砂嵐
永年、護身用に鍛えてきた人間観察の賜物である僕の洞察力をもってしても、レイのことはよく分からなかった。多弁だが自分の話はしたがらない。詮索や勘繰られていることを察すると威圧されるか戯けて茶化されるのが常だ。粗野で尊大、反抗的な人間は捻じ伏せるか突き放す。そして、それが罷り通るほどの恵まれた素質と素養を確かに兼ね備えている。
陽陰で雑草のように細々と生きてきた僕とは対照的で、反省や後悔のような湿った感情とは無縁の、いかにも陽向の強者である彼が、僕は苦手だ。
─── それでも、何故か嫌いにはなれなかった。
少なくとも、レイは無神経ではない。あの性質の悪い悪戯や冗談は僕たちを腐らせないように保つためだろうし、他人の虐めや陰湿な嫌がらせなどを見ると途端に苛立ち、強きを圧し折り弱きを立たせる侠気に熱い一面もある。そして何よりも長身と隆々とした陰影が彫刻された英雄像のような青銅の体躯が醸す圧倒的な余裕、たとえ看守の前であっても悠々と闊歩できるその余裕こそが、僕たちを漠然とした安心感で護っていた。
───しかしそんな彼もやはり人間だったのか、今はすっかり項垂れている。
アシュレーと揉め、軟弱な僕にも反発され、ついには連れ合いのヘルムートにまで突き放され、彼の強靭な心もついに折れてしまったのだろうか。大股を広げた膝の上に両肘を乗せ、ごつごつとした大きな手で頸筋の辺りをゆっくりと撫でる居心地の悪そうな姿は、とても孤独に見えた。
食堂で思い切り怒鳴ってしまった手前、僕はなかなか声をかける気になれないでいた。それ以前に、何となく反りが合わないことにも互いに勘付いている。しかし、彼にはどうしても訊きたいことがあった。
疲れた頭でどうしたものかとぐずぐず考えていると、ちらちらと飛んでくる視線が鬱陶しくなったのか、レイが堪りかねたように顔を上げた。
「何だ、お前も文句があるのか」
斜め下から睨み上げた顔と口調は相変わらずの喧嘩腰だったが、その迫力はいつもの半分以下だったので、ふと、今なら少しは何か話ができそうな気がしてきた。僕は隅に座り込んで居るトルソーを気にしながら、あえてヘルムートの話題を避けて今朝食堂でレイが口走った“脱獄”の話にすり変えた。
「文句はないよ、今朝の話だろ、僕は賛成だ。でもアッシュが・・・あれでは、今すぐには難しいよ。あの、あんな状態はいつまで続くんだ」
「俺が知るか、自業自得だろ」
「・・・知ってるんだろ、本当は」
「知らないね、前は、すぐに都合してやったからな」
「何?都合ってどう言うことだ、それじゃあ君が───」
「落ちつけ、仕方なくだ、アイツが今日みたいに死にかけた時にな。それで助かったのも運のいい話だ。昔つるんでた仲間の中にも居たんだ、アイツみたいなどうしようもねぇヤツがよ」
「死にかけたって、あの撃たれた話のことか?もしかしてその時も・・・」
レイは応えることなく、暗がりに仄白く浮かぶ見開いた瞳で僕の口を塞いだ。その辛苦の記憶を滲ませる険しい視線は、その瞳が見た言葉にならない姿を雄弁に物語っていた。
「─── そのあとどうなったんだ、君のその、仲間は」
「死んだよ。自分と仲間を散々切りつけた挙げ句、飛び降りた。 気が狂れて飛べると思ってたんだ、五階の窓からな。悲惨だった───」
思わず頭がぼんやりと眩んだ。脳裏に、幻覚に怯えるアシュレーとあの傷痕だらけの悍ましい赤い腕が浮かび上がった。そしてその先に浮かぶ嫌な予感ばかりが不気味な羽虫のように頭の中を飛び交い始めている。その不安、その恐怖、その痛みに狂う決して見たくない惨たらしいアシュレーの姿だ。
