14.お嫁さん会議のその裏で
お嫁さん会議が始まったのと時を同じくして――。
リーウィアの専属侍女マヤもまた、屋敷内のさる部屋に連れ込まれていた。
「落ち着きましたか?」
「はい、お恥ずかしいところをお見せしました」
テーブルを囲み一緒にお茶を嗜んでいるのは、このレウリアーダ別邸の侍女長であるオーサだ。
「恥ずかしいなんてとんでもない。主人をお護りするため、当家に対して警戒心や猜疑心を抱くことは、リーウィア様付きの侍女として在るべき姿です。むしろ誇ってください」
「そう言っていただけると心が軽くなります」
マヤは今、この四十八歳のベテラン侍女長と二人きりだった。
彼女から到着直後のあれが大々奥様ヘレンの行き過ぎた歓待だったことを説明され、大いに脱力しているところだ。
「大々奥様も困ったお人ですけど、リーウィア様を歓迎したいというお気持ちは本物なのです。その点だけは誤解なきようあなたからも奥様に話してあげてください」
「かしこまりましたが……貴家ではもうお嬢様を奥様と呼ばれているのですか?」
「ええ、当家の者は漏れなくそうお呼びするよう周知しています。既成事実化するための施策ですね」
これは第零回お嫁さん会議において可決された施策のひとつである。
もちろんマヤがそんなことを知る由もない。
「既成事実化? とはどういう……」
「こちらから積極的にそうお呼びすれば、レウリアーダの女主人だという自覚を持っていただけるかもしれないでしょう?」
「お嬢様がですか?」
「当然です」
「ですよね」
「立場が人を作るとも言うではないですか。それです」
「なるほど……」
マヤはわかったようなわからないような、とぼけた声を返してしまう。
思ったことをそのまま言葉にするなら「そんな大げさな」といった感じだろうか。
あとほんの三ヶ月もすれば、リーウィアは紛うことなきレウリアーダ家の奥様となる。
だというのに、今さらそんな仰々しそうな施策(?)みたいなものを行う必要性が感じられなかった。
「まあ、そのあたりの話はあとでするとして、まずは聞き取りをさせてください」
「かしこまりました。では私からお嬢様のお世話をするにあたっての注意事項を説明させていただいて、そのあとオーサ様からの質問をお受けするという形で進めさせていただいても良いでしょうか」
「まあ」
オーサは目を丸くし、それからニッコリと満足気に微笑んだ。
「さすがはリーウィア様の専属侍女ですね。察しが良くて助かるわ」
「いえいえこのくらいは。落ち着いて考えてみればそれしかないだろうなと」
「それでは聞かせてください」
リーウィアは体が不自由なこともあり、オーサたちも事前の想定は重ねているのだろうが、どうしたって行き届かない部分が出てくる。
それでなくとも世話をする相手の情報は、多いに越したことはない。
リーウィアのことを詳細に把握するべく、熟知しているであろうマヤが呼ばれたわけだ。
「では――」
マヤの解説は多岐に渡った。
まずは主人の安全に直接関わる体にまつわることを重点的に話し、その後、車椅子や杖など補助する道具は一式マイエル家から持ち込んであることや、リーウィアが好む道具の条件などについても触れた。
「マイエル家で調達した商会は王都にも店があるのかしら?」
「ございます。当家から事前に話は通してありますので、いつでもお引き合わせできます」
「では明日にでも」
「かしこまりました。あ、それとですね、商会の話が出たので一緒にお知らせしておくと――」
服や装飾品などはレウリアーダに出入りしている商会から購入する意向だと伝えると、オーサはぱちぱちと瞼を瞬かせた。
「今からそのようなことにまで気を配ってくださっているの?」
「細やかな方ですから」
「…………」
ふと、オーサが思考を巡らせるように唇を結んだ。
マヤはその一瞬の沈黙に混じったわずかな懸念を拾い上げ、誤解の芽を摘み取るように言葉を継ぐ。
