懺悔
嗄れた声の主はルシレフと名乗った。僕はレイに言われて恐る恐る彼の横に立ち、針金のように硬く乱れた髪を退けて、顔の半分を覆っている犬の口輪にも似た厚いゴム質のマスクのベルトに手を掛けた。傍で太い腕を組んで見張っていたレイが“外すのはこれだけだ”と言って警戒を解かなかったので、拘束衣には触れなかった。トルソー、もとい、ルシレフは石灰色の縮れた口髭の隙間から“構わん。噛みつきはしない”と静かにレイを見上げた。レイは冷たく受け流し、部屋の隅から木箱をひとつ引き摺って来ると、ルシレフのすぐ横に置いて徐に腰掛けた。不審な動きは容赦しない、と言わんばかりの顔つきだ。彼のこういうところは本当に頼もしい。
あまりのことに、いつの間にかヘルムートも起き上がっていた。向かいのベッドの下段で窓際のレイの方に脚を投げ出し、片肘をついて半身を起こしている。長い前髪で表情は見えないが、視線は爪を弄る手元の方へ落ちているようだった。
「ミハイルってのは誰だ、ここを造ったヤツのことか?」
「そうだ。たまに朝礼台に上がる腹の出た男が居るだろう、あれは私の弟だ」
「あの偉そうなヤツがそうか、似てないな」
レイは鼻を鳴らして茶々を入れたが、その狙いを定めた眼光は鋭くルシレフの出方を窺っている。それを受けて立つルシレフもまた隙がなく、レイが何を言おうと頑として身じろぎひとつしなかった。
僕はベッドの細い柱の陰から、改めてまじまじとマスクの外れた初老の顔を観察した。白髪混じりの跳ね上がった眉と年輪のような皺がその存在を際立たせる白目がちの瞳 ───まるで誇り高き鷲のような風貌だ。威厳をも漂うその力強い眼差しからは、やはり不屈の精神や不動の信念のようなものを感じる。
「責任と言うからには、どうも一枚噛んでそうだが、あんたは今どういうわけかここに居る。仲間割れか、裏切りか・・・おい、都合良く俺たちを利用して逃げようって魂胆か?」
「逃げたさ、独りで、何度もな ─── だが捕まった。その度に拷問を受けた」
事情聴取のような畳み掛けにもルシレフは泰然と端的に応えた。彼の核心を避けた悠長な口ぶりに、僕はまた少しざわざわと苛立ちを憶えていた。情報が遮断された閉鎖的なこの世界がやっと開かれるのだ、もう諦めていたこれまでの事実がやっと知れるのだ、そう思うと自ずと気が逸ったのだ。彼はすべてを知っている。だからこんなにも独りだけ悠然と構えて居られるのだ。
「要点をまとめて話してくれ、まずここはどこで、あいつらは何者だ、拷問だなんて、刑務官じゃないのか? 何でそんなこと・・・」
ルシレフは射るような灰色の瞳で僕を一瞥すると、変わらぬ重々しい語り口で、ようやく情報を開示し始めた。
「お前たちが耳にしているとおり、ここは孤立無援の孤島だ。そう広くはないが、島の輪郭はどこも断崖絶壁。波は荒く、潮の流れも速く複雑だ。崖から海に飛び込めば海底に引き摺り込まれるか、岩に打たれて四散する」
息を呑み、誰もが言葉を失った。“脱獄”という容易い希望の言葉に浮かれたそれぞれの脳裏で、成功という楽観的な理想が霧散し、代わりに見るも無惨な現実の結末が押し寄せてきたに違いない。少なくとも僕はそうだ。それが完全な絶望の底に沈みきってしまう前に、レイが確固たる口調で浮上した。
「─── いや、ここには浜があるはずだ。顔は覆われてたが、漣の音と砂を踏んだ記憶もある。俺たちは船でここに来た。何処かに停泊できる場所があるのは間違いない」
「ああ。私たちが流れ着いたのも海岸だった。だがこの島の端々を隈なく捜し周っても、ついぞ辿り着くことは出来なかった。─── 中庭の正面に岩の門が見えるだろう。浜辺に続いているのはあの下だけだ。我々はあの向こうからこの島に入った」
