿下の輝かしき慶事に水を差してしまったことを……」
「そう」
アンネリーエはそっと抱擁を解き、リーウィアの目尻に浮く雫を指で拭った。
「可哀想に、こんなに痩せて……」
そう気遣ってくれる彼女の瞳も潤んでいた。
だからこそリーウィアは柔らかな笑みを返した。
「でも傷のほうは、もうほとんど治っているんですよ?」
「その痩せこけた体で――まして車椅子に座った状態で治ったと言われてもね」
アンネリーエが苦笑しながらリーウィアの頬をそっと撫でた。
「今は体を厭いなさい。ユークリウス様もきっとそうおっしゃるでしょう」
「はい」
アンネリーエが名残を惜しむようにもう一度柔らかく抱きしめてくれた。
が、そのとき、
「(面倒なことになってしまったわ。だけど覚えておいて、リーウィア。あなたは選択できるのです。そこだけは王室の威信に懸けてわたくしが保証しましょう)」
「…………」
唐突に耳元でささやかれた言葉にリーウィアは困惑させられながら、しかしその意思だけは受け取ったという証にかすかに頷いてみせた。
(……やっぱりただのお見舞いでいらっしゃったわけではなかったのね)
アンネリーエの訪問にはなにかしら別の意味がある。
その証拠となるかもしれない人たちが、抱きしめてくれる王太子妃の肩越しに見えていた。
応接室に居た人物はアンネリーエを含めて合計五人。
「…………」
「…………」
痛ましげな表情でリーウィアたちを見守っているマイエル伯爵である父フーゴ、伯爵夫人である母カイサ。
ここまではいい。
リーウィアは残る二人と一面識もなかった。
「…………」
ひとりは完全にどこの誰だかわからない。父フーゴと同年代か少し年長と思われる壮年の男性だ。
そして最後の一人――、
「ふむ……」
ただひとり、納得したように独りごちた最後の人物こそが、リーウィアを大いに驚かせていた。
老齢の彼もまた面識が無いという点では壮年の彼と同じだ。
しかし、
(魔導卿閣下がどうしてこんなところに……?)
ヨラン・ルインヴェルク。
リーウィアが属するグランフェルト王国においてこの老人を知らぬ者はほぼ居ないだろう。
国王から唯一無二の『魔導卿』という称号を与えられている〝生きる偉人〟だ。
齢七十を超える彼の活躍には枚挙にいとまがないが、端的に言うとルインヴェルクは王国最強の魔導師として、まだ存命中でありながら歴史の教科書で語られるほど多くの偉業を成し遂げている人である。
王侯貴族も民草も、誰もが魔導卿ルインヴェルクを知っている。彼は王国の大英雄であり、王国民の誇りなのだ。
「車椅子では座り心地が悪いだろう」
アンネリーエが離れると入れ替わるように父フーゴが近づき、リーウィアをソファに座らせてくれた。
リーウィアはその最中、不躾にならない範囲で唯一身元不明な男性を観察した。
目ざとく発見したのは彼のカフスボタンに刻まれた紋章である。
(交差する剣と盾……レウリアーダ家……?)
