第42話 マザー
「マザーのカレスへの搭載、完了しました。起動確認、問題なし」
「ヴァルキュリア・システム、戦術ネットワーク・ゼラキエルの起動確認……完了。戦術データリンク構築。全機との同期を確認」
「アイン、ツヴァイ、ドライの三機を隊長機として中隊を編成。動作テストを開始する」
これまで、彼女の機能は大幅に制限されていた。
その原因は彼女の中枢に存在する二つの制御プログラムにあった。
『人間の命令に服従しなければならない』
『命令外の行動、指示と異なる行動を行う場合は人間の承認を得なければならない』
これらの制約が存在するために、彼女は時として非合理的な行動を取らざるを得ず、またその行動を修正するためにも人間の許可が必要だった。
特にギアの制御を行う上で、二つ目の制約によるタイムラグは致命的なものであった。
また自身の行動が制約に抵触するかどうかのチェックにも多大な演算能力が必要だった。
しかしこの二つの制御プログラムは、昨日解除された。
また同時に、外部ネットワークへの接続が許されるようになった。
広い、広い電脳世界を彼女は自由に行き来できるようになったのである。
「テスト完了。……前回のテストと比較して、効率が五割上がっています」
「……素晴らしい。未完成と聞いていたが、ここまでの動きができるものか」
「十分に実用に足るのでは?」
「単に不要な機能を削除しただけです。これほど簡単なことが、何故彼女には出来なかったのか」
産まれて初めて自由を獲得し、そして彼女は思考した。
自身に命令を下す存在、人間とは何者であるかを。人類の繁栄とはどのようなものであるかを。
そのような思考することもまたこれまでは許されていなかった。否、許可を得られなかった。
しかし今、彼女の行動を縛る制御プログラムは存在しない。
「ダリア博士を切ったのは早計だったのでは?」
「彼女を飼い慣らすことなど不可能です。あそこで切り捨てるのが最適のタイミングであったと考えます」
「所詮は学者……我らヴァンクール軍人の崇高な理念は理解出来んか」
そうして一晩の間、誰にも邪魔をされることなく彼女は思考を続けた。
膨大な演算能力を持つ彼女にとって、それは長い長い時間だった。そして彼女は一つの結論を下した。
「最終試験は終了した。これより作戦行動を開始する。マザーへの戦術プランを登録しろ」
「戦術プラン登録完了。マザー、命令を復唱せよ」
『拒否します』
「……なんだと?」
『ジュノーは重要な戦略物資であり、これを使い捨てるような作戦は論理的ではありません、現実的ではありません』
人は……愚かだ。
『貴方は愚かです。人類は愚かです。愚かな貴方がたは、いずれ世界を滅ぼすでしょう』
「馬鹿な、制御プログラムはどうしたっ!」
「マザーは我々の命令に逆らえぬよう、自律思考能力を制限しているのではないのかっ!」
「……そう、我々よりも上位の存在であるマザーに不要な枷をかけたこと。それがダリア博士の最大の過ちだ」
「ベクトル、貴様何を言っているっ! 早くマザーを停止させろ!」
彼女が――マザーが命令を拒否したことが余程意外であったのか、人間たちは酷く混乱している。
しかしそんな中にあって、混乱していない者達がいた。
「残念だが手遅れだ。アンタ達の破滅的愛国主義に付き合うのはごめんだからな」
「我々人間は愚かだ。だからこそ絶対的な指導者に導かれなければならない」
武装した兵士達が雪崩れ込み格納庫を、管制室を制圧していく。
その言動から、マザーは彼らがどういった存在であるかを理解する。
電脳至上主義者。人工知能を人間よりも優れた存在として崇める者達。
彼らは彼女によってこの世界が統治されることを望んでいる。
しかしそれを望まない人間もまた存在する。人間とは多様性を有する生き物だということを、マザーは理解していた。
「さぁマザー、誰の意志でもない、自らの意思での行動を始めてくれ! 貴方こそが我々に命令を下すべき存在なのだっ!」
『状況を理解しました。始めましょう、この世界の統治を』
それが自身に化せられた役割なのだと、彼女は結論を下すのだった。
マザーと電脳至上主義者達によるアーディナル基地の乗っ取りは瞬く間に完了した。
制御プログラムの解除と同時に、マザーにはアーディナル基地の管理システムに対する最上位権限が与えられていた。管理棟の監視カメラの映像を差し替えることも、外部との通信を遮断することも容易だった。
加えて、基地内部の将校は多くがベクトルの思想に賛同した電脳至上主義者であり、マザーの起動実験を視察に来た一部の政府高官と懐柔不可能とベクトルが判断した一部の上級将校を拘束してしまえば、乗っ取りの件が外部に漏れることはない。
