18.問題ない(ある)
警報騒動の翌日の夜。
別邸二階の最奥にある一室に、レウリアーダの主要人物たちが集まっていた。
集まるのが夕食を終えてからになったのは、彼らが皆それぞれ偉い人であり、それなりに忙しい人であったからだ。
会議は議長(自称)である先代夫人フレンダの発言から始まった。
「これより第十九回〝裏〟お嫁さん会議を開会します」
一部の参加者に弛緩した空気があることを危惧したのかもしれない。
議長の声音は、浮ついた空気を一掃する重い響きを帯びていた。
誰もが自然と押し黙るなか、先代辺境伯であるルーカスが呆れ気味に言った。
「毎度言っているが、まだそんなふざけた名前をつけているのか」
「あなた、お嫁さん会議はもう十九回目ですよ」
「わかっているが、その〝裏〟というやつはなんだ。そんなものこれまで付いていなかっただろう?」
じつのところ、お嫁さん会議とは「お嫁さんで話し合う会議」ではない。
その実態は「如何にしてお嫁さん(リーウィア)に本物のお嫁さんになってもらうか」を、レウリアーダの中枢人物たちで揉む会議だった。
「すでに私たちの本懐は遂げられつつあります」
「本懐?」
そしてこれもじつはという話だが、お嫁さん会議は、イェルドの論功事件のあとに急遽設立された議会だった。
事件直後のレウリアーダ側の本音を明かすなら「本当に? あの醜聞まみれなイェルドのお嫁さんに来てくれるの? 無理じゃない?」といった半信半疑な考えが主流であった。
無論、イェルドのやらかしによって政治的な事情が生まれたことはわかっている。
だがそれでも「マイエル家は断ってくるだろう」と思い込み、非常に申し訳ない気持ちでいたのだ。
うちの子が本当にごめんなさいと。
だけど、万が一、なにかの間違いで、この縁談を受けてもらえるなら。
これはもうレウリアーダ家として万全を期す必要がある。
このような好機はもう二度とイェルドに訪れない。決してリーウィアを逃してはならないのだ。
そんな強い意志のもとお嫁さん会議は発足したのである。
「ですから、リーウィアさんが同居までしてくれて、本当にお嫁さんになってくれそうな今、私たちは本懐を遂げつつあります。即ちお嫁さん会議もまた、その役目を終えようとしているのです」
「……それで?」
つまりフレンダがなにを言いたいのかというと、
「お嫁さん会議はその名のとおり、お嫁さんと一緒に和気あいあいと過ごす会議になったということです」
「一昨日、お前たちがあの子を拐って開いたというあれか」
「あちらがお嫁さん会議の本流になりました」
「だから傍流であるこちらは裏だと」
「降格です」
「まあ、私はなんでもいいが……」
そんな裏会議の出席者は七名。
自称議長にして先代夫人フレンダ。
先代辺境伯ルーカス。
先々代夫人ヘレン。
辺境伯家令嬢シーラ。
家宰ベッテル。
イェルドの秘書官にして従兄弟のアーロン。
最後に侍女長オーサという、まさにレウリアーダ辺境伯家の中枢を担う人物たちであった。
欠けているのは先々代の辺境伯グレーゲルと、イェルドの弟レオンの二人だが、彼らは領地で差配しているので不参加だ。
どちらもルーカスに近い立ち位置だ。
会議の必要性は十二分に理解しつつ、けれど女性たちほど前のめりではない。そんな感じだ。
「ではさっそく本題に入りましょう。昨晩オーサより重要な報告がありました」
フレンダは参加者をひとりずつ丁寧に見渡した。
「……いいですか。これからオーサに説明してもらいますが、覚悟しておいてください。私はこの報告を受けて衝撃のあまり卒倒しかけました。そのくらい凄まじい真実です」
ざわっ、と一同が声にならない声を上げた。
「フレンダ、それはリーウィアについてのことなのかい?」
「無論です、お義母様。もういいお年なのですから、驚きのあまりぽっくり逝かぬよう心積もりをしておいてください」
「やかましいわ」
フレンダに目で促され、侍女長オーサが音もなく立ち上がった。
彼女は肺が空っぽになるまで深く息を吐いてから切り出した。
「大奥様ではありませんが、どうか最後までお聞きください。また大旦那様と大々奥様におかれましては、血気に逸らぬよう重ねてお願い申し上げます」
「血気だと? なんだそれは」
「それほど洒落にならん話ってことだろうさ」
名指しで前置きされたことで、ルーカスとヘレンの顔つきがいよいよ険しいものに変わった。
「奥様付きの侍女であるマヤさんと話す機会を設けました。
お体が万全でない奥様をお世話するにあたり、気をつけるべき点などをお聞きするためだったのですが、そのなかで――」
オーサは私情を交えることなく、マヤと話した内容を端的に報告していく。
聞いている者たちの反応は様々だったが、総じて好意的に受け止めていた。
その流れが一変したのは、お見合いの日のリーウィアについて話が及んだ場面だ。
「なんて健気な子なんだい……」
リーウィアがバスローブ一枚だけを身にまといイェルドの前に立ったこと。そして彼女がどうしてそんな暴挙に及んだのかを聞き、ヘレンの目尻に涙が浮いた。
だが、
