『砂漠と水都の世界㉙』
ジョッシュ君に締め上げられてから数刻。
悪夢から目覚めるように起き上がろうとする勢いを、ぽよんっと掴みどころのない感触に殺された私は、そのまま極上の柔らかさに身を委ね、水の中を漂うような心地良さに包み込まれた。
この感覚は……水布団か?
どうやら意識をもぎ取られたあと、ここで寝かせられたらしい。
まだ本調子とは言えない思考回路で自分の置かれた状況を把握し、それから弛緩した身体に喝を入れるように大きく伸びをする。
んーーーー、気持ち良い。
そうして全身を伸ばし切ったところで、視界の端からミミコがひょっこりと、水越しに揺らめく変な顔を覗き込ませてきた。
「マノさん、起きましたか?」
私は返事の代わりに手を伸ばし、水布団から引き上げてほしいというアピールをしてみる。
それはしっかりと伝わったようで、ミミコに引き上げられた私は何とか水布団、改め、ダメ人間製造機から脱出することができた。
これの心地良さは最高と言わざるを得ないが、最高ゆえに抜け出せなくなることが問題点である。
「ありがと、ミミコ」
手を引いてくれたことに感謝を述べると、ミミコは小さく微笑んだ。
しかし、何だろう。
どこか様子がおかしい。
と言うのも、ミミコが私の右手を掴んで離さないのだ。
左右に振っても、ぐるぐる円を描いても、波を打っても、がっしりと掴まれたまま。
「もう離して大丈夫だよ」
どうにもならないので話しかけてみると、そこでようやく彼女は口を開いた。
「……マノさん、本当に行っちゃうんですか?」
ミミコは自分でそう問い掛けておきながら、その答えを聞きたくなさそうに顔をしかめる。
彼女が言っているのは、異世界転移についてのことだろう。既に話は通してあるからね。
「そうだよ。私とジョッシュ君は今日でこの世界から居なくなる」
「もう会えないんですか?」
「もう会えない。少なくとも、今まで同じ世界に降り立ったという事例はないね」
事実を事実のままに伝えると、ミミコはぐっと力を込めてから私の手を離した。
ここで嘘を述べる意味はない。私としても、この世界で培った経験は人生で上位に君臨するほど、充実したものであったが、それとこれとは話が別だ。
一緒に怪物を倒しても、皆と冒険を繰り返しても、いくら寝食を共にしても、魔力が増幅する限り、私は異世界転移を繰り返さなきゃいけない。
これまで、そうしてきたように。
これからも、そうするように。
まぁ、私に至ってはもう慣れてしまったけどね。
根源が揺るがない以上、そういうものだと割り切る他にないのさ。
しかしながら、このまま放っておくと、彼女は黙り込んでしまいそうだったので、私はそれを阻止するべく、ミミコの頬に向かって両手を伸ばす。
べちん。
「ひゃふっ!? は、はひふふんへふは!!」
顔を潰されたミミコが目を丸くしながら声を上げた。
よく覚えておくといい。
私には、しんみりとした顔をする人間の頬を潰すという習性がある。
「はへへふははいほぉーー!!」
そうしてしばらく、ミミコの頬をうりうりと弄んでいると、ジョッシュ君とオヤジが二人揃って私達のもとへとやってきた。
「何やってんだ、嬢ちゃん達」
「博士、転移の準備が整いましたよ」
最後にぐにーっとミミコの頬を両サイドに引っ張った私は満足して手を離し、二人の方へと歩み寄る。
するとそこで、オヤジが腕を組みながら訝しげな表情を浮かべた。
「それにしても良かったのか? 俺達だけで。嬢ちゃん達の旅立ちってなったら、街中の人を集めることだって出来たんだぜ?」
「うん、大丈夫。賑やか過ぎても困るからね」
デスワームを倒したという噂が広まってから、私達は一躍有名人となった。
水都を歩けば、三歩進むたびに握手を求められるほどである。
それは、デスワームという存在がこの世界にとって、如何に脅威だったかを物語っていた。
いやはや、本当によく倒せたものだ。
「それじゃ、外に行きましょうか」
