『ゾンビパンデミックの世界⑯』
「――そしたらジョッシュ君、大声でわんわん泣き出しちゃってさ」
「あははっ、今のあの子からじゃ想像つかないね」
「まったく、宥めるのに苦労したんだよ」
「よっぽど、その子が大切だったんだろうさ」
白月が聞き上手であることも相俟って、それはもう気持ち良く思い出話を語っていると、気付けばそれなりの時間が経っていたらしく、程なくして白月から一時停止の一声がかかった。
「マノ、続きはまた今度お願いするよ」
「ん……ここからが良いところなのに」
まだ氷山の一角の一角の一角しか話し終わっておらず、不完全燃焼な気持ちに不満げな表情を浮かべるも、私の頭に手を乗せて「ありがとね」と呟く白月に、仕方なく私は口を閉ざした。
それからすっかりと飴玉を溶かし切って咥えていただけの棒を、白月にならって長椅子の隣にあるゴミ箱へと放り、私達は建物から歩み出る。
ん。
太陽の光に一瞬だけ目を眩ませたのち、リュックの脇ポケットに差し込んでいた地図を取って広げると、面倒見の鬼が近寄ってきたので、それを手のひらで制止し、自力で現在位置を照らし合わせた。
うん、うん、問題なし。
次に行く場所は……っと。
ところが、問題がなかったのは地図上だけの話だったようで、次に調べる予定の建物を私が指差すと、そこに見覚えのあるモンスターが徘徊していることに気が付き、私は「あら」っと声を漏らす。
「変異種がいるね。捕まえる?」
「馬鹿言わないでよ。迂回するよ」
言ってみただけである。
危うきには近寄らず、という白月の方針に伴い、私達は揃って踵を返した。
……唖然とする。
「……こっちも変異種がいるね。捕まえる?」
「……馬鹿、言わないでよ」
どうやら、私と白月は変異種に挟まれてしまったようだった。
「防犯ブザーとかないの?」
「あるにはあるけど、変異種は特殊なんだ」
「というと?」
「音に反応するわけじゃないんだよ」
それは、困る話だね。
どうしたものかと悩んでいると、片方の変異種がいる方角から唐突に爆発音が上がった。
咄嗟に耳を塞ぎながら身を屈めた私は、何が起きたのかと確認するように視線を向ける。
……あれは、車だ。
昨晩、陽太が教えてくれた、この世界の乗り物、その車から火の手が上がっていた。
あの異常発達した大爪によって切り刻まれたようだが、そんな爆発の原因よりも気になったのは、爆風をゼロ距離で浴びてビクともしない変異種の耐久力である。
つくづく、モンスターという言葉がよく似合う。
他に変異種を誘き寄せる手段はないのだろうか。その疑問をそのまま口にしてみると、白月が眉間に皺を寄せながら答えてくれた。
「……ないね。あったとしても、私は知らない。変異種は避けるか、通り過ぎるのを待つしかないんだ」
なるほど。
「それなら一旦、建物の中に避難し――」
言いながら、さっきまで寛いでいた建物の中に目を向けてみると……うーん。
またしても、絶望的な光景が視界に映り込む。
今日はすこぶる運が悪いらしい。当然と言えば当然なのだが、爆発音に誘導されたゾンビの群れが押し寄せていたのだ。
左右には変異種、背後にはゾンビの群れ。
「どうする? 白月」
問い掛けてみたが、答えは返ってこなかった。ちらりと彼女を見やると、唇を噛み締めて苦い顔を浮かべている。
本当に不味いみたいだね。
他に避難できる場所はないか、急いで地図と周囲の景色を交互に見合わせていく。
んーーーーー。
……ダメだ、どの建物からもゾンビが溢れ出ている。だけど、ここで立ち止まっているのは一番の悪手でもある。
こうなったら、苦肉の策ではあるけど。
悪あがきを目論んだ私は正面に見える路地を指差し、白月に提案を投げ掛ける。
「白月、あそこに逃げ込もう」
彼女の表情が更に強張った。
「……でも、あそこは」
「行くしかないよ」
「……分かった」
頷き合った私と白月は、足早に路地へと向かい、大通りを駆け抜ける。
一見、逃げ道となりそうな路地ではあるが、問題は何も解決しないことは分かっていた。何故なら、白月が渋ったのも当たり前で、この路地は行き止まりになっているからだ。
一時的に危険から距離を稼ぐことはできるものの、事態が好転したとは言い難い。
走りながら路地に入ると、奥に一匹のゾンビが見えた。
「白月!」
「任せな!」
駆ける勢いを乗せて、白月が容赦なく鉄の棒を振り抜き、ゾンビの頭部を殴り潰す。
打ち飛ばされたゾンビは、建物の壁に勢い良く衝突し、ずり落ちるように力なく倒れた。
流石の手際である。
幸いと路地にいるゾンビは今の一匹だけだったようで、間もなくして、私達は精密な地図が示している通りの壁に行く手を阻まれた。
ここからどうするか、だね。
何とかこの状況を打開する術を考える必要がある。立ちはだかる壁を前に、白月が口元に指を添えて、悩んでいる仕草を見せた。
私も振り返って数匹のゾンビが路地に入り込んでくる姿を目視、悠長にしている暇はないと判断し、頭をフル回転させて妙案をひねり出そうと思考を巡らせる。
何か、何かないか、何……か?
それは強烈な違和感だった。解決策を模索する私の思考回路をぶちんと遮断するかのような、果てしなく奇妙な光景が目に飛び込んできて、私は強制的に考えることを中断させられる。
一度、気付いてしまえば、どうしてすぐに気付かなかったのかと疑問に思うほどの異様さ。
即座に白月へと呼び掛けた。
「白月、何かある!」
私の声を聞いて振り向いた白月も、それを見て陽太さながらのどもった声を上げる。
「え……な、何それ」
無理もない。私達の視線の先、左手側の壁には、シンプルな赤い三角屋根の家が、染料で大きく描かれていたのだ。
しかも、その家に設置されている扉だけは絵ではなく、実物のようだった。
うず。
私の身体が小さく揺れる。
磁石のように吸い寄せられた私は、無意識にノブを手にとってガチャリと回していた。そして金属が擦れる音と共に、わずかに扉が開く。
「開いてるみたいだよ」
白月は納得のいかない表情を見せたが、心に湧き上がるモヤモヤを呑み込むように深呼吸し、私の方へと歩み寄ってきた。
「私が先に行く。マノは後からついてきて」
彼女の指示に頷き、私達は扉の先へと足を踏み入れてゆくのだった。