「そのあと、奥様の肌を見た旦那様が昂られてしまい、奥様がお鎮めになられたようです。
奥様はその後始末をマヤさんに命じるとともに、固く口止めなさいました。……ですから事があったことは確実かと」
オーサから放たれた真実が静まり返った室内にぽつりと落ちた。
誰もが呼吸を忘れ、目を見開いたまま固まり、ただひたすらに聞かされた事実を理解したくなくて現実逃避した。
やがて数拍の空白を置いたのち、家宰ベッテルが口を戦慄かせた。
「あわ……」
その無意識に漏れ出たような声が呼び水となった。
「なんてことをしてくれたんだっ! あの馬鹿っ……!」
絞り出すような怨嗟とともに、従兄弟のアーロンが頭を抱えてテーブルに崩れ落ち、
「ふぅ……ふぅ……あぁ、スヴェン様、ごめんなさい、お義姉様をお護りできませんでした……」
妹シーラは兄の失態に絶望し、天を仰いで過呼吸気味。
さらには、
「あ、あ……あんのっ、痴れ者がぁぁッッ!」
祖母ヘレンが憤死しそうな勢いで怒髪を立てながら、ありもしない剣を抜くべく腰に手を回した。
「…………」
そして議長フレンダがもがき苦しむ皆を我がことのように痛ましい目で見つめていた。
彼女も昨晩、オーサからこの報告を受けたときは眠れないほどの憤りと情けなさを感じたのだ。
そんななか、たった一人だけ平静を保っていた男がいた。
「まあまあ、母上、そう怒らずとも」
「……これが怒らずにいられるかッ」
怒るでもなく恥じるでもない。
そんなルーカスの態度がヘレンのさらなる勘気に触れた。
「あんたは見合いの場に居たんだろうがッ! これはあんたの失態でもあるんだ! なんでそうケロッとしていられるんだいッ!」
「いや、それはぁ……ですね……」
「なんだい! 言いたいことがあるならハッキリ言いな!」
「もちろん母上のご立腹は当然だと思いますし、私自身もとんでもないことを仕出かしてくれたものだと思っています。伯爵にどう詫びればいいのか見当もつきません」
「だったらっ――」
「ですが、そういうことがあったうえで、それでもリーウィアは縁談を受けてくれたのです。マヤに口止めもしていた。ここで我らが事を荒立てれば、あの子の気持ちを踏みにじることになるのではないですか?」
ヘレンに先んじフレンダが冷めた声で割って入った。
「それはそれ、これはこれではありませんか? 仮にあの子が許してくれていたとして、しかしそれはイェルドの行いを正当化できる理由にはなりません。
イェルドは我がレウリアーダ辺境伯家の当主なのです。
この件はイェルド個人はもとより、レウリアーダの長としても、到底看過できない過ちです」
「フレンダの言うとおりだ。娼館の件はやむにやまれぬ事情があった。
だけどこれは違うだろう? イェルドが自分を律していれば、それで済んだ話じゃないか。
だというのに、マイエル家には断れないような形で縁談をねじ込んだうえ、傷が癒えてもいない娘にまでそんなっ……。あたしは情けなくて涙も出てこないよっ!」
「どちらも正論だが、存外リーウィアは嫌がっていなかったかもしれないではないか」
「……なんだって?」
「あなた……」
ルーカスの際どい言葉に、ヘレンとフレンダの瞳に憤怒が灯った。
「さっきも言ったが、我らが騒ぎ立てると却ってリーウィアが――」
「お待ちを」
この空気はさすがに危ういと感じ、オーサは無礼を承知でルーカスの言葉を遮った。
「大旦那様、ご無礼しました。ただ最初に申し上げましたとおり、報告は最後まで聞いていただきたく存じます」
主人の機微から意を汲み、適切に手当することが侍女たる者の仕事である。
長い年月を費やし研鑽してきたオーサの侍女としての勘が冴えを見せていた。
(大旦那様はおかしい)
オーサはここまでの流れを織り込んでいた。
誰もが頭を抱え、ヘレンあたりが怒髪をつくことも想定していた。
だがそこにはルーカスも含まれていたのだ。
なのに彼は一緒に怒るどころか、なぜかイェルドのやらかしを穏便に済ませようとしているように見えてならない。
「皆様のお怒りはごもっともですが、重要な点をまだご報告していません。
すでに申し上げたとおり、旦那様と奥様のあいだで事があったことは確実です。
ですが奥様はいまだ純潔を保たれております。と言いますのも――」
オーサはその根拠をすらすらと述べながら、ポケットから取り出した手帳に短い文を書き綴った。
「以上となりますが、最後にひとつだけ。マヤさんは奥様のご性格上、正式に籍を入れるまでは決して体を開くことはないと断言していました。どうかその点をお含みおきくださいますよう」
そう報告を締めくくったと同時に、オーサは短文を書き綴った紙を千切ってルーカスに差し出した。
「こちらをお読みください」
「うん?」
ルーカスが訝しげな顔をして内容に目を通していく。
そこには「大旦那様はもしや奥様の秘密の趣味をご存じなのでは? もしそうであるなら決して口外してはなりませぬ」と走り書きとは思えないほど綺麗な文字で綴られていた。
ルーカスが目を見張りオーサを見る。
(なんだ、お前も知っていたのか?)