レウリアーダ辺境伯家。王国の北東部、国境線を守護する大家の紋章だ。
彼は恐らくかの家の縁者であろう。ただの使者であれば紋章を身に着けることは許されないはずだ。
(……いよいよわからなくなってきた)
侯爵と同列とされる辺境伯家の縁者が、なぜ遥か遠方にある伯爵家の領地を訪れるのか。
百歩譲ってそれは良いとして、どうしてリーウィアが彼らが集うこの場に呼ばれたのか。
ひとつだけ「まさか」と思うことがないでもないが、今しがたくれたアンネリーエの言葉がある。
たとえ予想が外れていたとしても面倒事に違いないだろう。
「…………」
リーウィアはソファに腰を下ろしたと同時に、緊張から小さく息を呑んだ。
上座に座るは王太子妃。
対面には国家の大英雄と辺境伯家の縁者。
下座には父と母。
リーウィアにしてみればたくさんの偉い人に包囲されているようなものなのだ。
だからではないが、リーウィアは内なる緊張を誤魔化すようにぽつりと、
「尋問でもされるのでしょうか……」
そんな軽口の反応は様々で。
王太子妃は「この子はまた」とクスクスと笑い、魔導卿と辺境伯家の縁者は口元を緩め、父は顔を渋くさせ、母は呆れたように額に手を当てて首を振った。
王太子妃アンネリーエがニタリと笑って言う。
「詰問される身に覚えがあるのですか?」
「どうでしょう、無いはずなのですが……。この半年は寝たきり生活でしたし」
「それ以前にならあるのかね」
茶化すようにニヤリと笑い、話に乗って来たのは辺境伯家の彼だ。
「残念ながら不敬罪に問われることなら数限りなく」
「ははっ」
「ふははっ」
辺境伯家の彼と魔導卿が声を上げて笑った。
アンネリーエが告げ口するように言う。
「聞いてくださいな。この子が『お話があります』というたびに、ユークリウス様と側近の方々が『今度はなんだ』と顔を渋くさせるのです」
「リーウィア嬢は王太子殿下とも親しいのですか?」
「ええ、とても」
尋ねた辺境伯家の彼に、王太子妃は満足げに首肯した。
「リーウィアも生徒会の一員でしたから。誘ったのはわたくしですけど、じつに良い仕事をしたと自負しています」
「なるほどの、ユークリウスはリーウィア嬢が苦手か」
「いいえ、ユークリウス様も好ましく思っておられますよ。でも御老のおっしゃるとおり得意ではないのでしょうね。『私に対してあれほどズケズケと物を言う女性は他にいない、これでも一応王子なんだがなあ』というのがお決まりの台詞ですから」
「結構なことではないか。苦いことを言ってくれる臣こそ大切にせよ」
「胸に刻みます」
リーウィアたちを置き去りに、頷き合う王太子妃と魔導卿。
「ご挨拶を」
やや呆れ気味な父フーゴに促され、リーウィアは面識の無い二人に向けて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。マイエル伯爵家が長女リーウィアです」
「ヨラン・ルインヴェルクである。国王陛下より魔導卿に号されておる」
「ルーカス・レウリアーダだ。先代の辺境伯を務めていた。貴女に会えたことを嬉しく思う」
「っ……」
ルーカスと名乗った彼が縁者どころか、辺境伯その人であったことに胸の内で頬を引きつらせるリーウィアだ。
これでも伯爵家の令嬢だ。内心を隠すことくらいはできるのだ。
ともあれ、先代とはいえ辺境伯家当主は王国における大人物だ。リーウィアのような一介の令嬢がそうお目にかかれる人ではないだけに「なぜ?」という思いが増す。
父フーゴが話を続ける。
「アンネリーエ妃殿下は王室を代表してレウリアーダ辺境伯家と当家の仲立ちにいらっしゃっている。魔導卿閣下はその見届人だ」
「リーウィア嬢の治療を兼ねて、であろう? 伯爵」
「そうでしたな。有難いことです」
そう感謝の言葉を口にするのとは裏腹に、父の表情は晴れやかなものではなかった。
それを受け、リーウィアは察する。
(これはいよいよ……)
薄々ながら、しかし「まさか」とリーウィアが思っていた予感。
前辺境伯がわざわざ遠方の伯爵家まで足を運び、王室が仲介し、魔導卿が見届けるとなればほぼ当たりであろう。
「リーウィア、お前に縁談が来ている。お相手は現レウリアーダ辺境伯閣下その人だ」
「…………」
リーウィアは一切感情を表に出さず、しかし内心では天を仰いだ。
失望したのはこの身の上に縁談が来たことだけではない。
(イェルド・レウリアーダ……)
噂を通じて名前だけは知っている。最悪な男だ。