「今すぐ病院に・・・連れて・・・」
「イアン、現実を見ろ、ここを何処だと思ってる」
恐ろしい妄想に取り憑かれる僕を、その冷たいひと言が喰い止めた。僕はまだ残る羽虫を必死に追い払い、頭の隅へと追い遣った。
ふたりが黙り込むと、嵐が窓を叩く暴風と雨音が青黒い石の部屋に満ちてゆく。僕は今にアシュレーが戻るのではないかと出入口の方ばかりを気にしていたが、俯くレイの頸を撫でる手がだんだんと乱暴になっており、明らかに苛立ちを募らせていた。そして額に稲妻を刻んだ顔を大きく傾けたかと思うと、堰を切ったように不満を吐き出し始めた。
「気に食わねぇな、どいつもこいつも独りで格好つけやがって。俺は撃たれたあいつを庇ったうえに、散々面倒見てやったんだぞ、なのにあいつは礼どころか俺に噛み付いて来やがった。今まではガキだと思って見逃してやってたが、まだ同じことを繰り返してやがるとはな、死にたがりを助けようなんて俺が莫迦だったよ」
野太い声のその憎まれ口には似つかわしくない憂いの響きが混じっていた。その時ふと、食堂でアシュレーに突っかかった時のレイを思い起こした。あれは一体誰を責めていたのだろうか。レイは誰よりもアシュレーの行く末を恐れていたのではないか ───。あまり言葉を交えないふたりだが、彼らのあいだには、いつも互いを尊重するほどよい距離感が存在しているように感じていた。あの噴き出した怒りは、行き場を失った虚しさや悔しさが鬱積し、レイ自身を永いあいだ苦しめていたからではないか。
そう気づいた途端にレイに対して懐いていた嫌な靄が晴れ、僕は自然と肩の力が抜けた。
「─── 死にたいんじゃない、本当は変わりたいんだよ。でも、思うように変われないだけだ。生きてきた環境は違うけど、わかるんだ、そういう気持ち」
レイは頸を擡《もた》げて黙ったまま、蒼白く浮かび上がる瞳で僕を静かに見据えていた。まるで野生の獣が警戒を緩めるような、そんな目つきだった。
「俺はお前らみたいな辛気臭いヤツらは嫌いだ」
小石を投げられたような、その子どもっぽい捨て台詞に僕は拍子抜けした。真っ向から嫌悪されたにも関わらず奇妙なことにレイと少し距離が縮まったような気さえした。気がつくと口元が少し緩み、僕はレイに親しげに話しかけていた。
「君は、家族はいるのか」
「俺の話はうんざりなんじゃなかったのか?」
「あれは・・・色々、疲れてたんだ、大声で怒鳴ったりして、ごめん、謝るよ」
レイは黙ってしげしげと心ゆくまで睨んだあと目を伏せ、呟くように低く応えた。
「故郷に母親がいる。生きてればな」
「そうか ─── きっと元気で、君の帰りを待ってるよ」
「待ってるだと?お前みたいなヤツらは何でそうスラスラと無責任な気休めが言えるんだ、適当に機嫌取ってあしらう気か?まともに話す気はないのか?それ以上媚びるなら話は終わりだ」
「あしらうなんて、そんな・・・きっと強い人なんだろうなと思っただけだよ」
図星を突かれた僕が慌てて取り繕うと、レイは拗ねた不良少年のような顔で顎をしゃくった。
「お前は、記憶は戻ったのか」
「僕は両親を殺した罪で捕まって・・・ああ、もちろん違うよ。でも、たぶん警察も犯人たちとグルだったんだ。指紋は全部僕のものになっていて、家族を置いて逃げたのが何よりの証拠だろうって言われたよ・・・それから、気がついたら船の中だった。頭に袋を被せられて・・・僕は恐怖症なんだ。それで、喚いてたら殴られて、そのあと何か変な薬を打たれたみたいだ・・・僕は、大丈夫かな」
