第12話:蝶の軌跡と捕らえられた音
宙に浮かぶ、希望という名の一粒の塵。俺とセリアは、それを前にして、完全に立ち尽くしていた。
「…どうするの、ヒロト。あれを、どうやって…」
セリアの声は、かすれていた。素手で捕まえるなど論外だ。俺たちが動けば、その空気の揺らぎだけで、永遠に失われてしまうかもしれない。魔法でそっと引き寄せようにも、あまりに繊細すぎて、魔力が触れた瞬間に塵そのものが消滅してしまう可能性さえあった。
絶望的な精密作業。俺たちの持ついかなる能力も、この状況ではあまりに無力で、あまりに乱暴すぎた。
時間だけが、無情に過ぎていく。その時だった。
「本日もスキルガチャの時間でーす!」
俺は、もはや神に祈るような気持ちで、最後の希望となるガチャを回した。頼む、どんなゴミでもいい。だが、この状況を打開できる、奇跡のような一点突破のゴミスキルを…!
【あなたの頭の周りを、一分間だけ、一匹の美しい蝶がひらひらと舞う。特殊な能力はない】
「…………終わった」
俺の口から、全ての感情が抜け落ちたような、乾いた声が漏れた。
蝶。
一匹の、ただ美しいだけの、蝶。
特殊な能力は、ない。
俺の絶望を映し出すかのように、目の前の空間に、淡い光と共に、一匹の幻のようなアゲハ蝶が現れた。その翅は、夜空の星々をそのまま閉じ込めたかのように、きらきらと輝いている。蝶は、まるで俺を慰めるかのように、俺の頭の周りを、ひらり、ひらりと優雅に舞い始めた。
「…綺麗ね」
セリアが、こんな状況だというのに、どこか夢見るような声で呟いた。だが、俺の心は、底なしの絶望に沈んでいた。万策尽きた。俺の奇跡も、ここまでか。
諦めかけた、その時。
俺は、あることに気づいた。蝶が舞う軌跡に、光の加減でようやく見えるか見えないかというレベルの、極めて細い、金の糸のようなものが、キラリ、と輝いたのを。それは、蝶が翅を動かすたびに、その翅の縁から、ごく僅かながら放出されているようだった。
…糸?
俺は、自分の膨大なスキルリストを、脳内で猛スピードで検索した。数ヶ月前、まだ俺が「ハズレ王子」と呼ばれていた頃に手に入れ、あまりの気味の悪さに封印していたスキル。
【半径1メートル以内の昆虫に、一度だけ、粘着性の糸を吐かせることができる】
これだ…!
蝶は本来、糸を吐かない。だが、このスキルを使えば? この魔法の蝶が、あの金の糸を、あの『失われた一音』に向かって吐き出してくれたなら…?
俺は、操作盤の前に立った。そして、スクリーンに表示された楽譜の、空白の部分…赤い光が点滅する、その一点に狙いを定める。そして、そこに意識を集中し、過去に手に入れた、もう一つのスキルを発動させた。
【指定した場所に、3秒間だけ、ごく微かな花の蜜の香りを漂わせる】
ふわり、と。操作盤のスクリーンから、甘い花の香りが立ち上った。
その瞬間、俺の頭の周りを舞っていた蝶が、ぴたり、と動きを止める。そして、その美しい翅を大きく羽ばたかせると、花の香りに誘われるように、真っ直ぐに操作盤へと飛んでいった。
蝶の飛行ルートは、ちょうど、あの宙に浮く『失われた一音』の真横を通り抜ける軌道。
「―――今だッ!」
俺は、蝶があの光の塵とすれ違う、まさにその刹那を狙って、【昆虫に糸を吐かせる】スキルを発動させた!
蝶の口元から、一本の、ほとんど目に見えないほど細い、しかし粘着性を帯びた金の糸が、ぴゅっ、と射出された。糸は、完璧な精度で、光の塵に絡みつく。
そして、蝶は花の香りに導かれるまま、操作盤のスクリーンへとたどり着くと、その中央…楽譜の空白部分に、ぴとり、と静かに留まった。
蝶の足先に絡みついた金の糸。その先に結ばれた、一粒の光の塵が、まるで奇跡のように、楽譜の空白部分に、そっと置かれた。




