『ゾンビパンデミックの世界⑱』
男の第一声を耳にした私達は、目を丸くして顔を見合わせる。
更に加えて、ラジカセから人の声が流れ始めるという衝撃も受けたため、私は何度もラジカセを突き刺すようにくいくいっと指差した。
そんな私を宥めるように、片目を閉じた白月は、前に陽太がやっていた、人差し指を口元に当てるジェスチャーをこちらに向ける。
「しー」
どうやら静かに、という意味らしい。
要求通りにするべく、今度は上唇で下唇を包み込み、物理的に口を封じてからラジカセを見つめ直すと、発明家らしい男の話は赤裸々に続いた。
薬液の作製には数年の時が掛かり、つい二ヶ月前にようやく完成したこと。
一人孤独に作り続けた苦労話と、最近ハマっているコーヒーのブレンドについて。
そして、薬液には変異種の人外的な耐久力を剥がし取る効力があること。
『この薬液を変異種にかけることができれば、奴らの腫瘍は溶け落ち、次第に普通のゾンビと変わらない耐久力まで弱体化する。自分で言うのも何だが、これは革命的な発明だ』
確かに、それが事実ならば、避けるか、通り過ぎるのを待つしかないと言っていた白月の発言が覆ることになる。
この世界の人間にとっては、革命も革命と言えるだろう。
私は話を聞きながら、ふとラジカセの近くにあった写真立てに目を落とす。
そこには白衣を着た、見るからに偉業を成し遂げそうな顔をしているスキンヘッドのオヤジが満面の笑みでピースをする姿と、そのオヤジの両脇で寄り添うように立っている女性と少女の姿があった。
察するに、このオヤジが声の人物なのだろう。断定はできないが、声の特徴とイメージがあまりにも合致したため、私はそう決めつけた。
男が一通りの説明を終えると、再びノイズ音だけが流れ始める。
「……終わったの?」
「いや、たぶん、まだ続きがある」
白月の言うことは正しかったようで、私達が一言二言を交わしたのち、仕切り直すように、また男の笑い声が聞こえてきた。
『ぶわっはっは! やべぇ、しくじったぜ! 今日は20XX年8月16日だ! 薬液の完成を祝して酒に溺れた挙げ句、外の壁に落書きして遊んでたらゾンビに噛まれちまった!』
私と白月はもう一度、目を丸くして顔を見合わせた。
『俺はもう限界だ。だが、この研究所だけは安全に保管しなくちゃならねぇ。もし、いつかここを見つけた誰か、いや、これを聞いてるお前に頼み事がある』
陽気だった男の声に余裕がなくなり、徐々に息が乱れていく。
『机の横にアタッシュケースを置いておく。その中にあるのは薬液の製造方法が書かれた資料と、薬液を合理的にぶつけるための武器だ』
『それは人類の希望になる。俺の技量じゃ弱体化させるのがやっとだったが、研究を進めれば、この忌々しい感染症のワクチンにもなり得るはずだ。何が何でも引き継ぐ必要がある。もちろん、勝手な頼みであることは分かっている。でも、どうか、この役割を引き受けちゃくれねぇか?』
『俺はこの騒動で妻と娘を失った。きっと、俺と同じ想いをした奴らが世界中に溢れてる。こんな世界、あっちゃならねぇ。終わらせなくちゃならねぇんだ。だから――』
彼の想いに圧倒されてか、私と白月は口を噤んで聞き入っていた。
それから男は苦しそうに咳き込んだあと、最後の力を振り絞るかのように、切実な願いを告げる。
『だから、頼む。世界を救うために手を貸してくれ』
その言葉を聞いた瞬間、胸の中にじわりと熱が宿るのを感じた。
それが何を意味するのかは分からないが、ともかく、彼の想いは私の口角を静かに釣り上げる。
そして、得も知れぬ高揚感に満たされた私は、飛び付くようにラジカセを鷲掴み、それを高々と掲げ、男の願いを正面から受け止めてみせた。
「託された、託されたよ! 私に任せて!」
心から溢れ出た言葉だった。
世界を救うとまでは言えないが、是非とも橋渡しくらいは担わせてほしい。この偉大な発明家が遺した想いを途絶えさせるなんて、許されるはずがないのだ。
胸を躍らせながら、彼の応答を待つように身体を揺らしたが、記録であると説明を受けたことを思い出し、私はそっとラジカセを元の位置に戻した。
残念。話し合うことができれば、きっとすぐに意気投合できただろうに。
この世界の発明家と邂逅できなかったことを惜しんでいると、男が言っていたアタッシュケースなる箱を拾い上げた白月が、それを机の上へと丁寧に寝かせた。
瞬時に心を切り替えた私はスッとしゃがみ込み、机の縁に指をかけて、間近で食い入るように凝視する。
「開けるよ」
白月が手を掛ける。
もはや、返事をする余裕もなく、代わりに鼻息でフッフと急かすと、白月は留め金を外して、ゆっくりとアタッシュケースを開いた。
「わっはぁッ!」
これが彼の遺した発明品か!!
中に入っていたものが、私の視線を強烈に惹きつける。素晴らしいと言う他にない。
『薬液を合理的にぶつけるための武器』
それは、黄金に輝く銃のようなものだった。
ジョッシュ君が使ってたショーティーよりも遥かに小さく、どこか親近感を覚えるサイズである。
その黄金銃に目を奪われていると、白月が同梱されていた一枚の紙を読み上げる。
曰く、この銃は元来の銃とは性能が異なるようで、あくまでも銃弾に込められた薬液をそこそこ飛ばすだけの代物らしい。
その代わり、誰でも扱えるようにと、撃った時の反動は最小限に抑えた設計になってるとのこと。
つまり、つまりだ、これは私にも使えるわけだ。
益々、魅力に囚われた私は徐ろに黄金銃を手に取って、とっくりと眺めた。
握り心地や良し。これはもう、私のために作られた武器と言っても過言じゃないくらいのフィット感である。
ほら、心なしか、黄金銃もさっきより輝いているじゃないか。
決まりだ。
「私が持ってもいい?」
問い掛けると、わしわしと頭を掻きながら「うーーん」と悩む様子を見せる白月。
だけど、少ししてから、私の心意気をふんだんに乗せた瞳の圧力に根負けしたようで、口元を緩めた彼女は仕方なさそうに了承してくれた。
「分かったよ。マノが持ちな」




