『ゾンビパンデミックの世界②』
馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。
「何がおかしいって言うのさ?」
「明らかに理性がないですよ」
「それは、私が怒らせてしまったからじゃ?」
「博士に対して憤慨する気持ちはよく理解できますが、それでもこうはなりませんよ」
「なんか、ほんと、ごめんね?」
助手の本音が垣間見えたことに不安を覚える私を他所に、ジョッシュ君は顔を突き出すと、店主の手が届かない範囲で観察を始める。
しばらくして。
「やっぱり、この人、死んでませんか?」
「いや、元気そうに動いてるけど」
「死んでるのに動いてるんですよ」
「死んでるのに、動いてる?」
「はい。身体も腐敗してるし、目に生気も宿っていない。なのに動いてる」
「面白いね」
「面白くはないです」
ジョッシュ君の観察報告によって、ぴょこっと興味の種が芽吹いた私は目を細めながら口元に弧を描いた。
死者が動くなんて聞いたことがない。
そんなの、不思議の極みである。
「縄で捕縛できない?」
「何のために?」
「調べるために」
ジョッシュ君の溜息が一つ。
「明確にこちらへと襲い掛かる挙動を見せているので、危険ですよ」
「そこを何とか」
「ダメです」
「一生のお願い」
「その言葉、千回は聞きました」
「…………」
ピョロロロロ。
これ以上は無駄だと察した私は、渦を巻いた管が三叉に伸びる不思議な笛を吹いて不貞腐れた。
けちんぼめ。
けちんぼっしゅくんに改名するといい。
そうこうしていると、腰を引っ掛けて前屈みに手を伸ばしていた店主が不意に、ぐるりと前転しながら台座を乗り越え、勢いのままに倒れ込んでくる。
その際、床に思い切り打ち付けた首が、曲がっちゃいけない方向に曲がったのを見て、私は思わず「あ」と声を漏らし、咥えていた笛を落とした。
一時の沈黙が場を支配する。
やがて、倒れていた店主が身体をカクつかせながら、ゆっくりと私達に背を向けて立ち上がる。
「うへー、とんでもない絵面だね」
「普通なら間違いなく死んでいますね」
目に映った光景は、筆舌に尽くし難いものだった。
首が座っていない、なんてレベルを超越している。
可動域の限界を超えて、背中側に反り返った店主の顔が、ぎょろりと私達を睨みつけた。
見ているだけで痛そうだが、痛みを感じている様子は全くない。
彼が死者であることを考慮すると、痛覚がない、というよりは、痛覚を感じる心がないのだろう。
店主は振り返り、ゴキゴキと不快な音を鳴らして異常に仰け反った首を元に戻すと、片足を引きずりながら再びこちらへ向かって前進を始めた。
「取り敢えず、ここを出ましょう」
「そうだね」
頷き合った私達は即座に店の外へ駆け抜けようとする……が、店の外に私が足を踏み出した瞬間、またもやジョッシュ君に襟元を掴まれる。
「ぐっふ」
変な声が出た。
私の首もそろそろあらぬ方向に曲がってしまうのではないかと心配に思いつつ、いきなり何、と疑問を抱いていると、外から「ゔぁーーーーー」複数の唸り声が聞こえてきた。
「完全に、囲まれていますね」
ジョッシュ君の一言に息を呑む。
さっきまでの閑静な街が嘘のようだ。
店主同様に虚ろな目をした、見るからに生気を失っている人間がざっと目算するだけでも数十人。
それらが手を突き出しながら、この店に集まろうとしていた。
果たして、これに捕まったらどうなるのか。殴る蹴るの暴行を加えられるのだろうか、それは御免被りたい展開だ。
でも少なくとも、異世界からの訪問者である私達を歓迎するべく、胴上げするために集まってきた、なんて平和的な話ではないだろう。
「どうする?」
うちの自慢の作戦参謀に今後の展開を尋ねると、ジョッシュ君は押し黙って打開策を思案し始めた。
私はその横で、腕に抱えた異世界アイテムの中に使えるものはないかと、一つずつ群れに向かって投げつけてみる。
そのほとんどは無造作に地面へと転がるだけで何も起きず、唯一反応を見せた一頭身の生物は「モルスァ!」と意味不明な一言を放ったのち、敢えなく歩み寄る死者の群れ中へ埋もれていった。
残すは紐が巻き付いた円盤だけだが、これも投げたところで何も起きやしないだろう。
こんなことなら、大人しくじっと待っておけば良かった。無駄に異世界アイテムを手放しただけじゃないか。
溜息と共に肩を落とした私はもう一度、頼みのジョッシュ君に目を向けてみる、と――おや?
「ジョッシュ君、どうしたの?」
先程まで口元に手を当てて悩んでいたジョッシュ君が、どこか遠く、死者の群れの向こう側をじっと見つめていた。
明らかに何かを目で追っているようだ。
なんだ、ずるいぞ、自分だけ。
何を見つけたというのだ。
私の身長では群れの向こう側など見られるわけもなく、ひたすらにジョッシュ君の応答を待つも、この男……なかなか答えてくれない。
なぁぁ、私にも見せろ!!
痺れを切らした私はジョッシュ君の後ろに回り込み、彼の肩に手をかけて背中をよじ登る。
それでどうにか同じ視点の高さを手に入れた私は、ジョッシュ君の肩越しから顔を覗かせ、群れの向こう側にある景色を見据えた。
同時に、見ていたものを指差したジョッシュ君がボソリと呟く。
「何か、起きそうですよ」
そこでは一人の男がこちらを見つつ、そろりそろりと、でも足早に歩いていて、口元に人差し指を当てるという仕草をしている。
その仕草に何の意味があるのかは理解できないが、取り敢えず私も同じように人差し指を口に当ててみると、その男はコクコクと頷いた。
それから男は道端にたくさん並んでいる車輪がついた箱、そのうちの一つに乗り込んでいき、中でごそごそと何かを弄くり始める。
「彼、何をしているんだろうね」
「分かりません」
だが、その答えはすぐにやってきた。
パァーーーーーーーーーーーーッ!!!!
思わず顔をしかめたくなるほど、けたたましく耳障りな音が、街一帯に響き渡ったのだ。




