17.静かな茶会と燻ぶり始めた火種
警報の魔道具にまつわる一件を終息させたのち、リーウィアはイェルドに誘われて二人で茶を嗜んでいた。
「ふ……」
ニヤつきを抑えきれないのか、イェルドが歪んだ口元をカップで隠した。
「まあ、なんて言えばいいのか言葉が見つからないけど、とにかく大変だったね」
「…………」
リーウィアはすぐに答えず、ゆったりとした動作で紅茶を口に含んだ。
ティーテーブルの対面に座る婚約者の肩越しに、彼が破壊した植え込みの残骸が見えていた。
だからこそリーウィアは短い言葉に情感を惜しげもなく込めて答えた。
「ええ、本当に」
事件の発端はリーウィア自身であるけれど、あの混沌とした状況を終息させるのは本当に大変だったのだ。
イェルドが苛立ち、立ち上る魔力でバチバチと大気を弾いていたあのとき、リーウィアは彼の対処をマヤに投げた。
もちろん生贄にしたつもりはない。
そのマヤが少し離れたところでサシャと控えていた。
なぜか侍女長であるオーサも一緒に。
声は聞こえないが、オーサがなにやらサシャに話しかけているようなので、さきほどのことで小言を言われているのかもしれない。
(ちゃんと説明したのに、マヤったら、まだ私のことをジト目で見ているわ……)
マヤに投げたのは、混沌を極める状況を終息させるための合理的判断だったのだ。
リーウィアにはイェルドに構っている暇がなかった。
救難信号が出された場所にリーウィアとイェルドが揃っていて、さらには護衛騎士が剣を抜いており、とどめとばかりに植え込みまで破壊されている。
これはもう危惧していた事態――イェルドがリーウィアを襲っているようにしか見えない。
そんな状況下で、リーウィアがイェルドをなだめていたら家人たちはどう思うか。
ライノなんかは「奥様を解放してください!」とピッチフォークをイェルドに突きつけていたに違いない。
そしてイェルドは明らかに苛ついている。
ここで対処を誤ると、誤解が連鎖して二次災害が避けられなくなると判断した。
だから被害者と見做されるであろうリーウィア自身が、駆けつける家人たちをなだめに掛かる必要があった。
「でもそのお陰で役得があったわけだし、私としては悪くない事件だった」
「そのことは忘れてください。……あと、お口がニヤついていらっしゃいますよ」
「おっと、私としたことが」
想定はあくまで想定に過ぎない。往々にして思い通りに運ばないものだ。
リーウィアは必死に家人たちを説いたものの、なかば暴徒化していた彼らは聞く耳を持ってくれなかった。
『奥様! 早くこちらへ!』
『お体が不自由な淑女を手籠めにされるなど言語道断!』
『いかに旦那様といえど、許し難き蛮行なり!』
『たとえこの身が灰となろうと、奥様だけは逃してみせる!』
もう手がつけられたものではなかった。
もはや一刻を争うと焦ったリーウィアは、杖をつきながら懸命に走ってイェルドの首に縋りついた。
『皆さん誤解です! 魔道具は試しに起動してみただけで、イェルド様は襲うどころか私を助けに駆けつけてくださったのです!』
リーウィアは叫ぶように訴え、イェルドを嫌っても恐れてもいないことを証明するため、彼の首をぐいっと引っ張って頬に口づけを落とした。
さきほどからイェルドの口元の筋肉がサボり気味なのはそのせいだろう。
「今日で一気に距離が縮まった気がする」
「おっしゃるとおり気のせいではないですか?」
「君がそれを言うのか。あんなことをしておいて?」
「ニヤつきながらほっぺを撫でない。だらしないですよ」
「そう言いながらも頬が赤くなっているじゃないか。リーウィアは愛らしいな」
「……少し黙ってください」
「かしこまりました、我が姫」
小気味良く答え、イェルドが無言でリーウィアの隣に椅子を寄せてきた。
さらに彼はカップに添えていたリーウィアの手に自身の手を重ねる。