「・・・入江になってるのか」
「簡単に行かせてくれるとは思えないな」
誰に言うでもなく呟いた僕に、背後からアシュレーの声が呼応した。彼は力無い足取りでシャワールームから戻ると、斜め後ろで乾いた支柱に凭れ片膝をベッドに載せて座った。顔を洗ったのか、肩に届きそうな濡れた髪をきれいに後ろへ撫で付けていた。
「物資と人員の補充がある。その日を突き止めて船を狙うのが懸命だろう。そのためには、まずは情報が必要だ」
「おい待てよ。“まずは”あんた自身の情報と信用の方が、今の俺たちにはもっと必要なんだがな」
大股を広げ前屈みで腰掛けているレイは隣に居る拘束衣の老練の男を睨み上げ、皮肉混じりに詰め寄った。ルシレフはそれを沈着に受け止めると、ひとりひとりの顔を炯眼で順繰りに照らしてゆき、静かに瞼を下ろした。
「確かに、不公平だな」
深く嗄れた声は地の底から記憶を呼び起こすような沈黙を生み、その沈黙は舞台の緞帳が上がる直前に似た期待と緊張を齎した。僕たちは息を潜め、レイさえもその瞬間を慎重に待ち構えていた。
「─── 私と弟は、ある村の漁師だった。平等とは名ばかりの国で、互いに家庭を持ち、妻や子どもたちと共に、貧しいながらも慎ましく生きていた。暮らしは決して楽ではなかったが、厳格な父親の元で育った私たちは“幸福とは忍耐と血の滲むような努力の末に掴み取るものだ”という信念を受け継ぎ、決してそれを疑うことはなかった。だが、どんなに誠実に生きていようとも、人生とは常に穏やかにとはいかないものだ。時に突然の嵐が何もかもを打ち壊し、荒波に呑まれ、人は思いもよらぬ方へと流されてしまうことがある」
ルシレフは水面から呼吸するようにわずかに顔を上げ、突き出した大きな鼻から湿った空気を吸い込むと再び顎を引いた。背にした雨粒の走る窓の向こうでは嵐の重奏が遠く唸り声を上げている。
それは重厚なその語り口と相俟って荘厳な鯨の声となり、ルシレフの深い深い海の底へと僕たちを誘っていった。
その日も、私とミハイルは二人の仲間と共に朝早く漁に出た。
日常のことだ ─── 深い霧の中へと船を出し、沖に向かった。
風も無く、雲の上を行くように私たちの船は朝霧の海を進んだ。
遠く岸を離れ、辺りに島影が消えた頃だ、突然船が速度を緩め、やがてエンジンが停止した。
あれこれと探ってみたが、原因は分からずじまいだ。
年季の入った船だったが、出港前には何も異常は見当たらなかった。
仕方なく遭難信号を出し、救助を待った。
非常用のボートで引き返そうという声もあったが、私は楽観していた。
そのまま何日も漂流することになろうとは、想像もしていなかったのだ。
潮に流されるまま数日間漂った。
何度も朝陽を拝み、何度も闇夜が訪れた。
日に日に心身が衰弱し、口数も減り、みな途方に暮れていった。
─── そして、ある夜、誰もが恐れていたその時が、ついに来た。
大時化だ。
非力な人間が自然を前に成す術などない。
高波に煽られた船は軽々と翻えり、全員真っ黒な荒波の中に放り込まれた。
幸運にも非常用ボートを捕まえたミハイルは私を掴み、雷鳴の下、波の怪物に呑まれてゆく船を見送った。
それが、長い間苦楽を共にした戦友の最期の姿だった。
その時私は、自らの運命を受け入れた。
不思議なことに、死を目前にして一切の恐怖心が消えたのだ。
そして私は、船の残骸と共に暗い海の底へと沈んでいった。
─── 気がついた時には、この島の浜辺に横たわっていた。
まるで憶えのない景色だった。
