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美しき監獄  作者: 八尋 世暇
Verse

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4/24

朝礼

 食堂から来た路(みち)を少し戻ると、石の洞窟に扇形の光が差し込んでいた。その明るさは、ランタンの灯が心許なく感じるほど眩(まばゆ)い光源だ。半開きの大扉を押し開けて外へ駆け出たアシュレーの背後で、その仰々しい扉を見上げ、僕は唖然と立ち止まった。黒ずんだ目玉模様が禍々しく浮き上がる、恐ろしく分厚い矧(は)ぎ合わせの板材、両脇から剣のように突き出た煤けた黒い鍛鉄、打ち込まれた鋲(びょう)に遺る槌(つち)の跡 ・・・ここは、中世の建物か ─── 僕の思考はまた、夢の可能性に浮つきはじめた。

しかし次の瞬間、扉の向こうから怒号が聞こえ、条件反射に背中を押されて足が勝手に外へ飛び出た。


低い階段を無意識のうちに何段か降りながら、眩しさが刺さり目を細めた。そこには、乾いた土埃の舞う四角い広場が拡がっていた。中央には食堂に居た囚人たちが軍隊のように整然と並んでおり、その配置の中にアシュレーの背中が間もなく加わろうとしている。慌てて追いかけたものの、アシュレーは列の中にすんなり溶け込んでしまい、はみ出し者の僕は行き場を失って列の外をうろうろしながら、目を泳がせるしか術がなくなった。囚人たちの周りには羊の群れを見張る牧羊犬のような制服の男たちが、警棒や鞭を手にした高圧的な足取りでゆっくりと見廻り、制帽の下から鋭い目を光らせていた。それらの背景に見えているのは、何処までも積み上がる鉛色の石と白っぽい土と侘しい雑草だけだ。早く正解を見つけて混じらなければという焦りと、少しでもこの場所の状況を知りたいという好奇心が拮抗し、気忙しく目が移ろった。

レイは確か孤島だと言った ─── 。

未だ何の確証もない話だが、今目の当たりにしている光景によって、その疑いの余地が削られはじめている。辺りは、重々しく鬱積した石造りの外壁に取り囲まれていた。広場はこの石の建造物の中庭になっているようで、向かいの棟にも階段状の回廊とあの大扉が見える。外壁の向こうは、空一色だ。山の頂か、もしくは雲の上に浮いているのかと思えるほど、建物らしきものは何ひとつ見えず、慰めの樹々すら無く、仰ぎ見た上空は気の遠くなるような空の青に染まっていた。その果てし無い美しさと絶望には、眩暈を起こしそうになる。唾を呑み、目の前の現実をもう一度直視した。頭上からのし掛かる重たい影を辿り、囚人たちが一斉に顔を向けている正面らしき方向を見上げると、大小様々な石が高々と積み上げられた段状の上に、人間よりも遥かに大きな巨石がどっしりと構えた、巨大な門が君臨していた。そして、巨石の門の間(はざま)が導くその先に、僕は目を奪われた ─── 。

澄み渡った瑠璃色の空に、孤高の巌山(いわやま)が天高く聳(そび)え、美しく研ぎ澄まされた尖峰が、陽光を浴びて白む黄金色に輝いていた。


その神秘的な絶景は、ひと時の間、僕を焦燥から大空の中へ解放した。



「さっさと並べ!」


突然の怒声に心臓が飛び上がり、咄嗟に駆け出して、考える間もなく、ところ構わず列の中に割り込んだ。すぐさま顔を伏せて息を潜めていたが、周囲から尖った視線で刺されているのをひしひしと感じた。肩を縮めながらふと視線だけ持ち上げると、見憶えのある、蒼みがかった金髪の繊細な後ろ髪が見えて、ほっと息をついた。闇雲な無意識の中でもアシュレーの背中を見つけていたらしい。僕より少し背の高い肩から顔を覗かせて声を掛けようとすると、気がついたアシュレーは前を向いたまま素早く頸(くび)を振って拒絶した。その素っ気ない仕草に僕は軽く失望したが、そうか、今は私語厳禁なのだ、とすぐに勘づいた。

しばらく俯いて目線だけを近場に動かしながら落ち着きなく待っていると、正面の方でようやく動きがあった。列の間の隙間から頭を出して前方を覗くと、木製の脚を組んだだけの粗末な壇上にひとりの高官らしき男が昇って来た。男は終始後ろ手を組み、恰幅の良い腹と胸を突き出して中央に立つと、下から差し出された黒光りする拡声器を手に、まるで独裁者の如く、広場に向けてこれ見よがしに威厳を振り撒いた。


