『ゾンビパンデミックの世界⑧』
これまでに見たゾンビは、腐敗や欠損こそすれ、しっかりと生前の面影が残っていた。
だけど、あそこにいるのは、それら普遍的なゾンビとは明確に違っている。
人型ではあるが、人型であるだけだ。
ダイヤルに手を掛けた私は更にゴーグルの倍率を上げ、じっくりと観察を試みる。
「……凄まじいな」
身体がはち切れんばかりに肥大化していて、普通の人間よりも一回り、いや、二回りは大きいだろうか。
皮膚が張り裂け、顔や肩に腫瘍のような膨らみもある。それがまた、人間らしさから遠ざかる要因となっていた。
加えて、腕や足も異常な発達を見せており、猛禽類も思わず苦笑いを浮かべてしまいそうなくらい殺傷能力の高そうな爪が指先からぐんと伸びている。
モンスター。
自然と浮かび上がった言葉はそれだった。
もし、あれで生前の姿と一致していると言うのなら、見た目で判断したことを謝罪する他にないが、流石にそれはないと願いたい。
……にしても。
ゴーグルを定位置に戻した私は腕を組み、空を見上げ、深く、深く、息を吐く。
「ふぅぅぅ……」
どうしよう。
めっちゃ気になる。
好奇心というものは、どうしてこうも無限に湧き上がってくるのか。
もっと近くで見たい、知りたい、調べたい、そんな気持ちが溢れて止まらない。
だけど、分かってる。
今じゃないってこと。
私にも水たまり程度の理性はある。
あの怪物に一人でアプローチをかけるなんて愚行もいいところだ。たちまち八つ裂きにされるか、良くて三枚おろしといったところだろう。
そういう無茶をして良いのは、私がレッドゾーンを踏み越えないように監視してくれる有能な助手がいる時に限る。
それに、最優先するべきはアレじゃない。
まずは階段に押し寄せていたゾンビを遠ざけられたこと、それを皆に報告するのが先決だ。
だから我慢、ここは我慢である、マノ。
何とか紙一重で自分を律したものの、依然として好奇心が収まらないため、気を逸らすべく再び誘き寄せたゾンビに視線を向けてみると、ゾンビたちは揃って爆発が起きた方角へと歩き出していた。
おぉ、これは都合が良い。
階段から離れるだけでなく、建物の前からも遠ざかってくれるとは、嬉しい誤算だ。
このタイミングを逃す手はあるまい。
私の理性が干上がってしまう前に、皆のところへ帰るとしよう。
それから抜き足差し足と、用心しながら階段を降りていき、鉄の扉を前にした私は軽くノックして乾いた音を奏でる。
少しの間を置いて、白月の声が返ってきた。
「マノ?」
「うん。ゾンビは遠ざけたよ」
端的に作戦が成功したことを伝えると、中から開錠音が聞こえ、扉がゆっくりと開いてゆく。
しかしながら、扉の先で待ち構えていた白月の雰囲気にどこか険しさを感じた私は、すぐには中に入らずに首を傾げた。
「どったの?」
「マノ、ちょっとおいで」
白月は短くそう答えてから踵を返して歩き出し、さっきまで皆といた空間を足早に横断すると、奥にある一室へと私を誘導する。
ここは、物置部屋だろうか?
そこかしこに色んな物が、整理整頓された状態で置かれていた。どれもこれも、一見しただけでは用途が分からないものばかり。
首を巡らせ、しきりに辺りを見渡し、あとで好き放題に漁らせてもらえないものかと期待を抱いていると、背を向けていた白月が振り返り、鋭い瞳で私を睨みつけた。
「マノ。申し訳ないけど、身体検査をさせてもらうよ」
……身体検査?
思ったことをそのまま口にしてみる。
白月は頷いてから理由を説明してくれた。
「ゾンビに負わさられた傷がないかどうかを調べるのさ。感染している人間を身近に置くわけにはいかないからね」
なーるほど。
実に理に適った措置である。
意図を理解した私は手早く作業着のファスナーを下ろし、速やかに下着姿となって両手両足を広げた。
さぁ、思う存分に調べるといい。
あまりにも積極的な私の態度を見てか、白月は緊張の糸が解けたように、フッと声を漏らして頬を緩ませる。
「良かった。その様子なら大丈夫なんだね。でも、決まりごとだから、一応ちゃんと見させてもらうよ」
当然だね。
傷を負えば感染するという厄介な性質上、集団の中に紛れ込まれたら致命的になり得る。
安全を確保するなら、油断せず、念入り調べるべきだろう。
そうしてペタペタと手際良く触診が始まる中、あちこちに動く白月の顔を目で追いつつ、「そうだ、ついでにさっきのことも聞いてみるか」と思い立った私は、異型のゾンビについて問い掛けてみることにした。
すると、白月は特に驚く素振りも見せず、当たり前のことを口にするように言葉を発する。
「あぁ、変異種のことだね」
「変異種?」
「たまにいるんだよ、あんな風になっちゃうのが」
ふむふむ。
この口振りだと、あの一匹だけではないのか。
「原因は?」
「分からない。でも一つだけ言えることがある」
「何?」
隈なく身体検査を終えた白月は、私の肩にすっと手を置いて、言い聞かせるように答えた。
「死にたくなければ近づかないこと。あれは人間にどうこうできる相手じゃない」
真摯に向けられた眼差しに、私は息を飲んだ。
白月……なんて、難しい要求をするんだ。
果たして、自分にそんなことができるだろうか。
無理難題を吹っかけられて、心の動揺を隠せないでいると、そこで今度は白月が私の肩に手を置いたまま視線を降ろし、何やら訝しげな表情を浮かべながら質問を投げ返してきた。
「ところでマノ、あたしも聞きたいんだけど」
「ん?」
「その胸元の宝石は、何?」