切り立った崖が巨人のように聳え、私を見下ろし、取り囲んでいた。
何より驚いたことに、私はまだ“私”だった。
身体は鉛のように重く、辛うじて頸だけが動かせた。
崖の麓に奇妙な石の門と小さな洞窟を見つけた。
だが、辺りに人の気配はなく、流れ着いたのは私たちだけだと悟った。
ミハイルも怪我を負い、互いに衰弱していたが、私たちは助けを呼ぶために洞窟の中へと進んだ。
その洞窟だけが唯一、私たちを招いていたのだ。
微かに差し込む光に導かれ暗い石段を登って行くと、大広間のような開けた場所に這い出た。
そこで私たちは、目を見張るものに出逢った。
─── それは、祭壇の上にまるで偶像のように祀られ、一筋の陽光を浴び、この世のものとは思えぬほど黄金に輝いていた。
「・・・金塊か?」
ルシレフは口走った声の方へと半眼で瞳を動かした。険しい表情で口を噤むレイを待ってから瞼を下ろすと、彼は再び追憶の海底へと潜って行った。
確証はなかった。
だが、私もミハイルもそれに魅入られ、疲れも、痛みも忘れ、心が躍った。
文字通り、苦難を乗り越えたあとの褒美を得た気分だった。
まさしく父の言った通りだ。
それを持ち帰り、豊かな暮らしをしようと夢や理想を自由に想い描いた。
帰る方法など、考えても居なかったがな。
ひと頻り悦びを噛み締めた私たちは、期待を胸に、この島で数日間過ごした。
森や浜で水や食料を得ていたが、一度も人を見かけたことはなかった。
死に絶えたのか、去ったのか。
ここは、忘れられた島なのだろう。
安全な脱出の糸口を探るため、弟と私はある地点から手分けして島を彷徨い歩いた。
そして私は、あの高々と聳える山の中腹に、奇妙な洞穴を見つけた。
自然の産物のように見えたが、意味深な石が積み上げられ、岩壁に幾つもの煌めく片鱗を見た。
かつての住人は、あの美しい山を敬い、崇め、ついにはこの石の神殿をも築いたのだろう。
─── その晩私は、独り、物思いに耽った。
貧しさに耐え、私利私欲を捨て、身を粉にして働き生きた、老いてもなお報われぬ人生を振り返った。
私には、幸福を手にする権利があるのだ。
あれは、私に寄越された褒美に違いない。
その時だ ─── ふと、一抹の不安が生まれた。
ミハイルは“あれ”を、本当に私と分け合うつもりだろうか。
弟は元より自信家で、時折野心を覗かせるところがあったのだ。
目醒めてしまった浅ましい不安は私の頭蓋に張り付き、瞬く間に根を張った。
何とかあの黄金の石を、この島を、私だけのものに出来ないだろうか。
猜疑心は、ひと夜のうちに私の心を醜く蝕んだ。
金脈のことは弟に伏せ、いつしか私は“尖った石”を懐に潜め、持ち歩くようになった。
島を廻り考えあぐねた結果、脱出はやはり、あの海岸沖を目指すよりほかなかった。
沖合に巡視船や漁船を見たためしは一度もなく、救助の望みはとうに潰えていのだ。
私たちは豊富な木と丈夫な蔦を集めて筏を造ることにした。
月並みで無謀な策だが、賭けるしかない。
何とかあの黄金を持ち帰り、家族に逢いたいという切なる願いが、不可能という余念を打ち消した。
やがて完成の兆しが見えてきた頃、ミハイルは私に提案した。
あの黄金で得た金で、ふたりで事業を始めようと───。
弟は、私よりも純粋だったのだ。
私は自らを恥じ、黙っていた金脈のことを話した。
すぐさまミハイルの私を見る目が変わった。
当然だ。
判断を誤り、仲間の死を招き、船を失い、醜悪な欲にまで毒されてしまった私に、心底失望したのだ。
私は何とか信用を取り戻そうとしたが、すべてはもう手遅れだった。
