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傷物才媛リーウィア、断れない政略結婚の裏をすべて見抜く  作者: 黒依クロ
第二章 レウリアーダ辺境伯家

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15.レウリアーダ散策記(上)

 レウリアーダでの新生活二日目にして、リーウィアは早くも暇を持て余していた。


「はぁ……」


 こちらに居を移すにあたり、当初リーウィアはやる気をみなぎらせていた。

 なにぶん結婚式まで三ヶ月しかない。これはそのままリーウィアがこの家の女主人になるまでの猶予期間でもある。


 現在その役割を担っているのは義母のフレンダだ。

 レウリアーダに入ったのちは、いち早く義母に従い、彼女を補佐しながら業務をひとつずつ学び、女主人たる者の務めを身につけたいと意気軒昂でいたのだ。

 というより、それを主な目的として同居を前倒ししたのに……現実は無情だった。


 今朝のことである。


『お義母様、今日からでもお仕事を学ばせていただけませんか?』


 リーウィアは熱を込めて訴えた。


 これだけ大きな家だ。

 レウリアーダが扱う帳簿の桁からして、実家のマイエルとはまるで違っていることは想像に難くない。

 それだけに女主人の務めも多岐に渡るはず。

 リーウィアがまだ知らぬ家政の慣例などもあるはずだ。


『私としては一日も早くそれらを学び、お義母様のご負担を減らせるよう務めたいのです』


 そう朝食の席で意気込みを話したところ、フレンダに「なんていい子なの……」とむせび泣かれてしまい――、


『もう、病み上がりの子がなにを言っているの。家の仕事なんて結婚してから学べば良いのです。

 まずは体をしっかりと癒すこと。その合間に少しだけ結婚式の準備を手伝ってくれたら十分よ』


 フレンダは目尻を拭いながら、リーウィアが用意していた筆記用具をぺっと脇にやり、代わりによく冷えた果実水を握らせてくれた。

 これでも飲んでゆっくりしていろということらしい。


 イェルドは執務へ、シーラは学舎へ。ヘレンも何やら用事があるとかで早々に外出してしまった。


(お義父様はお手すきかもしれないけど……)


