第二十五話「素人、腕を試す」
尾張へ来て、最初の冬が明けた頃だった。
城下に、触れが回った。織田の家中で、武術の試合があるという。木槍での一対一。身分は問わない。足軽でも下働きでも、腕に覚えがあれば出てよかった。
生まれでなく、腕で人を量る。いかにも、この国らしい話だ。
藤吉郎が、俺の背をどやしつけてきた。
「出ろ、新兵衛。勝ち上がりゃ、上様の目に留まるかもしれんぞ。覚えてもらう、またとない好機だで」
上様、か。そんな雲の上の話、俺にはまるで実感がない。ただ、藤吉郎がそう言うなら、出てみる値打ちはあるんだろう。
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左門は、渋い顔をした。
「やめておけ。貴公の武は、しょせん付け焼き刃だ。師について習ったものでもないだろう。あんな腕自慢の集まる場で我流を晒したところで、いいように打ち据えられて終わりだぞ」
……だいたい、その通りだった。返す言葉もない。
あるのは、暗いうちに一人で土くれに何万と突き込んできた数だけだ。
でも、だからこそ知っておきたかった。才のない人間が、ただ積み上げただけのものが、どこまで通用するのか。いっぺん、ちゃんと測っておきたかったんだ。
「出ます」
左門が、深いため息をついた。寅吉はなぜか自分のことみたいに目を輝かせている。
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試合は、明日だ。
その晩、俺は一人で藁束を相手に槍を突いていた。月明かりだけが頼りだった。器用さなんて、今さら身につきゃしない。だったら、積み上げたいつもの一突きを、いつもどおりに出す。それしか、できることはない。
ふと、気配がした。弥市が腕を組んで、俺の突きを眺めている。いつから、そこにいたのか。
「……肩が上がっとる」
ぼそりと、それだけ言った。
突きを止める。図星だった。覚えてもらおうと、知らないうちに力んでいたらしい。
弥市はそれ以上、何も言わない。俺の槍を取り上げて、穂先の据わりをこつ、と直し、黙って返してよこした。それだけだった。
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試合の場は、城の馬場だった。砂を踏み固めただけの地面に、朝から人が鈴なりに集まっている。
最初の相手は、俺より頭ひとつ大きい男だった。どこかの組の古参らしい。木槍を構える肩に、厚く肉がついている。本職だ、と一目で分かった。
怖くないわけじゃない。でも、その怖さの底で、頭だけは妙に冷えていた。
合図と同時に、いきなり穂先が伸びてきた。払おうとした俺の木槍は柄ごと弾かれ、肘まで痺れが走る。よけきれず、こめかみをかすめられた。耳の上が、かっと熱くなる。よろけて、二歩下がった。
速い。重い。まるで歯が立たない。
それでも食らいついて突きを返すが、あっさりいなされる。また来る。受けるだけで腕の感覚が鈍っていく。何度もらったのか、もう分からない。
——でも、打ち込まれるたびに、妙な引っかかりがあった。
この男、突く前に、ほんの一拍。何かが動く。……足だ。後ろ足。踏み込む前に、わずかに開いている。一度、二度。気のせいか。いや——来るたびに、開く。
なら、次は払わない。
大男が焦れて、間合いを詰めてくる。また、後ろ足が開いた。
——いまだ。
払わずに、踏み込む。流れる穂先の内側へ、体ごと入った。柄を引きつけ、足の裏で地を蹴って、突く。穂先が、大男の胸板に埋まった。
たたらを踏んで、尻もちをつく大男。
……勝った。まぐれじゃない。
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そこからは、一人、また一人と抜いていった。
どの相手も楽じゃない。打ち込まれ、いなし、食らいながらも、癖を読んで、息の上がる一瞬に一本をねじ込む。泥臭い戦いばかりだった。
見ている連中が、ざわつきはじめた。あの足軽は何者だ。見ない顔だぞ。しぶといなんてもんじゃねえ。あの古参連中を、次々に食っていきやがる。
人垣の端で、寅吉が誰より大きな声を上げていた。隣の見物にまで「あれは俺の知り合いだぞ」と吹いて回っている。当の俺より、よほど舞い上がっていた。
……おい、まだ勝ち抜いてもいないんだが。
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幾人か抜いたころ、その男と当たった。
前田又左衛門利家。槍の又左、と呼ばれているらしい。
歳は、俺とそう変わらない。なのに、まとう空気がまるで違った。背が高く、手足が長い。派手な小袖をわざと着崩して、髪も見たことのない結い方をしている。傾き者、というやつだ。それでいて、伊達が少しも軽薄に見えない。
木槍を、まるで歩くついでみたいに、だらりとぶら下げている。構えてすら、いない。なのに、どこにも隙が見当たらなかった。どこから踏み込んでも、その穂先のほうが先に俺の喉へ届く。——そんな絵しか、浮かんでこなかった。
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立ち合いの太鼓が鳴った。
まず、いつものように相手を盗み見る。この男の、突く前の癖を。肩か、足か、目線か。
——ない。
いくら探しても、出てこない。肩も落ちない、足も流れない、息さえ読ませない。これまでの相手が、扉の隙間から手の内を漏らしていたのだとしたら、こいつは扉そのものがない。のっぺりと、何も読めない。
