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美しき監獄  作者: 八尋 世暇
Verse

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3/3

朝食

通路のような場所に出るとアシュレーは颯爽と前を歩き始めた。石の通路はあの檻の部屋よりも天井が低く、閉塞的な空間だった。横幅は三、四人が肩を窄めて歩けるほどしかなく、窮屈に(ひしめ)き合う石壁の、意図的な等間隔の窪みに古めかしい真鍮(しんちゅう)のランタンが据えてある。その周辺だけが郷愁を誘うあたたかさで辺りを琥珀色に染めていた。惹きつけられるまま灯りに近づいてゆくと、岩盤に走った亀裂のように入り乱れた影は、ますます深くその縁を鮮明に切り断ち、石肌の艶は光を浴びて輝く黄金に浮かび上がった。まるで、神秘の洞窟に迷い込んでいるような眺めに息を呑み、浮ついた心地に足まで浸った。

本当に、これは夢じゃないのか ─── ?

物珍しげに壁や天井を見回していると、ふと、傍に気配がないことに気がついた。不安に焦り、アシュレーの向かった方向を見ると、随分と先に背中があった。僕は手にぶら下げていた作業服を羽織って急ぎ足で彼を追い駆けた。


順調に近づいていたはずの背中が、不意に、ひと際白い光が差し込む石の柱の向こうに消えた。慌てて後を追って曲がると、目の前に突然眩しい閃光が広がり僕は思わず目を細めた。何度か目を瞬かせているうちに、ようやく視界が落ち着いた。向かいの壁一面に大きな縦長のガラス窓が並んでおり、そこから差し込む光明が広々とした石の部屋全体を白く照らし出している。そのやわらかな、ありふれた白さは、紛うことなき太陽だ。明るい朝陽の光を感じて、思わず僕の顔は綻んだ。

しかし、慣れた目で部屋の全貌を見渡してみると、その現実に麗かな神秘性のすべてが掻き消えた。檻から解放された囚人たちが所狭しと集まり、わらわらと(うごめ)き、ざわざわと雑音を交わしながら、脚を開き、肘をつき、カチャカチャと音を立て無作法に食事を貪っている。

僕は、少しのあいだ入口で怖気付いていたが、左手にちらりと見えた色とりどりの食べ物に吸い寄せられるように、トレイを持った男たちが並んでいる方へと足を向けた。僕の身体は散々な目に遭ったようだが、どうやら内臓は無事のようだ。


列の最後尾を見つけ、傍に積んであったトレイを手にすると前に倣って順番を待った。隣の大男の向こうに並んでいる様々な食べ物を覗き見ながら、胃袋を(くすぐ)り本能を誘発させる匂いに、何度か唾を呑んで腹の虫が鳴くのを誤魔化していた。待ち遠しく見つめている景色は、さながらビュッフェのようだった。数種類のパンやチーズだけでなく、芳ばしい焼き加減の肉や葉野菜に加え、湯気の立つスープや、おまけに形は悪いが、色鮮やかな果物まで山盛りに盛り付けてある。

これが夢でないのなら、監獄のわりには食事が豪勢すぎやしないか・・・。

もしかして、あそこに並んでいる肉は僕の知っている〝肉〟ではないのだろうか。

疑り深く目を凝らしていると、その先の奥の方に後ろ手を組んで立っていた制服の男と、また、はたと目が合ってしまった。食堂らしきこの場所では自由が赦されているのか、囚人たちは手錠も縄も鎖もしておらず、看守は部屋の四隅に各ひとりずつ静かに立っているだけだった。


「今日は何を喰うかな」


(くび)を捩って大男を避け、聞き憶えのある声の主を突き止めた。前二人を挟んでアシュレーが銀色のトレイに見慣れない生成色のスプーンを載せていた。


「チキンがいい、ポークはゴメンだ」


そのまた数人先にレイも居た。彼は大きな木製のトングを手にして誘惑が並ぶ雛壇を悠長に眺め、何を取るか考えあぐねている様子だ。その向こうにはヘルムートの袖のだぶついた腕と、横顔に垂れた長い前髪が見えた。レイはチキンだけを皿にたっぷりとよそい、無造作にパンをトレイへ転がして、さっさとテーブルの方へ向かった。ヘルムートはただレイを待っていただけのようで、彼のすぐ後を追って立ち去った。ヘルムートのトレイに載っていたのは生野菜と薄いパンだけだった。