 前辺境伯ルーカスは一応隠居の身だが、まさか「暇だから相手して」なんて言えるはずもなく。

 曲がり間違って相手をしてもらえたところで、リーウィアのほうが困ってしまう。

 ここ暫く感覚が鈍っているものの、本来、前辺境伯とは国内でも有数の大人物にあたるのだ。

 ゆっくりと時間をかけて打ち解けていきたい。


 結果、仕事は与えられず、相手をしてくれる人もおらず、今はイェルドが用意してくれた贅沢な部屋で侍女のマヤと二人きり。


「暇だわ……」

「本でも読まれてはいかがですか? 手慣れたものではありませんか」


 気心の知れた侍女が辛辣だ。

 このあいだまで寝たきり生活だったのだから、暇つぶしなんて慣れたものだろうと言いたいらしい。


「あの頃は動けなかったからそうしていただけで……。マヤは知っているでしょう?」

「もちろん。お嬢様はもともと気忙しい人ですからね」

「落ち着きがない子供みたいに言わないで」

「じっさいそうなのでは?」

「もうっ」

「仕方ありませんね。でしたらお屋敷の探検でもされてはいかがですか?」

「お屋敷探検」


 復唱し、リーウィアはぱちぱちと目を瞬かせた。

 その反応を興味が引けた証と見取り、マヤは自然と頬を緩めて言う。


「邸宅を把握することもまた、女主人たる者の務めと愚考します」

「ええ、まったくそのとおりです。さすがマヤですね」

「恐れ入ります」


 リーウィアはいそいそと杖を手繰り寄せ、マヤが車椅子を用意する。

 こうしてリーウィアは仲良しな侍女をお伴に、レウリアーダ散策という冒険を始めたのだった。



 ◆◇◆



 部屋を出たところでマヤが外に控えていた女性に声を掛けた。


「サシャ様、お嬢様がお屋敷を見て回りたいそうで」

「それは嬉しいことを申されますっ」


 破顔し、喜びをあらわにしたのはリーウィアの「護衛騎士」であるサシャという女性だ。

 燃えるような赤髪を後ろで一房に束ね、騎士服に身を包んだ彼女が続ける。


「当家を知ろうとしてくださる奥様のお気持ちに、レウリアーダの一員として喜びを隠せません」

「そんな大げさな」


 あまりに真っ直ぐな喜びを向けられ、リーウィアはくすぐったい気持ちを誤魔化すように小さく笑った。


 一八〇を超える長身は女性としては驚くほど高く、その体躯たいくが厳しい訓練によって鍛え上げられたものであることは、衣服の上からでも明らかだった。


「是非とも私に案内のお役目を」

「ええ、お願いするわ」


 そんな武の体現者のような彼女に見下ろされ、車椅子から見上げているのだから――、


(おっきい、怖い……)


 リーウィアが内心ビクついているのは許してもらいたい。


 昨日サシャを紹介された際、リーウィアは「私に護衛騎士?」と思った。マヤも思ったそうだ。

 しかし二人とも「なぜ?」とは問わなかった。


 ――いざとなったらネックレストップに魔力を流しな。あたしらの気持ちだ。

 ――当家の敷地の全域に警報が鳴るようになっています。

 ――イェルドに襲われそうになったら使ってね。


 フレンダたちがなにを危惧してサシャを付けたのか訊くまでもなかったからだ。


 ともあれ、こうして新たに護衛騎士を加えたリーウィアたちは本格的な探検を始めた。


「屋敷の中と外、どちらからご案内しましょうか」


 隣を歩くサシャが尋ねてくる。

 彼女は護衛のために手を空けていて、車椅子を押す役目はマヤに任せていた。

 ちょっとしたことに過ぎないが、その実サシャが本気で警戒していることが伝わってきてしまい、だからこそリーウィアは微妙な気持ちになった。


(う~ん、一度腰を据えてイェルド様と話し合ったほうがいいのかも……)