「イェルド様」
リーウィアは手の甲をさわさわと撫でてくる手を、冷めた目で一瞥してから、
「黙ってさえいれば、なにをしても良いという決まり事を設けたつもりはないのですけど?」
「…………」
イェルドは「はて?」とでも言いたげに微笑を浮かせて首を傾けるのみ。
リーウィアは諦めの息を吐くだけにして、特に抵抗することなくイェルドの好きにさせた。
(まあ、このくらいなら。今日は魔力の状態を確かめられていなかったし)
リーウィアは瞼を落とし、伝わるくすぐったさを我慢しながらイェルドの魔力の状態を探ってみた。
「今日も変わらず魔力は安定しているようすですが、ご自身の感覚ではいかがですか?」
「黙っていろって話じゃなかったのか?」
「大切な話をしています」
「あの日から生まれ変わったように良好なままだ」
「本当に?」
「本当にリーウィアが愛おしくて堪らない」
「だからっ、そういうのはいいです……」
「じゃあ、なにを言えと」
「口説き文句以外の言葉をご存知ないのですか?」
「ああ、ご存知ない。どうも私は君のそばにいると馬鹿になってしまうみたいだ」
「もう、仕方のないひと……」
「仕方のない人か。なんだかいい響きだ」
「どこがです……」
「親密っぽく聞こえないか? 特に『ひと』の部分」
「イェルド様はもう、私がなにを言っても口説き文句で返されるのですね」
「それが今の生きがいなんだ、許してくれないか?」
「…………」
リーウィアは唇を結び、目の力だけで不本意を訴えた。
するとイェルドは懇願するように、触れたままの手の甲をするすると撫でてきた。
「……イェルド様って、私を尊重している体を取りながら、いつもご自分を通されますよね」
「バレたか」
「本当にっ、仕方のないっ、ひとっ、ですねっ」
「なんなんだ君は。その拗ね方は可愛すぎるだろ……」
「もうヤダこのひと……」
リーウィアはイェルドの腕を掴んで触れてくる手を引き剥がそうとした――が、押しても引いてもビクともしない。
「ぐぬっ、このっ……」
「そんなご褒美までくれるのか。どうした? 今日のリーウィアは大盤振る舞いじゃないか」
一方イェルドは頑張るリーウィアを愛でに愛でまくり、口づけに続く至福の時間だとでも言いたげに目を細めていた。
リーウィアはすぐに諦め、だが深く息を吐くことで一方的に甘くされた空気を入れ替えた。
「真面目な話をしても?」
「聞こう」
あれほど執拗に食いついていたイェルドの手があっさりと離れた。
(仕方なくてズルいひと……)
こんな風にリーウィアの内側を察して、彼が潔く引いて行くからリーウィアは強く拒めないでいる。
今度は尊重している体ではない。
イェルドは大事な場面に至ると、必ずリーウィアの意思を優先してくれる。
「今回の魔道具の件ですけど、イェルド様はご存じなかったのですよね?」
「ああ、そんなものが用意されていたなんて、こうなって初めて知った」
「お腹立ちにならないのですか」
この魔道具の存在自体が、家族にも家人からもイェルドが信用されていないことの証拠になっている。
こんな扱いをされたなら普通は怒る。
イェルドはしかし、
「当然の備えだと思う。むしろ私としてはよく考えてくれたものだと感心したくらいだ」
「それは私のことを思ってのことですか?」
「それもある。あるが、籍を入れるまで君の貞操を守ることは両家の体面に関わる問題だ。そして私には家族や家中の者が抱く感情以前に、信用ならない事実があり過ぎる。これは長い年月を掛けて重ねてきたものだ。言葉だけで信用して良いことじゃない」
「でしたら質問を変えます。イェルド様はご自分を信用できますか?」
「できる」
なんら憂いなく即答し、イェルドは続ける。
「訊かれるまでもないことだ。私はスヴェンと、男と男の約束を交わしている。君と義弟を裏切る真似は決してしない」