二人が抜け、僕はやっと食べ物を前に出来た。意気揚々と腕を伸ばし、レイが残した小さなチキンの端切れとその隣の薄い(まだ)らのハム二切れを皿に載せるあいだ、それとなく摘んだ先を凝視して記憶のものと照らし合わせた。そして、それはもはや期待が大半だったが、一応答えは導き出せた。

どうやらこれらは、僕の知っている〝肉〟のようだ。

続けて、別の皿に気泡の目立つ楕円のパンと黄色いチーズ、サラダを適当に盛り付け、さらには、寸胴の鍋からスープを注ごうと手を延ばした僕を、隣の大男の顔が振り向き白い目で一瞥した。


「朝からよく食うんだな」


いつの間にか後ろにアシュレーが立っていた。彼のトレイにはチーズとパン、アルミのカップだけが乗っている。


「さっきまで気絶してたくせに。八時までに食えるのか」


大男の視線も気になって返答に困っていた僕のトレイに、アシュレーは生成色のフォークスプーンを載せてくれた。全体に丸みのある、(とがり)も光沢もないそれは、木か竹か何にせよ、どうやら植物でできているらしかった。おそらくは囚人たちに武器にされないために違いない。


「 ─── ああ、ありがとう、何故かすごく空腹なんだよ」


「あまり欲張るなよ、ほかの連中が良く思わないぞ」


彼はさっと顔を寄せて小声で言い、少し悪戯に微笑むと僕の皿からハムを一切れ取り上げ、自分の皿に乗せてから涼しい顔でテーブルに向かった。僕はぽかんと立ち尽くしていたが、空腹がまた貪欲さを駆り立る。まだ残っているバットの食べ物を未練がましく見遣ったが、ぐっと堪えてアシュレーの背中を見失わないよう、また急いで後を追った。


行儀の悪い男たちの(すね)や足が乱雑に飛び出た長いテーブルの狭い間を縫って、トレイを両手で支え、波を起こしているカップを見護りながら、ふらふらと歩いた。時々視線を上げてトルソーを捜してみたが、結局姿は見当たらなかった。


「おい、こっちだぞ間抜け」


この声は、ついさっき「ポークよりチキンだ」と言っていた声だ。彼の台詞を聞いて、何人かクスクスと嗤っているのが聞こえた。反射的に足を止めてしまった僕は、振り向きたくなかったのでその場に佇んだ。しかし、移り気にきょろきょろしていたせいでアシュレーの背中を見失ってしまっていた僕に選択の余地はなく、しぶしぶ背後を振り返った。案の定、壁際にレイが腰掛け顎で僕を呼んでいる。その隣にヘルムート、その正面にアシュレーが腰を下ろしていた。しかし、やはりトルソーはそこに居なかった。


「座れよ」


レイはフォークスプーンでアシュレーの横を不躾に指した。おずおずと彼らのテーブルに近づいたが、アシュレーは振り向くこともなく、黙ってスープにパンを浸して淡々と喰べている。眼鏡は外して、シャツの前襟に引っ掛けていた。片脚だけ胡座(あぐら)をかくように折り曲げて座り、その膝に例の箔押しの本を載せている。朝陽のもとに(さら)され、あの青黒い塊は革装の重厚な紅い色に染まっていた。


「・・・いいのかい」


「さっさと座れよ」


口は愛想笑いに引き()りつつ、意識はまだ、隅の孤独な空席に助けを求めていた。しかしあいにく、何処もかしこも埋まっている。レイはどうでも良さそうな顔でチキンを大口に頬張り、また顎をしゃくって前の席を指定した。僕は、ついに観念して「じゃあ、遠慮なく」と躊躇(ためら)いがちに先にトレイを置いて腰掛けた。

そして、居心地悪く座りながら三人の顔を順に上目遣いで見渡したが、目の前のトレイに視線を戻した途端、突然理性を突き破った衝動に駆られ、今にも叫び声を上げそうな腹の怪物に餌を流し込みはじめた。