「ただの鎮静剤だろ。たまに記憶が飛ぶヤツが居るんだよ。俺たちはお前を揶揄っただけだ」
「なんだ、そうだったのか、安心したよ」
「そんな記憶なら、思い出さない方がマシだったな」
素っ気ない同情を含んだその言葉に、思わず元気だった頃の両親の顔が浮かんだが、何故かそれは遠い遠い誰かの記憶のように感じた。
「まだ実感がわかないんだ。僕は冷血なのかな。一緒に暮らしていたはずなのに、あまり思い出がない。よく言い争っていたから、居心地が悪くていつも部屋に逃げていた。こんな性格だから友人らしい友人も居ないし。兄弟も居なくて犬を飼っていたんだけど、彼が一番僕のことを分かってくれていた気がするよ」
レイはゆっくりとした動作で僕の方に視線を遣ったり、組んだ指先を見つめながら穏やかに聴いていた。暗がりの中に響く淡々とした太い声は、いつもの無遠慮で威圧的な態度からは想像できないほど静かで、自然と引き込まれるように会話は続いていた。
過去に想いを馳せていたのか、短い沈黙のあと、レイは足先の不揃いな石畳を見つめてゆっくりとまた語り始めた。
「俺は親父の顔を知らない。母親は女手一つで俺を育てた。俺をまともに食わせるために昼も夜も働きっぱなし。お前の言う通り勝気な性格で、たまに癇癪を起こして俺に当たる事もあったが、本当はそうじゃない、あれはただの強がりさ───。どの町でも移民は嫌われ者で、俺たちには頼るアテも無かった。・・・それなのに、ある時俺は家を出た。親不孝者だよな。いつも俺は無性にムシャクシャして、俺が居るから・・・俺が母親を不幸にしてるような、そんな気がしてた。見ての通り俺は“雑種”だ。あの町じゃあ、どこに行っても目立って喧嘩を吹っ掛けられる。だが、あいにく俺は筋が良かったんだ。どいつもこいつも偉そうに突っかかって来るわりに腰抜け野郎ばかりだった。町でのし上がった俺に歯向かうヤツは居なくなったが、代わりに俺は捌け口を失った。─── そんな時にちょうど軍のポスターを見かけて志願したのさ。母親には反対されたが、家計のためだと言って黙らせた。母親とはそれきりだ。残酷だよな、俺はあのまま、もう死んでるんだからな」
レイは黒く染まった煉瓦色の髪を僕の方に向けたまま、甦った古傷の痛みに感じ入るように、指や手の腹を撫でていた。僕の目はそんな彼を捉えていながらも、その輪郭は滲んでぼやけていた。
僕とは対極に生きる“強い男”の過去とはどんなに恵まれていて華々しいものかと、嫉妬混じりに自慢を聴く心積りをしていたはずだった。強者は愛され、慕われ、敬われ、それらが礎となり、自信という名の強固な軸を立て、たとえこんな場所であっても腐らず斃れず、堂々と胸を張って生きているのだという偏見があった。しかしそれはすべての“強くなれない者”の希いと、僕の身勝手な空想だった。
彼にも心の空洞があるのか ───。
僕の中で今まで積み上げてきたひとつの観念が、ぐらぐらと崩れかけていた。レイやヘルムートのように、同情を跳ね除け、余裕を湛え、気高く誇りを失わないその強さには、ある種の諦めと捻くれた羨ましさを感じていた。しかし強さに見えていたそれは内側の脆さを覆い隠すための鎧であり、時には身を護る盾なのかもしれない。
そして僕は、彼を嫌いになれないもうひとつの理由に気付いてしまった。
「レイ、君は───」
そう言いかけて、呑み込んだ。アシュレーの話の揚げ足を取るようなその言葉を投げ掛ければ、彼が逆上するのは目に見えている。口籠る僕をレイは怪訝な顔で見つめている。
「おい、何だ、言えよ」
「君は・・・軍に、居たんだろ、どうしてここに?」
