第39話 彼女について
「……っ」
砂を噛んだような後味の悪さと、鈍い嘔吐感にダリアは顔を顰める。
原因は彼女が操縦している輸送機にあった。
地を走る自動車と異なり、航空機には高度計、方位計、傾斜計、昇降計、姿勢指示計、対気速度計などの様々な計器が存在する。
フォートレスにはそれらの情報を一元的に管理し、必要な情報をパイロットに通知するシステムが存在するが、クライドが調達した輸送機にそのような便利な機能は搭載されていなかった。
AIによるフォートレスの自動操縦を実装する際、ダリアは航空機の操縦訓練を一通り受けている。
曲がりなりにも輸送機の操縦が出来ているのはその訓練の経験あってのことだが、最新鋭の技術を惜しまず継ぎ込んだフォートレスと旧式の輸送機では勝手が違いすぎる。
ディスプレイの代わりに備え付けられたアナログな計器と自身の知識を必死に紐づけながら、恐る恐る機器を操作する。
死の恐怖ではなく、未知に対する恐怖。分からないという事への不安。それがダリアの不調の根本的な原因だった。
きちんと理解できていないものを何となく扱い、何となく上手くいっている。その状況そのものがダリアにストレスを与えていた。
普段の彼女であれば、疑問をそのままにすることなど在り得ない。納得がいくまで調べ、確証を得て、自身の知識として吸収した上で先に進む。
しかし今の状況はそれを許さない。コックピットに入っていた分厚いマニュアルを見てはみたのだが、それを読み込み理解しているだけの時間はなかった。
「(この辺りが、あの子との違いなんでしょうかね……)」
大学の研究室に居た頃の共同研究者。共に人工知能の研究を行っていた。
ダリアは天才という言葉があまり好きではなかったが、彼女についてはそう呼ぶ他に形容のしようがなかった。
彼女とて全知全能というわけではなかった。知識量で言えばダリアの方が勝っていたようにも思う。
しかし彼女は未知が生む危険に対し、寸前で踏みとどまる天性の勘のようなものを備えていた。
あらゆる可能性を検討し理解して一歩ずつ進んでゆくダリアに対し、彼女は出来そう、やれそうといった己の感覚を頼りに開発を進めていた。
その癖彼女は致命的な失敗を犯さない。不味い気がする、何だか気持ちが悪いといった非論理的な言葉と共に彼女は自身の、或いはダリアのミスを察知してその原因を突き止めてきた。
彼女ならばこの状況ももっと上手く切り抜けられるのだろうか。彼女は今、何をしているのだろうか。
この状況にありながら、そんな詮無いことを考えてしまう。本当に今の自分はどうかしていると思う。
『周囲に機影は?』
クライドから通信が入り、我に返る。慌ててレーダーと思われる計器を確認し、問題がないことを確認する。
恐らくは今の設定がレーダーの最遠距離だとは思うのだが、それ一つを取っても確証が得られずダリアを苛立たせる。
「……ありません」
離陸後、再度後部のハッチを開き、クライドはライトニングハウンドを起動させたまま待機している。
何かあればいつでも迎撃に出られるようにする為だった。
輸送機にとっての天敵はミサイルだ。迎撃用の武装も取り付けられていない機体では、ロックオンされれば最早どうしようもない。
あらゆるミサイルに対応しジャミング装置、MSLジャマーの出現によってミサイルはその戦略的価値を下げたが、そうした最新兵器が搭載されていない航空機にとっては未だに最大の脅威となっている。
そのような攻撃への対処は、現状クライドに任せる他ない。
「それで、これから何処に向かいましょうか」
『は? いや、だったら今この輸送機は何処に向かってんだよ』
ダリアの発した問いに、クライドは心底呆れたように言葉を返す。
「目的は特には。ただ真っ直ぐ進んでいるだけですが。―――数十分で国境付近に到着するとは思いますが」
『いやいやいや、宛もなし飛んでも意味ねぇだろうが。テメェ、ホントにどうしやがった。まったく頭が回ってねぇぞ』
「どうした、と言われましても。……どうしたものかと思いまして」
内に溜め込んだものを吐き出すように、ダリアは言葉を発する。
客観的に見て、それは愚痴のようなものだった。