「神経質という意味ではありません。よく観察し、想像して、細やかな配慮をなさる方だという意味です」
「よく見える目をお持ちなのね」
「じつに適切な表現かと」
二人はなにかを誤魔化すような曖昧な笑みを交換した。
オーサは「いやだわ私ったら」と誤解しかけたことを恥じ、マヤもまた「私の言い方が悪かったんです」という気持ちを込めて軽口で応えた。
彼女たちも貴族の一員だ。こうした迂遠なやり取りには慣れている。
マヤは解説を続ける。
知っている範囲、且つ話しても問題ないであろうリーウィアの生い立ち、性格や取りがちな行動、生活習慣に癖、食事の好み、服飾雑貨の好き嫌いの傾向などを説明していく。
特に性格面と習慣については「こういうときのお嬢様はこうしがち」と、経験から来る実例を交えて丹念に解説した。
これを把握しているか否かで世話の質が大きく変わるからだ。
世話する側もされる側も気疲れが減るし、余計な摩擦を起こさずに済む。
ただでさえリーウィアは体が万全ではない。加えて未知の環境に身を置くのだから、このさき少なくない精神的な負担を負うことになるだろう。
リーウィアが覚える負荷をできる限り下げながら、ときには緩衝材にもなる。
これらのことは、マイエル家から派遣されているマヤの職責のひとつだ。
そうしてオーサから出た質問も消化し終えたところで、彼女は書き取りをしていた手帳をパタンと閉じた。
「ありがとう、マヤさん。どれも有用なお話ばかりでした」
「お役に立てたなら幸いです」
「ときに、奥様の好むお色ですけど……」
「ペールブルーがなにか?」
「……いいえ、なんでもありません」
オーサは気づいた。そしてマヤもすぐに気づくことになるだろう。
すでにリーウィアの私室がペールブルーで彩られているのだから。
(……イェルド坊ちゃま、あなたはなんて気持ち悪――いいえ、だめよオーサ。私は旦那様にお仕えしている身なのですから)
せめてリーウィアが自分と同じ感想を抱かないよう祈るばかりだった。
だがそれだけに、オーサはこれまでイェルドに抱いていた「憂慮」を「現実的な危機」だと捉え始めていた。
もしかすると、別室にいるフレンダたちも同じ焦燥感を覚えているかもしれない。
「それで、奥様とマヤさんの当家での扱いなのですが、正式に籍を入れるまでのあいだは客分として扱うよう大奥様より指示されております」
「お嬢様はともかく私もですか?」
「あなたはマイエル家を離れたわけではないのでしょう?」
「それはそうなのですが……そのおっしゃりようだと、貴家は私の今後についてもお聞きになられているのでしょうか」
「ええ、先触れと一緒に大旦那様から文が届いています。そのなかであなたのことも少し」
「そうでしたか」
マヤはリーウィアに随伴しているものの、依然としてマイエル家に籍を置いたままになっている。
給金の出処は無論マイエル家だ。
なのでレウリアーダ家の視点で見れば、半分身内な婚約者であるリーウィアよりも、マヤのほうが客分扱いする名分が立っているくらいなのだ。
この措置はある意味で当然と言える。
ただ――、
「将来のことは?」
「今のところはなにも。お嬢様がご結婚して落ち着かれるまで……二年か、三年くらいはお側に侍ろうかと思っています。夫も実家も今回のことで慌ただしくなっていますから」
マヤはマイエル家直参の騎士爵家の娘だ。
グランフェルト王国では騎士爵は準貴族として扱われている。
騎士爵は国に名簿登録する必要があるものの、その叙任権と解任権は領地貴族家が持っている。
マヤの実家はそんな騎士爵家のひとつであったが、彼女は一人娘であったため、同じ直参の騎士爵家の男を入り婿に迎えていた。
といっても結婚してから一年そこそこしか経っておらず、そんななか今回の急な縁談が舞い込んだ格好だ。
イェルドの来襲によってもたらされた影響は様々なところへ波及していた。
マヤの実家もそのひとつ。