「戦犯だ。上の連中の隠蔽工作のカモにされてな」
「隠蔽って、戦場で?」
「───お前、砂漠に行ったことあるか?」
僕は軽く頸を振った。彼は旅行の思い出話でも始めるかのような軽快な口ぶりだった。
「砂嵐に遭ったことは?」
「ないよ、行ったこともないのに」
「そうか、残念だな。あんな体験なかなか無いぜ。灼熱の太陽に皮膚はひび割れ、顔中全身肺まで砂だらけ、おまけに視界は最悪で、銃にまで砂が詰まる始末だ。俺の居た戦場はそんな場所だった。部隊の連中は気のいいヤツらで、勇敢で逞しくて、弱音を吐くようなヤツは一人も居なかった───。あいつらは、俺を信じてた。俺もあいつらを信頼し、互いに命を預けて戦った」
レイは頸元のドッグタグに触れ、そのひとつひとつを懐かしそうに見つめた。二重の長さの違うボールチェーンには、五枚ものプレートが繋がれている。黒ずんだ傷跡や歪んだ形がそれぞれの持ち主の凄惨な最期を物語っていた。激しい雨音を背景に紡がれるレイの朗々と流れる独白は、彼らの生きた戦場に引き込まれるように僕を誘った。
あの日も、酷い砂嵐の日だった ─── 俺の部隊は、五人だけで急遽任務に当たることになった。
既に鎮圧したエリアの武器庫に、要人が単独で逃げ込んだとある筋から情報が入った。
任務はターゲットの捕縛、仲間を呼び寄せる前に直ちに向かえと命令を受けた。
簡単な任務だったが、現場の状況も分からないうえに、視界不良の悪天候だ。
俺は珍しく緊張していた。そんな極秘任務なんて初めてだったからな。
だが、泣き言をいうヤツはひとりも居なかった。
俺たちは任務を優先し、徒歩で現場に急行した。
あれはまるで地獄に迷い込んだような、不気味な光景だった。
砂嵐だ───。
太陽が堕ちて、呑み込まれたのかと思ったよ。
町が朱く染まって見えるものは黒い影だけになった。
人影もない朱一色の世界で、俺たちは何度も方向を見失った。
目標地点に到着した頃にはもう陽が暮れかけていた。
砂嵐に加えて薄暮の時間帯だ、視界を頼るには最悪の条件だった───。
警備と待ち伏せが無いのを確認した時、俺はこれがただの無駄足であることを希ったよ。
俺たちは侵入経路を確保するため、表に見張をひとり置いて残りは武器庫の裏手に回った。
先頭の俺が壁に張り付き、慎重に角を曲がった時だった───。
叫び声と、乾いた発砲音が背後に鳴り響いた。
咄嗟に俺は地面に伏せた。
事態を把握しようと振り返った時には、もう手遅れだった。
─── あの緊張は、きっと何処かでこの運命を予測していたんだろう。
極度の緊張で、みんなおかしくなっていたんだ。
救助も援軍も来ない。俺たちはすぐに退却すべきだった。
見えない相手と交戦なんて、まともじゃあない。
任務は捕縛だ、抹殺じゃあない。
俺の声は砂と銃声に掻き消された。
爆発が起きて、仲間の腕が目の前に転がった。
俺の仲間が撃たれて、叫びながら踠いていた。
俺は立ち上がって銃を構え、朱い煙幕に向かって引き鉄を引いた───。
「─── 何度も言うが、視界は最悪だったんだ」
レイはそう言い聞かせるように呟き、言葉を切った。彼は終始宙を見つめていたが、その遠い瞳は当時の悲惨な光景の中に生きていた。やがてゆっくりと瞬きをして顔を横に背け、また手元に重たい視線を戻した。
「俺は途中で撃つのをやめた。銃声の中に、子どもの泣き声を聞いた─── 嫌な予感がした。もう一度確かめようと立ち尽くしたが、流れ弾に当たって俺は意識を失った。目が醒めたらベッドの上で、軍服とスーツでキメた偉そうな連中にあれこれ御託を並べられて、軍事刑務所行きだ─── 。漏洩による失敗を懸念した上層部は、実行部隊の俺たちだけに直々に命令を下した。事実は誰も知らない。供述書によると、俺は暑さと疲労で錯乱状態にあったんだとよ」