「人付き合いが得意な方ではありませんでしたが、それでも一人、確かに友人と呼べる者が居ました。彼女は共同研究者でした」
年下ではあったが、ダリアは彼女を尊敬していた。彼女の理論に舌を巻き、触発され、切磋琢磨しながら同じものを目指した。
「ノーラム社からのスカウトを受けた時、私はそれに応じ、彼女は国外に逃げることを選びました。彼女は自分が生み出した人工知能が人を殺すことを良しとしなかった」
アーディナル基地の所長ベクトルはダリアのことを『理想主義が過ぎる』と称した。
しかしダリアからすれば彼女こそが真に理想主義者で、ロマンチストだった。
人工知能はいずれ人間の良き隣人となり、共存することが出来るのではないか。そんな夢みたいなことを語っていた。
「私は、彼女とは違う道を選びました。そして私のやり方でマザーを作り出しました」
それからのダリアは、それまで以上に人工知能の開発に没頭した。彼女とは違う道を選んだのなら、なりふり構わぬと決めたのならば、彼女に負けるわけにはいかない。
それはある種の強迫観念であったのかもしれない。
「そうしてようやく、あと少しで理想に手が届くという所に辿り着いて。その確信が得られて。けれどその確信は、今あっさりと失われてしまって……」
ダリアが開発したマザーも、システム・ヴァルキュリアも、蓄積した研究データも全てはアーディナル基地の中だ。
いわば全てが失われたに等しく、そしてそうなってしまうと、次にどうすれば良いのか分からなくて。
『……頭いい癖に馬鹿なだなぁ、テメェ』
そんなダリアの或いは人生で初と言えるかもしれない弱音を、クライドはただ一言で切って捨てた。
「では、貴方には何か考えがあると?」
『あ? そりゃ、上等くれた連中に一発かましてやるに決まってんだろ』
至極当然と言った様子でクライドは言う。
先のことなど一切考えていないであろう、あまりにも感情的な意見にダリアは言葉を失う。
「それは、ノーラム社……ひいてはヴァンクールと正面から敵対するという意味ですか」
『ったりめぇだ。あんだけコケにされたんだぞ。テメェはムカつかねぇのか?』
「……それは、まぁ」
無人機を囮とし、ムーンドロップによって敵の重要拠点を破壊するなどという非人道的、かつ非論理的な作戦の為にこのような目に遭わされたのかと思うと、確かに込み上げてくるものがある。
これまでダリアはずっと、利用された自分が迂闊だったのだと考え続けてきたのだが。
或いは、自分は腹を立てても良いのだろうか。
「勝てると思っているのですか?」
『知るか。出来るかどうかじゃねぇ、やるんだよ』
全く根拠のない言葉ではあったが、クライドからは不思議な自信が感じられて。
つまらないことで頭を悩ませていたのが急に馬鹿らしくなって、ダリアは小さく笑みを浮かべた。
「……それも、悪くありませんね」
そうして頭を切り替えるとこれまで棚上げにしていた疑問が急に浮上してきて、ダリアはそれを口にする。
「そういえばずっと気になっていたのですが」
『なんだよ』
「貴方はどうして、私を助けてくれたのですか?」
『そりゃ決まってる。テメェがいい女だからだよ』
投げかけた問いへの回答は実にクライドらしいシンプルなもので。
何処か凶悪でふてぶてしい彼の笑みが浮かんでくるようだった。
「……ユニークなジョークですね」
クライドの言葉に短く答えを返し、ダリアは世界地図を手に取る。
目指す場所はラーダッド。アーディナル基地の内情と敵戦力、マザーにシステム・ヴァルキュリア、そしてムーンドロップ。
交渉に使えそうな材料は幾らでもある。
輸送機の着陸は今のダリアの腕では不可能なため諦める。となると何処か人の居ない場所に墜とし、クライドのライトニングハウンドで脱出する他ない。
そうなれば探すべきなのは、墜落に適した場所。事前に不要な燃料も投棄しておく必要もあるだろう。
気付いてしまえば事前に調べるべきこと、やっておかねばならぬことなど無数にあり、つまらない感傷や起きてもいない事態に不安を覚えている暇などない。
「(なるほどこれが、頭が回る、ということですか)」
索敵用のレーダーを眺めながら、ダリアは思考に耽るのだった。