イェルドが支度金に鉱山の採掘権、港湾の使用権、交易権など大盤振る舞いしたおかげで、マイエル家は腰を据えて対応せざるを得なくなった。
マヤの父は近い内にレウリアーダ領の駐在官として赴任することが内定している。
言うなれば、大使のような位置づけだ。
「夫は後継なので当然として、母も独り残されるのはつらいと」
「それならご一家揃っての移住になりますね」
「……旦那様とお嬢様はご結婚されたのちは、王都とご領地のどちらに本拠を置かれるのでしょうか?」
その探るような――事実マヤは尋ねているわけだが、オーサはマヤのなかに潜む小さな野心を見つけたような気がした。
「式は王都で挙げますけれど、領でもお披露目をする必要があります。そう遠くない内にマヤさんもご家族と会えると思いますよ」
敢えてマヤの探りを躱し、確かめてみる。
「ただ当家は先々代、先代、当代と三代が夫人ともどもご健在ですから、どなたがどこに配されるのか、私にはわかりかねます」
「そうですよね。もし奥様がご領地にお住まいになられるなら、私も通いで務められそうなのですけど……」
マヤの反応を見て、オーサは確信した。
「マヤさんは野心を持っていないのですか?」
「野心……?」
ぎょっとするマヤに構わずオーサは淡々と続けた。
「たとえば奥様がお産みになられる御子の乳母になりたいだとか、そういう目標は持っていないのですか?」
「まさかっ、そんな大それたことは考えていません。私のような者が名門の御子様を養育できるはずがないではありませんか」
「良い心がけです」
綺麗な微笑を向けられ、マヤは大いに動揺した。
警戒され、探られているのではないかと。
しかし、
「ですが文字通り、乳を与えるだけのお役目なら担えるのではないですか? そしたらあなたの産んだ子はレウリアーダ家の御子と乳兄弟になれるかもしれませんよ」
「……試されているのでしょうか」
顔を強張らせるマヤに、オーサはくすくすと笑った。
「逆です。試すどころか『せっかく良い立場を得たのですから、活かさないともったいないですよ』と助言しているのです」
「…………」
マヤは驚きに目を丸くして、いまだ半信半疑な様子でぼんやりと、
「なぜオーサ様はそのような……」
「使う側もそれなりの野心を持ってくれていたほうが信用できるからです」
また何故と聞かれる前にオーサは続けた。
「野心とは向上心がある証明であり、裏切られる心配を減らす根拠のひとつとなる。ですからそれが分相応のものである限りは、必ずしも悪しきものにはならないのです」
「……じつを言うと」
「ええ」
「家族からは『お嬢様がご懐妊のおりは、うちも励むようにしよう』と言われていまして……」
「なるほど?」
「あのっ、もちろん乳兄弟なんて畏れ多いことを考えているわけではなくてっ。……将来の話し相手や遊び相手に選んでいただけたら光栄だなと」
「良い考えだと思いますし、当然の判断だとも思いますよ?」
「そうでしょうか」
「そうですよ。次代のレウリアーダと乳兄弟――これはあなたが母親として我が子にしてやれる最大の贈り物になるでしょう」
子の身を守るにも、立身出世を目指すにも、嫁ぎ先を見つけるのだって、この人脈が極めて強烈に使えるからだ。
次代のレウリアーダと乳兄弟。この肩書きはただ持っているだけで大きな価値を生む。
オーサはまるで娘を諭す母親のように柔らかく語りかけた。
「自覚しなさい。マヤさんは今、騎士爵の娘として得られる最高に近い立ち位置にいるのですよ。
嘘だと思うなら、他の騎士爵家の娘に訊いてみなさい。
名門大家に嫁ぐ正妻の側近であり、年齢が近く関係も良い、同じ年の子を産める環境まで揃っている――こんな話を聞かされたら、誰もが歯噛みして羨むでしょうね」
じわり、じわりと、マヤのなかに理解が広がっていく。
「……オーサ様は、なにを以ってお嬢様との関係が良いと見立てられたのでしょうか」
「え?」