レイは頸を傾げたまま僕の方に向き直り、両手を広げ戯けて見せた。呼吸するのを忘れていたほど真剣に聞き入っていた僕は、急にそんな態度をとられて少し困惑した。
「・・・泣き声って、どういうことだ、そこに子どもがいたのか?」
「砂嵐で町中こぞって避難してたんだ。あの倉庫はもともとデカい市場だった。紛争が始まって武器庫にされても、町の住民にとっては馴染みある場所だったんだろ」
「・・・じゃあ君たちは、民間人と撃ち合ったのか」
「この話にはな、もっとマヌケなオチがあるんだよ。上は別ルートからもうひとつの部隊を現場に寄越してたんだ。つまり俺たちは偽の情報に踊らされた挙句、民間人を巻き込ん見内で共喰いしたわけだ。そして生き残ったのは俺だけ。上の連中にとっては好都合だったみたいだな」
ドッグタグをじゃらじゃらと揺らし、レイは口の端で嗤った。その皮肉な嗤いは僕の中で小さな火花を散らした。理性では、それは単に陰気を嫌う彼なりの気遣いだと理解していた。こんなにも克明に思い出せるほど脳裏に灼きついているというのに軽んじているはずはない。そう解ってはいるものの、既に柵の壊れた僕の感情は一度熾りだすと、もう歯止め効かなくなってしまっていた。
「何でそうやって嗤っていられるんだ、君のせいじゃないのに・・・君は命を懸けて戦ったのに、自分たちの責任を全部君に背負わせたんだぞ!」
レイは特に驚くこともなく、前屈みで捲し立てる僕を冷めた顔で傍観していた。そして、たっぷりと余裕を見せつけて上体を起こし、薄い眉を持ち上げ、いつもの左頬を吊り上げた不敵な笑みで気焔をあげた。
「今さらどうこう言ったって何も変わらないだろ。もし今目の前にそいつらが居たら殴ってやるけどよ。それに俺はここだって嫌いじゃないぜ。喰い物もあるし、毎日言われたことをやってりゃいいだけだろ?戦場に比べたら平和なもんさ。ただ、もう飽きたんだよ。使われてやることにな」
僕はそれ以上何も言えず口を噤んだ。そのあまりに楽観的な安直すぎる言葉は納得するには不服だが、少なくとも虚勢ではなさそうだ。
腐った感情の臭いすら感じさせず、あまりに惨い仕打ちを受けた過去を平然と語るレイに、僕は密かに小さな失望を覚えていた。頑強なその口先から、ひと言でも弱みが洩れるのを心の何処かで卑しくも期待していたのだ。彼の強さを貶め僕の弱さに近づけ、惨めな自分に多少なりとも共感して欲しかったのかもしれない。僕は未だに情けない自分を蔑み、過去を嘆き、未来を憂い、現実すらまともに受け入れられない。妬む気にもなれないほど、彼との差は歴然だ。
しかし、こんな僕にも、彼は打ち明け話をしてくれた─── 。
そう気がついた時、うらぶれた心の隙間に、じわりとあたたかいものを感じた。
どんなに身体を鍛えても、とても彼のようになれる気はしないが、肩を並べるだけで何故か自分も強くなったような、そんな気持ちにさせる熱意をレイは本質的に宿している。はじめは、まったく理解出来なかったが、今ならヘルムートの気持ちも少しは解るような、薄らとそんな気がしてきた。
「─── 僕が口出しするのは、余計なことだとわかってるけど、君はやっぱり軍に戻りたいのか」
自分の言葉の余韻に浸っていたのか、調子良く片頬を歪めていたレイの表情は一気に興醒めし、また不機嫌そうに眉根を寄せて下を向いた。
「だったら何だ、お前はあいつの味方か?」