ジョッシュ君がいつもの調子で全員を促すと、私達に背を向けて歩き出した。
ふふ。この子は、私以上に異世界転移を機械的にこなしている気がするよ。
一喜一憂していた少年時代のジョッシュ君はどこへ行ったのか。
外に向かったジョッシュ君の後を追うようにオヤジも続き、私も歩み出そうとする……が、その前に私はミミコの方へと振り返った。
「ほら、行くよ。ミミコ」
ミミコは複雑そうな表情を浮かべたあと、雑念を払うようにぶんぶんと首を振る。
それから小さく息を吐いて。
「はい、行きましょう!」
彼女は自分自身に言い聞かせるように声を張り上げると、凛とした態度に一転し、足早に私を追い越して外へと向かっていった。
さぁ、旅立ちの時だ。
外に出て、ジョッシュ君の横に並び立った私は、対面にいるミミコとオヤジの姿を視界に収めながら、世界のことを振り返る。
この世界はとても良かった。
デスワームを倒したことや、デスアースを飛び越えたことはもちろん、文化も技術も非常に興味深いものであったし、皆を連れて各地を巡った冒険も凄く楽しかった。
惜しむらくは、キュースィーちゃんが黒焦げになって再起不能になってしまったことと、デスワームの死骸から転がり出てきた巨大なコアを研究できなかったことである。
特に、後者については心の底から落胆した。
それを見た瞬間、どう料理してくれようかと幾通りもの使い道を思案したのに、私の首根っこを掴んだジョッシュ君が無情にもこんなことを言ったのだ。
このコアは、湖を提供してくれたミミコさんに譲渡します、と。
どうやら彼の中では最初から決定事項だったようで、その後にいくら異議を申し立てても聞く耳を持ってはくれず、私は手と膝をついて嘆く結果となった。
くぅぅ。
あれがあれば、どんな凄い発明ができたのか、想像するだけでも、胸が、痛たたた。
これは異世界転移三回分は引きずる重傷かもしれない。
そうして未練がましくデスワームコアを惜しんでいると、胸の前で両手を組んだミミコが一歩前に踏み出し、真剣な眼差しを私達に向けた。
「マノさん、ジョッシュさん!! 本当に……本当にありがとうございました!! 二人に出会えなかったら、私は大切な仲間を失っていました。助けることが出来たのは紛れもなく二人が居たからです」
あまりにも愚直な感謝を述べるミミコに、果てしなく彼女らしさを感じた私は思わず頬を緩める。
相変わらずというか、なんというか。
だけど、勘違いしてもらっては困る。
「私は治癒の宝玉が欲しかっただけだ」
「俺は博士に巻き込まれただけです」
私は無言でジョッシュ君の足を蹴った。
ミミコは静かに笑みを零して。
「フフ、それでも感謝してるんです。してもし切れないほどに」
そう語る。
「そこまで感謝したいなら」デスワームコアを譲ってくれても良いんだけど、と提案を持ちかけようとしたところで、隣から強烈な殺気を感じ取った私はぎゅるっと口を固結びにする。
危なかった。よく察知した。
もし、そのまま声に出していたら、次の異世界はあの世となっていただろう。
首を傾げるミミコに「なんでもないよ」と意味を込めて手のひらを向けた。
すんでのところで命を拾い上げたのち、ほっと胸を撫で下していると、はく製にして研究所に飾っておきたくなるような笑顔を浮かべたオヤジが私とジョッシュ君に呼びかける。
「嬢ちゃん、兄ちゃん」
そして、私達の視線が集まったことを確認してから、オヤジはぐっと親指を突き出した。
「達者でな」
…………。
「え、それだけ?」
潔いにも程がある別れの言葉に唖然とさせられる。
「なんだ? 一から思い出を語った方が良かったか?」
そう言って高笑いするオヤジに、私は呆れたような笑みを零した。
オヤジもまた、実にオヤジらしい姿を最後まで見せてくれる。
この男に長々と連ねた言葉はいらないようだね。
「店主も、達者でね」
言い返すと、オヤジは「おう」と短く答えて満足げに頷いた。
さて。