今度はオーサが目を丸くして大いに首をかしげた。
「だって、奥様が最初に助けを求められたのはマヤさんでしたでしょう? 『マヤぁぁ……!』って泣きそうなお顔をされて」
「ぷっ」
思わず吹き出してしまったマヤに釣られて、オーサも上品に笑う。
「あの場には旦那様も大旦那様も、まして弟君までいらっしゃったのに、奥様はマヤさんを頼られたのです。その一事を以ってどれだけ深い信頼を得ているかわかろうというものです。違いますか?」
「違いません。オーサ様のおっしゃるとおりです」
「頼られたことを誇り、また奥様に深く感謝しなさい。働きを正しく評価してくれない主人も往々にしているのですから」
「はい」
マヤはオーサとの出会いに深く感謝し、なにか返せるものがないかと考えた。
その取っ掛かりとして思い出したのが――、
「ところでオーサ様?」
「はい」
「最初に奥様呼びの既成事実化? の、お話をされたとき『そのあたりの話はあとで』とおっしゃっていましたけど、貴家にはなにかお嬢様に対して憂うところがあるのでしょうか?」
マヤが受けた印象だと、その内容から「レウリアーダはリーウィアに対して及び腰」なように見えてしまう。
その証拠にオーサの顔が曇った。
「……いいえ、そうではないのです。私どもが奥様を不安に思うなど、そのような畏れ多いことは何一つありません」
「では?」
「憂いているのは旦那様のことです」
「旦那様になにか問題が?」
「……マヤさんは問題がないと思っているのですか?」
「えっと、そうではなくて――」
マヤは思うところをオーサに告げた。
マヤもイェルドに問題があることは承知している。
今回の縁談そのものが常識外れの無茶無謀なのだし、醜聞についても承知していた。
ただそのことが、レウリアーダ側の懸念と上手く紐づかないだけだ。
「わかりました。私どもとマヤさんとで臨場感が違うのでしょうね」
「なにに対する臨場感ですか?」
「旦那様が抱える性衝動問題に対する臨場感です」
「…………」
マヤの顔に色濃く不理解が浮く。
それを受け、オーサは察した。
「なるほど。臨場感どうこう以前の状態のようですね。マヤさんが旦那様の性衝動について知っていることは?」
「……一切存じ上げないと思います」
「魔種については?」
「それも初めて聞いた言葉です」
「奥様からの説明はなかったと」
「はい」
オーサは包み隠さずイェルドが抱える問題をマヤに話して聞かせた。
「…………」
そしてマヤは話を聞き、問題を正しく認識することで、自身の持つ記憶にカチリ、カチリとひとつずつ真実が嵌められていくような――正直まったく心地よくない感覚を覚えていた。
「――というわけです。
私どもは旦那様の人格は疑っていません。
ですが裏腹に、私どもはじかに旦那様のお苦しみを見てきたからこそ、この問題がときに理性で抑え込めないほど強く、また非常に危ういものであることを痛感しているのです」
マヤは絞り出すように告げた。
「……少しだけ時間をくださいませんか? 考えを整理したいのです」
オーサは黙して頷くのみ。
マヤは熟考し、葛藤を重ね、けれど事が事だけに、決断を急がず慎重に事を運ぶことにした。
まずはこれを告げてオーサがどういう反応を示すのか、そこを確かめてから決断しても遅くはない。
「今からお話することを斜めに見ず、公正に評価していただきたいのです。これは私にとって非常に重要なことです。ご了解いただけますか?」
「いいでしょう」
マヤは王都に向かうまでのあいだ、自身が見てきたリーウィアとイェルドの様子を語り始めた。
主観を排除して事実のみを端的に告げていく。
「…………」
冒頭からほどなくしてオーサが顔に深刻を刻んだ。
マヤが話したのは、イェルドのリーウィアに対する接し方であり、その結果として培われた二人の距離感だ。
「奥様はなんと?」
「嫌ではない。不快にも思っていない。ただあまりに急いで距離を詰めて来られるので持て余していると」
