11.男と男の約束
■011.男と男の約束
お見合いを終えたイェルドとリーウィアの婚約はその日の内に書面にて契約された。
もっとも書面を交わすまでのあいだに一悶着どころか何悶着もあった。
揉めるネタには事欠かなかった。
たとえば私室を出てきたリーウィアの目が腫れていたこと。
彼女が泣いた(=イェルドが泣かせたと断定)ことは明白で、王太子妃アンネリーエ、前辺境伯ルーカス、魔導卿ヨランが「すわ何事か」とイェルドを詰問する事態に。
契約書を作成する場面でも大いに揉めた。
物申したのはリーウィアだ。
彼女は二年前にルーカスがまとめた条件こそ見ていたものの、今回イェルドが用意した条件は把握していなかった。
父フーゴにすれば「お前が飽きたとかいうから見せそびれた」わけだが、リーウィアは「マイエル伯爵領の年予算の八%を私が死ぬまで払い続けるなんて常軌を逸している」と反発。
そこでイェルドが「本来リーウィアの価値は、こんな端金に見合うものではない」と参戦。
結果、支度金を用意する側が「払いたい」と主張し、貰う側が「払いすぎだ」と条件闘争に至るという意味不明な事態に発展。
そんなあれこれを経て書面を交わしたものの、揉め事はまだ続く。
――いつ結婚式を挙げるのか。
この戦いの構図は「イェルド&リーウィア」対「二人を除く全員」となった。
イェルドは一刻も早く夫婦になりたい――具体的には三ヶ月後には式を挙げたいと主張し、リーウィアは「イェルド様がそうおっしゃるなら」と同意。
しかし、この三ヶ月というのは貴族的な常識に照らすと暴挙なのである。
一般的に婚約期間は最短でも一年はもうけるもので、結婚式にしたって準備に半年以上は費やすものなのだ。
確かに結婚するのは二人だが、その実態は家門と家門を結びつける政治案件である。
招待客の選定に席次、会場設営に料理、新郎新婦のドレスの仕立てなど、式の準備には両家の体面がかかっている。
新郎新婦が「いいよ」と言ったところで周囲は首を縦に振れるものではない。
だがこの件は、紛糾した末にイェルドが自分の意見を押し通した。
なんだかんだ言って「当事者かつ現辺境伯」の肩書きは強かった。
一息ついたかと皆が思ったそのとき、最後の爆弾を投下した者がいた。
リーウィアが「結婚式までレウリアーダ家の王都別邸で暮らします」と言い出したからだ。
本人曰く「式まで三ヶ月となれば、いち早くレウリアーダ家に馴染む必要がある」とのことだが全員が猛反対。イェルドはもちろん大賛成で、強力に後押しする形に。
そもそもからして、リーウィアはほんの少し前まで寝たきりだったのだ。
三ヶ月後の結婚式を反対したのは、そうした身体的な理由もあってのことだった。
それを縁もゆかりも無い他家で暮らすなんて論外だと、皆が彼女を心配したのである。
しかし、この件でもリーウィアの意思は固く、最終的に周囲が説得疲れして折れることになった。
そんな一連の騒動を、渋い顔をして見ていた者がいた。
「…………」
リーウィアの二歳年下の弟――スヴェン・マイエル。マイエル伯爵家の嫡男だ。
◆◇◆
リーウィアがレウリアーダ家の別邸に居を移すべく、王都に向けて出発したその日。
本来なら婚約者同士で隣り合って甘い時間(になったかどうかは不明だが)を過ごすはずだった豪華な馬車の中で――。
「…………」
「…………」
「…………」
その箱庭の内部は重苦しい空気に満ちていた。
イェルドの座席の対面、リーウィアの隣に、スヴェンが仁王立ちならぬ「仁王座り」で陣取っているからだ。
もっともリーウィアだけは車内の空気などまったく気にしておらず、カッポッカッポと蹄の音を聞きながら、のどかに流れる窓の風景を楽しんでいた。
ずっと寝たきりだったこともあり、外に出ること自体が新鮮でむしろ一人だけ上機嫌だった。
かたやイェルドはそうはいかない。
揉めている最中からスヴェンが険しい顔をしていたことに気づいていたが、これまで挨拶程度にしか交流が持てていなかった。
まとう空気感からして自分に物申したいことがあることはわかっている。
あと三ヶ月もすれば彼はイェルドの義弟となるのだし、愛してやまないリーウィアの弟だ。仲良くしておきたかった。
さて、世間話からでも入ろうかとイェルドが思ったそのとき、スヴェンが沈黙を破った。
「義兄上」
「む……」