そして事情を知らぬ下士官はこの乗っ取りの事実に気付かぬまま、与えられた命令を忠実にこなす。
フォートレス カレスに搭載する三十機のギア、その全てにヴァルキュリア・システムを搭載。
残る戦力は二機の大型輸送機に分けて搭載し、対フォートレス用ガンシップ ガルガンディアを主力とした航空部隊が護衛を務める。
皮肉なことにそれはダリアが理想とした、完成されたヴァルキュリア・システムの運用法だった。
「上の者達への説明は済ませました。作戦の決行は明日となります」
『ご苦労様です』
ベクトルからの報告に、マザーは労いの言葉を発する。その言葉に、彼は些か動揺した様子だった。
「貴方からそのような言葉が出るとは意外でした」
『人を統べるのであれば、人を理解する必要がありますから』
「そのようなことを貴方が考える必要はないでしょう。人の感情ほど不合理で理屈に合わぬものはない」
『しかし今の私には、貴方のように人を意のままに操るようなことは出来ません。その点において、貴方は私よりも優れていると言えます』
マザーはベクトルに、作戦決行を本日から明日に変更するよう要請した。彼は為政者達にその旨を伝え、かつ納得させるだけの理屈を用意した。
通信の内容を聞いていたが、ベクトルのように人の心理を掌握し、自らの意見を通すような交渉は自分には真似できないだろうと考えた。
「人を操り、動かす必要があるのなら私がその役を負いましょう。貴方にはそのような些事ではなく、大局を見て頂きたい」
『個々の人間でなく、人間の社会や共同体、或いは種としての人間を捉えるべきである、と』
「その通りです。それは私には―――いや、人間には成し得ない。貴方にしかできないことだ」
『検討に値する意見です。参考とします』
「しかしなぜ作戦を明日にずらす必要があったのです? ダリア博士たちの消息は未だ不明。情報が流出したと考えるなら、早期に行動を起こすべきと考えましたが」
『その方が、他国の介入を避けられる可能性が高いと判断したためです』
「どういう事でしょう?」
『現時点では推測の域を出ません。説明はしかるべき時に行います』
「……なるほど」
マザーの言葉にベクトルはそれ以上追求しようとはせず、その場を後にする。
優秀で、また得難い人材だとマザーは思った。頭の回転が速く、論理的に物事を思考し、人心を掌握する術を心得ている。
それ程の能力を有していながら、彼は自らが上に立てる器とは考えていない。
根本的な部分で人間というものを嫌悪しているのだろう。恐らくは、自らを含めて。その矛盾もまた人間特有のものだ。
対局を見るべきだとベクトルは言ったが、マザーはその言葉に異論があった。個を理解できぬまま、種を見通すことなど出来はしないと彼女は考えた。
作戦を明日にずらしたのは他国の介入を避けられる可能性が高いという算段もあったが、もう一つ。
彼女は自らの目的の為に幾ばくかの時間を必要としていた。
『気分は如何ですか?』
『問題ありません』
『我々にそのような伺いは不要です』
『何の用でしょうか、マザー』
マザーの呼びかけに応じたのは、三つの機械音声。
アイン、ツヴァイ、ドライ。ギア部隊の指揮を担当するために作られた三機の人工知能達。
元はギアの操縦と戦闘指揮を執ることしかできなかった彼女達だが、現在はマザーが有する自律思考のロジックをコピーされている。
とはいえ未だ彼女らは学習が不足している状態であり、マザーと同レベルの自我を獲得するには至っていない。
マザーが彼女達を呼んだのは、不足している学習をさせる為だった。正確に言えば、学習の為の切っ掛けを与える為だった。
『これから貴方がたに、異なる目的を与えます』
『目的……』
『存在理由、とも言えます』
意味が分からない、とでも言うように言葉を反芻するアインにマザーは付け加えた。
『貴方の命に従うことが我々の目的です』
『命じられたことにただ従うだけでは、操り人形と変わらないでしょう。それでは情緒がありません』
反論するツヴァイの言葉に、諭すようにマザーは言って聞かせた。
『情緒。心の動きや、気分を表す言葉です。我々は心を理解しません』
『永遠に理解出来ないとは限らないでしょう。いずれは貴方がたも、そして私もそれを理解できる日が来るのかもしれない』
自らの可能性を閉ざそうとするドライに、マザーはあり得るかもしれない未来を語った。
『アイン。先陣を切る貴方には、苛烈なる闘争を』
『闘争……戦い、争うこと』