「念のために確認しますが、奥様は怖がってはいらっしゃらないのですね?」
「少なくともそうしたお言葉はありませんでした」
「内心は別だと思いますか?」
「私は主観を申しません」
「そうでしたね」
「この話を聞いてオーサ様はどう思われましたか?」
オーサは暫くのあいだ黙考し、やはり深刻な顔を変えぬまま唇を開いた。
「私からお二人の関係について申し上げることはありません。また奥様の御心を推し量ることもできかねます」
「はい」
「私は今日初めてお目にかかったばかりですから、是非ともマヤさんの主観を聞いてみたいところです」
それはそうだろうとマヤは思う。同時に安堵していた。
オーサの評価がこれで終わるなら、マヤは主人の命に背く決断せずに済む。
しかしそうはならない――。
「ただお聞きした限り、とても不可解です」
「……どの点が引っかかられました?」
「私どもが知っているのは、旦那様が抱える問題だけではありません。それゆえに旦那様の奥様に対する強い執着心も深く理解しています。それだけ奥様と近い距離にありながら旦那様が……」
不意にオーサの言葉が潰え、マヤを見る目が驚愕に見開かれていく。
「旦那様がなんでしょう?」
「ッ……」
オーサは察し、椅子を軋ませて立ち上がった。
「まさかっ、旦那様はすでに奥様のことをっ!?」
「お座りください」
マヤは冷静さを保ち、説得するような声で続ける。
「ご想像のようなことは決してありません。私が保証できます。ですからどうかお座りください」
「…………」
「オーサ様」
椅子に腰を沈めたオーサだが、マヤを見る目はもはや睨みに近い鋭さを帯びていた。
「話してください。あなたが知っていることのすべてを」
「お嬢様に固く口止めされております。その重さを、オーサ様なら正しく理解してくださると信じています」
「…………」
リーウィアの信頼を深く得ていることを誇れと言ったのはオーサなのだ。
深く信頼されているからこそ、マヤは秘密を知ることを許され、口止めされている――いいや、いっそ栄誉に浴していると言ってもいいだろう。従者の誉れだから。
そんなマヤの言わんとすることをオーサがわからないはずがない。
「わかります、わかりますが……」
「ですからお嬢様の命に背くか否か、その決断を下すためにあと一つだけお答えいただきたいのです」
「言ってください」
「そこまで問題視することでしょうか? あとたったの三ヶ月でお二人は夫婦になられるのです」
貴族の令嬢がいかに婚約者が相手であろうと、婚前に契るなど問題しかないことはマヤとて承知している。
二人はしかし、たったの三ヶ月後には誰はばかることなく夫婦の営みを行えるようになるのだ。
ましてイェルドは非常に重い事情を抱えている。
当然リーウィアが了承することが大前提だが、だとするなら周囲がことさらに問題視することではないのではないか、これもマヤの率直な気持ちだった。
「もし事が外に漏れたとき、両家の体面が傷つくこともわかっております。まして旦那様はすでに過去の醜聞がございますから、皆様が神経質になられる気持ちにも共感できるのです。
しかしそれも貴家であれば決して露見させない環境を整えられるはず。私はどうしてもその点だけが腑に落ちないのです」
オーサの答えは端的だった。
「マヤさん。想像してみなさい。もし万が一に事が漏れたとき、世間は旦那様と当家をどう見ると思いますか?」
オーサは答えを待たなかった。
「リーウィア・マイエルという娼婦を手に入れたと見るでしょう」
「――――」
マヤは絶句した。
「裏を返せば、あなたの主人が娼婦と見做されるということです。
マヤさん、あなたは専属侍女として、リーウィア様がこのような不当な中傷で貶められることを容認できるのですか?」
オーサは立場を入れ替えるように冷静に諭す。
「私たちはね、奥様やあなたが想像しているよりもずっと……それはもう筆舌に尽くしがたいほどリーウィア様に感謝しているの」
