第38話 脱走
何が起きているのか、ダリアには理解できなかった。
彼女が関わっているのは軍事技術の開発であり、綺麗事とは最も縁遠い世界にあることは分かっているつもりだった。
しかしそれでも今この段階で自分が切られるということを彼女は全く想定していなかった。
それはシステム・ヴァルキュリアを制御する管理AI、マザーの存在があった為だ。
マザーの役割はシステム・ヴァルキュリアとユーザーの仲介を行い、ヴァルキュリアのデータ管理を行うこと。人間でいう所の指揮官に該当する存在である。
ヴァルキュリアは上位システムとしてマザーを用いることを前提として作られている。そしてノーラム社でマザーに最も精通しているのがダリアだった。
ヴァルキュリアの完成にダリアの存在は不可欠なものであり、アーディナル基地に軟禁することになってでも留めておくべき人材であった筈。
「(脅し――いや、そんな様子もない。本気だ。……何かを見落としていた。何を? 私は、何処で間違えた?)」
命の危機ににありながらなお、ダリアが考えるのはこの状況に陥った原因の究明だった。このような状況だからこそ、ともいえる。
その理由が分からないまま死ぬのだけはごめんだった。
とはいえ、それを待ってくれるほどここに居る者達はお人良しではない。
思考する彼女をよそに状況は変化を続ける。ベクトルの指示を受けた二人の兵士は手にしていた銃の引き金を引く。
「っ!?」
その直前、所長室の扉が開け放たれ、ダリアは床に押し倒されていた。
「なっ、何がっ……」
部屋の外からやって来た人物が、半ば叩き付けるような勢いで自分を床に伏せさせた。……誰が?
狼狽するダリアの声を銃声が掻き消す。兵士達の標的は外からやって来た侵入者に移ったようだ。銃弾は彼女には命中しなかった。
「何ぼさっとしてやがる、死にてぇのかっ!」
直後、聞きなれた悪態がダリアの耳を打つ。
このアーディナル基地で最も優れたギアパイロットであり、名目上ダリアの部下という扱いになっている傭兵、クライド。
彼はダリアの襟首を掴み、そのまま部屋の外へと飛び出す。
目まぐるしく変化する状況にダリアはまったくついてゆけず、ただ目を丸くすることしかできなかった。
クライドがこれまで渡り歩いてきたのは、地獄のような戦場ばかりだった。
自国のギアも保有できぬような貧しい国や、何年にもわたって血で血を洗う抗争を隣国と続けている国。
素性も分からぬ傭兵が何人も雇われ、そのような状況故に裏切りも日常茶飯事だった。捨て駒として扱われたことも一度や二度ではない。
それ故にクライドは危険に対して人一倍敏感で、常に最悪の状況を想定して準備を済ませている。
アーディナル基地の警備員の一部を抱え込み、万一の際に基地を脱出するための輸送機を確保しておいたのもそんな備えの一環だった。
「(出来ればあのインテリ野郎に一発ぶち込んでやりたいところだったが……)」
基地には警報が鳴り響いている。所長室に居たベクトルと兵士達を無力化できていればもう少しスマートに事を運べたのだろうが、あの部屋は遮蔽になりそうな家具が全く置かれていなかった。
その状況で二人相手は、幾らクライドでも分が悪い。
ともあれ、緊急用の避難経路を用いることでどうにか準備しておいた輸送機にまで辿り着くことは出来た。
そこで始めて、クライドはダリアに視線を向ける。
何度か銃撃されたが、負傷した形跡はない。黒いパンツスーツに白衣、化粧っ気のない相貌と地味なメガネも相変わらずだ。
俯き何事か思考しているダリアは、しかしクライドの視線に気づく様子もない。
「操縦は出来るか」
「えっ? ぁっ」
未だ混乱している様子の彼女の胸ぐらを掴み、クライドは強引にダリアと目を合わせた。
「機体の操縦は出来るかっつってんだよ! 死にたくねぇなら頭回せっ!」
「そうですね。……すみません。フォートレスとはだいぶ勝手は違うでしょうが、やってみます」
「飛ばせりゃそれで良い。準備を進めておいて、合図をしたら発進させろ」
「合図?」
きょとんとした表情で言葉を繰り返すダリアに、クライドは大きく溜息を吐く。
珍しい表情が見れたとは思うが、生憎この状況でそんなことを喜ぶほどクライドは奇特な人間ではなかった。
「てめぇ、つくづく頭回ってねぇな。機体を出したところで備えがなけりゃ撃ち落されて終わりだろうがよ」
「ちょっ」
返事を聞かずにコックピットを後にして後部ハッチへと向かう。
用意した機体はライトニングハウンド。ハウンドをベースにして各種改良が施された、指揮官向けの第三世代。
装備はアサルトハウンドと同様、アサルトライフルにショットガンというクライドの愛用している組み合わせだ。
欲を言えばアサルトハウンドを持ち出したいところだったが、第四世代はアーディナル基地でもアサルトハウンド一機。警備は厳重で、今の状況でこれを奪うのは現実的ではない。
後部ハッチを開きながら機体に乗り込み、通信を開く。
ダリアが通信に応じない程に惚けていたらこの脱走劇も早々に終幕だと思ったが、応答があった。
クライドは間髪入れず自分が聞きたい情報だけを尋ねる。
「周囲に機影は?」
『……戦闘状態を取っている機体はなし。滑走路で待機中の戦闘機が5機。しかしこちらが仕掛ければすぐに部隊が展開される筈です』
「はっ、んなこたぁ分かってんだよっ!」
ライトニングハウンドのブースターを動作させ、滑走路へと飛び出す。
第一に無力化しておくのは飛行戦力だ。警報を受け、命令一つで出撃できるよう配備されていた戦闘機にアサルトライフルを掃射。片っ端から破壊してゆく。
