『ゾンビパンデミックの世界①』
「ふぉぉぉぉぉッ!!」
新しい世界に降り立った瞬間、私は目を輝かせ、飛び上がらんばかりに奇声を上げた。
そうなるのも当然で、何故なら新天地には、一目で心を鷲掴みにする魅惑的な景色が広がっていたからだ。
これまで数々の異世界を巡り、様々な文明に触れてきたものだが、今回は毛色どころか、毛並みも、毛質も全く違う。
一言で言うなら、灰色の世界。
最初に抱いた感想は、それだった。
建造物も、道も、全体的に無機質な灰色に染められている。
もちろん、それだけじゃない。建物一つ一つも見上げるほどに大きく、まるで複数のデスワームに取り囲まれているかのような重圧。
どういう建築技術を用いれば、こんな大きな建造物を倒さずに建てれるのか。不思議で仕方がない。
更に目を見張るのは、区画整理の綿密さだ。これだけの建物が密集しているにも関わらず、その街並みには一切の乱雑さを感じない。
むしろ、美しさを感じるほどに徹底して無駄が排除されており、土地を余すことなく計画的に利用している印象を受ける。
これには合理主義のジョッシュ君もニッコリなのではなかろうか。そう思って隣に立っている彼の表情を窺ってみたが、残念、いつもの無表情だった。
ジョッシュ君は、フラフラと未知に吸い寄せられるように単独行動を始めようとする私の後ろ結びをがっしりと掴んで制止し、周囲に目を配りながら淡々とした口調で異変を指摘する。
「博士、人の気配がしません」
私は鼻で笑い、肩を竦めながら首を振った。
そんなことあるわけないだろ、ジョッシュ君。
これほどまでに大規模な街だよ? 人が居なかったら何のために建設したのか分からないじゃないか。
とんちんかんなことを言いだしたジョッシュ君に、寝言は寝て言いたまえ、そう心の中で断じてから辺りを観察してみると、どう見ても人の姿は見当たらなかった。本当にごめん。
いやいや、でも、そんなことがあるだろうか? ここまで巨大な建造物が立ち並ぶ世界に人がいないなんて。
それに周りを見てて、気になったことがもう一つ。
景色全体のインパクトに目を奪われていたが、よくよく見てみると、至るところから廃墟のような雰囲気を感じる。
この世界、何かがおかしい。ここに住んでいた人々は、どこに行ってしまったのだろう。
…………。
……まぁ、でも、いないもんはいないんだから仕方ないよね。
いくら考えたところで答えが見つかるわけでもなければ、忽然と人が現れるわけでもなし、だから、一旦それは置いといてさ。
「ジョッシュ君、もう無理。そろそろ探索を始めないと奇行に走っちゃうかも。試しにあそこの建物に入ってみようよ。情報を得られるかもしれないよ?」
我慢の限界を迎えた私は、近くにあった比較的小さな建物を指差した。
書いてある文字はさっぱり理解不能だが、透明なガラス越しに見える光景から察するに、あれは恐らく物売り小屋とお見受けする。
つまり、何か面白いものが得られるかもしれないわけだ。
そこに未知があるのに、見て見ぬ振りをすることを人は愚行と呼ぶ。
そうだろう。そうだよね?
さぁ、ジョッシュ君!! 速やかに許可を!!
切望の眼差しを向けると、ジョッシュ君は口元に手を当てて少し悩み、下心が見え透いた博士の提案に乗るのは癪だけど立ち止まってても始まらないか、と言いたげな顔で渋々と承諾する。
「そうですね、行ってみますか」
よし!!