「また戦うのか、君を裏切った国のために」
「国のためだと?ふざけるな、俺は仲間と俺自身のために戦ってきた。戦争を始めたヤツらなんかに諂う気なんてさらさらない。喧嘩なら互いに戦う覚悟がある。でも戦争は違う。巻き込まれて泣いてるだけの連中を見てると腹が立つんだよ、無性にな。それに、俺はもともと力を持て余してる。だからある意味、戦いは俺にとっての鬱憤ばらしだよ」
僕はまた言葉を失い、頸元で折り重なる“仲間”の形見に視線を奪われた。そのすぐ傍の頸元に、彼を煉獄へと突き落としたであろう深い傷痕が見える。その決して消えることのない傷は、燃え滾る悔恨の炎に灼かれながら、怒りと哀しみの鎖に縛られ、苦しみ踠いているレイの姿を僕の中に映し出した。彼がどれほど心を引き裂かれ、どれほどの過酷な苦痛を孤独に味わったのか、想像するだけでも逃げ出したくなる。
それでもレイは、その苦しみや哀しみすらも動力に変えたのだ。地獄の淵から傷だらけで這い上がり、マグマのように迸る血潮を糧に、こうして現在を力強く生きている。
悲観と絶望のぬるま湯に浸り、ふやけてしまった僕とは違う─── 根本的に違うのだ。
「君は、死ぬのが恐くないのか」
「俺はあの場所で一度死んだんだ。また俺を殺そうっていうなら受けて立つさ」
レイは、いつも心のままに真っ直ぐに生きて、いつも後悔のない選択をしているんだろうな───。
「君は逞しいな、すごいよ、本当に」
僕は息巻くレイに応えて微笑んでいたが、視界が潤み、目元が熱を帯びているのを感じた。記憶に残る見憶えのある顔が幾つも過り、何故か今、これまでの人生が走馬灯のように廻っている。
僕はいつも体裁という名の仮面の裏で怯えて生きていた。でもそれは、僕が臆病で何も知ろうとしなかったからだ。陽向を生きる人たちを忌み隔て、遠避けていたのは僕の方だ。自分を護ろうとするあまり、傷つきたくないあまり、殻を閉じ、歩み寄ろうともせず、いつも逃げて自ら陽陰を選んできた。僕を不幸にしていたのは、僕自身だ。
僕は誰とも戦わなかった、自分の、この弱さとも───。
「レイ」
悔しさからか、情けなさからか、僕は声が震えそうになるのを堪え、一旦喉を下してから、ただ静かに様子を見護っているレイに向けて、ひとつひとつ言葉を選んでいった。
「君が戦い続けたいなら、君の人生だし、それも良いと思う。だけど、君を本当に必要としてる人だっているんだ。僕たちにも、君が必要だ。それだけは、忘れないでくれ」
その言葉には、彼の母親やヘルムートの気持ちを束ね、僕と向き合ってくれたことへの感謝と親愛の気持ちも込めたつもりだった。
レイは少し困惑した様子で表情を曇らせたまま僕の顔をじっと眺めていた。天邪鬼の照れ隠しか何かに違いない。僕は何か胸が空いた想いで微笑んでいたが、強情なレイは顔を顰めたまま、まだ頸を捻っていた。そして不意に視線を脇に逸らしたかと思うと勢い良く立ち上がり、あっという間に僕の胸ぐらを締め上げた。
「おいお前、今のは何だ。俺に説教する気か?」
「いや、違う、ちょっと待ってくれ、何でだよ、そんなつもりは、僕はただ・・・」
身構える暇もなくレイの太い片腕で軽々と吊し上げられた僕は、勝手に彼を“死にたがり”だと決めつけたことを見透かされたのだと思い、妙に言い訳がましくなった。
レイ、君は ─── 死に場所を探しているんじゃないのか ───。
顎を突き上げている大きな拳を解こうと無駄な抵抗を続けていると、錆びた蝶番が軋む不快な音と共に、暗がりに長い光が射し込み、僕とレイは同時に扉の方へと振り向いた。