はじめは、ただの小競り合いに過ぎなかったが、掴み合いが殴り合いになり、やがて加減を忘れていった。
そして弟は、背中に隠し持っていた“白い破片”を取り出した。
知らぬ間に、私たちは同じ邪心に取り憑かれていたのだ。
互いに、踏み止まるべき一線を越えてしまった───。
私は深傷を負い、あの森に逃げた。
弟は追っては来なかった。
見殺しにする気だったのだろう。
しばらくして、私はこの島に取り遺されたのだと悟った。
弟は黄金と共に消え、私はこの島で生き延びた。
家族が恋しかったが、卑しさに負けた自分を赦せず、自らを戒め、留まった。
そして一年ほど経ったころ、突然島が騒がしくなった。
男たちが森を踏み荒らし、資材を運び、石の神殿に細工をしているようだった。
ミハイルが戻ったのだ───。
私の憎しみは、長い孤独の間に自責と後悔の念へと変わっていた。
無論、躊躇いもあったが、ミハイルは血を分けた私の唯一の弟だ。
和解を求めるため、私は意を決して自らその場に出て行った。
弟は、確かに居た。
だが私に銃を向け、醜く造り変えたこの石の監獄に、私を幽閉したのだ。
ルシレフは記憶の深海から戻って来ると、鯨のようにゆっくりと瞼を押し開けた。
弟は変わってしまった。
欲望と権力に溺れ、かつての面影はなかった。
私を嘲り、この島は“血の滲むような努力の褒美”だと誇示していた───。
私は、返す言葉が無かったよ。
そして富を得た己に酔い痴れた弟は、とんでもない計画を話しはじめた。
金塊を餌に、あらゆる国に取引を持ちかけ、死刑囚や身寄りのない冤罪者を集めて採掘場を開くと言うのだ。
そんなものはすぐに暴かれると説得したが、既に手立ては打ってあると慢心していた。
掘り当てた金もまた“出資者”の懐に入り、口止めにもなるのだと、まったく聞く耳を持たなかった。
─── やがて、お前たちが、ここへ運ばれてきた。
鷲の目が甦り、また、ひとりひとりの顔を順に見渡していった。その揺るがぬ視線は今や自罰的な意味を成し、決して自らを赦さぬと誓った厳しい信念の瞳でもあるのだと、僕はルシレフの鋭い眼光に改めて深く感じ入った。
「情けからか、勝ち得たものを何もかも見せつけたかったのか、ミハイルはいつまでも私を生かした。私は何度も逃げ、その度に懲罰と称した暴力を受け、腐った飯を喰わせた。次第に弱り心が砕け、抵抗する気力すらも失った私に、弟はこの拘束衣を着せ、ここへ放り込んだのだ。そうして、じわじわと私が朽ちてゆくのをあの男は眺めて待っているのだ」
「───くだらない兄弟喧嘩の成れの果てがこれかよ。使い棄ての囚人を集めようなんて何処からそんな発想が浮かぶんだ、クズの思考回路だな、胸糞悪い」
トルソーの声が止むと同時に、レイが怒りを通り越した不気味な笑みを湛えて吐き捨てた。彼が沸き立つ憤りを辛抱強く抑えていたことは、途中から落ち着きを失くしていた頸や拳の動きにありありと表れていた。
「わずかでも労働の対価を払うのを惜しんだのだろう。地位や名誉を重んじる“間違いを犯せない者”たちにとっては救いだ。厄介者を始末してくれるうえ、さらには懐まで潤うとくれば、承諾しない手はない。金に目が眩めば、人は簡単に堕ちるものだ」
殴りかかりそうなレイの火花を浴びてもなお、老練は泰然自若を貫いていた。レイの拳では、彼が耐え忍んできた痛みには及びもしないのだろうか。平然と事実を語るルシレフの忖度のない率直な言葉は、僕の心を直に震わせていた。行先もなく燻り続けていた不燃の怒りが、今、ようやく噴出口を見出せたのだ。喉を灼きながら苦々しい異物が込み上げてきて、僕は誰に向けるでもなく、すぐにそれを吐き出したくなった。