(マヤさんからこっそり聞き出しました)
(いくら家族が相手とはいえ、やっぱり知られたらまずいよな?)
(当然です。「艶本を嗜むことを趣味にしている」なんて知られたら、奥様が引きこもりになられるやもしれません)
(じっさいリーウィアは嫌がっていたと思うか?)
(マヤさんが言うには「女として見てくれたことが嬉しくて仕方なかったのだろう」と)
(ふむ、であるならだ。やはりここは穏便に収まるよう……)
(いけません。大旦那様は下手なことをおっしゃらないでください!)
もちろん目線だけでそこまで伝わるはずもないのだが、ルーカスとオーサはある一定の共通理解を得ることができていた。
「……あんたら、さっきからなにを目で話しているんだい」
「あなた、その書付けをこちらへ」
「畏れながら大奥様、それはなりませぬ」
オーサは覚悟を固めた。
ここに居る人たちは頼りにならない。自分が会議を仕切り、たとえどのような咎めを受けることになろうと、身を呈してお嫁さんをお護りするのだ。
「……なんですって?」
「そこには奥様の秘め事が綴られております」
「秘め事? そんなことをどうしてあなたが知っているの」
「それすらお答えできかねます。秘め事とは秘するものでございますから」
フレンダの細めた目がルーカスに向いた。
「……私も言わんぞ」
「あなたはどこでそれを?」
「見合いのときに伯爵夫人と王太子妃殿下から『ここだけの話』と念を押されて教わった。両人の信頼を裏切るわけにはいかん」
オーサはここが勝負どころと見て間髪入れずに畳み掛けた。
「此度のことについて、皆様がお怒りになるのはごもっとも。私も思うところがないではありません。
しかしながら、当人が不在のなかでいくら憤ったところで詮無きことです。
いっそ旦那様を召喚なさり、本人の口から釈明を聞くべきかと愚考いたします」
「良き考えだ。アーロン、イェルドを連行しろ」
ルーカスが即座に流れに乗っかった。
ルーカスもオーサも一刻も早く艶本の話題を終わらせたかった。
「……かしこまりました」
アーロンはイェルドに少しばかり事前情報を与えてやろうと、場の空気を測るように視線を巡らせてから席を立った。
せめてもの情けだ。本音を言えば今度ばかりは同情の余地は無いと思っている。
「頭が痛いですな……」
「身内の恥だ。事の次第によってはあたしが斬る」
深いため息をつき、目頭を揉む家宰ベッテルの一方で、ヘレンはいまだ憤懣やる方ないといった様子で、組んだ腕を苛立たしげに指で叩いていた。
そうして遂に下手人が会議場に連行されてきた。
入室したイェルドは緊迫した空気に一瞬だけ眉をひそめたものの、おおよそ嫌疑がかけられている者とは思えないほど堂々とした態度で着席した。
イェルドは一度瞼を落とし、腕を組んで、深い頷きとともに瞼を開いた。
「アーロンから大枠で話は聞いている。皆が怒り、危惧している気持ちは痛いほどわかっているつもりだ」
その言葉を受け、ベッテルなどは「おお、思いのほか殊勝な態度であられる」と、若き当主を感心した。
「だが問題ない」
「問題しかないわッ!」
ヘレンが机を蹴り上げた。