 色々な意味で――この家もイェルドも「大丈夫なのか」と心配になってきた。


「外からお願いします。リハビリに少し歩きたいのだけど良い場所はありますか?」

「ございますよ。お庭に参りましょう」


 ふと、リーウィアはサシャの腰元に目をやった。

 彼女は鎧こそ身に付けていないが、腰には細身の長剣をいている。


「ねえ、サシャ」

「なんでしょう」

「あなたは護衛なのですから剣を佩いているのはわかるのですけど、他にもちらほらと帯剣している人を見かけます。レウリアーダでは普通なのかしら?」

「いいえ? 奥様がいらっしゃるまで私を含めて帯剣などしていませんでしたよ」

「そうなの。もしかすると結婚式が終わるまでの一時的な措置なのかしら」

「ご明察です。大奥様からそう命じられています」

「なるほど」


 淡々と答えつつ、しかしリーウィアはあとでイェルドとしっかり話し合おうと決めた。

 レウリアーダ全体が当主に対し警戒態勢をいているのは――特異な事情があるとはいえ、いかがなものかと思う。


 もちろんフレンダたちが自分を心配してくれていることは承知している。有り難いとも思っていた。

 だけどリーウィアは、できる限りイェルドの側に立って寄り添ってあげたい。

 この件のように、どちらが悪いと断定できないことなら尚更だ。支え合ってこそ夫婦だと思うから。


 玄関口に通じる大広間に出た。

 首を巡らせると、二階に上がる幅の広い階段が見える。


「ご興味がおありで?」

「そうね、あとでサシャに抱っこして連れて行ってもらおうかしら」

「お安い御用です」


 トンっと胸を叩いてみせたサシャに、リーウィアは少女のようにはにかんだ。


 リーウィアの私室は一階にあるので二階は未知の領域だ。

 これは無論、脚が不自由なリーウィアに配慮してくれてのことだ。

 ただ、他の家族の部屋はすべて二階にあると聞いているので見てみたくはある。


 そんなちょっとした雑談を交わしながら一行は玄関から外へ。

 サシャの案内で屋敷の裏へ向かう途中、リーウィアの視界の端に見覚えのある人物が映った。


「ね、あれってライノじゃない?」

「……そんな気がしないでもないですけど、はっきりとは。お嬢様は目がいいですね」


 リーウィアが指さす方向にマヤが目を細めて見やるが、距離があるせいで自信が持てないようだ。

 そんな主従の傍らでサシャが顔にかすかな驚きを浮かせていた。


「確かに御者のライノですが、ご存知なのですか?」

「ええ、実家からこちらまで送ってくれたのは彼なのよ」

「いえ、そうではなく。奥様が一介の御者の名を覚えていらっしゃることに、少々驚きまして」


「ううん?」と、リーウィアとマヤは申し合わせたように顔を見合わせた。


「普通のことよね?」

「普通です」

「あれ? これって私がおかしい流れですか?」


 主従はくすくすと小さく笑った。


「ごめんなさい、少しからかっただけよ」

「そんな流れじゃないので安心してください。サシャ様のおっしゃることのほうが普通です」


 貴族は「自然に傲慢」な者が多い。悪意なんてなく下々の者を記号で見がちなのだ。

 ライノの場合で例えるなら、彼を御者という役職で認識はするが、ライノという個人に対する認識は曖昧だったりする。


 もちろん自家の者なら個人として認識することも少なくない。

 ただしリーウィアにとってのライノは他家の人間であり、まして高い職位に就いているわけでもなければ接触した時間もごく僅かに過ぎない。

 名前まで記憶しているはずがないと思うのは道理だ。

 故にサシャは驚いたわけだが、それを察したうえでリーウィアとマヤはからかったのだ。


「お二人は息がぴったりですね」

「ふふ、サシャがとっても純粋そうな人に見えたから、つい魔が差しちゃったの」

「こういう意味のないイタズラをなさる方なので、サシャ様もご注意くださいね」

「わかりました。奥様はとても愉快な方だと皆に周知しておきます」

「やめてっ、私が悪かったから」


 ひとしきり笑い合ったあとで、リーウィアがマヤに振り返った。


「昨日のごたごたで御礼が言えずじまいだったの」

「かしこまりました」


 マヤがライノの方向へ車椅子を向けたそのとき――、


「うおお――――――いっ! ライノさ――――んっ!」

「っ……」


 空気を震わせるサシャの叫びに、リーウィアはびくんっと肩を跳ね上げた。


(声おっきすぎる……こわい……)


