第二十四話「素人、兵糧を運ぶ」
藤吉郎は妙な男を、もう一人連れてきた。
左門という。歳は俺より少し上か。やせて目ばかりが大きく、いつも書物を抱えている。
兵法者だ、と藤吉郎は言った。
兵法者。その響きから槍か刀の達人を思い浮かべたが、現れたのは棒きれみたいに痩せた書物持ちだった。孫子だの呉子だの、唐土の古い兵書を丸ごと暗記しているという。
この世で、字が読める奴なんてめったにいない。書物を抱えているってだけで、こいつはもう普通じゃなかった。
「軍師くずれよ」と藤吉郎は笑った。「だが頭ん中だけは、立派な軍書蔵だで。——いまな、人手が足りんのだわ。お前、しばらくこいつを預かってくれや。外から流れてきた者同士、案外、馬が合うかもしれんでな」
引き合わされたとき、左門は俺をじろりと見た。そして開口一番、こう言った。
「足軽あがりに、兵法が分かるのか」
さんざん煙たがられた挙句、また知らない男と組まされる。面白いはずがない。すり減った意地が、その一言ににじんでいた。
でも、嫌な感じはしなかった。こいつもこいつで、行き場がなくてここにいる。それくらいは見れば分かった。
---
最初の仕事で、さっそくぶつかった。
美濃との境へ、兵糧を運ぶ。その差配を藤吉郎が任され、俺と左門が付けられた。弥市と寅吉も、荷を守る頭数に駆り出された。
厄介なのは、いくさじゃない。美濃方の野盗どもだ。兵糧の列を狙っては奪い、さっと逃げる。まともにぶつかれば、こっちにも手負いが出る。
左門は、ここでも開口一番だった。
「孫子曰く、『其の備えなきを攻め、其の不意に出づ』。ゆえに輜重は二手に分け、囮を立て、伏兵を置き、襲う野盗を逆に討つべし」
すらすらと、よどみがない。
……何を言ってるのか、さっぱり分からなかった。
いや、半分くらいは音として耳を通り過ぎていった。其の備えなき、其の不意。漢文の素読みたいなのが続いて、頭の中を上滑りしていく。要するに何だ。二手に分けて、どこかに兵を伏せて、襲ってきた奴を返り討ちにしろ。たぶん、そういうことなんだろう。たぶん。
「……あの、いま、なんて」
寅吉が、小声で俺の袖を引いた。目が完全に泳いでいる。
「孫子だの呉子だの言われても、おらにはちんぷんかんぷんで」
俺も人のことは言えない。
弥市は槍の石突きで地面を均しながら、ぼそりと言った。
「野盗は三人か四人で来る。多くて五人だ。こっちの荷運びは、それより少ない」
文句でも、慰めでもない。ただ、そこにある事実だった。
そう。問題はそこなんだ。
「人手が足りないんだ」と俺は言った。「二手に分けて、伏兵まで置く。そんな頭数、こっちにはどこにもない」
「ならば増援を乞え」
「間に合いませんって。兵糧は、明日には境に要るんだ」
左門の眉が、つり上がった。
「では、貴公に策があるのか」
「……新兵衛様なら、なんとかするさ。いつもそうだ」寅吉が、むっとして口を挟んだ。
買いかぶりだ。策なんて、まだ何ひとつ浮かんじゃいない。
---
考えるしかない。
まず、敵のことからだ。
あいつらは、何のために兵糧を襲うんだ。
国のためでも、忠義でもないだろう。そんな上等な志があるなら、こそこそ兵糧をかすめ取ったりしてない。どうせ、奪った米が銭になるからだ。命のやり取りっていうより、これは稼ぎなんだ。割に合うからこそ、危ない橋を渡っている。
だったら、話は逆だ。
稼ぎに、ならなくしてやればいい。
野盗を一人残らず討ち取る必要なんて、どこにもないんだ。盗みが商売として成り立たなくなれば、それだけでこいつらは勝手に来なくなる。
頭の中で、ひとつ形になった。
「俵の半分を、藁と石に詰め替えます」
左門が、ぽかんとした。寅吉も、ぽかんとした。
「……石、ですか」
「囮の列を別に立てるんじゃない。本物の列の中に、外から見て分からないよう、藁と石を詰めた俵を混ぜるんだ。野盗に、石を抱かせる」
「……石を、だと」と左門。
「石の量を加減して、米俵と同じ重さにしておくんです。そうすれば野盗は、掴んだ俵が当たりか外れか、その場じゃ見抜けない。奪って、逃げて、開けて——はじめて藁屑と石ころだったと気づく」
言いながら、自分でも絵が見えてきた。汗だくで重い俵を担いで逃げて、息を切らして藪の中で開けてみる。出てくるのは河原の石。野盗どもの、間抜け面。
思わず、口元がゆるんだ。