「おはよう、幸運な罪人の諸君。今日も真っ当な食事と寝床にありつきたければ、しっかりと働いて貰うぞ。もうわかっているとは思うが、今日は新入も顔を揃えていることだ。よく聴いて、改めて肝に銘じておくがいい。第一に、怠け者や持ち場を離れた者には、我々は一切容赦しない。どんな理由があろうとも作業を止めることは許さん。第二に、逃げ出そうなどと莫迦(ばか)な考えは捨てろ。一度逃げてみれば、ここの有り難みがよく解るだろう。だが、お前が逃げれば班の連帯責任となるぞ。懲罰を免れたければ、よくよく互いを見張れ。第三に、働き者の功労者たちには褒美を用意してある。だが、それを手にできるのはひと班だけだ。せいぜい努力を惜しまず、勝ち取ることだ。以上、頭に叩き込んで仕事に励め」


壇上の男が言い終えるや否や、下方に居た背の高い制服の男が朝礼台の前に進み出て、名乗りもしなかった男から拡声器を受け取り、片手を背後に回した仁王立ちで囚人たちに向かって、音が割れるほど声高に命令を下した。


「“アルファ”から”ホテル”は右へ!“インディア”から“ロミオ”は左へ集合しろ!班を与えられていない者は各自持ち場につけ!」


途端に、陳列されていた囚人たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に動きはじめた。呆然と立ち尽くしていた僕はすっかり出遅れ、また狼狽える羽目になった。わらわらと各自の指定された場所へ向かう藍鼠の作業服たちは、まるで僕が透明人間かのように平気で肩や腕をぶつけながら、我先にと足速に通り過ぎて行く。よろけて足が縺(もつ)れ、危うく転びそうになった所へ、人混みの間から白い手が伸びて僕の左腕を掴んだ。


「こっちだ」


「───ありがとう、アシュレー・・・もう、喋っていいのか?何なんだ一体、何をさせられるんだ、これから」


「ついて来ればわかるさ」


そう言うと、アシュレーはしばらく腕を引いてぐんぐん歩き出し、僕はまた次々に迫る障害物を避けるのに必死になった。そして突然手が離れたので顔を上げてみると、アシュレーに肩を掴まれたレイが悠長に振り返った。


「おう、遅刻したのかと思ってたぜ。お前も間に合ったみたいだな」


レイは息を切らす僕を見てまた嫌味っぽく嗤ったので、軽く愛想笑いだけ返しておいた。少し離れた所にトルソーを見つけた。ここでは常に監視の目があるためか拘束衣を脱がされているようだが、暴れるような素振りはなかった。明るい陽射しの元で明らかになった、灼けた肌に浮き上がる罅(ひび)割れた無数の皺(しわ)と縮れた髭や白髪が、その年齢を顕著に現していた。彼のような年齢の者は、ほぼ居ない。何者も寄せ付けない鋭い眼光と、痣(あざ)と傷痕だらけの異質な風貌が集団の中でも取り分け目立っていた。


「彼も、一緒なのか?」


もう一度振り返ったレイと目が合ったので、僕はトルソーにそっと視線を送った。


「ああ、あの牢の中に居たのがひと班だからな、俺たちは“デルタ”さ」


”ホテル”だの“インディア”だのと叫ばれて困惑しきっていたが、あれは班のことだったのか ───。

レイが言い終えたのと同時にトラックのエンジン音が聞こえ、先ほど命令を下していた四角い顎の制服の男が、また高圧的な大声を張り上げ「乗り込め!」と指示した。囚人たちは言われるがまま、奥に停めてあった土埃まみれのトラックの荷台に次々と飛び乗っていく。少々小柄な僕はレイが差し出した力強い褐色の腕に持ち上げられ、何とか乗り込んだ。

旧びたトラックは列を成し、凹型の建物に背を向け開けた方角へと走った。前方には舞い上がった土埃に霞むアーチ状の石門と空だけが見えており、大きな門扉を押し開けて順に外界へと出て行った。

その先は、まさか崖なのでは ─── などと思い廻らせながら固唾を呑んで外に出ると、そこには、道なき道を降るトラックの群れと、見渡す限り、まるで野放しの自然そのものが拡がっていた。