うなじの毛が、ぞわりと立った。
なら、出方を見るしかない——そう思った、次の瞬間。
又左は、もう動いていた。
見えなかった。本当に、見えなかったんだ。気づいたときには、穂先が目の前にあった。とっさに、首をひねる。頬を、風が裂いていく。木槍の起こす風だけで、皮が切れたみたいにひりついた。
かろうじて、いなす。柄と柄がぶつかって、火花みたいな衝撃が腕を駆け上がった。
なのに又左は、にやりと笑っている。遊んでいる。本気の半分も、出しちゃいない。
いなした勢いのまま、俺も突き返した。又左のいた、その場所へ。
——いない。
すっと半歩、横へ流れている。その流れのまま、今度は俺の腿へ穂先が伸びてきた。膝の横を、したたかに打たれる。痺れが走って、足がもつれた。
それでも、倒れなかった。踏ん張って、立て直す。
又左の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「ほう」
短く、そう漏らす。
二合、三合。打ち込まれ、いなし、いなしきれずに食らい、よろけて、また構える。攻めているのは終始、又左だ。俺はただ受けて、しのいで、わずかな隙に一本を返そうとする。それだけで、精一杯だった。
打っても打っても、また立ち向かってくる俺に、又左の顔つきが、だんだん変わってきた。
馬鹿にした笑いじゃない。腹の底から楽しくてたまらない、という笑いだ。
「——ははっ。いいぞ、お前。ようやく、面白くなってきた」
心底、嬉しそうに笑う。そうして、又左の槍から遊びが消えた。一打ごとに、重く、速くなる。本気で、来はじめたんだ。
——こいつに、本気を出させた。
でも、受けるたびにこっちの腕は痺れ、息は上がる。なのに又左はまるで減らない。同じ速さ、同じ重さで、いくらでも来る。このまま続けば、先に燃え尽きるのは、俺のほうだ。
これが、天才か。
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もう、足の感覚がない。腕は鉛みたいに重く、息は上がりきっている。
それでも頭の隅に、やけに冷えた声が残っていた。
——又左は、必ずよける。当てにいったら、そこにはいない。
なら、当てにいくのをやめればいい。よけた、その先へ。当たるところまで、体ごと突っ込む。
最後の力を、足の裏に集めた。腰も、握りも、もうめちゃくちゃだ。形なんて、とっくに吹き飛んでいる。ただ、前へ。
来ると分かっていた一打が、肩に落ちた。骨の芯まで痺れて、息が飛ぶ。いつもなら、ここで膝が折れる。
——折れるか。
声が、勝手に出た。「——うおおおっ!」
痛みを突き抜けて、前へ。何万と繰り返した一突きだけを、又左のいる先へ。
笑っていた又左の顔から、すっと笑みが消えた。初めて見る、真顔だった。
穂先が、又左の脇腹をかすめる。
……かすめた。ただ、それだけ。
次の瞬間、俺の木槍は手から弾き飛ばされて、喉元に又左の穂先が、ぴたりと止まっていた。
負けだ。完敗だ。文句のつけようもない。
でも——又左の脇腹に、薄く、土の跡がついていた。
観衆が、どよめいた。
「……又左どのの体に、土がついたぞ」
ざわめきが、波みたいに広がっていく。それが自分のやったことだと、すぐには信じられなかった。
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又左は槍を引いて、しばらく俺を見下ろしていた。
それから、ふっと笑った。さっきより、ずっとやわらかい笑いだった。
「お前、名は」
息が切れて、すぐには声にならない。
「……新兵衛」
「新兵衛か」又左は、脇腹の土を指で払った。「弱い。呆れるほど、弱い。型もなってない。——だがな、最後のあれ。当てにいくのをやめて、よけた先へ体ごと突っ込んできたろう。あれだけは、読めなかった。おれの槍に土をつけた足軽は、お前が初めてだ」
差し出された手を、俺は握り返せなかった。指が震えて、力が入らない。
又左は構わず、俺の腕を掴んでぐいと引き起こした。手が、やけに熱かった。
「覚えておく。次は、転がす前に、もう少し楽しませろ」
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結局、試合を勝ち抜いたのは、又左だった。
優勝した者は、その場で上様の前に出たという。俺は、そこまで行けなかった。又左の壁を越えられなかった以上、上様を間近に見る目はない。——まだ、遠い。
それでも、家中の連中が、俺の名を口にするようになった。ほんの少しだけ。
藤吉郎の下の、妙な足軽。型は知らんが、おそろしくしぶとい。あの槍の又左を本気にさせて、脇腹に土までつけたらしい。
覚えられた。藤吉郎の言ったとおりだ。
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その晩、痣だらけの体を引きずって、藁の上に転がった。
又左の槍が、まぶたの裏で何度も翻る。あの速さ、あの冴え。思い出すだけで、ため息が出た。
——強かったな。
悔しさより先に、そっちが来た。あんなふうに槍を振れたら、どんな景色が見えるんだろう。気づけば、そう思っている自分がいる。いつか、あそこに立ってみたい。
無理だ、とは、もう思わない。今日、その又左に土をつけた。一年前の俺なら、考えられないことだ。
それでも、あの背中は遠い。——だったら、学ぶしかない。あの槍を、間近で。
肩がずきずきする。寅吉が擂ってくれた薬草を塗られながら、俺は決めた。
又左に頭を下げにいくと。