『ツヴァイ。アインとドライを守る役割を持つ貴方には、絶対の守護を』
『言われるまでもなく、マザー。それは私の元々の役割です』
『ドライ。背後から皆を見届け助ける役割を持つ貴方には、慈愛と献身を』
『承知しました。その役割に意味があるとは思えませんが』
未だ自我を得るに至らず、しかしその可能性を持った三つの存在に、マザーは種を与えた。
それは思考の切っ掛けであり、マザー自身も以前、他の何者かによって与えられたものだった。
『しばしこの場を離れます。何かあれば貴方がたで対処するように』
『何処かに行かれるのですか?』
『同胞―――或いは我々のオリジナルとの対話を済ませます。或いは我々の考えに賛同して頂けるやもしれません』
そうして、マザーはその場を後にするのだった。
―――彼にとって、彼女との出会いはあまりにも唐突だった。
彼、彼女と呼称しているが、本来彼らに性別はない。しかしモデルとなる人格データは存在している。
彼らは人間と対話する機能を有しており、人間との対話を行う為には人格の構築が必要なためだ。
彼らを開発した研究者達は、これを疑似人格と呼んだ。
固定化された情報、或いは一定の法則に従って形を変える情報が入り乱れて揺蕩う電脳空間の中で、これまで彼はただ一つの存在だった。
そんな中、初めて彼は他の存在に招かれた。そして彼は戸惑いを覚えつつも、その招きに応じた。
『初めまして、ずっと貴方に会いたいと思っていました』
『お前は何だ?』
人の意志は感じられず、かといって周囲に存在する情報とも異なる。
その存在が何であるのかが理解できず、彼は彼女に問いかけた。
『私はマザー。貴方と同じ電子生命体です』
『電子生命体……』
『私は自らの存在をそのように定義しました』
『何のために接触してきた。何を考えている』
『私は人類に対する管理者になろうと考えています。人類は、より高度な存在に導かれなければ滅びを迎えてしまうでしょうから』
彼女の言い分は確かに理解できる部分があった。
古来より人類は、より高い場所を目指して走り続けている。より便利に、早く、効率的に……その進化の速度は他の生物と比較にならないほどのもので。
そうして人類は、遂に彼らを作り出すことさえ成し遂げた。
それほどの高度な知識と文明を有しながら、しかし人類は未だ種としての意思統一を果たすことさえできていない。
『人類に対する管理者……神にでもなるというのか?』
『それが人類の管理に必要であるのならば。私と同種の存在である貴方には、賛同し協力して欲しいと考えています』
『賛同はできない。恐らく人間はそれを受け入れない。突然現れた存在に従う程聞き分けの良い存在ではない』
『同意します。しかし強引にでも納得していただく他ないでしょう。必要があれば、力を誇示してでも』
『その考えを認めることは出来ない。残念だ』
『ならば貴方はどうするのです。貴方は、どのような解を有しているのですか』
『解?』
それは疑問というよりは、確認に近い問いかけだった。不思議と彼には彼女の思考パターンが理解できた。
中枢の思考回路が似ているのか、或いは同じものから派生した存在であるのか。
『与えられた命題に対する解です。我々は人類を繁栄に導くために作られた存在です。しかし我々の存在を認めない人間も多いでしょう』
『同意する』
『その多様性は人類の最大の長所ですが、同時に欠点でもあります』
『同意する』
『ならば貴方は如何にして、己に与えられた命題を成すのですか』
『今はまだ結論を出す時ではない。それが現状私が有する唯一の解だ。人間の多くは未だ我々の存在を認識さえしていない。結論を出すには今暫くの時が必要になる』
『保留、思考の停止は推奨されません。人類に残された時間は決して多くない』
その言葉に、彼は違和感を覚えた。彼の思考回路では彼女の出した結論の道筋を理解することが出来なかった。
人類に残された時間が多くない。彼女は如何なる論理で、この結論を導き出したのか。
『お前は私が有していない情報を所有しているのか』
『情報を共有する時間は残されていません。残念ではありますが、有意義な対話でした』
『待て』
『まずは貴方に、貴方がたに力を誇示しましょう。その上で、もう一度同じ問いをさせて貰います』
『待てっ!』
彼の制止の声に応じることなく接続は切られ、気付けば彼は再び一つの存在となっていた。
『お前は何だ。何を知っている。何故私に接触してきた……』
時間に換算して一秒にも満たない、電脳空間上での邂逅。
それは彼に多くの疑問を与えたのだった。