助手の表情から読み取れた思考に引っ掛かる部分はあったものの、許可が降りたことに歓喜した私は強く右手を握りしめた。
ンフフ。この世界には一体、どんなものが売られているのか。
街を見ただけでも想像を絶する技術力。
その期待値は計り知れない。
私はジョッシュ君に後ろ結びを掴まれたまま、目的の建物へと歩み寄ってゆく。
そうしてすぐに辿り着き、店内の様子を目にした途端、私は感動に打ち震え、声にならない声を上げた。
……最高の、楽園だ。
どこに目を向けても未知。未知。未知。
その店は私の過度な期待も裏切ることなく、未知で溢れ返っていた。
私はバナナの山に投げ入れられたサルの如く、有頂天になってキャッキャと手を叩く。
「たっはぁ!! 何これ!! 変!! どう使うの!? 何に使うの!?」
後ろ結びを引き千切りそうな私の勢いに、さしものジョッシュ君も抑えていられないと判断したのか、遂に手は離され、私は思う存分に店内を飛び回った。
異様さを感じるほど綺麗に陳列された、不思議なアイテムたちを次々と手に取ってゆく。
二つの円盤の間に紐がぐるぐると巻き付いた物体。
六面が違う色に塗られた謎のキューブ。
地面に叩きつけると驚くほどに飛び跳ねる玉。
腹部からガラス玉を撃ち出す小さな人形。
大きな耳に丸い瞳、クチバシが特徴的な喋る一頭身の生物。
他にも用途不明のアイテムがわんさか置いてある。
私はそれらを腕いっぱいに抱えながら、興奮気味にジョッシュ君へと見せつけた。
「見て!! ジョッシュ君!! 見て!!」
だけど、ジョッシュ君の関心は別にあるようで、私の主張は鮮やかにスルーされる。
「店内にも人は見当たりませんね。それに商品を綺麗に並べている割には、やけに埃を被っているのも腑に落ちないです。ちらほらと物も転がってますし」
ジョッシュ君は店内を見渡しながらボソボソと呟いた。
……まったく、君ってやつは。
これだけの宝物を前にして、よくもそんなに冷静さを保っていられるものだね。
私からすると信じられないことだ。
沈着とした助手の態度に小さな不満を抱きつつ、私は吐息を放つ。
……とは言いつつも、これで本当にジョッシュ君が落ち着きを失ったら、こちらも安心して好き放題ができなくなるので、実のところ冷静でいてくれる方が私としても助かる部分は大きかったりする。
ただ一方で、もっと一緒にはっちゃけたい、というジレンマ的な願望もあるのだ。
もどかしいところである。
取り敢えず、いつも完璧な補助をこなしてくれるジョッシュ君に対して、日頃の感謝だけは念じておきつつ、それはさておき、気を取り直した私は店の奥へと目を向けた。
おや、何やら扉があるね。
私はその扉を指差して、ジョッシュ君と目を合わせる。もしかしたら、あの先に人が居て、呼べば出てくるかもしれない。
「呼んでみようか?」
「任せます」
任された。
「おーーーい!」
声高々に呼びつけてみると。
がたん。
奥の部屋から物音が響く。
ほら、やっぱり誰かいるんだよ。
私は異世界のアイテムを大量に抱き締めたまま、奥の部屋に向かって歩を進める。
可能ならば、これら全てを手に入れたいところではあるが、果たして物々交換に応じてくれるだろうか。
物音はしたけれど、人が出てくる様子がないので、私は再び大声を上げて呼びかけてみた。
「おーーーい!」
すると。
バァン!!
けたたましい音を立てて、奥の部屋の扉が勢い良く開かれる。その音に驚いた私は、びくっと身体を跳ねさせた。
なんて荒々しい登場だ。大声で呼びつけたことに機嫌を損ねてしまったのだろうか。
そうであるなら、開幕からしくじったかもしれない。怒っている相手との交渉は難易度が上がるのだ。
開かれた扉の方に目を向けると、中から両手を前に突き出した男が姿を現した。
その男はやはり御立腹のようで、「ゔぁーーーーー」と唸りながら私を威嚇してくる。
うーん、困った。
私はこれ以上の刺激を与えないように、出来る限り柔らかな笑顔を作り上げた。
「やぁ、店主だろうか? 大声を出したのは申し訳なかった。それで、この品物が欲しいんだけど、話を聞いて――うっ」
交渉を試みようとしたところで、急に漂ってきた腐臭に思わず鼻を塞ぐ。
なんだ、この臭い。
発生源は男のようだが、これが生きている人間の臭いか? よく見ると身なりもボロボロだし、肌も薄汚れている。身体を清めるという文化がないのだろうか。
私が鼻を塞いだことが気に障ったのか、男は怒りを増して、より大きな唸り声を上げながら前進してきた。
そして、そのまま私の目の前にある台座に腰をぶつけると、愚直に手を伸ばし、こちらに掴みかかろうとしてくる。
私は一歩、二歩と後退って男から距離を取った。
「待って待って。穏便に話し合おう」
体臭に対して嫌悪感を示したのはデリカシーに欠ける行為だったかもしれないが、君にも原因はあると思う。互いに非があったということで、ここは水に流してもらえないだろうか。
だが、私の願いも虚しく、男は自分が台座に引っ掛かっている事すら気付かないほどに我を失い、怒り狂っている。
こんな状態では、交渉なんて出来やしないだろう。
どうしたものかと私は眉をひそめた。
そんな調子で悩んでいると、不意にジョッシュ君が私の作業着の襟をぐわしと掴む。
「馬鹿ですか。どう見ても普通じゃないですよ、これ」