僕は、何日食べていないのだろうか ─── 考えようにも手が、口が、胃袋が底なしに次々と食べ物を欲して掻き込んでいた。


「お前、一体何をやらかしたんだ」


正面に居るレイが僕の喰べっぷりに呆れながら、チキンを突き刺したフォークスプーンでゆらゆらと僕を指して唐突に訊ねた。


「何って?」


食欲に冒されている僕が、満杯の頬袋でろくに考えもせずに聞き返すと、彼は一瞬真顔で停止した後、眉を(ひそ)めて不機嫌に(くび)を傾け、低い声で顔を覗き込んだ。


「まだ寝ぼけてるのか?囚人が囚人にそう訊ねたら、何のことかぐらいわかるだろ」


「わからないよ・・・だって、これはきっと、僕の夢だろ?それにしては、リアルだけど、でも・・・」


「くだらないな。ふざけてるのか、イカれてるのか、どっちだ」


辿々しく喋り出した僕の顔を一睨みすると、レイは埒が明かないと言わんばかりに頭を左右に振りながら、黙って食事に没頭した。そのお蔭でテーブルにはぎこちなく沈んだ空気が漂った。居た堪れなくなった僕は、彼の機嫌を損ねずに済みそうな新たな会話の糸口を捜して、頬にものを含んだまま咀嚼を忘れて黙っていた。すると、堪りかねたヘルムートがレイの横からそっと口を挟んだ。


「よほど、人に言えないことをしたんだろ」


─── 正直なところ、夢であって欲しいという逃避はもう諦めていたが、ここに居る理由がどうしても思い出せないことも事実だ。

会社帰りに何かの犯罪にでも巻き込まれたのだろうか、それとも事故に遭って頭をぶつけたのか 、もしくは、何処かで誰かに薬でも盛られて・・・でも、何故 ─── 。

思考をいくら巡らせても、どれも絶望の渦を描いて暗い排水溝に呑み込まれてゆくばかりだ。僕は喰べることも忘れ、さらに俯いた。ヘルムートはそんな僕の顔を勘繰るような表情で眺めていた。


「・・・憶えてない。どうしても思い出せないんだ」


「秘密主義か、まあ、好きにしろよ」


レイは突き放すように言い、残った肉を荒々しく口に入れた。しかし、大きく見開いた氷の目は、相変わらず執拗にこちらを睨み据えている。彼は自分の思惑どおりに動かない人間は、気に入らない性格のようだ。しかもそれを隠す気もないらしい。そういえば、アシュレーやヘルムートも何処か彼に気を遣っているようにも思える。僕はとりあえず、彼の気に障らないよう言い訳を付け加えた。


「違うよ、本当に何も思い出せないんだ、頭がどうかしてるみたいだ」


レイは肉をを噛み千切りながら、肘を突いて次の獲物にフォークスプーンを突き立てた。


「病んでるやつが、こんな所に送られてくるはずあるか」


「来る途中で記憶を失ったんじゃないのか。そういうヤツがたまに居るだろ」


ずっと黙り込んで聞いていたアシュレーが、さらりと澄んだ口調で言った。彼はいつの間にか食事を終えて落ち着いており、傍に置いてあったコーヒーに口をつけている。─── 確かに、コーヒーの薫りだ。嗜好品まで用意があるのか、と、僕は横目でアシュレーの手元を二度見した。


「へぇ・・・意図的に、か」


レイは神妙な面持ちで、僕の目に穴が開きそうなほど、真正面からじっと見つめた。目の奥の脳まで圧迫するような圧力に耐えながらも、彼の分厚い唇から何か重要で革新的なひと言が紡ぎ出されるのを、固唾を呑んで見護った。


「哀れだな」


しかし、その期待はあっさりと裏切られた。レイは軽く言い捨て、唐突に立ち上がった。その横顔は哀れみどころか確実に嘲笑を含んでいる。続いて徐にヘルムートも立ち上がった。彼は少し同情的な眠たい視線で僕を見下ろした。いや、あれは見下(みくだ)した、と言っても良いのかも知れない。


「何だよ、何が哀れなんだ」


あからさまに弄んでいるような彼らの態度に腹が立ちはじめ、屈辱に憤りながら当惑していると、隣に居たアシュレーまでもが立ち上がった。


「もう諦めな、遅刻すると面倒だぞ」


そう言い残し、革張りの紅い本を小脇に挟んで僕に背を向けた。彼だけは、まるで無関心に冷め切った声をしている。ふと石造りの柱に掛かった時計に目を遣ると、あと五分足らずで八時だった。いつの間にか、ほかの囚人たちももう(まば)らだ。僕の皿の上には欲張って盛ったパンや野菜がほとんど手を付けられずに残っている。僕はパンをひと齧りしてハムを素早く頬張り、ぬるくなったスープを喉に流し込みながら椅子も引かずに席を立ち立ち、忙しなくトレイを持って急いでアシュレーの背中に追いついた。