「スヴェン?」
思いもよらぬスヴェンの言葉に、イェルドがかすかに目を見開き、リーウィアもまた弟に首を巡らせた。
スヴェンは姉に構わず、イェルドの目を見据えたまま続ける。
「そう呼んでも構いませんか?」
「もちろんだ、私も名前で呼んでも?」
「はい、ぜひ」
「そうか、ではスヴェンと呼ばせてもらおう」
「まずは謝罪を。本来なら姉上と二人きりで過ごせたところを割り込んでしまい申し訳なく思っています」
「気にしないでくれ。屋敷ではほとんど話せていなかったからな。私も一度、君と腰を据えて話したいと思っていたんだ」
「そう言ってもらえると心が軽くなります」
「なにか、私に話したいことがあるんだろう?」
「……今しかないと思ったのです。姉上が貴家で暮らすようになる前に、義兄上にお話しておくべきだと」
イェルドは頷き、目で続きを促した。
「ありがとうございます。……少しばかり、僕の視点から見てきたこの縁談のことを話させてください」
スヴェンは姉リーウィアの縁談を最悪な形で知ることになった。
「義兄上が論功行賞の場で騒ぎを起こされたことが切っ掛けでした」
その事件が噂話としてスヴェンの耳に届いたのは、事が起こってから暫く時を置いてからのことだった。
レウリアーダ辺境伯が姉リーウィアとの縁を取り持ってほしいと国王に願ったと。
「そんな噂が王国学舎でささやかれ始めたんです」
ただ、その噂は学舎内で微妙な空気を醸成することになる。
「話が前後しますが、じつのところ論功の事件以前から義兄上は学舎で時の人になっていたんです」
「……私が?」
「ええ、イグサーマクとの戦争で大きな武功を挙げられたからです」
「ああ、それで」
「あとこれもじつはという話なのですけど、僕は妹君のシーラ嬢と同窓でして」
「そうなのか……?」
「はい、当時は彼女も義兄上のご活躍に鼻を高くされていましたよ。ですが……」
論功事件が切っ掛けで、イェルドについて別の噂も広がり始めていた。
「義兄上の過去――娼館にまつわる醜聞が再燃したんです。僕もそれまでそんなことがあったなんて知りませんでした。僕らの世代のほとんどが知らなかったと思います」
スヴェンはイェルドの評価に困った。
学舎内も似たような微妙な空気になっていた。
さきの戦争で戦勲一等に叙されるほど大活躍した若き英雄。
しかし一方で学生の頃は娼館に入り浸り、かと思えば謁見の場で騒ぎを起こすような礼儀知らずときている。
事実確認をしようとも、父は領地にいてすぐに連絡が取れない。
別邸に詰めている家中の者に情報を集めさせても噂話の域を出ないことしかわからなかった。
「だからといって姉上が巻き込まれている以上、僕もじっとしていられません。
それで、心苦しく思いましたが思い切ってシーラ嬢に尋ねてみたんです。噂の内容は事実なのですかと」
意外にもシーラはあっさりと答えてくれた。
「はい、すべて事実ですよと、困ったように苦笑いされながら」
スヴェンは慌てて学舎に休暇願いを提出して領都に戻ることにした。
依然として迷っていた。自分がどうすべきかも決めあぐねていた。
だがスヴェンとて馬鹿ではない。
多数の貴族の面前で王室まで巻き込んでしまっている以上、この縁談はほぼ断れないことを理解していた。
それでも家族として、スヴェンは一刻も早く両親と姉の元に駆けつけねばと思い急いで帰ってきたのだ。
「という訳なんですけど、ご存知のとおり僕が帰ったときには、もうお見合いが終わってしまっていたんですけどね」
「…………」
イェルドは唇を結んだままスヴェンの話の続きを待った。
ここまでが前置きで、このさきからが本題だと直感していたから。
「…………」
そしてリーウィアもまた愛おしげに目尻を下げて、無言で弟の横顔を見つめていた。
「帰ってくるまでのあいだ、ずっと考えていました。
色々と悩みましたが、それは家としてどうあるべきかという話で、個人の感情だけで言えば、僕は間違いなく義兄上のことを憎らしく思っていました」
そうスヴェンは内心を堂々とさらけ出して、鋭くした眼差しでイェルドを射抜くように見据えた。
「イェルド・レウリアーダという男は、我が姉をなんだと思っているのか。
事故に遭い、死ぬような大怪我を負って、婚約まで解消され、半年ものあいだ痛みに耐え続けてようやく歩けるようになった姉に対して、なぜこんな仕打ちができる。