「…………」
リーウィアはイェルドの揺るぎない姿勢に小さな驚きを覚え、それ以上に彼の言葉が、自分のなかで強い喜びとともに広がっていく感覚に大きな驚きを覚えていた。
リーウィアとスヴェンを決して裏切らない――。
その短い言葉が、想像していたよりもずっと嬉しい。
「私もイェルド様を信じます」
「嬉しいことを言ってくれる。万の友軍を得た気分だ」
リーウィアはネックレスをテーブルに乗せ、イェルドに押し出した。
「信じると決めた私には必要ないものです」
イェルドは苦笑いしてネックレスを押し返した。
「これは身に着けているといい。レウリアーダの敷地内でならまず有り得ないが、なにかの間違いで君の身に危険が及ぶこともあるかもしれない。当家の者たちの武張った一面は実感できただろう? 備えあれば憂いなしだ」
「そういうことでしたら」
リーウィアがネックレスに手を伸ばそうとしたところ、イェルドがかすめ取った。
「せっかくだ。着けてあげよう」
「……油断も隙もないですね」
一応そんな小言は口にしたが、リーウィアは後ろ髪を前に逃して細いうなじをあらわにした。
イェルドがご機嫌に後ろに回ったそのとき――、
「っ……」
背後からひゅっと息を呑むような音がした。
「イェルド様?」
「ん? ああ、なんでもない」
イェルドにネックレスを着けてもらいながら、リーウィアは苦笑して言う。
「お義母様たちとも一度きちんとお話ししたいと思うのですけど」
「あー、母上たちな。まあ……うん、やりたいようにさせてやってくれ。君を心配してのことだし、ほんの三ヶ月のことだ」
「でも……」
「誰だって好意を拒まれると良い気分にはならないだろう?」
「お気を悪くされるでしょうか……」
「するわけがない。きっと落ち込むだけだろう」
「それはそれでどうなのですか?」
「落ち込むくらいリーウィアを好ましく思っているってことだ」
「本音を言うと、お義母様たちに限らず、レウリアーダの皆様の歓待ぶりに困惑しているのです。どうにかしてください」
「そればかりは無理だ。私が憎まれる」
「憎まれるって……」
――そんな二人を少し離れたところから観察している者たちがいた。
侍女長オーサ、リーウィア付き侍女マヤ、同じく専属護衛騎士のサシャである。
三人それぞれが給仕や護衛の役目で控えているものの、侍女の二人については昨日の「自分の目で旦那様の状態を確かめる」というオーサの意向からイェルドの観察作業に勤しんでいた。
「懐かしい。旦那様の奥様を見る目はまさにヴォルデガルフのようだ……」
「…………」
「…………」
ポツリと漏らしたサシャに、オーサとマヤがかすかに片眉を持ち上げた。
サシャがなに言ってんのかわからなかったからだ。
特に相談したわけでもないが、マヤが代表して小声で尋ねた。
「どなたですか?」
「私が小さい頃に飼っていた犬の名前です」
「なかなか仰々しい名前ですね。お家の番犬でしょうか」
「チワワです」
「チワワ……」
チワワの名前がヴォルデガルフ。
どういうセンスをしているのか。
「なりが小さいくせに、さも自分が強者であるかのように振る舞う生意気な畜生でした」
「……愛玩犬ですよね?」
「愛されて当然と考えていそうな可愛げのない犬だったのです」
「それは……誇り高そうな名前に引っ張られたのかもしれませんね」
「五つの頃に私が名前をつけたのですが、デカくなると思い込んでいたんです」
「でもチワワだったと」
「しかも主人を下に見てくる犬畜生でした」
大きさも性格も裏切られたから畜生認定。
マヤは肯定も否定もできず、頼りない笑みをこぼすしかなかった。
(少なくとも性格面については、飼い主であるサシャ様にも責任の一端があるはずなんだけど、こういう考え方もサシャ様らしいといえばらしい……のかも?)
