01.プロローグ
善良で賢い娘が正しく判断して行動する。なのに結果はおかしなことになる。
そんな話です。よろしければお付き合いください。
マイエル伯爵家令嬢、リーウィアは窓から差し込む光に手をかざした。
「細い手……」
この痩せこけた体も人生が一変してしまった証のひとつだ。
王都へ向かう道すがらに遭った、あの馬車による事故でリーウィアは多くのものを失った。
「ロビン様もそろそろ新しい婚約者を見つけられたかしら」
オルソン伯爵家の嫡男ロビン。彼との婚約を解消したことも失ったもののひとつだ。
ただ、ロビンやオルソン家はなにも、リーウィアが〝傷物〟になったからといって捨てたわけではない。
彼らは慈悲深いことに「そうしたことは傷が癒えるのを待ってから考えてもいいのではないか」と言ってくれた。
「でもこの体じゃ……」
貴族夫人の一番の責務は子を成すことだ。
社交も欠かせない。人脈を築くことはもちろん、家門の利益を生み、権威を保ち、ときに安全保障に関わってくることもある。
だが、そのどちらも傷物になってしまったリーウィアが満足にこなせないことは明らかだった。
だからこちらから婚約の解消を申し入れさせてもらった。
彼らの貴重な時間をリーウィアのために浪費せず、より良い未来へ進んでもらえるように。
椅子の上で軽く体を捻ってみる――と、腰のあたりに針で刺したような小さいながら鋭い痛みが走った。
「ッ……、この痛みもいつか無くなってくれるのかしら」
事故から半年が経ち、最近ようやく寝たきり生活を脱することができた。
一時は命が危ぶまれたことを思えば、最良の結果を得られたと喜ぶべきかもしれない。
事実、家族や家中の者たちは心から喜んでくれている。「よくここまで頑張った」と褒めてもくれていた。
「だけど結婚は……もう無理でしょうね」
体には誰もが目を背けるであろう醜い傷痕が残っていた。
父は手を尽くし優秀な医師と治癒術師を手配してくれた。
彼らの力があったからこそ傷痕が残る程度で済んだと言える。それだけの大怪我だったのだ。
彼らは問題なく子を成せると保証してくれている。
しかしたとえそうだとしても、背中から腹部にまでわたる気味の悪いこの傷痕を見て、男性は果たしてリーウィアを抱けるだろうか。
女であるリーウィアにはわからない。
あるいは子を仕込む〝作業〟としてならできるのかもしれないとは思う。だがそれだけは――、
「……無理よ。私はきっと耐えられない」
リーウィアは貴族の娘だ。貴族令嬢にとって婚姻は義務そのものだ。少なくともリーウィアはそう考えている。
そこに甘い恋愛など期待していないし、望んでもいない。
しかしたとえ政略による結婚であろうと、夫婦になるからには信頼し合える関係でいたいと願う。
だというのに、もし作業のように、あるいは嫌悪し、我慢しながら寝所をともにされたなら、きっとリーウィアは耐えられない。
「これからどうしようかしら」
体に刻まれているのは傷痕だけではない。
馬車の下敷きになって潰れた左脚にも後遺症が残っていた。
杖をつけば短い距離なら歩けるものの、社交なんてまともにこなせるはずがなかった。
この不自由はきっとリーウィアの生涯について回る。
父を始め家族は「今は傷を癒すことだけを考えろ」と言ってくれている。でも、
「……スヴェンもそう遠くない内に婚約者を見つけるだろうし、手のかかる小姑になってしまうのは……嫌ね」
リーウィアは十九歳。弟のスヴェンは十七歳。
嫡男のスヴェンはまだ学生だが、あと一年もすれば卒業だ。そろそろ結婚相手を見繕う時期にきている。
体が不自由な小姑と同居だなんて、スヴェンの妻となる人も御免だろう。
「小さな村の代官にでもしていただけるよう、お父様にお願いしてみようかしら……?」
人に迷惑をかけ、嫌われ、そうでなくとも気を遣われながら生きていくのはつらい。
修道院に入るという道もあるが、俗世が好きなリーウィアには向いていないだろう。
だったら田舎に引っ込んで代官をするのも悪くない。
幸いにも学はある。経験豊富な者に補佐してもらえれば、村落の一つ二つくらいなら管理できるくらいにはなるだろう。
「……もう結婚はしたくない。幸せになれる想像がつかないもの」
女としての幸せはもう諦めた。
こんな体になってしまったけれど、ささやかでいい。一人の人間として幸せになりたい。
「身の振り方を考えないとね」
結婚という貴族令嬢として最大の義務を果たせなくなったことを申し訳なく思う。
だけどリーウィアは生きている。
「こんな体でもマイエルの役に立てる道がきっとあるはずよ。探しましょう、諦めずに」
そんな傷物令嬢リーウィア・マイエルに、断れそうにない縁談が舞い込むのは――このわずか二日後のことだった。