不実にもほどがあるだろう。
事前に我が家に相談するでもなく、姉上のお気持ちを確かめるでもなく、頭ごなしに王室まで巻き込んで我が物にしようなどと、どれだけ傲慢な男なのだと。……そう、腹を立てていたのです」
スヴェンはそこでふっと表情を緩めた。
「でも、飲み下すことにしました」
「飲み下すのか」
「ええ、飲んで腹の中に収めることにしました。別にこの思いが消えて無くなったわけではないので」
「そうじゃなくて、飲み込む必要があるのかという意味で尋ねたんだが」
「功罪というやつでしょう」
功と罪。良い面もあれば悪い面だってある。
「昨晩たくさん姉上と話し合いました。
そのなかで、義兄上のご事情もなにからなにまで伺いました。
それらを姉上がどう思い、どう受け止めて、どうして嫁ぐことに決めたのか、そんな話をこんこんと説かれたのです。
僕としては、今さら結果は覆せずとも色々と物申すつもりだったのですけど、いつの間にかそんな気が失せてしまったのです」
――リーウィアがあんまりにも楽しそうに話してくれるから。
「義兄上のなされたことはじつに腹立たしい。
ですが裏腹に、義兄上がなされた無体があったからこそ姉上は顔を上げ、前に進んでみようと思えるようになったのです。
だったら応援しないわけにいかないでしょう? 僕はお二人の弟で、家族なんですから」
イェルドがスヴェンの隣に目を向ける。
リーウィアはそれはもう自慢げに胸を張った。「どうだ、私の弟は」とでも言いたげに。
「義兄上にひとつだけお願いしたいことがあります」
「ひとつと言わず幾つでも」
「すでに十分すぎるほどご理解されていると思いますが、姉上の体は万全には程遠い状態です。今こうして座っていられること自体が奇跡と言ってもいい。医師からは『過度な心労や強い肉体的刺激は厳禁』だと言われています」
言って、スヴェンは下から覗き込むようにイェルドと目と目を合わせた。
「……義兄上なら、この意味がおわかりですよね?」
「ああ、わかっているとも」
リーウィアの体に負担を掛けるような真似はしてくれるな、という――言葉は悪いが牽制だろう。
「君が心配するようなことは決してないと、レウリアーダの名に賭けて約束しよう」
「どうか姉のことをよろしくお願いします」
スヴェンは最後までリーウィアに一瞥もくれることなくイェルドに頭を下げた。
そこにはただひたすらに姉を想う弟の、痛いほどの慈愛が満ちていた。
(ああ、分かっている。分かっているとも、スヴェン。間近でリーウィアの苦しみを見続けてきたんだ、心配だよな……)
これは男と男の約束だ。
だからスヴェンは一貫してリーウィアを居ないものとして扱い続けた。
怒りを飲み下し、最後は頭まで下げてくれた将来の義弟。
彼の想いを裏切るようなら、イェルドは未来永劫スヴェンの義兄を称する資格を失うだろう。
それにイェルドはなにも感情論だけでスヴェンの想いに応えたわけではないのだ。
(リーウィアに鎮めてもらってから魔力がまったく乱れなくなった)
これまでイェルドは、湧き上がる激しい性衝動を解消すること通じて魔力の乱れを安定させてきた。
それがリーウィアに〝処理〟してもらって以来、継続して安定しているのだ。
無論まだまだ検証の余地はある。
そばにいるだけで効果があるのか、接触が必要なのか。そこはこれから確かめていけばいい。
ヨランが言うには――、
『それはまさに、テレシアが儂にもたらしてくれたのと同じものだ。リーウィアの言葉を借りるなら〝魔力の調律〟といったところか、上手く言うものだな』
もちろん魔種の特性そのものが消えて無くなったわけではない。
むしろ性衝動は以前に比べて明らかに増していた。
無理もない。(魔力的に)絶世の美女でありながら(魔力的に)とてつもなく扇情的な女性がそばにいるのだから。
だが以前と決定的に違うのは、性衝動がそのまま魔力の乱れに繋がらなくなったことだ。
(……ムラムラはする。物凄くムラムラするが、もう魔力が暴走することに怯える必要はなくなったんだ。……耐えてみせるさ)
結婚式を挙げるまでたったの三ヶ月だ。
たったそれだけの短い期間を、清らかな婚約関係であり続ければ良いだけのこと。
スヴェンの真摯な願いが、イェルドの漢心に火をつけていた。