彼女は同じ主人を戴く同僚として苦楽をともにしていく人になる。
ゆっくりでいいからサシャを知っていき、仲間になっていきたい。
(それもまあ? サシャ様が護衛を解任されなければ……だけど。ふふ)
それはそれとして、チワワにヴォルデガルフなんて名前を付けて周りはなにも言わなかったのだろうか。
(ちっちゃなサシャ様が「この子はヴォルデガルフなのっ!」って駄々をこねている姿を思い浮かべてしまったけど……うん、これは黙っておこう)
お付きの侍女は、お付きの騎士と良好な関係でいたかった。
「それで? ヴォルデガルフとやらの目がなんなのですか?」
主人に視線を向けたまま小声で話す二人に、オーサが落ち着いた声音で割って入った。
「そこです、侍女長。私の従姉妹がフロルヴィーナちゃんという雌犬を飼っていたのですが――」
「…………」
またしても高貴そうな名前が出てきたことでマヤは大いに納得した。
(従姉妹様もこれだと、ペットに大層な名前をつけたがるのは血筋なのでしょうね)
あとさらっと、フロルヴィーナに「ちゃん」付けしているところも見逃せない。
サシャの女の子な一面が垣間見えてなんだか可愛い。ほっこりしてしまう。
「ヴォルデガルフはフロルヴィーナちゃんにぞっこんで、会うたびに発情していたのです」
「つまりあなたは旦那様の奥様を見る目が、まるで発情した雄犬のようであると言いたいのですか?」
「いいえ、違います」
ん? とオーサとマヤが首を傾げた。
それ以外の解釈なんて無いと思うのだが。
「そんな生易しいものではありません。拝見した感じだと、今の旦那様はフロルヴィーナちゃんと一緒にいるときのヴォルデガルフそのものです」
「そこまで言いますか……」
「あなたは自分がなにを口走っているのか理解しているの? 旦那様のことを発情した雄犬そのものだと言っているのですよ?」
リーウィアを見る目がどうこうではない。
サシャはイェルド自身が発情した雄犬そのものであると主張している。
さすが臨界状態のイェルドに剣を向けるだけのことはある。胆力が尋常ではない。
「私は奥様の護衛騎士ですから」
「サシャ様って、それを言っておけばなんでも許されると思っていませんか?」
「解雇されても知りませんからね?」
リーウィアの専属騎士としては満点な姿勢だが、レウリアーダの家人としては失格だ。
「お二人がおっしゃることはわかりますが、大事な話なのです。少し聞いてください」
ヴォルデガルフは姑息な雄犬だった。
フロルヴィーナが大好きで年中発情していたが、いきなり襲いかかるような真似はしなかった。
顔を近づけて匂いを嗅いだり嗅がせたり、あるときは体をすり合わせたりなどして、フロルヴィーナと仲良くなるべく努力していた。
「ですが私はわかっていました。奴は常に隙を覗っていたのです」
距離を詰め、警戒心を解き、一緒に遊べるようになって――、
「ある日、我慢できなくなってフロルヴィーナちゃんに襲いかかって……」
「どうなったのですか?」
「私が首根っこを掴んで引き離しました。私に監視されていることに気づかないなんて所詮は犬畜生。ざまぁないです」
ヴォルデガルフ無念。
だがそんなことは重要ではない。
「という話なんですけど、どうです?」
問われたオーサとマヤは内心「どうですと訊かれても」と思う反面、自然と顔を歪めていた。
「……旦那様ですね」
「……旦那様ね」
「でしょう? 手を握ってスリスリさせて、白く細い奥様のうなじを見てヤバい目つきになっていたじゃないですか。今回の警報はお試しでしたけど、次は本当に旦那様と戦う羽目になるかもしれません」
オーサが低い声でサシャに尋ねた。
「それは護衛騎士としての進言ですか?」
「無論です。私の職務は現場において、奥様の身の安全を確保することにあります。それ以外のことは然るべき立場にある者が対処すべきことでしょう」
サシャの淡々とした、しかし切れ味の鋭いその言葉がオーサの顔を苦くさせた。
「いやだわ、私への当てこすりかしら」
「やだなあ、そんなわけないじゃないですか」
「私がここに留まっている理由にも察しがついているのでしょう?」
「どうでしょう。私が知っていることは、旦那様と奥様がお茶会をしていて、その給仕に侍女長がお出ましになっていることくらいです」
オーサは「あなたは能力があるのに、性格がちょっとアレなところが本当に……」と口にしかけたがどうにか飲み込んだ。
「大奥様に報告を上げるのに、旦那様の状態を直接確かめに来たのよ。マヤさんの提案を受けてね」
「じつに納得のいくご説明です」
二人に目を向けられたマヤは顔をしかめてゆるゆると首を振った。
「私は提案なんてしていません。すべてオーサ様の差配です」
「あなたはどう見ますか」
「私は主観を述べません」
「まあっ」
マヤのそれは昨日の繰り返しだ。
それが琴線に触れたのかオーサがくすりと笑った。
「ついさっき、旦那様のことを発情した雄犬扱いしていたではないですか」
「記憶にございません」
「ふふ、さすが奥様の専属侍女、若いのに喰えない子ね」
オーサは改めてイェルドとリーウィアを見つめた。
「あなたたちの言うとおりだわ。侍女長として私が大奥様に報告します」