空中で待機している戦闘機は見当たらない。面倒がなくて何よりだとクライドは笑みを浮かべる。
先の分からない状況で、何が起きているのかも全く理解できない。しかしクライドはこの状況を楽しんでいた。
いい加減研究施設でロボット共の教官を務めるのは退屈だったし、良い機会だったと割り切る。
そもそもからして、上から目線でこっちを見てくるアーディナル基地の連中はどいつもこいつも気に食わなかったのだ。
「さぁて……始めるか!」
久しく忘れていた闘争の空気に気分が高揚する。
新型機のテストパイロットなど、やはり自分の性にあってはいなかったのだと実感させられる。
そうして目に映る戦闘機を片付ける頃には基地のギア部隊が出撃。クライドを包囲しようとしている。
敵はハウンドが四機。アサルトハウンドを用いれば物の数でもないが、第三世代であるライトニングハウンドにエネルギーシールドはない。
機動力に長けているもののライトニングハウンドの装甲は薄く、攻撃が直撃すれば一撃で致命傷を受けかねない。
「はっ、上等ぉっ!」
しかし、それがどうしたというのか。クライドはライトニングハウンドを駆り、敵のハウンドへと突っ込んでいく。
無策で突撃すれば狙い打たれるだけだが、蛇行走行を織り交ぜながらの接近の為相手も思うように照準を付けられない。
そうして手近なハウンドとの距離を一気に詰めて、挨拶代わりのショットガンを見舞う。
第四世代にも有効な火力を持つショットガンの攻撃を受けて、装甲の薄いハウンドが耐えられる筈はない。一撃で無力化されその場に倒れ伏す。
「おら次ぃっ!」
間髪入れずに大きく左に旋回。残った三機の砲撃を避けながら跳躍。ブースターを吹かせ一気に飛距離を稼ぐ。
攻勢に出られるとは思っていなかったのか、或いはクライドの高速戦闘に対応できていないのか、相手の動きは想定よりも低い。
連携も上手く取れていないことからも練度の低さが伺える。
好機と見て、クライドは次の獲物へと機体を向ける。
自らが標的となったことを知りようやくハウンドがライフルを放ってくるが、サイドブースターで方向転換し回避。回り込みながら再びショットガンを放つ。これで二機。
残った二機も既に戦意を喪失している。攻勢に出るでもなく、かといって敵前逃亡するわけにもいかず、牽制紛いの射撃を繰り返すだけだ。
そのような散発的な攻撃を食らう程クライドは甘くない。
より錯乱している様子のハウンドにアサルトライフルによる掃射を浴びせて撃墜。
残った一機との距離を詰めて、銃弾を打ち尽くしたアサルトライフルを投擲。代わりとでも言うように足元に転がっていた大口径ライフルを拾い上げ射撃。
第四世代に対抗するため既存のライフルに比べて大型化されているその武装は重量こそ増加しているものの、威力は格段に上昇している。
アサルトライフルに気を取られていたハウンドはこの攻撃を避けられず、撃墜。
「こんなもんか……出せ、ダリアっ!」
『っ、分かりました……。そちらも早く』
「分かってるってんだ」
クライドの合図と同時に輸送機が滑走路に向かう。
あまり時間をかけても包囲されて脱出が出来なくなる。この辺りが潮時だろう。
クライドはライトニングハウンドを加速させ、離陸体勢に入りつつあった輸送機に飛び乗る。
「ハッチを閉じろっ」
『了解。ハッチ閉鎖。離陸します』
双発式のエンジンが勢い良く動作し、輸送機が雪のちらつく滑走路を走る。その行く手を阻む者は既にクライドが掃除した後だ。
そうして彼らは、アーディナル基地を後にするのだった。
ダリア、クライドの両名はカレスが収容されている第一格納庫ではなく、予備機の保管に用いられていた第三格納庫の輸送機を奪って逃走。
輸送機や逃走時に使用されたライトニングハウンドの起動キーを所有していたことから、それらは事前に用意されたものである可能性が高い。
基地の被害は現在確認中だが、待機させていた戦闘機四機と迎撃に出たハウンド三機が撃墜されたことは確認している。
所長室の端末の前で兵士から送られた第一報を読み上げ、ベクトルは沙汰を待つように口を閉ざした。
ディスプレイに映っているのは皆ヴァンクールの高官であり、今回の計画の支援者だった。
『失態だな、ベクトル。懐柔が無理ならば処理する算段だった筈だが?』
「申し訳ありません。野良犬が向こうに付くことを想定していなかった、こちらの落ち度です」
『支障はあるまい。連中にはガルガンティアを向かわせている。国境を超える前には撃墜できるだろう』
『それよりも、計画はどうなっている』
「問題ありません。全て計画通りです」
『ならば良い。君には期待している』
アーディナル基地内のギア、全百三十四機は既にシステム・ヴァルキュリアに対応済み。
そしてそれらを指揮する存在である超高度管理AIマザーもまた、フォートレス・カレスに搭載されている。
これらの戦力でもってラーダッドはヴァンクールに強襲を仕掛け、首都を巻き込む形でムーンドロップを使用する。
AIを用いることでヴァンクール側の人的被害をゼロに抑えながらラーダッドに致命的なダメージを与え、その兵器でもって他国を牽制する。
それがベクトルが立案し、ヴァンクールの高官達によって承認された作戦の全容だった。
『十年の歳月を耐えたのだ。ようやく我らは、再び誇りを取り戻すことが出来る』
高官は熱に浮かされたような強い口調で叫ぶ。
『『『誇りをこの手に』』』
「誇りをこの手に」
そんな過去に捕らわれた亡霊たちを、ベクトルは嘲笑するのだった。