「アシュレー、待ってくれ」


「アッシュでいい」


「・・・アッシュ、さっきのはどういう意味なんだよ」


「知らない方がアンタのためだ」


彼は返却口らしき積み台に皿を大きさごとに重ね、最後にトレイを置いてさっさと部屋を出た。僕も慌てて見よう見真似で食器を片付けると、待つ気のない背中を必死に追った。


「待ってくれよ」


「しつこいヤツは嫌われるぞ」


アシュレーは面倒臭そうに少し振り返り、静かに僕を睨んだ。その厳しい視線に怯み、僕の非力な足は思わず勢いを失った。


「ついて行かないと、グラウンドに行く道がわからないから・・・」


「ほかの連中について行けよ」


彼は離れようとしない僕を無視して、そのまま石壁の窪みにある木の扉に入っていった。ほんの目の前で無情にも閉められた扉の角にトイレのマークが掲げてある。勢いで扉に手を添えたはいいものの、一瞬の葛藤がその先の行動を引き止めた。

あまりしつこいと、唯一まともそうな彼からも見放されるかもしれない ───。

狡猾な理性と幼稚な不安との狭間で揺れていたが、結局僕は情けなくトイレの扉を押し開けた。


「・・・アンタ、本当に頭がどうかしてるぜ」


鏡の前に立っていたアシュレーが僕を見て顔を歪めた。革装の紅い本を鏡の下の小さな台に置いている。


「違うよ、僕はただ用を足したかっただけだ」


僕は気まずさを堪えて取り繕い、彼の背中を通り過ぎた。罅割れた鏡に、眉を(ひそ)めたアシュレーの顔がこちらを見ていたが、僕はあえて見て見ぬふりをした。

トイレとはいうものの、石造りの上に無造作に置かれた便器が六つ並んでいるだけだ。奥には木製の間仕切りと使い古された粗末な扉がついた個室が四つあった。きっとこのトイレは看守たちも利用するのだろう。破損した箇所を修繕する気はなさそうだが、思いのほか異臭も少なく、比較的清掃は行き届いているようだった。そして、ありがたいことに、ほかの人の気配は無かった。きっと全員グラウンドに向かったのだ。

僕は用を足しながら、アシュレーの方を少し振り返って見た。彼の頭上には壁を伝った細い鉄の棒にランタンがぶら下がっている。その灯りの下で何やら金属のケースのような物を手に取り、彼はその中から小さなカプセルらしきものを一つ取り出して口に入れた。


パキッ ─── 。


薄く、脆く硬い“それ”が噛み砕かれる乾いた音が、深閑とした石の空間に響き渡った。


僕が用を足し終えるまでの間、彼は灯りの届かない、ごつごつとした仄暗い石の天井を恍惚と仰ぎ、後ろ髪で肩甲骨を撫で、深く息を吸ってから、錆びて黄ばんだ洗面台に両手をついて、しばらく頭を垂れていた。僕が手を洗おうと静々と隣に並ぶと、彼はゆっくりと顔を上げて、乱れた髪と腕の向こうから、虚ろに僕を見据えた。眼鏡を外した彼の瞳は海のような蒼碧色をしており、冷たさと穏やかさが混在した深い透明感を硝子玉の中に閉じ込めていた。


「誰にも言うなよ」


アシュレーはそれだけ呟き、青筋の浮いた白い手で蛇口を捻って、飛沫を上げながら水で顔を洗った。僕はしばらく何のことかぼんやりと考えたが、やがて浮かんできたひとつの答えを胸にしまい込み、彼の横顔から目を離して自分も顔を洗った。そのまま、トイレを後にするまで、ふたりの間に言葉はなかった。


「急がないと遅れる」


「遅刻したらどうなるんだ」


「何なら遅刻してみるか?」


「・・・いや、やめておくよ」


アシュレーは笑い、僕の背中に手を添えてふたりで廊下を走った。僕はきっと、上手く立ち回ったのだ。

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