「厄介者?・・・始末? まるでゴミじゃないか、僕たちは生きてるんだぞ・・・そんな、体裁や欲のために人を売って道具にするなんて人間じゃない・・・クズだ、みんなクズだ!」
その場は水を打ったように静まり返った。語り部までもが黙り込み、身体中を怒りが駆け巡って震える拳でどうにか口元覆っている僕に、同情とも憐憫ともつかぬ視線が注がれていた。
重たい沈黙が続いたあと、背中から冷たく澄んだ声が発せられ、澱んだ空気を動かした。
「─── その話、船で何日も漂流してたくせに筏なんかで簡単に助かるとは思えない。それも相当な重さの金塊を載せて。それに、この広い海で、あんたの弟はどうやってこの場所を見つけたんだ。また偶然辿り着いたとでも言うのか」
アシュレーは至って冷静だった。彼の右側に見えるヘルムートも半身を起こした姿勢のまま寝そべり、他人事のように落ち着いている。普段会話の少ないこの二人は、僕が背を向けている間に何か遣り取りでもあったのだろうかと、少しだけ妙な気が勘繰りが過ぎった。
ルシレフは、アシュレーの鋭い問い掛けにため息を漏らし、かぶりを振った。
「さあな。海があの男に味方したのか、運が良かっただけなのか。私には、すべてが信じがたい」
「・・・空からは?」
「救助ヘリか、遭難してる兄貴を探してくれと? だが島のアタリをつけただけで、助けなかった。憎んでるもんな? 俺も、あんたに同情する気はさらさらないぜ」
思い付きざまに零した僕の言葉尻をレイはすぐさま捕え、火をつけて乱暴に投げつけたが、老練は動じないどころか、もはや呆れているようにすら見えてきた。
「私の話は済んだ。お前たちが本気なら私は手を貸す。仲間に加えるかどうかはお前たちが決めろ」
「それって・・・置き去りでも構わないってことか?どうしてそうまでして、僕たちを助けるんだ」
「もう一度気力が湧いてきただけのことだ。─── まったく、威勢のいい子どもの戯れ合いを見ているようだ。言葉も通じず、過酷な環境でうらぶれた者が多い中、お前たちは、実に幸運だ」
生い茂った髭で口元は見えなかったが、少し微笑っているような親しみが垣間見たのは、僕だけだったのだろうか。レイは“何様だ”と不満げに鼻を鳴らして顔を歪めている。僕はともかく、おそらく年長者で古代の英雄像のような図体のレイまで子ども呼ばわりするとは、強者がもうひとり居たな、と僕は密かに心強く感じていた。
「答えを急ぐ必要はない。まずは休め」
僕たちはそう言われるまま、静々と寝床に入った。立っていても眠れそうなほど疲れていたはずの僕は、彼らの波乱に満ちた過去に刺激され、すっかり目が冴えてしまい、また、なかなか寝付けなかった。
身体だけでも休めようと強く瞼を閉じていると、次第に思考が融けはじめ、ぼんやりと眠りの谷に落ちていった。ひと晩中浮舟に揺れながら微睡の中を漂っているような、現実か夢か曖昧な寝心地だった。成功への期待と、失敗への不安がさまざまな形を創り、磨り硝子越しの灯りのように浮かんでは、遠く滲んで波間の泡のように消えてゆく。夢現に、アシュレーがシャワー室へ向かう音を何度か聞いた。融けた意識の何処かで、彼を介抱しに行くか考えるうちに、毎度睡魔の波が僕を眠りの奥へと攫っていった。
ヘルムートは一言も発することもなく、話が終わると何事もなかったかのように壁を向いて横になった。レイに“寝床を変われ”とせがまれても頑なに譲らず、背中で無視を続けた。
終いにはレイの方が折れたようで、古木の悲鳴に、大きな身体を縮こませて梯子を登るレイの姿を想像した。




