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第5話:囁きの渓谷と失われた音

俺の突拍子もない仮説は、意外にもアークライト王国の王に受け入れられた。藁にもすがる思い、というのは本当らしい。俺とセリアは、都の外れにある岩山地帯の調査許可を得て、すぐに準備を整えた。


道しるべは、今日のハズレスキルだ。俺は定期的にスキルを発動し、虹色に光る「最も平凡な石ころ」を追って進んだ。それはまるで、目に見えないコンパスが、この土地の真実を指し示しているかのようだった。


半日ほど歩いただろうか。俺たちは、巨大な岩の壁が両脇にそそり立つ、狭く入り組んだ渓谷の入り口にたどり着いた。そして、その光景に息を呑む。


渓谷の壁一面に、あの石ころにあったのと同じ、月のクレーターのような無数の窪みが穿たれていたのだ。ここが、古文書に記された『月の涙が穿ちし大地』に違いない。


「見つけたわね、ヒロト」


セリアが、期待と緊張が入り混じった声で言った。俺たちは頷き合い、慎重に渓谷へと足を踏み入れる。だが、数歩進んだところで、俺は強烈な違和感に襲われた。


音が、おかしい。


俺たちの立てる足音が、まるで分厚い綿に吸い込まれるように、全く反響しないのだ。風の音さえも、この渓谷に入った途端にぴたりと止んだ。あまりの静寂に、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。


「…なんだか、気味が悪いわね。まるで、音が殺されているみたい…」


セリアがそう呟いた、その瞬間だった。


「―――ッ!?」


彼女の体が、ぐらり、とよろめいた。見えない何かに、上から強く押さえつけられたかのようだ。


「どうした、セリアさん!?」


俺が慌てて声を上げる。すると今度は、俺の肩に、ずしり、と重い何かがのしかかった。まるで、重厚な鎧を一体、いきなり背負わされたような、急激な重圧。俺も思わず膝が折れそうになる。


「…ヒロト…まさか…」


セリアが、信じられないものを見る目で俺を見る。


「この重圧…私たちが、声を出したから…?」


まさか。だが、仮説を検証する間もなく、俺の脳内にいつもの音が鳴り響いた。こんな状況でさえ、ガチャは通常営業らしい。


「本日もスキルガチャの時間でーす!」


俺は脂汗を流しながら、祈るよりも早くガチャを回した。


【指定した一つの単語を、10秒間だけ、空中に物理的な文字として浮かび上がらせる】


「……文字を、浮かばせる…?」


声に出さず、頭の中でスキル内容を反芻する。その時、俺は確信した。セリアの仮説は、正しい。この渓谷は、音そのものを敵と見なす呪われた場所なのだ。


声を出せば、その音圧がそのまま物理的な重圧となって襲いかかる。会話はもちろん、大きな足音や、剣がぶつかる音さえも、命取りになる。沈黙こそが、ここを通り抜ける唯一のルール。まさに、『太陽の船』の現状を体現したかのような場所だった。


だが、どうやってセリアにそれを伝える? 身振り手振りでは限界がある。俺は、先ほど手に入れたばかりのスキルに全てを賭けることにした。


俺はセリアの前に立つと、彼女の目を真っ直ぐに見つめ、スキルを発動した。俺は脳内で、一つの単語を強く念じる。


『黙れ』


次の瞬間。俺たちの間に、半透明のきらめく文字が、ふわり、と浮かび上がった。セリアが、その空中に浮かぶ一言を見て、はっと目を見開く。


俺は続けて、地面の砂に指で文字を書いた。

『音を立てると重くなる。喋るな』


彼女はこくりと頷き、自分の口元に人差し指を当ててみせた。俺はもう一度スキルを発動する。今度は、進むべき方向を指さしながら、空中に文字を浮かび上がらせた。


『進め』


俺たちは、一切の言葉を交わすことなく、互いの意思を確認した。まるでパントマイム役者のように、足音を殺し、息を潜めて、一歩、また一歩と渓谷の奥へと進んでいく。


ハズレスキルが、またしても俺たちの命綱となった。音を失ったこの渓谷で、俺たちは、音のない言葉を手に入れたのだ。

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