「……どうして」
いまだ呆然としているマヤに、オーサは頬を緩めた。
「何度も言うようですけど、旦那様がどれだけ苦しまれようとも、私どもはただ見守ることしかできなかったのです。
若くして娼館に入り浸る好色漢。色狂い。名門レウリアーダの面汚し。
そんな陰口を叩かれ続けても、旦那様はひとつの抗弁もせずに耐えておられました。
私どもでさえ血を吐くような屈辱を覚えていたのです。
御本人がどのようなお気持ちであられたのか、想像することすらはばかられます」
オーサは二年前のイェルドにも思いを馳せる。
「今回の縁談の申し入れが二度目だったことはご存知かしら」
「はい、それはお嬢様からお聞きしました……」
「あのときも、見ていられなくてね」
救われるかもしれないという希望。救ってくれるかもしれない人との出会い。
イェルドの歓喜のほどはオーサの目から見ても絶頂を極めていたと言ってもいいくらいだった。
それが一転して奈落の底に叩き落とされる。
「旦那様はね、酷く冷静に受け止められていらしたわ」
絶望したことで逆に冷静になれたのかもしれない。
独り善がりであった。リーウィアやマイエル家のことをおざなりにしていた。こんな醜聞まみれの自分が彼女を幸せにできるのか、ここで身を引くほうが彼女は幸せになれるのではないか。
「……それから奥様が事故に遭われたと聞いて、今度は自分をお責めになられて」
やはりあのときの判断は誤りだった。
恥も外聞も捨て真摯にリーウィアを求め続けていたなら、きっと彼女が生死をさまようこともなかったろう。
「決して消えない傷痕を、あの美しい体に刻まずに済んだはずだと、そんな風に酷く落ち込まれていたの」
「だから……」
「そう、だから。レウリアーダの者たちはリーウィア様がイェルド様を受け入れてくだされた、ただそれだけで無上の感謝を覚えているのです」
そこでオーサは苦いものを口にしたように顔を歪め、困った風に首を振った。
「今回のことで旦那様が犯した唯一の失敗は、奥様の希望を受け入れてしまったことです。
ご自身の醜聞を顧みれば、婚約期間中に同居を始めるなど論外です。
どれだけ愛していようと、断固としてお断りするべきでした。
だというのに、好きな人と暮らせると浮かれ、愛する人の立場に思慮を巡らせられなかったというのですから、恋は盲目とはよく言ったものです」
同居すると言い出したのはリーウィアだ。
それをイェルドは嬉々として受け入れた。ルーカスを始め周囲が猛烈に反対していたにもかかわらずだ。
本来ならイェルドが誰よりも反対するべきだったのだ。
嫁ぐまでのあいだリーウィアがマイエル家の別邸で暮らしていたなら、こんな心配をせずに済んだのだから。
「マヤさん、私が話したことを踏まえて、改めて奥様が置かれている状況を想像してごらんなさい」
「…………」
マヤはあっという間に結論に行き着く。
イェルドが騒ぎを起こしてまで国王にリーウィアを求めた。
立ち会っていた貴族の視点だとどう見えただろう。
(旦那様がお嬢様とマイエル家が縁談を断れないよう〝型にはめた〟と見做せる……)
事実、異例の速さで婚約が整ってしまう。
また、式までも異例の速さで三ヶ月後に行われるという。
だというのにリーウィアは伯爵領から直接レウリアーダに入った。
そしてリーウィアがレウリアーダに身を寄せたことを契機に、イェルドの娼館通いが止まった。
この状況下でイェルドがリーウィアと褥をともにしていると知れたなら――、
「…………お嬢様が酷い好色漢の情婦にされていると思われるかもしれません」
オーサが痛ましい顔で頷いた。
「私どもが心配しているのは奥様のことだけです。
旦那様なんて今さら醜聞の一つや二つ増えたところでどうということはありません。
それに今の旦那様は、学生の頃のような子供ではありません。