 せっかく打ち解けてきたところだったのに、リーウィアはまた女騎士に萎縮してしまった。


「あの、サシャ? ライノの仕事の手を止めたら悪いわ。こちらから行くから……」

「ライノさんは『奥様にわざわざお運びいただくなんて畏れ多い』とおっしゃると思いますよ。それにほら、見てください」


 サシャが指さす方向に目を向けると、丁度ライノがこちらに向かって振り返ったところだった。


「んー? なんだぁ?」

「え?」

「はい?」


 急にわけのわからないことを口走るサシャに、リーウィアとマヤが自然と首を傾げた。

 サシャは至って真剣な目をして言う。


「私なりにライノさんの心の声を吹き替えています」

「吹き替え」

「なるほど」


 依然としてわけがわからないままだが、ひとまず主従はサシャがやりたいことは理解できた。


「あれは……?」


 振り返ったライノがトコトコとこちらに向かって歩き出した。


「誰だ……? 歳のせいか近ごろ目が……」

「サシャは随分と想像力が豊かなのね……」

「ライノ様、初老ですものね」


 当然そんな吹き替えをされているなど知る由もなく。

 ライノはこちらを見定めようとしているのか、首を突き出すような格好で近づいてくる。


「あれは……車椅子、か? まさかな……」

「心理描写が細かい」

「心の機微が鮮やかに伝わってまいります。お見事です」


 ふと、ライノがピタリと歩みを止めた。


「間違いないっ、奥様じゃないか……!」

「気づかれちゃった」

「ここからどう展開していくのでしょう」


 ついにリーウィアを認知したらしいライノが身をかがめ――その瞬間、弓から放たれた矢のごとく駆け出した。


「奥様が御用とあればっ、このライノっ、万難を排して征かねばならんっ!」

「凄い勢いで近づいてくるんだけど……」

「初老の脚力じゃないですね……」


 そんなこちらの軽口を置き去りにして、ライノは瞬く間に距離を食い潰していく。


「これでも若かりし頃はレウリアーダ軍の部隊指揮官として戦地を駆けた武人なり! 見よ! 我が脚は死んではおらぬっ!」

「ライノは軍属あがりの御者さんだったのね」

「解説ありがとうございます。でもそれって、もう完全に私たち用の吹き替えですよね?」


 速度と気迫がただ事ではない。

 もしこの突撃を戦場でされようものなら、敵は蜘蛛の子を散らすように逃げるんじゃないだろうか。


「奥様っ!」


 ライノは土埃を立てながら大地を滑り、測ったかのようにリーウィアの手前で片膝をついた。


「……えっと、仕事の手を止めてごめんなさいね?」


 息を切らせるどころか、汗のひと粒すら浮かせていない御者の姿に、リーウィアはちょっと引いていた。

 レウリアーダには常識が通じない人が多過ぎる。


「そのようなことはどうかお気になさらず。私めになにか御用でございましょうや」

「用ってほどのことじゃないの。ほら、昨日あんなことになっちゃったでしょう?」

「あれですか……」


 ライノが言葉に詰まったのを誤魔化すように、白髪混じりの頭を指で掻いた。

 その苦り切った顔からして、あの出迎えに苦言を呈したくとも口にはしづらいといった様子に見える。

 発案者が大々奥様なのだ。ライノの立場では口をつむぐしかないだろう。


「そうじゃないの。ライノに御礼を言えずに別れてしまったのが気になっていて。そしたらあなたを見かけたものだから」

「奥様……」

「ありがとう、ライノ。御礼が遅くなってごめんなさい。あなたのおかげで私は無事に王都に戻ることができました。三日にわたり尽くしてくれたあなたの献身に、心からの感謝を」

「――――」


 ライノはあらん限りに目を見張り、ゆっくりとサシャに首を巡らせた。

 彼女は喜びと誇らしさに口元を緩ませ、ライノに向けて大仰に首を振った。


「私はただお呼びしただけです。ライノさんに気づいたのも、御礼が言いたいとおっしゃったのも奥様です」

「なんとっ……」


 ライノはせり上がる激情を歯噛みして耐え、しかしすぐに堪えられなくなり片手で口を覆った。

 涙こそ意地で堰き止めているが、身震いするその姿はまさに漢泣き。


「ぐっ……うぅ……」

「なるほど」


 そんな初老な御者の顔を覗き込み、サシャはなにかを得心したように頷くと、朗々とうたい始めた。


「おおっ、なんたる奇跡! もはやこの老躯は一線を退き、ただ馬を駆るだけの一介の御者にすぎぬ! ……その名を、この方は天上の調べのごとく尊き唇で紡いでくださったのだっ!

 しかも見よ、あの距離だ! 木々の隙間に霞む私を、奥様はその清廉なるまなこで見つけてくださったのだ!

 それ即ち奥様の心象風景に、このライノが描かれていたということ……!

 なんという感動! なんという僥倖! 我が人生はここに報われた! ……と、おっしゃっています」


 リーウィアが「いやいや、それはいくらなんでも」と口にしかけたところ、


「まさに! よくぞ言ってくれた!」

「……ふぅ」


 合っていたらしい。開きかけた口から息だけが漏れた。

 リーウィアはそろそろ慣れてきたというか、諦めの境地に入ってきていた。


 それからリーウィアはライノと少しだけ話したあと、本来の目的地である庭を目指した。

 柔らかい芝が敷かれたそこで歩く練習をするのだと教えると、ライノは「万一にも転ばれてお怪我でもされては」と大いに心配して付いてこようとしたが――、


『仕事をしてください』

『仮に奥様が転ばれるとして、ライノさんは奥様のお肌に触れるつもりですか?』


 そんな風にサシャが冷たい目をして追い払った――のだが、じつのところ今回の一件で、ライノはさっそく周囲に自慢して回ることになる。


『奥様に名前を覚えていただいた』

『奥様に直接仕事ぶりを褒めていただき、労っていただいた』

『羨ましかろう』


 こんなことを得意気に言って回ったものだから、やがて奉公人のあいだで『奥様に名前を覚えてもらい、褒めていただこう』という流行が巻き起こることになるのだが……。


(困ったものね……)


 このときのリーウィアはまだ、周囲の過剰な好意に困惑しているだけだった。

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