別れ際のやり取りなど、こんなもので良いだろう。
長引けば長引くほど――ほら。
途中まで明るく振る舞おうと頑張っていたミミコの顔から悲しみが漏れ始めている。
こうなってしまうのだ。
やれやれ、そんな顔で見送られる身にもなってほしいものである。
私は背伸びをして、ジョッシュ君が背負っているリュックの中身を漁った。
腰を曲げてくれたり、リュックを降ろしてくれるといった配慮を見せない助手の強情さに不満を覚えながらも、何とか目的のものを見つけ、それを手にする。
「ミミコ、頭出して」
「な、なんですか?」
疑問を抱きながらも、ちゃんと命令に従ってお辞儀をするミミコに私はてくてくと歩み寄っていく。
それからおもむろに彼女のサイドテールを手に取ると、何かを察したようにミミコは溜息を漏らした。
「もう……最後まで私の髪で遊ぶんですか?」
文句を漏らしつつも頭を上げないミミコに一笑したあと、私はリュックから取り出した『それ』にサイドテールを潜らせた。それをそのまま、ミミコの頭の上へと被せる。
予想と反する感触に違和感を感じたのか、「え」と声を漏らしたミミコは自分の頭に手をやって、何が起きているかを確認し始めた。
彼女が答えを導き出す前に、私はニヤリと笑ってミミコのおでこを指でつつく。
「私のお手製だ。それをあげるから、辛気臭い顔をするんじゃない」
ミミコは自分の額にかけられたものがゴーグルであると理解した瞬間、背筋を伸ばして身体を震わせた。
ンフフ、実は合間を縫ってひそかに作っておいたのだ。
ただ、その、私が付けている師匠の完成品とは違って、そのゴーグルには視界がモノクロになってしまうという欠陥があるのだが、まぁ……視界補助の役割はちゃんとこなしてくれるし、問題はないだろう。
上手く使ってくれ。
「……こんなの、ずるいですよ」
ミミコが震えたまま、顔を俯かせる。
待て、ミミコ。
そういう空気にしないために渡したのに、これじゃ意味がないじゃないか。
しかし、そう思ったのも束の間、私が何かを言う前に、ミミコは自分の袖でゴシゴシと顔を拭うと、勢い良く上を向いてズビビと鼻を鳴らす。
その顔を見て、私は小さく噴き出した。
目元も鼻も赤くして、まったく、酷い顔である。
でも、さっきまでの辛気臭さはなくなっている。
これなら及第点と言えるだろう。
「だいぜつにじます」
「うん、そうして」
ついでのようにミミコのサイドテールを花丸に仕立て上げてから、私は再びジョッシュ君の横へと並び立った。
そして、異世界転移装置を起動させる。
お別れだ。
程なくして、私とジョッシュ君の足元に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
「マノさん!! ジョッシュさん!!」
残り僅かな時間の中で、ミミコが一歩二歩と歩み出た。
何を言う気なのかと、次の言葉を待っていると。
「また会いましょう!!」
彼女の放った一言は、私の目を丸くさせる。
本当に、この子は何を言っているんだろう。
呆れかえった私はがくんと肩を落とし、「いや、だから……」と即座に否定で返そうとした。
しかしながら、再会できると信じて疑わない無垢でおバカな瞳と見つめ合った瞬間、思わず喉まで出掛かった言葉を呑み込んでしまう。
あーー、うん。
ダメだ。
無理だ。
不可能だ。
私の頭脳をどれだけ駆使しても、こうなったミミコを説得できる言葉なんて見つけられる気がしなかった。考えることすら馬鹿らしくなってしまった私は、根負けしたように呆れ笑いを浮かべ、力なく持ち上げた右手をふりふりと揺らす。
「わかったよ、またどこかでね」
その言葉を聞いて、ミミコは嬉しそうに頬を緩ませた。
やがて、全てが白い光に包み込まれていき、私は静かに目を閉じる。
楽しい世界だった。
もしも、また会えるなら、そうだね。
その時はまた、彼女のサイドテールを手に取るところから始めるとしようか。