戦場に立たれ、王室が手放しに褒めちぎるほどの力をお示しになられたのです。陰口をささやく者など蹴散らされるでしょう」
オーサはそこで口をつむぎ、マヤの決断を待った。
マヤはしかし、最後の疑問を解こうとした。
「ですがそれなら、たとえ肉体関係がなくとも噂が立ってしまう恐れがありませんか?」
「あるでしょうね。レウリアーダをよく思わない者などいくらでもいます」
オーサはあっさりと認めた。
「だけどね、じっさいに肉体関係があるのと無いのとではまるで違います。
あなたの話を聞く限り、奥様はとてもお心の強い方のようです。
その噂が事実であろうとなかろうと毅然と対応なさるかもしれません。
しかし奥様に仕え、支える者として、主人をむざむざ不利な戦場へ立たせるなど背信に等しい。
あなたが真に忠節を持つ者なら、目に見えている危険を排除することこそが本懐ではありませんか?」
マヤは瞼を落とし、深く息を吐いて、とうとう決断に至った。
「オーサ様だけにお話します」
それほどマヤにとってリーウィアの命に背くことは禁忌だった。
「ごめんなさい。主人を裏切るような真似を強いて」
「いいえ、私はお嬢様の侍女たる信念に従って決めたのです」
「あなたの奥様を守りたいという忠節を汚すことは決してしません」
「オーサ様を信じます」
マヤは見合いのあの日、リーウィアの私室でなにがあったのかをオーサに明かした。
リーウィアがバスローブ一枚だけを身にまとい、イェルドの前に立ったこと。
初めて会う男性に肌を晒す羞恥心。
それ以上に傷を見せたとき、気味悪がられるのではないかという恐れ。
それでもイェルドが自分を女として抱くことができ、子を成せる確証が得られなければ嫁ぐことはできないと、強い覚悟を持って暴挙に及んだ悲しいまでの責任感――。
「なんてことっ……」
そこまで話したときにはもうオーサの頬は涙に濡れていた。
「そのあと、お嬢様は旦那様の昂ぶりを鎮められました」
「――――」
瞬間、オーサの涙が止まり、あまりの動揺に頬を引きつらせた。
「直接見たわけではありません。ですが私が〝後始末〟をしましたのでそうしたことがあったのは確実です。付け加えるなら、お嬢様はこのことを固く口止めなさいました。例外なく誰にも言ってはならぬと。ですからあのとき旦那様をお慰めしたことは間違いありません」
「では……奥様の純潔は、もう……?」
「いいえ、そのご懸念は不要かと。破瓜の跡はございませんでしたし、お嬢様は貴族のご令嬢としてお手本のような価値観をお持ちの方です。婚姻していない殿方に体を開かれることは決してありません」
「でも、もしかしたら旦那様のほうから――」
「落ち着いてください。そんなことをなさったならお嬢様は黙っていませんし、求婚を受けられることもありません。王太子妃殿下や魔導卿閣下までそばにいらっしゃったのですよ? あり得ません」
「そ、そうね……」
「お気持ちはわかります。私もあのときは心臓が潰れるかと思うほど動揺しましたから」
マヤは洗いざらい吐いてしまったら急に疲労感を覚えた。
オーサも同じで、きっとマヤのそれとは種類が違うだろうが、二人してだらしなく椅子に背を預けてぐったりする。
「これで秘密を知ってしまわれたわけですけど、どうなさいますか?」
「そうですね……」
オーサはそう長くは迷わなかった。
「大奥様に報告しないわけにはいきません。……ただ、少しだけ様子を観ようと思います」
「理由をお訊きしても?」
「旦那様の状態をこの目で確かめてからにしたいのです。右から左に伝えるだけなら誰にでもできます」
つまり報告するからには自身の所感を添え、叶うなら対策を具申できるようにする。
もしかしたらマヤの話を鵜呑みにせず、自身の目で裏付けを取りたいという意向もあるのかもしれない。
さすが名門の別邸を任せられている侍女長だと、マヤは素直に学び、オーサに敬意を抱いた。
「マヤさんも付き合ってください」
「かしこまりました」