これは、密林と呼ぶべきだろうか ─── 。空と石の鉛色一色だった景色から一変して、辺り一面、深い緑色に埋め尽くされている。空は折り重なった枝葉でほぼ見えず、陽に透けた葉の色で辛うじて昼間だというのが解るくらいだ。石門を出たトラックは、砂利や石ならまだしも岩まで転がっている凸凹道を降り、鬱蒼と生い茂った樹々の中に縫うように密林の中へと入って行った。そして、誰かが切り開いたのだろうか、多少の土と前方が見通せる場所を蛇行していたかと思うと、しばらくすると、何故かまた荒々しい斜面を登りはじめた。僕は荷台に必死にしがみつきながら、激しく揺れる壮大な景色に開いた口が塞がらず、茫然と辺りを見回していた。地面や根元にまで苔やシダ類に覆い尽くされ、シュロやヤシに似た大振りの樹々には所狭しと蔦が蔓延り、叢《くさむら》から芋類らしき大振りの葉が幾つも伸びていたかと思うと、巧みにうねり押し合い重なり合う枝葉の中から、突然大きな洞(うろ)を穿(うが)った巨木の幹が現れた。大砲で撃ち抜かれたかのような黒々とした洞(うろ)は、根元へ伝って大きく裂け、幹の大半を失っているようにも見えた。その凄まじい執念のような生命力を目にした時、僕は思わずぞっとした。美しく瑞々しいはずの自然から感じていたものは、殺伐とした不穏さと生への執着が放つ不気味さだったのだと気がついた。この光景は、癒しや安らぎのような生ぬるいものではなく、もはや貪欲な競争世界だ。どの植物も陽の光を求め、雨を求め、我も我もと、必死に生き延びようとしているのだ。


だいぶ登ってきたのだろうか、多少空の青が見えはじめ、枝葉の開けた場所に出ると、樹々の間から不自然に積まれた石垣が見えた。あまりに大きく全体像はよく見えなかったが、石垣は途切れ途切れに延々と連なり、見上げるほどに高いところまで続いている。一瞬、あの巨大な石門の側面らしきものが葉の隙間に過ぎった。外側からこうして眺めると、まるで、古代の要塞か遺跡の城を見ているようだった。あれが、僕たちが居た石の監獄に違いない。


本当に、一体ここは何処なんだ ─── 。


幌(ほろ)も屋根もないトラックの荷台には“デルタ”の面々のほかに、二班が乗っていた。中には刺青の入った男や目つきの怪しい者も居たので、それとなく警戒していたが、彼らはそれぞれ景色を見たり俯いたりしながら、時々こちらを一瞥する程度で、特に絡もうともせず、彼ら同士の会話は見受けられなかった。折り合いの悪さがひと目で解る。それに比べて、僕の班は比較的うまくいっているようだ。ただ、ひとりを除いては ───。

後方に乗り込んだ僕たちとは離れて座っているトルソーの方に視線を遣ると、彼は少し顔を上げ、遥か彼方の空の向こうを見据えていた。その目には睨まれるとひとたまりもないのだが、澱みが無く、何処か堅牢な意志のようなものを感じる。僕には、彼がただの狂人には思えなかった。

そんな考えに耽(ふけ)っていると、石か何かを踏み越えた振動で荷台が高く跳ね上がり、僕は危うく振り落とされそうになった。酷い揺れにも関わらず、隣にいるアシュレーは例の紅い本を手にしてゆったりとページに視線を落としている。


「それ、何の本だい?あそこには図書館もあるのか」


僕が荷台の縁に両腕でしがみつきながら訊ねると、代わりにレイがため息混じりに応えた。


「お前な、まったく理解してないみたいだからあえて言うが、俺たちは要するに道具なんだよ。与えられるのは寝床と餌だけだ。ほかは何も無い。まあ、その代わり、私物の管理には甘いのさ。煙草やハッパは尽きたら終わりだが“聖書”は失くならない。賢い選択だったな、アッシュ」


馴れ合いの冗談のつもりなのだろうか、彼の口調は小馬鹿にしたような物言いだった。アシュレーは慣れているのか平気な顔でレイの顔を一瞬見上げ、再び聖書に戻った。レイは片頬を歪めると、ソファの背もたれに身を預けるような格好で荷台に太い腕を回し、退屈そうにそこら辺の景色へ顔を背けた。僕は、白く細長い指が時間をかけてゆっくりとページを捲るのを、具(つぶさ)に見つめていた。その落ち着いた仕草を眺めていると、振り乱された頭の中の混乱の波が鎮まり、ゆったりとした凪に包まれてゆくようだった。密林の、荒れ狂う道のトラックの荷台に揺られているにも関わらず、アシュレーの座っているその場所だけは、静謐な沈黙の時間が流れていた。


「─── 神さまって、いるのかな」


心に浮かんだ言葉が、つい口を突いて出た。アシュレーは顔を上げ、切長の目をわずかに見開いて硬直する僕の目を見つめ、何も言わず、また本のページに視線を戻した。咄嗟に、特に深い意味は無いんだ、と言いかけて、また焦って下手なことを口走りそうだと呑み込んだ。どうにか発言を撤回しようと必死に言葉を探す僕と目が合うと、レイは慰めに眉を上げておどけて見せた。その隣では、ヘルムートが何処吹く風で眠そうな瞬きを繰り返し、レイに頭を凭(もた)れかけて寛いでいる。彼にとってこの揺れは心地よい揺り篭のようなものらしい。


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