「重い石を抱えて、必死で逃げる。骨が折れる。なのに、一文にもならない。それが何度も続けば——」
「割が、合わなくなる」
左門の声が、わずかに変わった。さっきまで俺を値踏みしていた目つきが、いつのまにか策そのものを見る目になっている。気づけば半歩、こっちへ踏み出していた。
「そう。野盗は短いあいだに掴んで逃げなきゃならない。一つ一つ検めてる暇なんてない。なら、当たりを引く目が薄いと知れた列に、もう旨味はないんだ。襲う値打ちが、なくなる」
---
「待て」
左門が、手を上げた。
「策は、面白い。——だが、穴がある」
ぐっと、詰まった。
「藁俵を、どこに、どれだけ混ぜる。野盗が真っ先に手をつけるのは、列のどのあたりだ。何も考えずに混ぜれば、運悪く本物ばかり奪われて、ただ兵糧を減らすだけになるぞ」
その通りだった。俺の頭にあったのは「割に合わなくする」って思いつきだけ。それをどう確かに効かせるか。そこが、すっぽり抜けていた。
左門がしゃがんで、地面に枝で図を描きはじめた。
その線が、妙にきれいだった。まっすぐな道、等間隔に並んだ俵、野盗の来る向きを示す矢。ほんの枝書きなのに、そのまま絵図に起こせそうなほど整っている。さっきまで俺に突っかかっていた男の手とは、思えなかった。
左門は、図の後ろ三分の一を枝で囲った。「いくさの理は、古今変わらん。退き道の見えている側から、人は先に崩れる。攻める側は、その逃げ足の立つところから食らいつく。——だから、狙われるのは列の後ろだ」
「じゃあ、本物は前と真ん中に固める」と俺は言った。「藁と石は、後ろに厚く」
「野盗は、まず藁を掴む」
理屈と現場が、かちりと噛み合った。
でも、俺はもう一歩足したくなった。
「いや——後ろに固めっぱなしは、まずいな。二度三度と同じ手を見せれば、野盗だって学ぶ。後ろは罠だ、って」
左門の眉が、ぴくりと動いた。
「だから、運ぶ順を日ごとに変えます。今日は後ろ、次は中ほど。本物の居場所を、決まりにしない」
左門がしばらく、図を睨んだ。それから、ぼそりと言った。
「……すると、野盗はどこを狙っても半分は外す。読みが、立たなくなる」
「狙いを絞れない。絞れなきゃ、博打だ。博打で毎度損をする商売なんて——」
「畳むしかない」
左門が、図から顔を上げた。何か言いかけて、けれど言葉にせず口をつぐむ。
かわりに枝を握り直して、図の俵の並びを一つ、丁寧に描き直した。
---
その通りに、やった。
野盗は二度、列を襲った。けれど掴んで逃げたのは、ほとんどが石と藁だ。三度目は、来なかった。
本物の兵糧は、ほとんど減らずに境へ届いた。何俵かは運悪く奪われたが、その程度で済んだ。
寅吉が藪の向こうへ駆けていく野盗の背中を見送って、しみじみ言った。
「……あいつら、いま、石ころ抱えて走ってるんですよね」
「そうだな」
「なんか、ちょっと、かわいそうだ」
弥市が、鼻で笑った。
---
帰り道、左門はむっつりと黙っていた。
やがて前を向いたまま、ぼそりと言った。
「言っておくが、貴公の策は出鱈目だ。型がない。今度はたまたま、当たっただけだ」
「ええ。たぶん、そうです」
素直に頷くと、左門は調子が狂ったらしい。
「……次も通用するとは、限らんぞ」
「でしょうね」
それきり、左門は黙った。
しばらく行ったところで、こいつは懐からよれよれの兵書を出した。歩きながら、矢立の筆で何か書きつけている。さっきの、あのきれいな手で。
よっぽど大事なものらしい。手垢で角の丸くなった書物を、片手で大事そうに支えている。
俺からは、何を書いたのか見えない。
覗き込もうとしたら、左門はさっと書物を閉じて咳払いをした。
「見るな。……まだ書きかけだ」
それだけだった。でも、その横顔がほんの少しだけゆるんでた気がした。
寅吉まで一緒になって覗き込もうとして、「貴公もだ」と睨まれていた。
---
その晩、藤吉郎は俺の顔を見るなりにやりとした。
「どうだ。あいつと、やっていけそうか」
「……どうですかね。あいつ、最後まで認めませんでしたよ」
「だろうな」藤吉郎は満足げに椀をすすった。「一人でぜんぶできる奴なんざ、おらん。足りん者同士が噛み合って、はじめて一人前よ。——隊ってのは、そうやって作るもんだで」
隊、か。
その言葉が、妙に胸に残った。
一人じゃ、届かない。
でも、足りない者同士なら、届く。
隊ってのは、そういうものらしい。




